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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

人間関係が苦悩を作る

これは自殺の方法にもよるのではないだろうか。
自殺を試みた経験は無いが、失血死というのはなかなか快感なのではないか。傷口は痛いかもしれないが、傷のつけ方次第だろう。
ガス自殺というのも苦痛が少なそうだ。催眠性のガスで、或る程度以上になると死ぬ、というのがあれば、ぜひ私は採用したい。ただ、遺体の処理を家族や他人に任せるのが気の毒なので、今のところは自殺する気はない。
失血死にしても、上に書いたタイプのガス自殺にしても、途中で「やっぱりやーめた」とできるような形で自殺にチャレンジして、どこかで気を失っていつのまにか死んでいた、という手法なら、下の引用文のような恐怖はなさそうである。

ある年齢以上になると、死ぬこと自体にはさほど抵抗は無いのではないかと思う。これからの人生に上がり目はまったく無いのだから、当然そうなるわけで、死にたくないという人は、現在の生活がよほど恵まれている人か、或る種の哲学か宗教によって「不満はあるけど生きること自体はとても楽しい」という陽性の精神を持っている人くらいだろう。
まあ、私の場合は漫画や小説を読むのもテレビゲームをするのも楽しいので毎日の生活に不満は無い。生活の苦痛や苦悩の大半は経済問題から起こり、人間関係が直接的なダメージを与えるものであって、「独りを楽しむ」ような性格の人間は、案外幸福なものである。
「逃げるは恥だが役に立つ」というタイトルのテレビドラマがあったが、仕事や人間関係から逃げる、というのも一つの解決方法だと思う。百姓とか狩人とか、灯台守とか、その気になれば人間との交渉がほとんど不要な仕事というのもあるはずである。世間のアドバイスという奴はほとんどが、「苦手なことを克服する努力をしろ」ばかりであって、そのアドバイスに従った結果、若者は自殺していくのだと私は思っている。




さんがリツイート

以前も書いたけど、私の場合、今までに一番自殺を思い止まらせてくれた文章は萩原朔太郎のこれだな。










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ファシズムと個人主義

日刊工業新聞の電子版から転載。JAXAのエンジニアの野田という人のインタビューである。
我々は、進化論の信者がほとんどだから、原始的な生物は哺乳類より劣っている、と考え、気にも留めないが、そういうものの中にこそ「別の視点」「別の価値観」「別の発想」のヒントがある。つまり、骨格というものを持つ哺乳類にはできないことでも、骨格の無い原生動物なら可能ということもあるわけだ。

「まどかマギカ」のキュウベエも群生動物のようなもので、群生動物が高度な知的発達を遂げたら、「個体維持」ではなく、「集団維持」が最優先の課題になるわけである。人間という「個体絶対優先」種から見れば、その考え方自体が悪だと思われることになる。
だが、「お国のために特攻をする」というのは、まさに群生動物的発想になるわけで、それをファシズムとも言うのである。まさに、「群生」とは集団がひとつの本能でまとまることなのだ。スポーツチームなども、まさに、「いかにして最強のファシズム集団を作るか」が命題なのだ。「絆」とは「結びつくこと」つまりfastenすることであり、それがファシズムの語源だ。



(以下引用)


 これ(↓)は8月に特許を出願して公開できるようになったので見せられるけれど、小さな人工衛星。10センチ角の衛星で、この中からさらに小さな衛星が出てくるわけ。そして磁力だけで形を変えて飛ぶというもの。SDカードくらいの小さな衛星がわーっと飛んでいるイメージ。

18年8月に特許を出願した小さな人工衛星のアイデアメモ

—どういうことができる衛星ですか?

 例えば一つひとつがアンテナになってて、電波を出したり受けたりする。それがたくさんの数になると、巨大なアンテナや巨大なレンズと同一の働きをする。

 宇宙空間に巨大なものを打ち上げるとなると、今まではがっちりと形がかたまった骨組みを持ったものじゃないといけなかった。そうではなくて、骨をなくす。骨のある脊椎動物から逆走進化をしているようなもので、いわゆる単細胞生物の群体のようなものに形を考えている。ムクドリやイワシの群れのように、一個体ではできないことをたくさんの個体が集まって協調しできるようになる。

—このアイデアはいつ思いついたのですか?

 20年くらい前から、小さな衛星を集めて何かをやれないかなとは思っていた。でも集めて並べる方法が思いつかなかった。一つひとつがロケットエンジンを持っているというのがアイデアとしては一番簡単な解だけれど、実際に作るとなると複雑な機構で大変になる。

 磁力でできるのではないかと考えたのが去年の春くらい。若い人を集めてみんなで研究した。去年の9月頃に、僕が「磁力で引き合ったり離れたりさせることはできるけれども、横方向に制御したり回転させたりすることはとてもできないよ」とホワイトボードに描いて説明していたら、30代の若い人が、「できるんじゃないですか?」と言う。延々と議論をしていた。それから2週間後くらいに「これ解決できるぞ」って答えを思いついた。

「何の役に立つの?」はご法度、その二つの理由


—チームで議論する時に気をつけていることはありますか?

 僕の年齢が高いとこもあり、まとめる役が多いけど、議論は「フラットに行われるようにする」という風に気をつけておかないと、と思っている。メンバーは年齢差もあれば役職の違いもあるけれど、新しいアイデアの良し悪しを、その人の年齢や役職で左右させない。歳をとって役職のある人が出したアイデアに対して、若い人が「それは間違っている」と覆してもよい。

 それが一番心がけていることなのだけれど、要は「上の人がこう言ったからこうなのだ」という風潮にすると、若い人からよいアイデアが出なくなってしまう。

—具体的にはどういったことをやっていますか?

 議論の中で言っちゃいけないことがあって。例えば、「それは何の意味があるんだ?」「本当にそれが一番よい方法なのか?」「本当にできるのか?」などという発言はご法度。できるだけ肯定的な形で人の意見を認めるようにして、それを実現するにはどうすればよいか考えていく。

 よい提案でも悪い提案でも、何か新しい部分があれば「いいね」って答える。「それって何の役に立つんだ?」って聞かないで、「よいアイデアだけど、今すぐに何に使えるかはわからないから一緒に考えてみようか」と言う。

—「何の役に立つの?」って普通に聞いてしまいそうですが。

 「何の役に立つの?」って一番ご法度な質問ですね。理由は二つ。

 まず、「どういう意味があるのかはわからないけれど、何か面白いことを考えた」って人に、「意義」を説明させるのはすごく酷なこと。最初から意味のあるものを解決しようという目的で考えたアイデアの他に、何となく思いついて技術的には面白いのだけど何の意義があるかわからない、というものがある。

 もう一つは、価値観の違いが多いこと。新しいアイデアって、新しい価値観のもとにできることがあって、歳をとった古い人がその若い人の価値観を理解できない時がある。理解できないものに対して、頭から否定することは非常に危険ですね。

酒好きとアル中の違い

勝谷誠彦というのはテレビ画面で一度か二度見たことがあるような無いような、そんな程度の印象しか無いので、その仕事内容は知らないが、確か大病の手術をして、自宅に戻ってすぐに酒を飲んだのが悪くてそのまま死んだとか何かで読んだと思う。
で、そこから、アル中の怖さがネットの話題になっていたと思うが、酒好きの死に方としては理想的なのではないかwww
大伴旅人だったか、中途半端に人であるより、来世では酒甕に生まれ変わりたい、と歌った万葉歌人もいたくらいで、酒好きが酒で死ぬのは本望というものだろう。
ただし、アル中というのは酒の味も何も分からなくなっているのではないか、という気もする。最初は美味くて飲んでいたのだろうが、末期には、酒であれば何でもいい、という、いわば「餓鬼道」に陥っているのをアル中と言うのだと思う。

「白珠の歯に沁みとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」

と若山牧水が歌った酒の飲み方は、アル中とは程遠いものだろう。

ついでに言えば、長生きが幸福であるなどと私はまったく思わない。50歳以下で死ぬのはさすがに早いとは思うが、60歳くらいまで生きたらだいたい十分ではないか。老化に伴うマイナスを考えたら、70歳くらいで死ぬのが理想的なような気がする。そうすると、70歳定年だと死ぬまで働くことになり、私のようにテレビゲームをしたり漫画を読んだりするのが楽しみで生きている人間にとっては生きた意味も無いように思う。
私は「遊びせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」という梁塵秘抄の唄こそが人生の真実だと思う者である。
偉人の人生も、ある意味、気の毒だな、とすら思う。


(以下引用)




勝谷誠彦氏は肝不全で死去 長生きのために酒量減らす方法

公開日:

 コラムニスト・勝谷誠彦氏の死去にビックリした人もいるだろう。1960年12月生まれの57歳。8月に重症アルコール性肝炎で入院し、今月28日に肝不全で死亡した。

 勝谷氏は酒好きの上に、うつ病にも悩まされていた。

「とにかく酒が強かった。夕方から飲み始めて深夜1時、2時まで飲むのは当たり前で、一種のアルコール依存症。3年前の5月にうつ病を発症してから引きこもりがちになり、さらに酒量が増えたようです」(担当編集者)

 医学博士の米山公啓氏によると、日本酒を毎日3合飲む生活を5年以上続けると、アルコール性障害になる可能性が高まるという。肝臓のアルコール分解機能が低下して重症アルコール肝炎から肝不全で死亡したり、肝硬変から食道静脈瘤破裂や肝がんで死亡するなどいくつかのケースがある。いずれも飲み過ぎが原因だ。



赤ん坊のぐずり泣き

私が昔から不思議だったのは、赤ん坊が眠くなった時にぐずり出す(泣き出す)ことである。
眠いなら、眠ればいいではないか、泣いたりしたらせっかくの眠気が消えてますます不快になるだろう、と合理主義者である私は思っていたのだが、この問題には下のような解答が考えられるかと思う。

1:赤ん坊はまったく別の理由で泣いているのだが、空腹でもウンコやオシッコでもないらしいので、周囲の人間が「眠いからだ」と決めつけている。そして、こうしたぐずり泣きの後で寝入ることが多いので、「眠くて泣く」説が正しいと認定された。
2:赤ん坊がこうしたぐずり泣きの後で寝入るのは、「泣き疲れた」からであって、眠いからではない、という可能性もある。
3:赤ん坊が下の漫画のような場合に泣くのは、「背負われている姿勢が苦痛になってきた」からかもしれない。だから、畳やベッドの上に横にしてやると安楽になり、心地いいので眠る。それを「ぐずっているのは眠いからだ」と短絡的に結論した。

なお、私が赤ん坊だったら、子守歌は騒音と思うかもしれない。赤ん坊だから不平不満は言わないだけなのではないか。案外、赤ん坊にも音楽の種類への趣味(演歌嫌いとか民謡嫌いとか)があるかもしれないではないか。







公武合体が成功していたらどうなったか

「ギャラリー酔いどれ」記事の一部だが、最初の二つのコメントは「ネットゲリラ」の読者コメントである。
まあ、それぞれのコメントについては参考までに引用しただけで、さほど深く読んだわけではない。ここでは公武合体によって江戸幕府がもう少し続いていたらどうなったか、明治維新との比較でメリットデメリットを考えてみたい。
とは言っても、あの頃、徳川政権は死病にかかった人間のようなもので、延命治療をしてもさほど長生きしたとは思わないが、公武合体が「天皇を君主とし、雄藩諸大名が国政に参与して立法府や行政府のメンバーとなる」形式でどうなったか、ということだ。
先に説明すれば、あの当時の徳川政権が死病にかかっていた、というのは、要するに、経済的にもはや江戸幕府中心の封建体制は破綻していたということだ。
その最大の原因は、「コメ経済と貨幣経済の相克」にある。これは「逆説の日本史」の筆者も繰り返し言っているが、歴史学者や学校の先生などがあまり言わないことだ。
要するに、幕府や諸藩は年貢として百姓からコメを貢納させ、それを商人の手で現金化するわけだが、その際に商人は当然利ざやを得る。幕府や諸藩がコメを手に入れるのは年に一度だが、商人はその間にコメの売買で何度も手数料を得ることになる。商売というのは、「回転数」が上がればそれだけ儲かるのであり、農業とは「回転率」が違うのである。人の手から手へ商品が渡るたびに、どこかの商人の手に利益が落ちる。そして、農民は年貢という「税金」を四公六民とか五公五民などの酷い割合で収奪されていたのに、驚いたことに商人や町民は江戸幕府半ばまでほとんど税金が無かったのである。(というように私は理解している。江戸中期くらいから、幕府や諸藩が商人に命令してカネを召し上げることもあったが、それは非常手段であり、不正行為と幕府なども認識していただろう。)税金が無いとなれば、商人の天国である。商人の資産が厖大に膨れ上がっていったのは当然だろう。その得たカネを幕府や藩に貸して、またそれでも利益を得たわけで、要するに、江戸幕府や諸藩が「どのようにして商人や町人から税金を取るか」という手段を思い付かなかったのが江戸幕府の経済的破綻の主な原因であり、外国貿易での金銀の交換比率による大損失よりもここが幕府経済破綻の主原因だったと思う。
で、公武合体でたとえ新体制に代わったとしても、この「経済問題」を解決することは、「コメ経済」思考の侍たちには無理だったのではないか、と私は思う。
まあ、公武合体が成功した場合のメリット云々を考えるまでもなく、話はそこで終わるわけだ。明治政府への批判は多いが、「税制改革」に関しては、明治政府はかなり健闘し、新しい時代に適応したと思う。

なお、下の情弱痴呆老人の書いている、「阿片戦争で英国の暴虐さを知っているはずの幕府が英国と結ぶはずがない」は鋭い指摘ではあるが、では、薩長も同様に知っていながらなぜ英国と結んだのか、と言えば、幕府を倒せさえすれば後はどうなってもいい、つまり、「日本がどうなってもいい」という無責任な考えだったのではないか、と思う。
実際に、その後の日本は欧米の実質的属国になったわけだ。


(以下引用)容量の関係で、引用ができなくなったので、私の書いた文章だけにする。