ファシズムと個人主義
日刊工業新聞の電子版から転載。JAXAのエンジニアの野田という人のインタビューである。
我々は、進化論の信者がほとんどだから、原始的な生物は哺乳類より劣っている、と考え、気にも留めないが、そういうものの中にこそ「別の視点」「別の価値観」「別の発想」のヒントがある。つまり、骨格というものを持つ哺乳類にはできないことでも、骨格の無い原生動物なら可能ということもあるわけだ。
「まどかマギカ」のキュウベエも群生動物のようなもので、群生動物が高度な知的発達を遂げたら、「個体維持」ではなく、「集団維持」が最優先の課題になるわけである。人間という「個体絶対優先」種から見れば、その考え方自体が悪だと思われることになる。
だが、「お国のために特攻をする」というのは、まさに群生動物的発想になるわけで、それをファシズムとも言うのである。まさに、「群生」とは集団がひとつの本能でまとまることなのだ。スポーツチームなども、まさに、「いかにして最強のファシズム集団を作るか」が命題なのだ。「絆」とは「結びつくこと」つまりfastenすることであり、それがファシズムの語源だ。
(以下引用)
これ(↓)は8月に特許を出願して公開できるようになったので見せられるけれど、小さな人工衛星。10センチ角の衛星で、この中からさらに小さな衛星が出てくるわけ。そして磁力だけで形を変えて飛ぶというもの。SDカードくらいの小さな衛星がわーっと飛んでいるイメージ。
—どういうことができる衛星ですか?
例えば一つひとつがアンテナになってて、電波を出したり受けたりする。それがたくさんの数になると、巨大なアンテナや巨大なレンズと同一の働きをする。
宇宙空間に巨大なものを打ち上げるとなると、今まではがっちりと形がかたまった骨組みを持ったものじゃないといけなかった。そうではなくて、骨をなくす。骨のある脊椎動物から逆走進化をしているようなもので、いわゆる単細胞生物の群体のようなものに形を考えている。ムクドリやイワシの群れのように、一個体ではできないことをたくさんの個体が集まって協調しできるようになる。
—このアイデアはいつ思いついたのですか?
20年くらい前から、小さな衛星を集めて何かをやれないかなとは思っていた。でも集めて並べる方法が思いつかなかった。一つひとつがロケットエンジンを持っているというのがアイデアとしては一番簡単な解だけれど、実際に作るとなると複雑な機構で大変になる。
磁力でできるのではないかと考えたのが去年の春くらい。若い人を集めてみんなで研究した。去年の9月頃に、僕が「磁力で引き合ったり離れたりさせることはできるけれども、横方向に制御したり回転させたりすることはとてもできないよ」とホワイトボードに描いて説明していたら、30代の若い人が、「できるんじゃないですか?」と言う。延々と議論をしていた。それから2週間後くらいに「これ解決できるぞ」って答えを思いついた。
—チームで議論する時に気をつけていることはありますか?
僕の年齢が高いとこもあり、まとめる役が多いけど、議論は「フラットに行われるようにする」という風に気をつけておかないと、と思っている。メンバーは年齢差もあれば役職の違いもあるけれど、新しいアイデアの良し悪しを、その人の年齢や役職で左右させない。歳をとって役職のある人が出したアイデアに対して、若い人が「それは間違っている」と覆してもよい。
それが一番心がけていることなのだけれど、要は「上の人がこう言ったからこうなのだ」という風潮にすると、若い人からよいアイデアが出なくなってしまう。
—具体的にはどういったことをやっていますか?
議論の中で言っちゃいけないことがあって。例えば、「それは何の意味があるんだ?」「本当にそれが一番よい方法なのか?」「本当にできるのか?」などという発言はご法度。できるだけ肯定的な形で人の意見を認めるようにして、それを実現するにはどうすればよいか考えていく。
よい提案でも悪い提案でも、何か新しい部分があれば「いいね」って答える。「それって何の役に立つんだ?」って聞かないで、「よいアイデアだけど、今すぐに何に使えるかはわからないから一緒に考えてみようか」と言う。
—「何の役に立つの?」って普通に聞いてしまいそうですが。
「何の役に立つの?」って一番ご法度な質問ですね。理由は二つ。
まず、「どういう意味があるのかはわからないけれど、何か面白いことを考えた」って人に、「意義」を説明させるのはすごく酷なこと。最初から意味のあるものを解決しようという目的で考えたアイデアの他に、何となく思いついて技術的には面白いのだけど何の意義があるかわからない、というものがある。
もう一つは、価値観の違いが多いこと。新しいアイデアって、新しい価値観のもとにできることがあって、歳をとった古い人がその若い人の価値観を理解できない時がある。理解できないものに対して、頭から否定することは非常に危険ですね。
我々は、進化論の信者がほとんどだから、原始的な生物は哺乳類より劣っている、と考え、気にも留めないが、そういうものの中にこそ「別の視点」「別の価値観」「別の発想」のヒントがある。つまり、骨格というものを持つ哺乳類にはできないことでも、骨格の無い原生動物なら可能ということもあるわけだ。
「まどかマギカ」のキュウベエも群生動物のようなもので、群生動物が高度な知的発達を遂げたら、「個体維持」ではなく、「集団維持」が最優先の課題になるわけである。人間という「個体絶対優先」種から見れば、その考え方自体が悪だと思われることになる。
だが、「お国のために特攻をする」というのは、まさに群生動物的発想になるわけで、それをファシズムとも言うのである。まさに、「群生」とは集団がひとつの本能でまとまることなのだ。スポーツチームなども、まさに、「いかにして最強のファシズム集団を作るか」が命題なのだ。「絆」とは「結びつくこと」つまりfastenすることであり、それがファシズムの語源だ。
(以下引用)
これ(↓)は8月に特許を出願して公開できるようになったので見せられるけれど、小さな人工衛星。10センチ角の衛星で、この中からさらに小さな衛星が出てくるわけ。そして磁力だけで形を変えて飛ぶというもの。SDカードくらいの小さな衛星がわーっと飛んでいるイメージ。
18年8月に特許を出願した小さな人工衛星のアイデアメモ
—どういうことができる衛星ですか?
例えば一つひとつがアンテナになってて、電波を出したり受けたりする。それがたくさんの数になると、巨大なアンテナや巨大なレンズと同一の働きをする。
宇宙空間に巨大なものを打ち上げるとなると、今まではがっちりと形がかたまった骨組みを持ったものじゃないといけなかった。そうではなくて、骨をなくす。骨のある脊椎動物から逆走進化をしているようなもので、いわゆる単細胞生物の群体のようなものに形を考えている。ムクドリやイワシの群れのように、一個体ではできないことをたくさんの個体が集まって協調しできるようになる。
—このアイデアはいつ思いついたのですか?
20年くらい前から、小さな衛星を集めて何かをやれないかなとは思っていた。でも集めて並べる方法が思いつかなかった。一つひとつがロケットエンジンを持っているというのがアイデアとしては一番簡単な解だけれど、実際に作るとなると複雑な機構で大変になる。
磁力でできるのではないかと考えたのが去年の春くらい。若い人を集めてみんなで研究した。去年の9月頃に、僕が「磁力で引き合ったり離れたりさせることはできるけれども、横方向に制御したり回転させたりすることはとてもできないよ」とホワイトボードに描いて説明していたら、30代の若い人が、「できるんじゃないですか?」と言う。延々と議論をしていた。それから2週間後くらいに「これ解決できるぞ」って答えを思いついた。
「何の役に立つの?」はご法度、その二つの理由
—チームで議論する時に気をつけていることはありますか?
僕の年齢が高いとこもあり、まとめる役が多いけど、議論は「フラットに行われるようにする」という風に気をつけておかないと、と思っている。メンバーは年齢差もあれば役職の違いもあるけれど、新しいアイデアの良し悪しを、その人の年齢や役職で左右させない。歳をとって役職のある人が出したアイデアに対して、若い人が「それは間違っている」と覆してもよい。
それが一番心がけていることなのだけれど、要は「上の人がこう言ったからこうなのだ」という風潮にすると、若い人からよいアイデアが出なくなってしまう。
—具体的にはどういったことをやっていますか?
議論の中で言っちゃいけないことがあって。例えば、「それは何の意味があるんだ?」「本当にそれが一番よい方法なのか?」「本当にできるのか?」などという発言はご法度。できるだけ肯定的な形で人の意見を認めるようにして、それを実現するにはどうすればよいか考えていく。
よい提案でも悪い提案でも、何か新しい部分があれば「いいね」って答える。「それって何の役に立つんだ?」って聞かないで、「よいアイデアだけど、今すぐに何に使えるかはわからないから一緒に考えてみようか」と言う。
—「何の役に立つの?」って普通に聞いてしまいそうですが。
「何の役に立つの?」って一番ご法度な質問ですね。理由は二つ。
まず、「どういう意味があるのかはわからないけれど、何か面白いことを考えた」って人に、「意義」を説明させるのはすごく酷なこと。最初から意味のあるものを解決しようという目的で考えたアイデアの他に、何となく思いついて技術的には面白いのだけど何の意義があるかわからない、というものがある。
もう一つは、価値観の違いが多いこと。新しいアイデアって、新しい価値観のもとにできることがあって、歳をとった古い人がその若い人の価値観を理解できない時がある。理解できないものに対して、頭から否定することは非常に危険ですね。
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