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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

愛とは何でしょう

男は、人類が社会化した時点から、生存のために論理性を高次元化してきた性だろう。論理的であることが生存可能性を高めるということだ。そして、論理的であるには、思考に感情を交えないことが重要だと分かってくると、どんどん思考機械(論理機械)化していく。理系の人間が女性に人気が無いのはそこである。
愛情というものほど非論理的なものはないからだ。

顔がいいとか体がいいとか稼ぎがいいとかいうのは、実は愛情の決定的要素ではない。我々は猫をも犬をも愛するではないか。では、自分の好きなタレントの顔が犬や猫の顔になったら愛するか。猫や犬は自分のためにカネを稼いでくれるか。
偶然的に、異性のあるところが気に入る。すると、その「相手を気に入った自分」を肯定し続けるために、その対象のいいところを探すようになる。こうして愛情が上積みされていくのである。つまり他者への愛というのは自己愛と通底しているのである。「誰かを愛している自分が好き」であるわけだ。

(以下引用)

感情的女性とは違い、男性には感情がなく何をされても何も感じない論理機械

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「見殺し」の法的犯罪性と道徳的犯罪性

「阿修羅」所載のあっしら氏の投稿だが、倫理学の問題として面白いので転載する。
この問題へのあっしら氏自身の回答も載せておくが、いまひとつ論理が分からない。まあ、私がいい加減な読み方をしているのだろうが、福岡登山隊の行為を肯定しながら、日本がそうでない社会(人を助ける社会)であってほしいというのは、ストレートにつながらないだろう。もし言うなら、「法的には無罪だが、人道的には有罪」と明確な説明をすべきだと思う。

(引用1)

96年福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為をどう評価します?
http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/410.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 28 日 18:38:30:Mo7ApAlflbQ6s
 


真相ハンターKさんとのやり取りのなかで、「イラク邦人3名人質事件」の家族の言動を、内容ではなく言動そのものに対し非難(罵倒)した人たちを「カス」と呼びました。

かすかな記憶したなかった話でしたが、現在読んでいる『私物化される世界』のなかに、96年福岡チョモランマ登山隊がチョモランマ(エベレスト)北壁ルートで登頂に挑んだときに起きた「見殺し」行為が取り上げられていました。

(『私物化される世界』(阪急コミュニケーションズ:ジャン・シグレール著:渡辺一男訳:本体2800円)は読了後に推奨書籍として紹介したいと思っている)

福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は後に国際的な論争を引き起こしましたが、是非のいずれでもあっても「カス」と言うことはできない価値観に基づく選択の問題だと思っています。

多くの方に、福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は是か非か、そう選択した理由を投稿していただければと思っています。

ワガママで恐縮ですが、持論は保留にさせていただきます。

福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為に関する事実情報や議論情報をお持ちの方はそれも紹介していただければと思います。

【福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為の概要1】

『私物化される世界』が取り上げた「見殺し」行為の内容を転載する。

P.90~91

「 一九九六年五月十一日の明け方、二人の日本人登山家と三人のシェルパがエヴェレスト北壁の岩棚の下にかろうじて設営されたキャンプを後にした。彼らは高度八三〇〇メートルに達していた。彼らの目的は、北壁経由でエヴェレストの頂上(八八四八メートル)に立つことだった。五四八メートルの高度差と一五〇〇メートルの距離を克服するのに、下山も含めて最大で九時間と見積もられていた。それはぎりぎりの計算に基づいていた。
生還しようと思えば、暗くならないうちにふたたび第三キャンプに戻らなければならない。条件はひどくきびしい。嵐が起きた。全員が登攀にとりかかった。高度八五〇〇メートルの絶壁の上に岩鼻が張り出している。その雪の中、登攀ルートのすぐ数センチ脇に、一人のインド人登山家が倒れているのに一行は気づいた。負傷し、力は萎えて、すでに半ば凍死しかかっていた。しかし、彼はまだ話すことはできた。二人の日本人は立ち止まることなく、登攀を続けた。午前も遅くなって、高度八六三〇メートルの地点で一行はいったん停止した。垂直に切り立った壁、水に覆われた三〇メートルの高さの岩が阻んでいる。そこで彼らは酸素ボンベを交換し、少し食物を摂った。
 ふと右手に目をやった日本人の一人は、そこにさらに二人のインド人を発見する。一人は横たわっていて、死んでいた。もう一人は雪の上にしゃがみこんでいる。生きている。
 日本隊は登攀を続けた。メンバーのうち誰もその生存者に食べ物や酸素を与えなかった。言葉は交わされなかった。ただ視線だけが交わされた。
 三時間半後、五人の登攀者は超人的な努力の末にエヴェレストの頂上に達した。
 谷へ戻ってから、ネパール人シェルパは語っている。彼らはショックを受けた。高山への探検では、公海上の船長がそうであるように、リーダーに決定権がある。他の者たちは指示に従う。しかし、シェルパたちは置き去りにされたインド人のすがるような眼差しを忘れることができなかった。
 インドと日本で議論の応酬があった。新聞はこの事件を大見出しで報じ、インドでも日本でも日本の登山家たちの行動がきびしく批判された。
 このような事情を受けて、二人の日本人登山家は弁明のために記者会見を開いた。探検のスポークスマン、二十一歳の重川英介はこう説明する。「私たちは自力で頂上に登るのです。登攀のためにあらゆる努力を傾けます。疲労困憊していて、助けることができなかった。八〇〇〇メートルのかなたでモラルを発揮することは不可能です」」

【福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為の概要2】

1996年平成8年5月11日、福岡チョモランマ登山隊(隊長:矢田康史)の花田博志と重川英介、シェルパ3名が、チョモランマ(エベレスト、8848m)に登頂(インド・チベット国境警察隊を救助しなかったため、その後、論争となる)

http://www.ameame.com/dic/dic-his/his-06.HTM


(引用2)


私の見解
http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/507.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 30 日 17:21:19:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 96年福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為をどう評価します? 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 28 日 18:38:30)


皆さん、レスありがとうございます。
個々にレスを付けたい(付けるべき)という思いもありますが、ここでのお礼で代えさせていただきます。

(皆さんのお考えを読ませていただき、ほっとすると同時に暖かい気持ちになりました)

このケースを『私物化される世界』で取り上げた著者ジャン・シグレールさんの意図は後ほど引用させていただきます。
その前に私の見解を書き込みさせていただきます。
============================================================================================
スレッドの書き込みで「福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は後に国際的な論争を引き起こしましたが、是非のいずれでもあっても「カス」と言うことはできない価値観に基づく選択の問題だと思っています」と書いたように、このケースをどう評価するかはとても難しいと思っている。


結論:福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は是認できる。

理由:チョモランマ北壁ルート登頂という、膨大な準備をかけ命賭けで挑んだ行為の真っ只中で遭遇した出来事であり、遭難していたインド人も同じ立場の登山家たちだと見て「見殺し」したとしても倫理的に法的にも誤りではないと考えるからである。

(遭難者がインド・チベット国境警察隊に属しているとはわからなかっただろうし、わかったとしても登頂をめざす登山家としてそこにいると思うのは自然だ。そして、遭難者がインド・チベット国境警察隊に属しているとわかった上での経緯ても結論は変わらない)

重川英介さんと花田博志さんは、ベースキャンプ周辺や日本で危難に陥っている人に遭遇したら、日頃鍛えた体力と知力を駆使して、他の人なら尻ごみするかもしれないケースでも助けようとする人たちなのかもしれない。

重川英介さんと花田博志さんは、自分たちが「見殺し」にしたインド人たちと立場が逆になったとしても、救ってもらえたらうれしいとすがる気持ちを持つとしても、「見殺し」されたからといって非難したり怨んだりすることはないはずである。

もちろん、インド人たちを実際に救出できたかどうかは別として、チョモランマ登頂を断念し、酸素ボンベの中身や食べ物を遭難者たちと分かち合い遭難者たちの体力が回復する道を選択することはできる。
(自分たちが帰還できる条件を確保した上で分け与えても遭難者たちが可能な助力を得ても下山できないことがわかったら、そこで「見殺し」にすることはやむをえないというより、そうすべきだと思う)

しかし、難関とされる世界最高峰チョモランマの北壁ルート登頂を目的とした事業に挑んでいる人達にそれを求めるのは、経営者(資本家)に競争関係にある他の会社の危難を救えと言うに等しい筋違いの要求だと思える。

(このケースで日本人登山家を倫理で非難するのなら、企業が、生き残りを賭けて競争を続け、他の企業の破綻に喜ばないとしても知らぬ顔をしている“日常”も非難しなければ筋が通らないことになる)


登山家は、頂上近くで遭難者に出会ったことで断念するくらいなら、端からチョモランマ北壁ルート登頂に目指さないように思える。
(キャリア志向なのかキャリアに価値を感じないかという違いで、世の中の見え方や出来事に対する感じ方が違うということをイメージしてもらってもいい)


このケースは、日本人登山家をサポートしたネパール人シェルパと日本人登山家の価値観の違いを際立たせているとも思う。
シェルパは、難関を克服する満足感や最高峰を極める喜び、そして、それらで得られる名誉とはほぼ無縁で、お金を稼ぐ目的=仕事として同行していたはずだ。すでに何度か北壁ルートでの登頂も経験しているだろう(名誉を得られる登山家よりも重い荷をかついで..)。
言いかえれば、自分や家族が生きるために高度8500メートルまで登ってきた人たちだ。だから、生きようとしている人として、「置き去りにされたインド人のすがるような眼差しを忘れることができなかった」し、置き去りにした日本人登山家を“告発”もしたのだろう。


日本政府は、「イラク3邦人人質事件」で、「テロには屈しない」という政治的価値観を尊重して3人を実質的に見殺しにした。
そのような政府の態度に抗して、人質の家族は「自衛隊の撤退も考慮しろ」と政府に訴えた。それを、“家族のとんでもない言動”として非難したり罵倒する人もいた。

私は、「テロに屈しても、人質を助けるためには...」という人も「テロに屈するべきではない」という人もカスだとは思わない。しかし、「テロに屈しても、人質を助けるためには...」という家族を、そのような言動をしたからといってバッシングしたひとはカスだと思っている。
そして、「テロに屈しない」はいいとしても、その裏で可能な人質解放策を講じなかったとしか思えないのみならず、人質家族バッシングを誘導した日本政府=小泉政権=連立与党の連中は最大のカスだと断ずる。


私は端からチョモラマン登頂をめざさない人間だが、社会が、「インド人たちを実際に救出できたかどうかは別として、チョモランマ登頂を断念し、酸素ボンベの中身や食べ物を遭難者たちと分かち合い遭難者たちの体力が回復する道を選択する」ものであってほしいと思っている。
おいそれとはそうできないたいへんなことだとはよくわかっているつもりだが、どうしてもチョモラマン北壁ルート登頂を達成したのならチャレンジし直せばいいじゃないかと思うし、それに価値を認める人が多いのなら断念した登山家たち人がチャレンジし直せるような世界であって欲しいと思っている。






「教育勅語」の本文と意味





本文[編集]

(原文は「―顕彰スルニ足ラン」までと日付と署名捺印のみが分けられ全てつながっている)

惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩アレハ義勇ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶

明治二十三年十月三十日
御名御璽

現代語訳[編集]

多くの訳があるが、公的な根拠を持つ訳としては昭和15年(1940年)文部省内に設置された「聖訓ノ述義ニ関スル協議会」の報告で文部省図書局がした「教育に関する勅語の全文通釈」がある。研究者の間では「全文通釈」と呼ばれる[要出典]。(仮名遣い,ルビ,段落など原文のまま。)

 教育に関する勅語の全文通釈

朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をおはじめになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互にむつび合い、朋友互に信義を以って交り、へりくだって気随気儘きずいきままの振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまに々々天地と共に窮りなき宝祚あまつひつぎの御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゝに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。

 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

解説[編集]

難解であるため、解釈する人によって、複数の解釈が存在する。公式解釈としては、明治天皇の上覧を得た「官定解釈」と研究者に呼ばれる井上哲次郎の『勅語衍義(えんぎ)』(1891年)のほか、戦前の文部省が折々の時局に合わせて布告したもの、特に明治末期以降、戦前の全ての小学生が学んだ国定修身書の解釈が相当するとされるが、それらにおいてすら解釈に若干のぶれが存在する。

例えば、文部省発行の修身の国定教科書における「教育勅語」の解釈は、「第二期修身書」(1910年-)から「第五期修身書」(-1945年)においてはどの年度でもだいたい同じだが、「第四期修身書」では「一身をさゝげて」と解釈されている「一旦緩アレハ義勇ニ奉シ」の部分が、「第五期修身書」(『初等科修身』)では「命をささげて」と解釈されているなど、時局によっては小学生を相手にダイレクトな表現を使ったりするような細かい違いがある。なお、この部分は『勅語衍義』においては「国家の為めに死するより愉快なることなかるべきなり」とさらにダイレクトに解釈されている。

『尋常小学修身書 巻六』による解説[編集]

国定教科書による解釈を示すため、1939年に発行された『尋常小学修身書 巻六』の内容を以下に引用する[17]。本書では、「臣民」の一人である教科書の執筆者が、同じく「臣民」の一人である小学校6年生の読者に語り掛ける形式をとり、かつて勅語の発布時点では「皇祖皇宗」(皇室の祖先)の「子孫」であるところの「天皇」であったが、本書の発行時点では既に崩御して「皇祖皇宗」の一柱となっている「朕」こと明治天皇の言葉を逐語的に解説している。

教育に関する勅語は、明治二十三年十月三十日、明治天皇が我等臣民のしたがい守るべき道徳の大綱をお示しになるために下し賜わったものであります。

勅語を三段に分けてうかがい奉りますと、その第一段には、

惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス

と仰せられてあります。

この一段には、まず皇室の御祖先が我が国をおはじめになるにあたって、その規模がまことに広大で、かついつまでも動かないようになされたこと、御祖先はまた御身をお修めになり、臣民をおいつくしみになって、万世に渡って御手本をおのこしになったことを仰せられ、次に、臣民は君に忠を尽くし親に孝を尽すことを心掛け、臣民すべてが皆心を一つにして、代々忠孝の美風を全うして来たことを仰せられてあります。終に以上のことが我が国体の純美なところであり、我が国の教育の基づく所もまたここにあることを仰せられてあります。— 文部省、尋常小学修身書 巻六 第二十五
勅語の第二段には、

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩アレハ義勇ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

と仰せられてあります。

この一段には、始に天皇が我等臣民に対して爾臣民と親しくお呼びかけになり、我等が常に守るべき道をおさとしになって居ります。

その御趣旨によると、我等臣民たるものは父母に孝行を尽くし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に分を守ってむつまじくし、朋友には信義をもって交わらなければならなりません。誰に対しても身を慎んで無礼の挙動なく、常に自分を引きしめて気ままにせず、しかも博く世間の人に仁愛を及ぼすことが大切であります。また学問を修め業務を習って、知識才能を進め、徳ある有為の人となり、進んでこの智徳を活用して、公共の利益を増進し、世間に有用な業務を興すことが大切であります。また常に皇室典範・大日本帝国憲法を重んじ、その他の法令を守り、もし国に事変が起こったら、勇気を奮い一身をささげて、君国のために尽くさなければならなりません。かようにして天地と共に窮りない皇位の御盛運をお助け申し上げるのが、我等臣民の務であります。

なお以上の道をよく実行する者は、陛下の忠良な臣民であるばかりでなく、我等の祖先がのこした美風を表す者であることをおさとしになって居ります。— 文部省、尋常小学修身書 巻六 第二十六
勅語の第三段には、

斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶

と仰せられてあります。

この一段には、前の第二段におさとしになった道は、明治天皇が新たにおきめになったものではなく、実に皇祖皇宗がおのこしになった御教訓であって、皇祖皇宗の御子孫も一般の臣民も共に守るべきものであること、またこの道はいにしえも今も変りがなく、かつ国の内外を問わずどこでも行われ得るものであることを仰せられてあります。最後に、かしこくも天皇は御みづから我等臣民と共にこの御遺訓をお守りになり、それを御実行になって、皆徳を同じくしようと仰せられてあります。

以上は明治天皇のお下しになった教育に関する勅語の大意であります。この勅語にお示しになっている道は、我等臣民の永遠に守るべきものであります。我等は至誠を以て、日夜この勅語の御趣意を奉体しなければなりません。— 文部省、尋常小学修身書 巻六 第二十七

新しい「教育勅語」のこと

私は思想としてはウェッブ夫妻のような漸進的社会主義者で、議会を通じて社会主義的政策を拡大するのが社会全体の幸福につながると思っている。つまり、大雑把に言えば左翼のひとりになるのだろうが、文化的には保守主義者であり伝統主義者であり、したがって天皇制(象徴天皇制)は護持すべきだという意見である。自由主義思想というのは、それが行き過ぎると新自由主義になり、経済的には労働者の貧困となり、文化的には道徳の破壊になる、と思っている。下手をしたら「法の支配」すら失われるのが自由主義の極点だろう。つまり、人間の動物化であり、社会のジャングル化だ。力がすべてを支配する世界である。
ここでとりあえず問題にするのは「道徳」である。「倫理とは禁止の体系である」というのは倫理のもっとも見事な定義だと思う。つまり、その「倫理」の内容は問わず、何かが「禁止される」というのが倫理だということだ。倫理の「倫」とは「道」の類語であり、それ以外の道を歩くことが禁止されるわけである。ただし、その禁止が緩い社会と厳しい社会がある。イスラム社会などは厳しい倫理の社会だろう。当然、「発展性」は無い社会になる。厳しい倫理のある社会だからいいという話でもないわけだ。だが、あらゆる倫理が消滅した社会というのも一種の地獄かもしれない。たとえば、強者が弱者を「気に入らない」だけで殺しても、それが許される、というのがその極端な事例だ。もちろん、倫理の代わりに「法」がある、というのが一般的な考え方だが、「誰が法を守らせるのか」が問題である。法の番人自身が法を守らない社会はたくさんある。

要するに、日常の生活では倫理がガイドラインとなり、重大問題では法がガイドラインになる、というのが普通だろう。倫理には基本的に罰が存在しない、というのが法との違いだ。罰があるとしたら、「自分の良心が咎める」ことだけなのである。

私がこの文章を書き始めたのは、実は「教育勅語」の現代版、つまり「皇室」とは切り離した形での、子供に最低限の倫理を教える文章(暗誦しやすい文章)を作ると、社会道徳の維持に案外効果があるのではないかな、と思ったからだ。
世間の犯罪を見ると、あまりに愚かすぎて、彼らは悪い事が悪いと教わった経験がまったく無いのではないか、という気になるわけだ。そこで、最低限の道徳を子供に教えるのは意義があるのではないか、と思うわけである。

具体的には第二段の語句を一部変えればいい。

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵

「我ら国民、父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己を持し博愛衆に及ぼし学を修め業を習い以て智能を啓発し徳器を成就し進みて公益を広め世務を開き常に国憲を重んじ国法に従わん」

国民の守るべき倫理道徳はこれだけで十分だろう。