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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

ブログ乗っ取り(乗っ取られ)の可能性と、読者への警告

私は他に「徽宗皇帝のブログ」「酔生夢人ブログ」「四月の雨」「アンファニズム」というブログを持っているが、それを「忍者ブログ」というサーバーに頼っている。その私のアカウント(というのだろうか)が攻撃され、管理画面に容易に入れない状態なので、仮に今日現在(2023年10月9日月曜日)以降、それらのブログに私の文章とは思われない記事が載った場合は、私ではなく誰かのなりすましである可能性があると、これらのブログを読む人に注意しておく。
この記事は、とりあえず私本人のものだが、緊急手段を使って書いたものなので、これ自体が最後の記事になるかもしれない。
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無料ポリ袋の利用法

生活の知恵だが、意外に役立つアイデアだと思うので、書いておく。
小泉進次郎の馬鹿のためにレジ袋は有料化されたが、生鮮食品や濡れ物を入れる薄いポリ袋は無料である。あれは、取っておくと便利だ。

1:勉強机や作業机のへりの手前側で椅子の近くにテープ(粘着力の弱いのがいい)で開口部を上にして貼っておく。ゴミ袋である。作業中には案外ゴミが出るので、そのゴミを即座に入れることができる。溜まったら袋ごと台所のゴミ箱行きで、手も汚れない。食べカスなども処理しやすい。作業室のゴミ箱に直接食べカスを入れると、時間が経つと不衛生である。

2:外出時に、バッグ(リュックサック)などに数枚入れておく。外出先で飲んだ清涼飲料の空き缶はそれに入れて袋を閉じて持ち帰り、家で始末する。外出時に近くにゴミ箱がないことは多い。そして、飲んだ後の空き缶はそのままではバッグやリュックの中を汚す。

新カテゴリー「英語の諺の散歩道」の案内

このブログ「独楽帳」は、文字通り私自身が「独りを楽しむ」意図で作ったブログだが、読み手がいるなら、そういう奇特な人へのサービスもしたいとは思っている。まあ、読んで面白い記事や役に立つだろうという記事を書くだけのことだが、あるいは書かれた内容が気に障る人もいるだろう。特に、私はマルクス以前の「空想的社会主義」に賛同する者で、現代の各国の社会主義の影響でできた福祉制度の充実や維持を望む者なので、金儲け第一主義者には嫌われるかと思う。ここで書く内容の大半も、金が無くても友人が無くても自分自身の頭脳を相手にするだけで人生は楽しめるという思想で書かれているのである。
そういう「娯楽」のひとつが「学校の勉強ではない勉強」である。まあ「勉強」と言った時点で「勉め強いる」意味だから、楽しいはずはないのだが、何かを学ぶことや知ることは本来大きな利益であり娯楽でもあるわけだ。知った結果としての学歴などの利益ではなく、それが自分の頭の中身(私は「思考素」と言っている。つまり考える材料だ。)に有意義な断片を加えるという意味でのメリットだ。
で、これから時々書いていこうと思っているのが、私が持っている「ENGLISH PROVERVES  EXPLAINED」という英書の中から私が面白く思った英語の諺をネタにした短い随筆である。
もちろん、私の英語の学力は中学生レベルなので、これは単なる娯楽であり、間違いも多いだろうという想定の下で読んでもらう必要はあるが、まあ、そういう娯楽もある、というだけのことだ。
カテゴリータイトルは「英語の諺の散歩道」である。
この一文は新ジャンルの案内だが、そのジャンルの趣旨を表す英語の諺とその解説を書いておく。訳はしない。まあ、群れていないと生きている気がしないという多くの人や「絆」という言葉の好きな人たちから嫌われそうな思想ではある。

A wise man is never less alone than when alone.

Wise people are resourceful and do not feel the lack of company when alone, because they can find plenty to do and plenty to think.

ただし、私自身が下の諺のロバであると認めないこともない。ロバのいななきは耐え難い騒音とされている。

Every ass likes to hear himself bray.(どんなロバも彼自身のいななきを好む)

最後の挨拶とお勧め映画ふたつ

他のブログにも書いたが、しばらく、あるいは(死ぬわけではないが、ネット環境的に)永遠にお別れになるかもしれないので、この記事を最後の記事にする。
このブログは、「お役立ち情報」ブログを目指しているところがあり、そこに時々私自身の臭みが入るのが気に食わない人もいるだろうが、それは基本的に私が「独楽」の人間なので仕方がない。
で、最後に、「アマゾンプライムビデオ」に加入している人に、「お勧め映画」を挙げておく。
もちろん、私自身の好みだから、観てつまらなく思う人も当然いるだろうが、名作なのに、あまり知られていない映画や、名監督だのに世間から高く評価されていない監督がいるわけだ。
そういう映画をふたつ挙げておく。監督名の漢字はあやふやである。

ひとつは、田坂具隆監督の「陽のあたる坂道」で、主演は石原裕次郎(北原三枝)、と聞くと、あの不細工な顔の俳優か、と見る前から敬遠する人もいるだろうが、裕次郎はこの群像劇のひとりでしかなく、出ている俳優のすべてが主人公だ。日本が民主主義国家としてスタートしたばかりの頃の明るさと希望と若さに満ちた映画で、善意の人々がわずかの虚偽や忖度で危機に瀕し、しかしそれを誠実さによって乗り越え、明るい未来を作っていく話だ。別にお説教臭いところはなく、ひとつひとつの場面場面や会話、あるいは画面の細部に登場する犬や猫まで実に神経こまやかに描かれた傑作なのだが、今では無名の作品になっているのは、残念である。決して「エデンの東」の模倣ではなく、映画としてはそれを超えるとすら評価できる傑作だ。もちろん、現代人の目からは、昭和中期の人々の話し方や行動が滑稽に見えるなどのギャップはあるだろうが、それは作品としての欠点というものではない。老人が見ても面白いが、特に、若い人が見れば、人生や世の中に対する視覚、あるいはパースペクティブが広がるだろう。そういうのが「真に価値ある文芸映画」なのである。

もうひとつは、J・L・マンキーヴィッツ監督の「幽霊と未亡人」である。この監督も優れた監督なのだが、歴史に埋もれてしまった感がある。「幽霊と未亡人」は、チャーミングなロマンチックコメディだが、ロマンスの一方が幽霊で、演じるのがレックス・ハリソンなのだから、まともなロマコメにはならない。ラストが、実にロマンチックで素晴らしい。こういうのもハッピーエンドなのかどうか。なお、幼女時代のナタリー・ウッドが主人公の未亡人の娘役で出ているのも一興。「34丁目の奇跡」もそうだが、彼女は子役時代のほうがいい。