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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

専業主婦であることによる「機会損失」

もともと他人同士が共同生活をするのが結婚なんだから、食事の好みも違っていて当然であり、自分の好きなものだけがいつも出てくると思うほうがおかしい。これまでがそうだったなら、奥さんが我慢していたわけで、想像力が足りない。お互い、嫌いな食べ物なら食わなければいいだけの話である。文句を言うくらいなら自分で作れということだ。
なお、男の自分が働いているから家事は全部奥さんがやって当然という考え方もおかしい。夫ではなく妻が働いたほうが高収入が得られ、妻も外で働くほうが楽しいのを我慢していることもある。つまり、妻にとっては家事専従であることによって働く機会を失っているわけである。夫が威張るところではない。

何かを得ているということは、同じ時間でできた別の利益を損失しているわけであり、これを経済学では「機会損失」と言う。生きていく際の「思考素」として有意義な考え方だ。




880: 名無しさん@おーぷん 2018/09/04(火)09:56:29 ID:5xg
夕飯のオムライスにグリーンピースが入ってて気分が下がったから、嫁に文句を言ったら、食卓に俺の好物が並ばなくなったw
あさりの酒蒸しとか味噌汁とか。
刺身も駆逐されて俺涙目w
全部嫁が苦手な食べ物ww
「人の苦手なもん出してんじゃねーよ」ってほざいた俺の自業自得w
ってか完全にブーメラン。
働いてるからって調子に乗りすぎた。
食卓に自分の好物が並ぶのが当たり前だと思ってた。
俺の好物と嫁の苦手な食べ物ってもろ被りだから、苦手な食べ物を出したらいけないなら、そりゃそうなるw
謝っても許してくれない。
嫁が我慢した分俺も我慢しろって言われたww
結婚して半年だから、半年我慢しろってかww辛いwww


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頭がいい人は成功者になるか

あるネット記事からの転載だが、パソコンの不具合で、まとめの一番下が欠けてしまった。まあ、本文を読めば分かる。
で、私が思うに、たとえば「好奇心旺盛」であることと、新しい店を見たら入ってみる、というのは必ずしも一致しない。後者は、行動力がある、ということであって、頭が悪くても行動力のある人はたくさんいる。頭がいい人の特徴のひとつが「先の予測ができる」であるならば、ほとんどの「頭のいい人」は、新しい店を見たら、入るまでもなくその店の中身を推測して、入ることもしないのではないかwww 頭のいい人は、そういう風に「自己完結」してしまうから、偶然的な大きな幸運には巡り合わないわけだ。
下の記事は、ある経営者の考えをまとめたものらしいが、「頭のいい人」というのを「経営者として成功した人」と同一視しているのが少々難である。

私が、頭がいいな、と思った或る経営者は、経営の極意は「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」だ、みたいなことを言っていた。要は、多少失敗してもへこたれないだけの資金力があるかないかだ。ギャンブルと同じである。頭がいいから成功するのではなく、成功したら頭がいいと周囲から見られる、ということだろう。
もちろん、ここでも、「成功とは何か」の定義しだいだ。
世間一般の人は世界の大半を征服したアレキサンダー大王は成功者の最たる者と考え、哲学者のディオゲネスは乞食同然の人間で、人生の失敗者だと思うだろう。はたしてそうか。




(以下引用)


 まず「頭がいい人」の7つの特徴をご紹介したい。あなたの周囲にいる頭がいい人を思い浮かべながら、その人の特徴と照らし合わせてみてほしい。

頭がいい人の特徴①:好奇心旺盛

 頭がいい人は「好奇心旺盛」だ。

 例えば、街中に新しいお店があれば「何あれ? 面白そう!」と実際に店に入ってみたり、見たことがない看板があれば「あれは何であのデザインなのだろう」と思考を働かせたりする。

 このように、頭がいい人とは周囲にアンテナを張り巡らせている人なのだ。

頭がいい人の特徴②:相手が最も理解しやすい言葉を選択する

 頭がいい人は、常に相手にとって理解しやすい言葉を使う。決して知識をひけらすような難解な言葉は使用しない。

 例えば『五体不満足』の作者である乙武洋匡氏や、ジャーナリストの池上彰氏の話し方に注目するとわかりやすい。

 彼らは、どんな難しいテーマであっても誰もが理解できるように説明している。難しい内容を簡単な言葉に置き換えて話すことができるのは、まさに頭がいい人の特徴なのだ。

頭がいい人の特徴③:情報を鵜呑みにしない

 頭がいい人は世の中に出回っている情報を鵜呑みにせず、その正誤について自分で調べた上でインプットしている

 テレビや新聞、ニュースアプリから発信されている情報、さらには人が話した情報まで、頭がいい人は客観的に聞いているのだ。

 ソーシャルメディアの普及によって誰もが手軽に情報を発信できるようになった現代において、ネット上には玉石混淆の情報が溢れている。

 自身で情報の正誤を判断する能力が、今後ますます重要になってくるのだ。

頭がいい人の特徴④:数字に強い

 頭がいい人は、文系理系問わずに数字に強い

 例えば、「経営者」を頭に思い浮かべてみてほしい。文系出身であろうとも、会社の利益や売上、客数などを日常的に計算しているだろう。

 数字に強いというのは、“数学”が得意ということではなく、世の中の状況を全て数字に置き換えて考えられることを指しているのだ。

頭がいい人の特徴⑤:知識が豊富

 頭がいい人は人並み以上の知識量を備えている。ここでいう「知識」は、中学校や高校などで培ってきた教科書の中にある知識だけを指しているのではない。

 私たちが普段生きていく上で必要となる知識や趣味的な知識、流行の知識など、広義的な意味での知識を意味している

 そしてこの幅広い知識は会話の引き出しと結びついており、知識が多い人は相手が会話して飽きない話題を振ることができるのだ

頭がいい人の特徴⑥:時間の使い方がうまい

 頭がいい人は「時間の使い方がうまい」という特徴を持っている。そのため、頭がいい人は仕事とプライベートが充実していることが多い。

 プライベートの時間を確保するために、仕事を効率よく終わらせる。「目標のためにどう仕事を進めれば、最短で終えることができるのか?」と思考を働かせているのだ。

 また、時間の使い方がうまいということは、無駄な時間がないということとニアリーイコールである。

 時間の使い方がうまい人は、充実した人生を送っているともいえるのだ。

頭がいい人の特徴⑦:予測を立てることができる

 頭がいい人は、常に次のことを先回りして考えている

 例えば営業マンであれば、あらかじめ先方からどういった質問がくるのか予測して、回答を用意しておく。

 先方から見れば、自分の質問に対し臨機応変に対応するので「この人は頭がいい」がいいと思われることが多いはずだ。

頭がいい人の7つの特徴まとめ

  • 頭がいい人の特徴①:好奇心が強い
  • 頭がいい人の特徴②:分かりやすい言葉で伝える
  • 頭がいい人の特徴③:情報を鵜呑みにしない
  • 頭がいい人の特徴④:数字に強い
  • 頭がいい人の特徴⑤:幅広い膨大な知識のデータがある
  • 頭がいい人の特徴⑥:時間の使い方がうまい



人生に支配されるか人生を支配するか

「in deep」より転載。
シュタイナー(まさに「主体なあ?」である。)が言っているのは、禅で言う「随所で主となる」とまったく同じだと思うのだが、どうだろうか。
人間の精神修養の目的を一言で言えば、この「随所で主となる」だと私は思っているし、この言葉を教えただけでも禅宗の意義はあったと思う。そして、釈迦の教えの究極も、この「随所に主となる」であり、そのための手段が「空観」だったのではないか。


(以下引用)



ルドルフ・シュタイナーあたりになりますと、これはさらに重要なことになっていて、シュタイナーは、多くの人が「自分のことを自分で支配していない」としていて、人生において、最も重要なことは「自分の人生を自分で支配すること」としています。
たとえば、霊的な生き方への訓練指南的な著作『いかにして高次の世界を認識するか』には、以下のようなくだりがあります。

私たちが自分自身で人生を支配するのではなく、人生によって支配されているときには、外界からやってくる人生の大波は、内なる人間をあらゆる側から束縛します。

これらの、

> 自分の人生を自分で支配していない

とか、

> 人生によって支配されている

とかは、ちょっとわかりにくいかとは思います。

簡単にいうと、たとえば、こういうことです。

何でもいいのですけれど、何かの状況を考えてみます。

  • 1. 日本という国の存在を揺るがしかねないような世紀の大ニュースが流れている
  • 2. エイリアンが地球に大挙して押し寄せ、地球人とエイリアンの面談がおこなわれると公式に発表される
  • 3. 戦争が始まり、近くにミサイルが撃ち込まれた

explosion-01 LegitNewz

 

まあ、状況は何でもいいのですけれど、こういうことがあったとします。

シュタイナーの言う、

> 人生によって支配されている

という態度(自分で自分の人生を支配していない)というのは、

「これらに反応する態度」

です。つまり、大ニュースに心を動かされたり、エイリアンの到来に興奮したり、爆撃に遭って恐ろしがったりということです。

「嬉しい時に喜んだり、恐ろしい時に怖がるのは当たり前だろう」というのが現代の普通の認識ですが、先ほどの、

「感情は外部から作られるのではなく、自分の中で作られている」

ということを真剣にとらえれば、

「嬉しさも楽しさも恐怖も、外部での出来事で動かされているうちは、自分で自分を支配していない」

ということになるという理屈です。

これがシュタイナーをはじめ、いろいろな人たちがいう部分で、その「難しさ」がおわかりになるかんと思います。

外界で起きることに対してだけ、興奮したり恐れたり過度に喜んだりするということは、それは外界への「反応」であって、自主的な心の発露ではないということです。自分の中から冷製に(冷製に調理してどうする)・・・冷静に感情を沸かせることこそが本来の人間のあり方だと。



三段論法の罠

「三段論法」の一段目は大前提と言ったと思うが、二段目と三段目の名称が分からない。特に、二段目が思い出せないのだが、何と言うのだろうか。小前提か?
それはともかく、三段論法は、二つの前提の内容が正しいかどうかという吟味が大事であり、下の場合の「男はみんなかわいい子が好き」はもちろん網目のようにスカスカの大前提である。そもそも、「かわいい」の定義が人それぞれに違うのであり、「芸能人アイドル」の可愛さと、犬の子や猫の子の可愛さというのが別であることは「それ町」の歩鳥が認識したとおりである。中には、毛虫を可愛いという「虫愛ずる姫」のような変態もいる。「何も何も小さきものはみなうつくし(可愛い)」と言った清少納言には、顔にゴキブリを投げつけてやるべきである。
小前提(?)の「私は可愛い」が単なる主観であることは言うまでもない。
この二つのスカスカの前提から出てくる「ゆえに男はみんな私が好き」という結論が間違いであるのは言うまでもないが、しかし、論理の建て方、論理進行自体はまさしく「三段論法」の形式を正しく取っており、ある意味では「三段論法」や論理そのものの危なっかしさを明瞭に示した、いい漫画だと思う。






no title




言葉と思考と感性

フランスの日本人シェフについての山田敏夫という人の記事の一部だが、感性は言葉の数に比例する、という考えが面白いのでメモしておく。ただ、その考えが正しいかどうかは疑問である。というのは、言葉はそれ自体「思考停止状態」を招く危険性を持っているからだ。
小林秀雄が、「人はスミレという言葉を口にした時、スミレそのものを見なくなる」という意味のことを言っている。実際、そうである。スミレという言葉ですべてが分かった気になるわけだ。
多くの概念が、そのような部分的思考停止状態で頭の中で動いているのが我々の「思考」であり、それは本当は思考の真似事を無批判に行っているのである。
ただ、言語化することで、無意識的思考が意識的思考に推移し、それが有益であるのは言うまでもない。言葉の数と感性が比例するのは、そういう意識的思考においてである。思考内容の他者への伝達においては言葉が最大の武器であることも言うまでもない。
ただ、言葉は時に感性を「自分自身に誤解させる」可能性もある、と言っておく。


(以下引用)



 感性は言葉の数に比例すると言われており、日本人は、ひらがな・カタカナ・漢字といった異なる表記を自然に使い分けています。語彙の数は5万語以上で、英語の3倍。言葉での直接的な自己主張が重んじられる欧米に比べ、日本では言語として表れない余白や間(ま)に対しても敬意が払われています。

 それだけを取り上げて日本人の感性のほうが繊細であると短絡的に決めつけるわけではありませんが、機微に触れようとする気質は間違いなく持っています。