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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

酒好きとアル中の違い

勝谷誠彦というのはテレビ画面で一度か二度見たことがあるような無いような、そんな程度の印象しか無いので、その仕事内容は知らないが、確か大病の手術をして、自宅に戻ってすぐに酒を飲んだのが悪くてそのまま死んだとか何かで読んだと思う。
で、そこから、アル中の怖さがネットの話題になっていたと思うが、酒好きの死に方としては理想的なのではないかwww
大伴旅人だったか、中途半端に人であるより、来世では酒甕に生まれ変わりたい、と歌った万葉歌人もいたくらいで、酒好きが酒で死ぬのは本望というものだろう。
ただし、アル中というのは酒の味も何も分からなくなっているのではないか、という気もする。最初は美味くて飲んでいたのだろうが、末期には、酒であれば何でもいい、という、いわば「餓鬼道」に陥っているのをアル中と言うのだと思う。

「白珠の歯に沁みとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」

と若山牧水が歌った酒の飲み方は、アル中とは程遠いものだろう。

ついでに言えば、長生きが幸福であるなどと私はまったく思わない。50歳以下で死ぬのはさすがに早いとは思うが、60歳くらいまで生きたらだいたい十分ではないか。老化に伴うマイナスを考えたら、70歳くらいで死ぬのが理想的なような気がする。そうすると、70歳定年だと死ぬまで働くことになり、私のようにテレビゲームをしたり漫画を読んだりするのが楽しみで生きている人間にとっては生きた意味も無いように思う。
私は「遊びせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」という梁塵秘抄の唄こそが人生の真実だと思う者である。
偉人の人生も、ある意味、気の毒だな、とすら思う。


(以下引用)




勝谷誠彦氏は肝不全で死去 長生きのために酒量減らす方法

公開日:

 コラムニスト・勝谷誠彦氏の死去にビックリした人もいるだろう。1960年12月生まれの57歳。8月に重症アルコール性肝炎で入院し、今月28日に肝不全で死亡した。

 勝谷氏は酒好きの上に、うつ病にも悩まされていた。

「とにかく酒が強かった。夕方から飲み始めて深夜1時、2時まで飲むのは当たり前で、一種のアルコール依存症。3年前の5月にうつ病を発症してから引きこもりがちになり、さらに酒量が増えたようです」(担当編集者)

 医学博士の米山公啓氏によると、日本酒を毎日3合飲む生活を5年以上続けると、アルコール性障害になる可能性が高まるという。肝臓のアルコール分解機能が低下して重症アルコール肝炎から肝不全で死亡したり、肝硬変から食道静脈瘤破裂や肝がんで死亡するなどいくつかのケースがある。いずれも飲み過ぎが原因だ。



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赤ん坊のぐずり泣き

私が昔から不思議だったのは、赤ん坊が眠くなった時にぐずり出す(泣き出す)ことである。
眠いなら、眠ればいいではないか、泣いたりしたらせっかくの眠気が消えてますます不快になるだろう、と合理主義者である私は思っていたのだが、この問題には下のような解答が考えられるかと思う。

1:赤ん坊はまったく別の理由で泣いているのだが、空腹でもウンコやオシッコでもないらしいので、周囲の人間が「眠いからだ」と決めつけている。そして、こうしたぐずり泣きの後で寝入ることが多いので、「眠くて泣く」説が正しいと認定された。
2:赤ん坊がこうしたぐずり泣きの後で寝入るのは、「泣き疲れた」からであって、眠いからではない、という可能性もある。
3:赤ん坊が下の漫画のような場合に泣くのは、「背負われている姿勢が苦痛になってきた」からかもしれない。だから、畳やベッドの上に横にしてやると安楽になり、心地いいので眠る。それを「ぐずっているのは眠いからだ」と短絡的に結論した。

なお、私が赤ん坊だったら、子守歌は騒音と思うかもしれない。赤ん坊だから不平不満は言わないだけなのではないか。案外、赤ん坊にも音楽の種類への趣味(演歌嫌いとか民謡嫌いとか)があるかもしれないではないか。







公武合体が成功していたらどうなったか

「ギャラリー酔いどれ」記事の一部だが、最初の二つのコメントは「ネットゲリラ」の読者コメントである。
まあ、それぞれのコメントについては参考までに引用しただけで、さほど深く読んだわけではない。ここでは公武合体によって江戸幕府がもう少し続いていたらどうなったか、明治維新との比較でメリットデメリットを考えてみたい。
とは言っても、あの頃、徳川政権は死病にかかった人間のようなもので、延命治療をしてもさほど長生きしたとは思わないが、公武合体が「天皇を君主とし、雄藩諸大名が国政に参与して立法府や行政府のメンバーとなる」形式でどうなったか、ということだ。
先に説明すれば、あの当時の徳川政権が死病にかかっていた、というのは、要するに、経済的にもはや江戸幕府中心の封建体制は破綻していたということだ。
その最大の原因は、「コメ経済と貨幣経済の相克」にある。これは「逆説の日本史」の筆者も繰り返し言っているが、歴史学者や学校の先生などがあまり言わないことだ。
要するに、幕府や諸藩は年貢として百姓からコメを貢納させ、それを商人の手で現金化するわけだが、その際に商人は当然利ざやを得る。幕府や諸藩がコメを手に入れるのは年に一度だが、商人はその間にコメの売買で何度も手数料を得ることになる。商売というのは、「回転数」が上がればそれだけ儲かるのであり、農業とは「回転率」が違うのである。人の手から手へ商品が渡るたびに、どこかの商人の手に利益が落ちる。そして、農民は年貢という「税金」を四公六民とか五公五民などの酷い割合で収奪されていたのに、驚いたことに商人や町民は江戸幕府半ばまでほとんど税金が無かったのである。(というように私は理解している。江戸中期くらいから、幕府や諸藩が商人に命令してカネを召し上げることもあったが、それは非常手段であり、不正行為と幕府なども認識していただろう。)税金が無いとなれば、商人の天国である。商人の資産が厖大に膨れ上がっていったのは当然だろう。その得たカネを幕府や藩に貸して、またそれでも利益を得たわけで、要するに、江戸幕府や諸藩が「どのようにして商人や町人から税金を取るか」という手段を思い付かなかったのが江戸幕府の経済的破綻の主な原因であり、外国貿易での金銀の交換比率による大損失よりもここが幕府経済破綻の主原因だったと思う。
で、公武合体でたとえ新体制に代わったとしても、この「経済問題」を解決することは、「コメ経済」思考の侍たちには無理だったのではないか、と私は思う。
まあ、公武合体が成功した場合のメリット云々を考えるまでもなく、話はそこで終わるわけだ。明治政府への批判は多いが、「税制改革」に関しては、明治政府はかなり健闘し、新しい時代に適応したと思う。

なお、下の情弱痴呆老人の書いている、「阿片戦争で英国の暴虐さを知っているはずの幕府が英国と結ぶはずがない」は鋭い指摘ではあるが、では、薩長も同様に知っていながらなぜ英国と結んだのか、と言えば、幕府を倒せさえすれば後はどうなってもいい、つまり、「日本がどうなってもいい」という無責任な考えだったのではないか、と思う。
実際に、その後の日本は欧米の実質的属国になったわけだ。


(以下引用)容量の関係で、引用ができなくなったので、私の書いた文章だけにする。



重度障害者が普通高校に行く理由

「障害が理由だった」として、それがなぜいけないのか。中学まで出たことも、周囲の犠牲的奉仕によるものだろう。つまり、周りの多大な迷惑が、高校入学後に予想されるわけである。仮に学力が十分だったとしても(それもありそうもないが)、高校側がこの生徒を受け入れられないと考えたことは当然だと思う。こういう障害者が普通高校に行く理由が私にはまったく分からない。基本的人権の中には、「(学力不十分など)どんな不都合があっても高校まで行ける権利」など想定されていないと思う。普通人でも学力が低ければ行けないわけで、学力以外でも、高校が受け入れられる限度というのがあるはずだ。
まあ、そもそも私は高校で学ぶ授業内容自体、大学進学を考えている人間以外にはまったく無意味だと思っている。もちろん、趣味として学ぶのは結構だが、社会人に必要な知識は小学校かせいぜい中学までで十分である。後は独学でいい。高校に行く必要などまったく無い。高校というのは、「青春の思い出」を作る以外に存在価値はない。





1: 2018/11/26(月) 14:08:46.17 ID:swfFfEHf0
重度脳性まひの受験生、神戸の定時制高校不合格…両親「障害が理由だったのではないか」と訴え 
https://www.kobe-np.co.jp/news/kyouiku/201811/0011850245.shtml 

 男性は、うなずくことで「はい」、首を振ることで「いいえ」の意思表示はできるが、話すことはできない。 
日常生活の全てに介助が必要で、車いすを使う。チューブで栄養剤を胃に注入する「胃ろう」の手術を受けているため、地元の小中学校では看護師が配置されたが、いつも多くの友達に囲まれてきた。 

 マラソンの練習では誰かが歩行器を押し、男性は長縄跳びもドッジボールも特別ルールで輪に入った。小中とも親の付き添いなしで修学旅行に参加した。 







8: 2018/11/26(月) 14:11:42.78 ID:3leJVaua0
高校いかんでもええやろ別に

9: 2018/11/26(月) 14:11:57.43 ID:nv2DsDPPd
むしろ障害理由に特別なテストしてもらってんだろ
親もガイジかよ

10: 2018/11/26(月) 14:12:33.28 ID:KKVek43md
修学旅行は同級生に介護してもらったんか

12: 2018/11/26(月) 14:13:10.44 ID:Ut01S2rpd
>>10
同級生可哀想

11: 2018/11/26(月) 14:12:39.60 ID:bEvw8QUS0
同級生をヘルパー扱いか

13: 2018/11/26(月) 14:13:17.97 ID:VXjZ959D0
そんなときのN高校

14: 2018/11/26(月) 14:13:19.68 ID:A76wJIJhd
合格基準点下回ってんのやろ

15: 2018/11/26(月) 14:13:36.98 ID:sRbCWMdyd
受験で学校側は、読み上げや代筆、文字の拡大、別室、時間延長など「特別な措置をして万全を期した」とする。
本人も解答が可能な選択問題に臨んだが、結果は不合格。
定員割れで再募集の学力検査も不合格となった。

ここまでしてもらって学校に文句言うガイジ

90: 2018/11/26(月) 14:27:44.94 ID:Q9CbTNGcM
>>15
しゃーないやん

23: 2018/11/26(月) 14:15:29.60 ID:WmvVBRGwd
no title

54: 2018/11/26(月) 14:21:16.92 ID:uq2QnTSv0
>>23
ラッパーにも見えなくはない





運命の女神の後頭部はつるっぱげ

私自身は社会から「降りた」人間なので、社会的成功の問題は私には無意味だが、これから社会で生きていく人間には下の指摘は重要であると思う。要するに、成功するかどうかは、「運命の前髪を掴めるようにいつも準備ができているかどうか」である。
「アオイホノオ」に描かれた、ガイナックスの社長など、何の才能も無い人間だが、他人の才能を利用する機会を必死で捉えて成功した人物と描かれている。つまり、「運命の女神の前髪を掴む準備」が常にできていたのだろう。
ところが、多くの創造性豊かな人々は、自分の創作だけしか頭になくて、「成功する準備」はまったくできておらず、むしろ、成功する機会を自分から嫌がることさえある。つまり、「創作の邪魔になる作業」が多くなることを嫌がるのである。


  1. この言葉にもう少し補足すると、「運」というのは定期的に訪れてくるのである。その運を活かすか否かは日頃のトレーニング(努力)が必要なのだ。せっかく仕事が舞い込んで来ても、自分の中で準備ができてなかったら、結局その仕事を逃してしまうのだ。だから、才能・努力・運は、いずれも必要なのだ。

  2. 表現者にとって一番大切なものは何ですか? という私の問いかけに、さいとう・たかを先生は「運ですね」と答えた。「才能があるというのは当たり前の、前提の話です。才能がある人が多数いる中で、抜きん出るには運が必要なんです。」