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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

スポーツという「競争原理」洗脳の場

スポーツというもののほとんどは「競争」「競技」であるから、必然的に人間(子供)のランク付けになる。体育の授業では結果が露骨に目に見える形で示され、その場が賞賛と嘲笑、誇りと屈辱の場になるわけだ。
これが勉強だと「オレ、勉強してないから成績悪くて当たり前、勉強すりゃあ出来るさ」と思えば、それでいい。しかもテスト成績が他の子供全員に分かるわけでもない。
人間の序列化を社会支配の原理にしている資本主義社会はスポーツを使って子供時代にそういう序列意識を植え付けるわけである。
  1. 浅利与一義遠‏ @hologon15 18時間18時間前
  1. 7年余に渡って『運動音痴』と言われ続け、そっち方面のスクールカーストでは最下層にいた人間が、そんな程度で体育を好きになる訳も無く、結局その後も漫画ばかり描いていた。  転校後の、いじめグループの何人かが、俺に授業でごぼう抜きにされた事で、態度が変わったのはメリットだったか。
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    1. 18時間前
    1. 短距離走や跳び箱は壊滅的だったが、実は長距離走だけ地で速かったというのに、中学の頃に気付いた。小学校の持久走程度では分からなかったのだ。 そこから鍛える事はしなかったが、今は自転車に乗るのに役立っている。 >運動が苦手でも、得意種目があれば体育が楽しくなる 
    2. 2件の返信 35件のリツイート 97 いいね


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人間関係が苦悩を作る

これは自殺の方法にもよるのではないだろうか。
自殺を試みた経験は無いが、失血死というのはなかなか快感なのではないか。傷口は痛いかもしれないが、傷のつけ方次第だろう。
ガス自殺というのも苦痛が少なそうだ。催眠性のガスで、或る程度以上になると死ぬ、というのがあれば、ぜひ私は採用したい。ただ、遺体の処理を家族や他人に任せるのが気の毒なので、今のところは自殺する気はない。
失血死にしても、上に書いたタイプのガス自殺にしても、途中で「やっぱりやーめた」とできるような形で自殺にチャレンジして、どこかで気を失っていつのまにか死んでいた、という手法なら、下の引用文のような恐怖はなさそうである。

ある年齢以上になると、死ぬこと自体にはさほど抵抗は無いのではないかと思う。これからの人生に上がり目はまったく無いのだから、当然そうなるわけで、死にたくないという人は、現在の生活がよほど恵まれている人か、或る種の哲学か宗教によって「不満はあるけど生きること自体はとても楽しい」という陽性の精神を持っている人くらいだろう。
まあ、私の場合は漫画や小説を読むのもテレビゲームをするのも楽しいので毎日の生活に不満は無い。生活の苦痛や苦悩の大半は経済問題から起こり、人間関係が直接的なダメージを与えるものであって、「独りを楽しむ」ような性格の人間は、案外幸福なものである。
「逃げるは恥だが役に立つ」というタイトルのテレビドラマがあったが、仕事や人間関係から逃げる、というのも一つの解決方法だと思う。百姓とか狩人とか、灯台守とか、その気になれば人間との交渉がほとんど不要な仕事というのもあるはずである。世間のアドバイスという奴はほとんどが、「苦手なことを克服する努力をしろ」ばかりであって、そのアドバイスに従った結果、若者は自殺していくのだと私は思っている。




さんがリツイート

以前も書いたけど、私の場合、今までに一番自殺を思い止まらせてくれた文章は萩原朔太郎のこれだな。










ファシズムと個人主義

日刊工業新聞の電子版から転載。JAXAのエンジニアの野田という人のインタビューである。
我々は、進化論の信者がほとんどだから、原始的な生物は哺乳類より劣っている、と考え、気にも留めないが、そういうものの中にこそ「別の視点」「別の価値観」「別の発想」のヒントがある。つまり、骨格というものを持つ哺乳類にはできないことでも、骨格の無い原生動物なら可能ということもあるわけだ。

「まどかマギカ」のキュウベエも群生動物のようなもので、群生動物が高度な知的発達を遂げたら、「個体維持」ではなく、「集団維持」が最優先の課題になるわけである。人間という「個体絶対優先」種から見れば、その考え方自体が悪だと思われることになる。
だが、「お国のために特攻をする」というのは、まさに群生動物的発想になるわけで、それをファシズムとも言うのである。まさに、「群生」とは集団がひとつの本能でまとまることなのだ。スポーツチームなども、まさに、「いかにして最強のファシズム集団を作るか」が命題なのだ。「絆」とは「結びつくこと」つまりfastenすることであり、それがファシズムの語源だ。



(以下引用)


 これ(↓)は8月に特許を出願して公開できるようになったので見せられるけれど、小さな人工衛星。10センチ角の衛星で、この中からさらに小さな衛星が出てくるわけ。そして磁力だけで形を変えて飛ぶというもの。SDカードくらいの小さな衛星がわーっと飛んでいるイメージ。

18年8月に特許を出願した小さな人工衛星のアイデアメモ

—どういうことができる衛星ですか?

 例えば一つひとつがアンテナになってて、電波を出したり受けたりする。それがたくさんの数になると、巨大なアンテナや巨大なレンズと同一の働きをする。

 宇宙空間に巨大なものを打ち上げるとなると、今まではがっちりと形がかたまった骨組みを持ったものじゃないといけなかった。そうではなくて、骨をなくす。骨のある脊椎動物から逆走進化をしているようなもので、いわゆる単細胞生物の群体のようなものに形を考えている。ムクドリやイワシの群れのように、一個体ではできないことをたくさんの個体が集まって協調しできるようになる。

—このアイデアはいつ思いついたのですか?

 20年くらい前から、小さな衛星を集めて何かをやれないかなとは思っていた。でも集めて並べる方法が思いつかなかった。一つひとつがロケットエンジンを持っているというのがアイデアとしては一番簡単な解だけれど、実際に作るとなると複雑な機構で大変になる。

 磁力でできるのではないかと考えたのが去年の春くらい。若い人を集めてみんなで研究した。去年の9月頃に、僕が「磁力で引き合ったり離れたりさせることはできるけれども、横方向に制御したり回転させたりすることはとてもできないよ」とホワイトボードに描いて説明していたら、30代の若い人が、「できるんじゃないですか?」と言う。延々と議論をしていた。それから2週間後くらいに「これ解決できるぞ」って答えを思いついた。

「何の役に立つの?」はご法度、その二つの理由


—チームで議論する時に気をつけていることはありますか?

 僕の年齢が高いとこもあり、まとめる役が多いけど、議論は「フラットに行われるようにする」という風に気をつけておかないと、と思っている。メンバーは年齢差もあれば役職の違いもあるけれど、新しいアイデアの良し悪しを、その人の年齢や役職で左右させない。歳をとって役職のある人が出したアイデアに対して、若い人が「それは間違っている」と覆してもよい。

 それが一番心がけていることなのだけれど、要は「上の人がこう言ったからこうなのだ」という風潮にすると、若い人からよいアイデアが出なくなってしまう。

—具体的にはどういったことをやっていますか?

 議論の中で言っちゃいけないことがあって。例えば、「それは何の意味があるんだ?」「本当にそれが一番よい方法なのか?」「本当にできるのか?」などという発言はご法度。できるだけ肯定的な形で人の意見を認めるようにして、それを実現するにはどうすればよいか考えていく。

 よい提案でも悪い提案でも、何か新しい部分があれば「いいね」って答える。「それって何の役に立つんだ?」って聞かないで、「よいアイデアだけど、今すぐに何に使えるかはわからないから一緒に考えてみようか」と言う。

—「何の役に立つの?」って普通に聞いてしまいそうですが。

 「何の役に立つの?」って一番ご法度な質問ですね。理由は二つ。

 まず、「どういう意味があるのかはわからないけれど、何か面白いことを考えた」って人に、「意義」を説明させるのはすごく酷なこと。最初から意味のあるものを解決しようという目的で考えたアイデアの他に、何となく思いついて技術的には面白いのだけど何の意義があるかわからない、というものがある。

 もう一つは、価値観の違いが多いこと。新しいアイデアって、新しい価値観のもとにできることがあって、歳をとった古い人がその若い人の価値観を理解できない時がある。理解できないものに対して、頭から否定することは非常に危険ですね。

酒好きとアル中の違い

勝谷誠彦というのはテレビ画面で一度か二度見たことがあるような無いような、そんな程度の印象しか無いので、その仕事内容は知らないが、確か大病の手術をして、自宅に戻ってすぐに酒を飲んだのが悪くてそのまま死んだとか何かで読んだと思う。
で、そこから、アル中の怖さがネットの話題になっていたと思うが、酒好きの死に方としては理想的なのではないかwww
大伴旅人だったか、中途半端に人であるより、来世では酒甕に生まれ変わりたい、と歌った万葉歌人もいたくらいで、酒好きが酒で死ぬのは本望というものだろう。
ただし、アル中というのは酒の味も何も分からなくなっているのではないか、という気もする。最初は美味くて飲んでいたのだろうが、末期には、酒であれば何でもいい、という、いわば「餓鬼道」に陥っているのをアル中と言うのだと思う。

「白珠の歯に沁みとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」

と若山牧水が歌った酒の飲み方は、アル中とは程遠いものだろう。

ついでに言えば、長生きが幸福であるなどと私はまったく思わない。50歳以下で死ぬのはさすがに早いとは思うが、60歳くらいまで生きたらだいたい十分ではないか。老化に伴うマイナスを考えたら、70歳くらいで死ぬのが理想的なような気がする。そうすると、70歳定年だと死ぬまで働くことになり、私のようにテレビゲームをしたり漫画を読んだりするのが楽しみで生きている人間にとっては生きた意味も無いように思う。
私は「遊びせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」という梁塵秘抄の唄こそが人生の真実だと思う者である。
偉人の人生も、ある意味、気の毒だな、とすら思う。


(以下引用)




勝谷誠彦氏は肝不全で死去 長生きのために酒量減らす方法

公開日:

 コラムニスト・勝谷誠彦氏の死去にビックリした人もいるだろう。1960年12月生まれの57歳。8月に重症アルコール性肝炎で入院し、今月28日に肝不全で死亡した。

 勝谷氏は酒好きの上に、うつ病にも悩まされていた。

「とにかく酒が強かった。夕方から飲み始めて深夜1時、2時まで飲むのは当たり前で、一種のアルコール依存症。3年前の5月にうつ病を発症してから引きこもりがちになり、さらに酒量が増えたようです」(担当編集者)

 医学博士の米山公啓氏によると、日本酒を毎日3合飲む生活を5年以上続けると、アルコール性障害になる可能性が高まるという。肝臓のアルコール分解機能が低下して重症アルコール肝炎から肝不全で死亡したり、肝硬変から食道静脈瘤破裂や肝がんで死亡するなどいくつかのケースがある。いずれも飲み過ぎが原因だ。



赤ん坊のぐずり泣き

私が昔から不思議だったのは、赤ん坊が眠くなった時にぐずり出す(泣き出す)ことである。
眠いなら、眠ればいいではないか、泣いたりしたらせっかくの眠気が消えてますます不快になるだろう、と合理主義者である私は思っていたのだが、この問題には下のような解答が考えられるかと思う。

1:赤ん坊はまったく別の理由で泣いているのだが、空腹でもウンコやオシッコでもないらしいので、周囲の人間が「眠いからだ」と決めつけている。そして、こうしたぐずり泣きの後で寝入ることが多いので、「眠くて泣く」説が正しいと認定された。
2:赤ん坊がこうしたぐずり泣きの後で寝入るのは、「泣き疲れた」からであって、眠いからではない、という可能性もある。
3:赤ん坊が下の漫画のような場合に泣くのは、「背負われている姿勢が苦痛になってきた」からかもしれない。だから、畳やベッドの上に横にしてやると安楽になり、心地いいので眠る。それを「ぐずっているのは眠いからだ」と短絡的に結論した。

なお、私が赤ん坊だったら、子守歌は騒音と思うかもしれない。赤ん坊だから不平不満は言わないだけなのではないか。案外、赤ん坊にも音楽の種類への趣味(演歌嫌いとか民謡嫌いとか)があるかもしれないではないか。