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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

体の冷えと血流

ある本の中の一節だが、孫引きなので原文どおりかどうかは分からない。大野何とかという人の本らしい。
まあ、これを引用したのは、癌というのは(遺伝的な部分が大きいのではないかと思うが)、環境や生活から来る部分もあるのではないかと思うからだ。特に、「体が冷え切って」いるような生活、「血流」が悪い、というのは大きな要因ではないか。
私の足の膝関節は時々痛むが、温湿布(と言っても、単に「ホッカイロ」のようなものを患部に貼るだけだが)をするだけですぐに痛みが無くなる。体(の一部)を温めることの効果の凄さに驚いている。痛みというのは、その部分の血流が悪くなっている、ということで、温めると血流が良くなるのではないかな、という仮説を持っている。
癌なども、そうした「血流の悪さ」と関係し、逆に高血圧体質などだと血流が良いので癌になりにくい可能性があるという、これも私の仮説だ。
なお、原子の運動は温度が高いほど活発になるので、体を温めると血流が良くなるのは当然である。ちなみに、サウナで気を失った癌患者が、失神から覚めると癌がすっかり消えていた、という話もあるらしいが、本当か嘘かは分からない。まあ、肉は40度以上で変質するとか言うから、サウナに長時間入れば、癌細胞が死滅する可能性もあるかと思う。あるいは、家庭の風呂なら、42度くらいの温度で免疫機能が高まるという説もあるらしいし、体を温めるというだけでもかなりな肉体保護の効能があるのは確かだと思う。
それを考えると、現代の癌患者の増加の一因は、夏場の電車やオフィスや学校や家庭などのクーラーの設定温度の低さにもあるのかもしれない。とにかく、現代生活は「汗をかかなくなった」のは確かであり、それは体が「体温を作る機能」をどんどん退化させているとも言えるのではないか。たかだか38度くらいの熱で熱さましの薬を飲むなど、いったい、体が何のために体温を作っているというのか、と思う。体が体温を失った状態を死体というのであるwww



(以下引用)


私の体にガンができたのは、毎日、大きなストレスを抱えて暮らしてたためです。
それに、冷たいコンクリートの上での仕事でしたから体も冷え切っていました。
食事も不規則、睡眠不足、一日中工場の中にこもっていましたから運動不足。
そんなことが重なって、血流はとても悪くなっていたはずです」

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癌か高血圧か、それが問題だ

「プレジデントオンライン」記事の一部だが、まあ、私としては、半分以上この記事を信じる。と言うのは、我が家は高血圧の家系で、親兄弟ほぼ全員が高血圧だったが、癌患者はひとりもいないのである。つまり、高血圧と癌は相剋する(互いに相手を排除する)関係ではないか、というのが私の考えだ。もちろん、そんなことを言ったら製薬会社は困るから、医学界はこの考えに知らんふりをしている。下の記事の浜医師などが数少ない例外だろう。
まあ、癌で死ぬのと脳溢血で死ぬのと選べ、と言われても、どちらも嫌には決まっているが、仮に降圧剤が認知症の原因にもなるなら、私はどちらかと言えば脳溢血を選ぶかな、という気持ちである。生き延びて半身不随で生き続けるのは困るが、脳溢血で頓死(即死)できるならそれが一番いい。


(以下引用)

さらに怖いのが、薬そのものがもたらす副作用だ。降圧剤には種類がいくつかあり、現在の主流は前出のARBやカルシウム拮抗薬だ。これらの薬剤には炎症を抑える作用がある。

「免疫反応は、病原体や体内にできた異物から体を守るための防御システム。炎症は、免疫反応の重要な要素で、体にできた傷を治す働きです。ARBやカルシウム拮抗薬は炎症を抑制するので、これを飲むと炎症が目立たなくなり、一時的に健康になったかのようにみえる。しかし傷を治すための反応が起きないということは、傷を放置しているということですから、いろいろと不都合なことが起きます」(浜医師)

その1つが「がん」である。

「がんとはいわば体内にできる異物。免疫が正常に働いていれば、仮にがん細胞が生まれても小さいうちに排除できる。しかしARBやカルシウム拮抗薬を飲んでいると免疫が抑制されてしまうので、がんになりやすい」(浜医師)

感染症が全身に広がって死に至る「敗血症」も、免疫不全によって起こる。さらには高齢者が血圧を薬で無理やり下げた場合、脳に栄養や酸素が行きわたらず、認知症になりやすいという説もあるのだ。


眼鏡型ルーペのこと

何とかというライターのハヅキルーペ体験記の一部だが、まあ、一定の姿勢で作業をする時に使うもので、その焦点距離を離れたらすべてボケボケになるようである。
他の眼鏡型ルーペももちろん同じのはずで、ハズキルーペだけがあれほど馬鹿高いのは、CMにカネがかかるためだろうwww
私の場合、最近、活字の濁点と半濁点の区別がつかないので、眼鏡型ルーペの購入も考えているのだが、片目は近視でもう片目は遠視だから、かえって目に悪いかな、とためらっている。


(以下引用)


 で、ハズキルーペ。倍率は3種類、レンズの大きさも複数あるので、比べてみるために都内のコンタクトレンズ屋さんに行ってきました(ゲラも持参して)。

倍率は3種類、レンズの大きさも3タイプ、レンズ色はブルーライトのカット率で2タイプあるので、店頭で実際にかけてみて選んだ方がいいです。

 ハズキルーペはメガネではなくルーペ(虫眼鏡)なので、ピントが合う距離が決まっています。

 1.32倍(焦点距離50~70cm)
 1.6倍(焦点距離30~40cm)
 1.85倍(焦点距離22~28cm)

 パンフレットにはこうあるのですが、実際に見え方を店頭で確かめた方がいいです。もっとも焦点距離が長い、つまり離した状態でピントが合う1.32倍を選んだのですが、自分の目には焦点距離50~70cmは長くはなく、40cmぐらいでした。眼鏡をかけた状態でも使えるよう、レンズの大きさは最も大きい「ラージ」を選択しました。

 とりあえず150ページほどゲラを読んだのですが、文字が大きくクッキリ見えるのは助かります。老眼鏡は単にピントが合うだけですが、文字が大きく見えるのが違いです。視力が低下したときにルーペの類もいくつか使ってきましたが、視界が広く書類を広く見渡せ、ハンズフリーなのは楽。メガネオンにしても重さはさほど気になりません。

購入したのは、倍率1.32倍、ラージレンズ、クリアレンズ(ブルーライトカット率35%)。写真ではわかりにくいですが、フレームの色は紫です
オンメガネ状態でも圧迫感は少ない。踏んでも壊れない、さすが日本製! とCMでは謳われているが、素材と構造上丈夫そうではある。踏まないし

 デメリットとしては、ピントが合う距離が限られているので、姿勢が固定されます。手持ちの本などではさほど問題になりませんが、机の上に置いた書類などでは、姿勢の方で調整しなくてはなりません。猫背になって辛いのであれば、机の上に本などを積み重ねて目との距離を近づけるなどの工夫が必要です。

 あと、文字を読んでいて、目線をちょっと遠くに向けてもピントが合わないので、その都度ハズキルーペを着けたり外したりする必要があります。逆にそれが面倒なので、一定時間作業に集中しようとする効果はあります。かけている間は、ちょっと遠くのテレビを見たり、立ち歩くことはできないので、作業に自分を縛り付けられるのです。

ファミレスでハズキルーペかけて校正作業の図。白とかの派手な色でなければ、周囲に気づかれることもなさそう。それにしても、文字が読めるって本当に素晴らしいですね!

片目だけ近視の場合、眼鏡は必要か

前回の記事の補足。「めがね新聞」という、眼鏡業界のステマらしきサイトから転載。
まあ、眼鏡をかけた時期と近視の進む時期が重なったために、「眼鏡をかけたために近視がより悪化した」と思い込む、という解釈は合理的ではある。だが、片目だけ近視で、眼鏡をほとんどかけなくてもまったく不自由はなかった、という私のような例も多いのではないか。


(以下引用)「成長や生活環境の変化によって近視が進む」というあたりが少し怪しい表現である。眼鏡をかけたのに、それがなぜ止まらないのか。



どうして「めがねをかけると目が悪くなる」と言われるの?

考えられるのはめがねをかけたことによる見え方の違い。例えばめがねをかけるまで裸眼の状態の見え方しか知らず、それが普通だと思っているところに、めがねをかけることによって「見える」世界を知ってしまい、めがねを外したときに今までよりも見えづらく感じてしまうというもの。

さらに成長や生活環境の変化によって近視が進むと、より強い度数のレンズが必要になり「めがねをかけてからどんどん目が悪くなっていく…」と感じる場合もあります。近視の進行時期とめがねの着用が重なってしまったケースです。

どちらの場合も「めがねをかけたから目が悪くなった」と思ってしまうのは自然なことかもしれません。かといって我慢してめがねをかけず無理にものを見ているとかえって目が疲れてしまうので、さらなる視力低下の要因にもなり得ます。

めがねの役割はピント調節の補助

ものを見るとき、目は「毛様体筋」によって調節をしています。これは目の水晶体の厚さを調節してピントを合わせる筋肉のこと。カメラで例えるならば水晶体はレンズであり、毛様体筋はフォーカスを合わせる役割を担っています。

近くのものを見るとき毛様体筋は緊張し、水晶体を厚くします。逆に遠くを見るときは毛様体筋がリラックスして水晶体を薄くします。このピント調節の“補助”がめがねの役割。

例えば近くのものばかりを見て毛様体筋が緊張している状態が続くと、眼精疲労が溜まってピント調整をする力が弱くなります。また老化によってピントを合わせる力が衰えるのが老眼。

めがねのレンズは左右1枚ずつですから、黒板や車の運転、パソコンの画面など自身の使用環境に合った「見える位置」、うまくいかないピント調整の部分に合わせて作ります。遠くを見るためのめがねなのに、近くを見るときも裸眼と同じ距離でものを見ていると「見えすぎ」によって目が疲れてしまうことも。

自分に合っためがねを適切に使用し、目を楽にしてあげましょうね。

近眼の進行で失明?

本当に、近眼の度が進んで失明する、ということがあるのだろうか。私には下の一連のツィートは、眼鏡屋としてのポジショントークのような気がする。仮に、何かの病気が進行した結果、失明したのなら、眼鏡を使用した程度ではどうにもならないように思う。
なお、私自身、かなり昔から片目が近視だが、眼鏡をかけると邪魔だし、かけなくても日常生活にまったく不便は無いのでほとんどかけていない。一度作った眼鏡も運転免許更新の時にしかかけなかったが、それもある時から不要になった。おそらく、片目だけでもある程度の視力があれば免許更新はOKなのではないか。
ただ、老来、本の活字の濁点と半濁点の区別がつかなくなってきたので、読書に少し不自由している。ハズキルーペのような奴で安価なのが欲しいところである。


  1. オナガシンヤ@仕事垢‏ @tencho_OniLabF 16時間16時間前
  1. いちメガネ屋がこういった意見を述べるのはおこがましいことだとは承知の上ですが、 お医者様には患者さんの「今」だけを見た診断ではなく、「これから先」を見据えた上でのアドバイスをお伝えいただけたらと切に願います。(終
  1. 我々メガネ屋と比べて、お医者様の診断というのはお客様にとってはとても重い言葉なんです。 軽く「気分の問題だから」といったつもりでもお客様の受け止め方は軽くないんです。 本当に悪くなっていても(精神的なものだって言われたし...)と考えてしまうんです。(続
  1. ただ、もっと早くちゃんとしたメガネなりコンタクトを作っていればここまで重症化することもなかったはずです。 もし4年前の時点で「今は大丈夫だけど、もしまた見えにくかったら言ってね」と伝えていただいていたら、こうはなっていなかったのではないかと。(続
  1. 一応度数調整を行えば視力は上がりますし両眼視もできますが、これから長いリハビリが待っています。 もしかすると4年前の時点では大した度数ではなかったのかもしれませんし、異常も見られなかったのかもしれません。 だから検査内容をどうこう言うつもりはありません。(続
  1. 精神的なものなのでメガネとか必要ないです」 そうお伝えになった結果、4年後の今日、左目が見えなくなっていました。 なまじ右目はメガネ無しでも大丈夫な視力があるだけに、左目が見えにくくなってきていることを自覚されていても「精神的なものだから」と今まで先延ばしにされてきました。(続
    1. あの...普段は本当にこういうこと言いたくないのですが今回ばかりは言わせてください。 今日ご来店いただいた中学生のお客様を4年程前に検眼された眼科様。 学校の検査で引っかかった上にご本人も希望されていたのに 「メガネをかけたい年頃だからでしょうね、かけたら見える気がするだけです(続