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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

公武合体が成功していたらどうなったか

「ギャラリー酔いどれ」記事の一部だが、最初の二つのコメントは「ネットゲリラ」の読者コメントである。
まあ、それぞれのコメントについては参考までに引用しただけで、さほど深く読んだわけではない。ここでは公武合体によって江戸幕府がもう少し続いていたらどうなったか、明治維新との比較でメリットデメリットを考えてみたい。
とは言っても、あの頃、徳川政権は死病にかかった人間のようなもので、延命治療をしてもさほど長生きしたとは思わないが、公武合体が「天皇を君主とし、雄藩諸大名が国政に参与して立法府や行政府のメンバーとなる」形式でどうなったか、ということだ。
先に説明すれば、あの当時の徳川政権が死病にかかっていた、というのは、要するに、経済的にもはや江戸幕府中心の封建体制は破綻していたということだ。
その最大の原因は、「コメ経済と貨幣経済の相克」にある。これは「逆説の日本史」の筆者も繰り返し言っているが、歴史学者や学校の先生などがあまり言わないことだ。
要するに、幕府や諸藩は年貢として百姓からコメを貢納させ、それを商人の手で現金化するわけだが、その際に商人は当然利ざやを得る。幕府や諸藩がコメを手に入れるのは年に一度だが、商人はその間にコメの売買で何度も手数料を得ることになる。商売というのは、「回転数」が上がればそれだけ儲かるのであり、農業とは「回転率」が違うのである。人の手から手へ商品が渡るたびに、どこかの商人の手に利益が落ちる。そして、農民は年貢という「税金」を四公六民とか五公五民などの酷い割合で収奪されていたのに、驚いたことに商人や町民は江戸幕府半ばまでほとんど税金が無かったのである。(というように私は理解している。江戸中期くらいから、幕府や諸藩が商人に命令してカネを召し上げることもあったが、それは非常手段であり、不正行為と幕府なども認識していただろう。)税金が無いとなれば、商人の天国である。商人の資産が厖大に膨れ上がっていったのは当然だろう。その得たカネを幕府や藩に貸して、またそれでも利益を得たわけで、要するに、江戸幕府や諸藩が「どのようにして商人や町人から税金を取るか」という手段を思い付かなかったのが江戸幕府の経済的破綻の主な原因であり、外国貿易での金銀の交換比率による大損失よりもここが幕府経済破綻の主原因だったと思う。
で、公武合体でたとえ新体制に代わったとしても、この「経済問題」を解決することは、「コメ経済」思考の侍たちには無理だったのではないか、と私は思う。
まあ、公武合体が成功した場合のメリット云々を考えるまでもなく、話はそこで終わるわけだ。明治政府への批判は多いが、「税制改革」に関しては、明治政府はかなり健闘し、新しい時代に適応したと思う。

なお、下の情弱痴呆老人の書いている、「阿片戦争で英国の暴虐さを知っているはずの幕府が英国と結ぶはずがない」は鋭い指摘ではあるが、では、薩長も同様に知っていながらなぜ英国と結んだのか、と言えば、幕府を倒せさえすれば後はどうなってもいい、つまり、「日本がどうなってもいい」という無責任な考えだったのではないか、と思う。
実際に、その後の日本は欧米の実質的属国になったわけだ。


(以下引用)容量の関係で、引用ができなくなったので、私の書いた文章だけにする。



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