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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

性交同意年齢引き上げの問題


なんじょう/南條ななみ @nnanjoh

性交同意年齢を現行の13歳から16歳に引き上げると、どんなことになるのか。 前提として、刑事責任を問われる年齢は14歳以上です。 14歳以上は罪を犯したら責任を問われます。 (続く) #本多平直議員の処分は不当です #本多平直議員の処分に反対します #本多平直議員の離党に反対します

  2021-07-21 16:30:40
なんじょう/南條ななみ @nnanjoh

(続き)14歳同士、15歳同士、14歳と15歳の性交は、今の法律では犯罪ではなく、処罰されません。 性交同意年齢を16歳とし、「16歳未満との性交はいかなる理由でも認めない」とすると、14歳15歳は恋愛関係で同意があっても処罰対象になります。 (続く) #本多平直議員の処分は不当です

  2021-07-21 16:38:45
なんじょう/南條ななみ @nnanjoh

(続き)そうなることを危惧しているので、性交同意年齢を16歳に上げれば、傷つく人を減らせるというわけではない、と考えます。 問題を解決するにはほかにもすべきことがあると考えています。 #本多平直議員の処分は不当です #本多平直議員の処分に反対します #本多平直議員の離党に反対します

  2021-07-21 16:42:47
YANAMi @yyposi918

この「年齢の近いもの同士の同意性交はどうすべきか?」という問題が非常に厄介なのは、 実は未成年者の性犯罪被害って、親族からの被害の次に、同級生や先輩から被害が多いんですよね。 そしておそらく性的同意年齢の引き上げをしたい方はそういう難しい事例をさくっと強制性交罪にしたい。 twitter.com/nnanjoh/status…

  2021-07-21 17:15:03
YANAMi @yyposi918

親族・教師等による性犯罪と同じぐらい、同級生や先輩からの加害は訴えにくく、また有罪にするのも難しい事例は多いことでしょう。 そういうのをどうにかしたくて性交同意年齢に手を入れようとしている人たちがいるわけです。 でもこれをそんなザックリ丼勘定で犯罪にして良いのか議論してほしい訳

  2021-07-21 17:18:03
Broken Rainbow-Japan @BrokenRainbowJp

カナダの同意年齢 性行為に同意できる年齢は16歳です。場合によっては、同意年齢の方がより高いこともあります(例えば、信頼関係のありよう、権威、依存関係がある場合)。 16歳以上でなければ、性的行為に合法的に同意することはできません。(1/5)

  2021-06-11 11:29:04
Broken Rainbow-Japan @BrokenRainbowJp

<年齢が近い場合の例外> 14歳または15歳の青少年は、パートナーが5歳上までで、信頼関係、権威関係、依存関係、または青少年の搾取がない限り、性的行為に同意することができます。つまり、パートナーが14歳や15歳よりも5歳以上年上であれば、いかなる性行為も犯罪となります。 (2/5)

  2021-06-11 11:31:11
Broken Rainbow-Japan @BrokenRainbowJp

12歳と13歳には「年齢が近い」という例外があります。12歳,13歳の子供は、パートナーが2歳以下であり、信頼関係、権威、依存関係その他搾取がない限り、パートナーとの性行為に同意することができます。つまりパートナーが12歳,13歳より2歳以上年上であれば、いかなる性行為も犯罪となります。(3/5)

  2021-06-11 11:32:43
Broken Rainbow-Japan @BrokenRainbowJp

16,17歳の若者は以下の場合性的行為に同意することはできません。 性的パートナーが教師やコーチなど彼らに対し信頼や権威ある立場にある場合。若者が性的パートナーに依存している場合(ケアやサポートのため)や関係が搾取的である場合。関係が搾取的か判断する際には以下が考慮されます。(4/5)

  2021-06-11 11:35:45
Broken Rainbow-Japan @BrokenRainbowJp

・若年者の年齢 ・若者とそのパートナーの年齢差 ・関係がどのようにして発展したか(すぐに、密かに、またはインターネットで等)。 ・パートナーが若者を支配したり、影響を与えたりしたかどうか (5/5) 以上が、カナダの性交同意の基準の一部です。






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日本人の「左」嫌い

引用ツィート主は男性か女性かも分からないし、他のツィートを見ると工作のためのツィッター設置だとも思えないので、普通の人(自称障害者だが)なのだろう。
そういう「普通の人」が「左」に対する強固な偏見を持っているらしいのはかなり問題だなあと思う。
映像業界はともかく、芸能界では秋元康一味とか吉本興業とか政権べったりの連中が芸能界を支配している状況で、(芸能界は)左な人ばかりという感想がなぜ出て来るのか。映像業界でわりと左っぽい人間と言えばアニメの宮崎駿くらいだが、彼も政治的発言はほとんどしないから、「反原発=左」と見做されているだけだろう。
で、問題は、「障害者」であるらしい人(事実かどうかは不明だが)がなぜ「左」を嫌悪するのか、ということだ。現実の政策に「左」が介入できることはまったく無く、政治的悪事はすべて「右側」によるものであることは自明だろう。そして、その右側政権がここ数十年にわたって社会福祉費をどんどん削減してきたことは、彼らの目は上級国民のカネ儲けと自分たちの懐を肥やすことにしか向けられていない証左である。
では、なぜ「障害者」が「左」を嫌悪するのだろうか。「左」とは現在の政治に大きな不満を持ち、その体制を変えたいとする思想傾向のことだ。特に共産党は常に底辺の人々の生活向上を政策(政治活動)の基本にしてきている。この人(下記発言者)にとっては現在の自公維支配の日本は天国なのだろうか。

(以下引用)


小山田圭吾辞任 良かった!良かった! 障害者の身としてこんな人が作った曲を開会式で聞かされるなんてどんな拷問かと。 今後絶対表舞台に出てくるな。 ロゴ制服 東京五輪に関わる人は まともな日本人いるのかな? 芸能界 映像業界とかも左な人ばかりだしクリーンな世界じゃないのよね




性についての議論と性教育

「zaikai sappolo online」から転載。
こういう問題は論じること自体がタブー化しているわけで、下の場合でも本田氏が仮定の話を「党内」の議論の場でしただけだのに大事になっている。つまり「こいつはロリコンだ」と決めつけられたわけである。だが、党内での単なる議論が、なぜ党外に漏れて問題化したのか。そこに大きな問題があるのではないか。立憲民主党の「弱さ」がそこに見られると私は思う。

なお、低年齢者相手の性交が法的に禁じられていること自体は正当だと私は思っている。つまり、性交の危険性や意味について自己判断するには幼すぎる年齢の人間を相手に性交をするのは犯罪と見做すべきだ、ということだ。これは低年齢者保護の観点から当たり前だろう。だが、それなら、低年齢者同士の性交も禁じるべきではないか。つまり、中学生同士の性交、極端な場合には小学生同士の性交も実在しているわけで、今の「性教育」は、むしろそれを助長していないだろうか。
性教育自体は、小学校高学年、あるいは中学年からやっていいと思う。ただし、最初に、「妊娠」や「性病」、そして「変質者」の存在から教えるべきだろう。(これは当然、「大人は優れた存在」という子供の幻想を打ち砕き、大人への不信を植え付けるだろう。すべての大人が性に関しては動物だという印象すら抱くと思う。だが、それは事実なのだから、教えるほうが子供を守るのである。)性は尊いものだとか素晴らしいものだという馬鹿な教育をしたら、誰でも低年齢性交に奔るに決まっている。まして、小学生にコンドームの使い方を教えるなど、性交奨励にしかならないだろう。恋愛を知る前に性交を知るというのは、あまりに動物的すぎないか。まあ、恋愛自体が幻想だという論議はさておく。




(以下引用)


【速報】「14歳と同意性交したら…」不適切発言の4区・本多平直が立憲民主党を離党へ

 不適切発言の渦中にいた衆議院比例北海道ブロック選出の本多平直氏(道4区)が、近々、所属する立憲民主党を離党することになった。

 本多氏は5月の性犯罪規定の見直しに向けた党内会議で「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」と発言した。

 その後、コトが公になり、本多氏は釈明に追われた。党本部のハラスメント委員会(第三者委員会)が、本多氏の発言を審議。ヒアリングも終了し、7月中に本多氏への処分について、何らかの結論がでるとみられていた。

 党本部は本多氏を離党させる方向で、最終調整に入っているとみられる。

本多平直氏(左)は枝野幸男立憲民主党代表(右)の政策担当秘書を務めていた(2017年撮影) ©財界さっぽろ

 今秋までには解散・総選挙がおこなわれる。立憲北海道道連は、本多氏に代わる候補者調整が急務となる。

 本多氏の不適切発言については、7月15日発売の月刊財界さっぽろ8月号で関連記事を交えて詳報する。

暴力と政治

某書評の一節だが、埴谷雄高や高橋和巳に「内ゲバの論理」を論じたものがあったように思う。しかし、難しい本をわざわざ読む気はないから、この問題を自力で考察してみる。

(以下引用)

 余談だが、評者はかつて、100人以上の死者を生んだ過激派の内ゲバについて、その精神病理を研究している学者はいないか、探ったことがある。もとは「普通」だった若者が「殺人」を繰り返すようになったのはなぜか? ところが、「暗殺」という大昔の事件を調べている学者はいたものの、「内ゲバの病理」を研究している学者はいなかった。理由は簡単で、非公然組織に属する「内ゲバ専従犯」が捕まっておらず、自供も得られていないので研究ができないということだった。

 過剰な正義意識が一線を越えて逸脱する様々な実例の背後には、個人や組織、指導者など入り組んだ事情があると思われる。時々の社会情勢や長い歴史的な軋轢も含まれる。直ちに結論が出そうな話ではない。


(引用終わり)


実は結論が先にあって、

1:暴力は常に「弱い相手」に向かう。
2:暴力は常に「目の前の相手」に向かう。
3:暴力は常に「具体的な相手」に向かう。

もちろん、この「常に」は「基本的に」を強い口調にしただけだが、「内ゲバの論理」は、この単純な「人間性の原理」に沿っているだけのことではないか。
そこに、「自分は正義である」というキチガイ信念が入り込むと、陰惨な暴力事件になり殺人事件になり、リンチ事件になり、暗殺事件になるわけだ。

埴谷雄高は、政治の原理を単純化したら「あいつは敵だ。敵を殺せ」だとしたが、確かに国家や政府が敵なら、敵を破壊すること、つまり殺すことが革命だとなる。あるいは、他政党が敵なら、敵の立ち位置を粉砕して勢力をゼロにすることが「敵を殺せ」になる。
だが、これは政治闘争の原理であって、政治のすべてではないのは当然だ。政治とは何より国民(民衆)の幸福の増進に存在意義があるのであり、たとえ政府が国民の敵だとしても、政府の人間を殺し尽くしたり、公務員を殺し尽くしたり、政府という存在を無くしてアナーキズム社会を作れば国民が幸福になるものではない。
つまり、政治とは闘争だ、という思考法は政治の本質を見失ったものではないか。
では「話し合い」ですべてが解決するかというと、強者と弱者の間では話し合いすら不可能というのが現実だろう。民主主義というのは「人は道義に従うはずだ」という錯覚の上に立つ幻想だ。
とすれば、どういう道が可能か、それは別項を立てて考察したい。



我々は「世界に対する信仰と希望」を持っているか

小谷野敦の「退屈論」の解説(野崎歓)の中に、ハンナ・アーレントの次の言葉が引用されている。


(以下引用)

「わたしたちのもとに子どもが生まれた」という言葉こそは、世界に対する信仰と希望を告げる最高の表現である。      (「人間の条件」)

(引用終わり)

「世界に対する信仰」という言葉が素晴らしい。我々は今、世界に対する信仰と、そして希望を持っているだろうか。先進国のすべてで少子化が起こっていることは、人類の多くが世界に対する信仰と希望を失ったことを示しているのではないだろうか。

世界は、挑戦し改革し支配する対象ではなく、「信仰」すべきものかもしれない。なぜなら、それは無限の神秘に満ち、無限の美に満ち、あらゆる生き物に無限の恩恵を与える存在だからだ。