閨秀作家
須賀敦子という、ひところ有名だった作家がいるが、私はそのエッセイのひとつを読んだだけである。あるいは、その一部だけかもしれない。何となく、高貴な生まれの女性が欧州(イタリアか)で生活して、翻訳をする傍ら随筆を書きました、という印象で、要するに、我ら俗人とは縁のない「お上品」な方の文学生活を思わせる筆致であったような記憶がうっすらとある。で、今時誰も使わない言葉だが「閨秀作家」という表現がふさわしい感じがする。
閨秀の「閨」という言葉は現代では漢字そのものが死語であり、「閨房」という言葉すら聞いた、あるいは読んだ(見た)ことがない人がほとんどだろう。
「閨」は婦人の部屋を意味し、また「男女の情事」も意味するから、そこから「閨房」が寝室を意味する。で、「閨秀」とは学問や芸術に優れた女性、才媛のことを意味するが、それが昔は上流階級にしかいなかったのは当然だろう。紫式部や清少納言が昔の閨秀作家の代表である。
現代では白洲正子あたりが閨秀、あるいは閨秀作家ではないか。で、須賀敦子にもその印象が私にはある。
西洋では女性が文学に携わること自体が稀で、アフラ・ベーンという作家がその最初だとされているらしい。かなり近代の作家のようだ。彼女のことは「猫」に出てくる。
閨秀の「閨」という言葉は現代では漢字そのものが死語であり、「閨房」という言葉すら聞いた、あるいは読んだ(見た)ことがない人がほとんどだろう。
「閨」は婦人の部屋を意味し、また「男女の情事」も意味するから、そこから「閨房」が寝室を意味する。で、「閨秀」とは学問や芸術に優れた女性、才媛のことを意味するが、それが昔は上流階級にしかいなかったのは当然だろう。紫式部や清少納言が昔の閨秀作家の代表である。
現代では白洲正子あたりが閨秀、あるいは閨秀作家ではないか。で、須賀敦子にもその印象が私にはある。
西洋では女性が文学に携わること自体が稀で、アフラ・ベーンという作家がその最初だとされているらしい。かなり近代の作家のようだ。彼女のことは「猫」に出てくる。
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