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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

最後の挨拶とお勧め映画ふたつ

他のブログにも書いたが、しばらく、あるいは(死ぬわけではないが、ネット環境的に)永遠にお別れになるかもしれないので、この記事を最後の記事にする。
このブログは、「お役立ち情報」ブログを目指しているところがあり、そこに時々私自身の臭みが入るのが気に食わない人もいるだろうが、それは基本的に私が「独楽」の人間なので仕方がない。
で、最後に、「アマゾンプライムビデオ」に加入している人に、「お勧め映画」を挙げておく。
もちろん、私自身の好みだから、観てつまらなく思う人も当然いるだろうが、名作なのに、あまり知られていない映画や、名監督だのに世間から高く評価されていない監督がいるわけだ。
そういう映画をふたつ挙げておく。監督名の漢字はあやふやである。

ひとつは、田坂具隆監督の「陽のあたる坂道」で、主演は石原裕次郎(北原三枝)、と聞くと、あの不細工な顔の俳優か、と見る前から敬遠する人もいるだろうが、裕次郎はこの群像劇のひとりでしかなく、出ている俳優のすべてが主人公だ。日本が民主主義国家としてスタートしたばかりの頃の明るさと希望と若さに満ちた映画で、善意の人々がわずかの虚偽や忖度で危機に瀕し、しかしそれを誠実さによって乗り越え、明るい未来を作っていく話だ。別にお説教臭いところはなく、ひとつひとつの場面場面や会話、あるいは画面の細部に登場する犬や猫まで実に神経こまやかに描かれた傑作なのだが、今では無名の作品になっているのは、残念である。決して「エデンの東」の模倣ではなく、映画としてはそれを超えるとすら評価できる傑作だ。もちろん、現代人の目からは、昭和中期の人々の話し方や行動が滑稽に見えるなどのギャップはあるだろうが、それは作品としての欠点というものではない。老人が見ても面白いが、特に、若い人が見れば、人生や世の中に対する視覚、あるいはパースペクティブが広がるだろう。そういうのが「真に価値ある文芸映画」なのである。

もうひとつは、J・L・マンキーヴィッツ監督の「幽霊と未亡人」である。この監督も優れた監督なのだが、歴史に埋もれてしまった感がある。「幽霊と未亡人」は、チャーミングなロマンチックコメディだが、ロマンスの一方が幽霊で、演じるのがレックス・ハリソンなのだから、まともなロマコメにはならない。ラストが、実にロマンチックで素晴らしい。こういうのもハッピーエンドなのかどうか。なお、幼女時代のナタリー・ウッドが主人公の未亡人の娘役で出ているのも一興。「34丁目の奇跡」もそうだが、彼女は子役時代のほうがいい。

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