今年3月、性犯罪事件の無罪判決が相次いだ。
1つ目は、福岡地裁久留米支部での準強姦事件。女性がテキーラ等を大量に飲まされたことによって酩酊(めいてい)し、抗拒不能状態にあったことは認めたが、外部から見て意識があるような状態だったと認められるため、男性には「抗拒不能」の認識がなかった、事件が起こったサークルのイベントでは度々わいせつな行為が行われており、女性から明確な拒絶の意思が示されていなかったために、「女性が許容している」と男性が誤信してしまうような状況にあったという理由で無罪となった。
© 文春オンライン ©iStock.com
2つ目は、静岡地裁浜松支部での強制性交等致傷事件。被告人の暴行脅迫が女性の反抗を著しく困難にする程度であったことは認めたが、女性が「頭が真っ白になった」などと供述したことから、女性が抵抗できなかったのは精神的な理由によると認定し、「被告からみて明らかにそれと分かる形での抵抗はなかった」として、被告人が、被害者の拒絶を認識していないことを理由に無罪となった。どちらの判決も、被告人の故意を否定するものである。
3つ目は、静岡地裁での強姦事件。当時12歳の長女を強姦したという主張に対し、裁判所が被害者の供述の信用性を否定したものである。
一見理不尽に見える判決が続いた理由
なぜ近い時期に、似たような事件で無罪判決が続いたのか。私は、性犯罪事件の被害者参加弁護士などを務めた経験などから、2017年の刑法改正の際の議論が、捜査実務に影響を与えたのではないかと思っている。
以前なら、警察が捜査せず、検察が起訴しないようなケースであっても、最近は警察が動き、検察が起訴することが増えているのではないか。これまで起訴されなかった件を検察が起訴する一方で、裁判所の判断の基準が以前どおりであれば、無罪判決は増える。
こうした事情に踏み込む前に、まず強姦罪・強制性交等罪の前提知識について説明したい。
強姦と強盗の比較は妥当か
昔から「強盗」と「強姦」を比較する人は多い。2017年の刑法改正も、強姦罪の刑の下限を強盗罪と同じにすることが出発点だった。強姦罪と強盗罪は、たしかに似た部分もあるが、同時に大きく異なる部分もある。
強姦罪の成立には「暴行脅迫」が必要だ。この「暴行脅迫」の内容は、犯罪によって異なる。強姦罪の「暴行脅迫」は、判例上「被害者の反抗を著しく困難にする程度」で足りる。
強盗罪の成立にも、「暴行脅迫」は必要だ。ただし、強盗罪の成立に必要な「暴行脅迫」は、判例上「被害者の反抗を抑圧する程度」である。
成立に「被害者の反抗を抑圧する程度」の「暴行脅迫」が必要な強盗罪と比べれば、「被害者の反抗を著しく困難にする程度」で足りる強姦罪の「暴行脅迫」は、やや軽くてよいようにも思われる。
ところが、強姦罪・強盗罪はともに個人的法益に関する罪である、というのがトリッキーな点だ。
強姦では「同意があったか」の判断が難しい
個人的法益に関する罪は「被害者の同意」があれば違法ではない。強盗罪では、財産を渡すことに同意していれば適法であり、強姦罪も性交に応じていれば適法である。
社会通念上、財産を譲渡する際には、文書等で記録を残す、最低でも口頭で合意するなど、客観的に明確な合意があるのが普通である。
しかし、性交に文書で同意する人はいない、口頭でも「性交しましょう」「そうしましょう」などと、明らかな合意をしないことのほうが多いだろう。そこで、強姦の場合、「被害者の同意」は、いろいろな客観的事情を見て判断するしかないのである。ここに強盗と強姦の大きな違いがある。
では、性犯罪の裁判で「被害者の同意」はどうやって判断されているのだろうか。実務上、強姦罪の「暴行脅迫」は、「被害者の同意」と表裏に扱われている。つまり、暴行脅迫の程度と、被害者の抵抗の程度によって「被害者の同意」の有無が判断されているのだ。
ことに警察段階では、「ここまでボコボコにされたのに『被害者の同意』もヘチマもないだろう」「このレベルの暴行脅迫で、被害者が抵抗をやめたということは、同意があったのではないか」などと判断されている。
ワザとやっている、という認識がなければ罪に問えない
もうひとつ難しいのは、強姦罪が故意犯だということだ。刑法では、原則的に、犯罪行為の認識認容が必要である。言い換えれば、ワザとやっている、という認識がなければ罪には問えない。過失犯は法に特別の規定がなければ犯罪とされない。
たとえば「ビニール傘を傘立てにさしてお店に入った。帰る時に自分の傘を持って出たはずなんだが、よく見ると他人の傘のようだ」という事例は犯罪にならない。それは、窃盗罪が故意犯であり、法律に過失窃盗を処罰する規定がないからである。
「ワザと強姦した」はどう判断されているのか
強姦罪の故意は、「被害者の反抗を著しく困難にする程度の暴行脅迫をしている認識」だけでなく、「被害者の同意がないこと」の認識が必要である。
「被害者の同意」も「強姦の故意」も内心の問題であるから、非常に立証が難しい。これまで強姦罪を立件する際に一番難しかったのは「被害者が同意していないと、加害者は認識していない」ケースであった。
実務上は、強姦の故意も、暴行脅迫要件と表裏で扱われる。言い換えれば、暴行脅迫の程度と、被害者の抵抗の程度によって「強姦の故意」の有無が判断されている。「こんなにボコボコにしないと性交できないのだから、『被害者が同意していたと認識していた』という言い訳は通らない」「このレベルの暴行脅迫で性交できたのだから、被害者が拒否していたことを、加害者は認識できないだろう」などと判断されるのだ。
従来、「被害者の同意」が争われるケースは、相当苛烈な暴行脅迫がないと、警察は捜査を開始してくれず、検察官も起訴してくれなかった。
しかし、2017年7月、刑法が改正されて、強姦罪が強制性交等罪となった前後から、警察の捜査開始のハードル、検察官の起訴のハードルが下がっているように感じている。
捜査や起訴開始のハードルが下がっている理由
強姦被害者は、特殊な心理状態となり、通常のシチュエーションなら反抗できるような暴行脅迫であっても、擬死状態といって身体が固まってしまい、反抗できなくなるということが、心理学的な研究などで知られている。被害者団体は、被害の実体験を基に、強姦罪から暴行脅迫要件を撤廃することを求めていた。
2017年7月、刑法は改正されたが、暴行脅迫要件は残った。
しかしながら、改正に対する衆議院参議院の附帯決議の中に、「暴行脅迫」「抗拒不能」の認定について、警察官、検察官及び裁判官に、「性犯罪に直面した被害者の心理等についての研修を行うこと」が盛り込まれた。
改正後に見られた変化の数々
改正後、この附帯決議に基づく変化が確実に表れている。たとえば、今年の1月には、法務省が、警察も把握していない「暗数」を含めた犯罪被害調査を始めた。2月には、最高裁が、精神科医の講演録などをまとめた研修資料を全国の裁判所に配布したニュースがあった。
研修の内容は、現段階では、発表されていない。しかし、著名な検事は、改正後の論文で、「被害時には、高度のストレスにより、ドーパミン・ノルアドレナリンなどが過剰に放出されることにより、脳の高次機能が停止し、より原始的な生存戦略として、擬死状態・迎合反応を示す」「検察官は、これらの脳科学的知見を精神科医など専門家の助力を得て立証し、裁判所・裁判員の『経験則』にしてもらわなければならない」と述べている。
また、改正後、この附帯決議を非常に尊重した判決がよく出ている。こうした判決が出ると、警察や、検察の動きはどう変わるのか。「このケースでこの判決が出るのならば」と、以前であれば起訴・捜査しなかったケースに対しても、起訴・捜査することが増えるだろうと考えられるのだ。
今後、性犯罪裁判での判決はどう変わるのか
今後は、強姦被害者の擬死状態などについて、脳科学的知見からの立証活動が進むことにより、従来よりは軽い「暴行脅迫」であっても「被害者の反抗を著しく困難にする程度」であることが認定されるケースが出てくると予想している。
また、これまで暴行脅迫の程度と、被害者の抵抗の程度によって「故意の認定」が行われているのだから、暴行脅迫の内容が変化すれば、故意の認定に必要な事情も変動すると思われる。そして、これまで起訴・捜査されなかったようなケースの起訴・捜査が増える以上、性犯罪に関する判決では、今後数年は無罪判決が増えるであろう。
被害者心理に関する裁判所の知識が増えれば、判決は変わる
冒頭に述べた無罪判決のうち、久留米支部のものは、被害者に大量のテキーラを飲ませた者と、性交した者が別であることが、後の報道で判明した。非常に特殊な事案であり、法改正とは無関係に、たまたま無罪判決がなされた可能性が高い。
浜松支部の事件は、性犯罪被害者の心理に関する裁判所の知識が、判決に影響を与える可能性が高いケースである。性犯罪被害者の心理に関する知見が深まることによって、有罪とされる可能性があると、私は考えている。
静岡本庁の事件は、被害者証言に変遷があったことが、裁判所が、被害者証言の信用性を否定する理由の一つとなった。性犯罪被害者の場合、事件直後は「解離」という症状が起こり、事件の記憶が真っ白になってしまうことが多い。このことは、性犯罪被害者の治療をしてきた精神科医にとっては、常識レベルの知見である。
性犯罪被害者は、適切な治療をすることにより、記憶自体が変遷することがあるという知見が、裁判所の「経験則」となることにより、やはり有罪となる可能性があるように考えている。
過渡期のいま、大事なのは歩みを止めないこと
ネットでは、この3件の無罪判決について賛否が吹き荒れ、SNSでは「レイプ天国日本!」などという声も見られた。
しかし、2017年7月の刑法改正には、政府が3年を目途に実態に即した見直しを行うとする「附則」が入った。現在は、「性犯罪に関する被害実態調査」が行われ、被害者団体・ワンストップ支援センターへのヒアリングもなされている。現在は過渡期なので、性犯罪被害者の心理状態を正しく把握した判決も出れば、そうでない判決も出るであろう。大切なのは、3年後の見直しに向けて歩みを止めないことである。
(らめーん)