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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

独居の覚悟と独楽主義

これは誰にでも覚えのあることだが、あまりカネが無い人なら、二つの「基本的心構え」で解決できる。

1)モノは極力買わない。(買わないためにいつも不自由しているものだけ買う。)
2)買ったモノは(引っ越しの際など以外)原則として捨てない。

私の場合は、持っている服などの中で、いつも着ているものは上着下着それぞれ3着か4着くらいだと思う。もちろん、季節で変わるが、それでもひとつの季節で3着か4着だ。服自体は結構あるが、すべて箪笥の肥やしである。そのほとんどは女房が買ったもので、後は外出時に衝動買いしたものだ。つまり、生活に本当に必要なモノはわずかなものだ、ということである。台所用品など、永遠に同じものを使っている感じである。つまり、その道具が便利なので、同じものを使うわけだ。これはどんなに古くなっても、新品よりマシである。まあ、新品を使えば、それなりに便利だろうが、古い物より便利ということは滅多にない。
家という生活空間さえあれば、ほかのモノはだいたい無くても生きていける。モノというのは、世間と交わる関係で必要になるだけである。「独楽主義」で行くなら、月に10万程度の収入があれば十分だ。重い病気になったら、(そしてカネが無ければ)医者になどかからず、死ねばいい。
たとえば、「方丈記」の鴨長明は、病気になったら医者にかかっただろうか。そうは思えない。わざわざ人の世を離れて住居を持った人間なのだから、四囲に人のいないところで病気になった場合の覚悟はできていたはずだ。自分も現代の鴨長明だと思えばいいのである。





棚が4段ついたラックを買って、2段しか必要ないからわざわざ粗大ゴミシール買ってまで捨てたのに、また必要になって棚だけ2枚買う羽目になった…ツライなぁ…。

いつか要るかもしれないと保存しておいた物が役に立った事は無く、思い切って捨てた物は後から必要になる。
なぜだ!





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ヤクザの流儀www

「ヤクザの流儀」というのが意外と簡単で驚いた。まあ、卑怯卑劣そのものだがwww




517: 風吹けば名無し 2018/08/06(月) 10:46:43.62 ID:Fu4DDn2k0
こいつがどういう経緯で
奈良のボクシング協会の会長になったのかが謎なんだけど

親父プロボクサーらしいけど、名前は?

540: 風吹けば名無し 2018/08/06(月) 10:51:58.99 ID:QkYYT1cQ0
>>517
森田組組長談
「山根は私の舎弟でした」と語りだした。いまから60年ぐらい前、山根が20歳ぐらいの頃、組員の紹介で自分の組に入ってきたという。正式に盃を交わしたことはないそうだ。

組には10年ぐらい出入りしていて、「仕事は私の使っ走りをさせていました」(M氏)。最初の嫁さんを山根がもらうとき、婚姻届けの証人になったそうだ。山根はM氏に「京都や奈良の組にも出入りさせてもらっていました」と語っていた。

<「奈良のボクシング連盟に取り入ったのも、そのツテでしょう。私の組に所属していた頃も、連盟には出入りしていました。入り込んだ後は、ヤクザの流儀で頭角を現していった。強い者には平身低頭して、弱い者は恫喝する、というやり方です

男女の知性と社会的環境

まあ、「男はああだ」「女はこうだ」という議論そのものが間違っている気はするが、「女に学問はいらぬ」というのは、女は家庭で子供を産み育て、家族の食事など生活全般の面倒を見るのが当然という考えであっただけで、「平等に学問をやらせたら、男はバカだということが分かってしまうのを恐れた」というのは無いだろう。実際、バカは男にも女にも必ず大量にいるのであり、男が女より馬鹿ということはない。
最近の男が女より学業成績が悪いのは、男には思春期に性欲が最高度に高まるという弱点があり、また、あらゆる遊び事が容易に手に入りやすくなっているので勉強になかなか専念できないのだと思う。女は「人生のピークが短い」ことを知っているから、若いころに真面目に勉強などして一生の足掛かりをつかもうとするから成績のいい子も多くなるのではないか。
男が若いころに思慮が足りないのは確かだが、それは知性が低いということではなく、それが許容される環境がある、つまり、年を取っても逆転はできるという安心感があるからだろう。






さんがリツイート

今考えたら、明治・大正時代に「女に学問はいらぬ」と言って女性に勉強させなかった男どもは、実は平等に学問をやらせたら、男はバカだということが分かってしまうことを恐れていたのかも知れない、と真面目に思いました。



どこで生まれるかという幸福と不幸の分かれ目

記事を読む限りでは、真面目な子のように思える。不幸な境遇の中で生きるために苦闘してきた結果としての少年院入りだったのだろう。

戦慄そうそう。少年院生活は辛かった一方で、どこか温かさも感じていました。「一生ここにいろ」と言われたらそれはそれでいいなって……。私に限らず、少年院に来るのって、社会や家庭の中で身の危険を感じて育ってきた子が多いから、ちゃんとご飯があって、先生が優しくて、勉強させてもらえて、本が読めてという当たり前のことが、なんだかすごく幸せに感じられたんです。

という言葉は、なかなか賢い子だな、と感じる。



エンタメ

少年院上がりのアイドル・戦慄かなの「少年院は幸せでした」

 昨年10月、あるアイドルオーディションで衝撃の告白があった。「私、少年院出身です」――。そうカミングアウトしたのは戦慄かなの氏。件のオーディション「ミスiD」では、「サバイバル賞」を受賞。壮絶な幼少期、非行、少年院を経て、現在は大学に通いながら、アイドルとして活動している。さらに虐待を受けている子どもたちに向けた支援事業も開始。道なき道を切り開く19歳にこれまでの軌跡と自身の将来を聞いた。

戦慄かなの/アイドル

戦慄かなの/アイドル

――「少年院出身アイドル」として最近ではさまざまなメディアで取り上げられていますね。

戦慄かなの(以下、戦慄):ありがとうございます(笑)。でも……本当は、「少年院出身」っていうのとアイドル活動は切り離したいと思っているんですよ。どうしてもセンセーショナルだから、その部分を切り取った紹介のされ方になっちゃうのもよくわかるんですけどね。

――「そういう個性のアイドルとしてやっていこう」と思ってのカミングアウトではなかったんですね。

戦慄:そうなんです。アイドルのほかに、育児放棄や児童虐待への支援も行っていきたいと思っていたので、その活動のために少年院出身だと明かしました。もちろん「ミスiD」の最終面接では「少しでも爪痕を残したい」と思っていた部分はあるのですが、決して売名のためだったわけじゃないんです。それ以前は「のーぷらん。」というアイドルグループで活動していたのですが、少年院の話は隠していました。だって単純に全然かわいくないですよね、「少年院出身」って(笑)。私自身がもともとアイドルが好きなのもあって、やっぱりファンの方たちはそんなの求めてないだろうなって思うんです。

――AKBやハロプロのような、いわゆる正統派のアイドルに憧れて?

戦慄:そうです。それに「虐待」や「少年院」「児童支援」といったキーワードがアイドルの活動と結びつくと、偽善とか売名っぽくてうさんくさくないですか? テレビの「アウトローな人特集」とかに呼ばれるのもありがたい半面、複雑です。私としては、切り離して両方とも真剣にやっているので、片手間にやっているようなものだと誤解されないようにしないとなって思っています。

――こうやってお話を伺っていると、少年院にいたという過去がなかなか想像できないです。

戦慄:いやー、少年院に入ったばかりの頃はめちゃくちゃ反抗していましたよ! おかげでたいていの人が10か月くらいで出られるところを、私は2年近くかかりました(笑)。私がいたのは中等少年院なのですが、2年って中等少年院に入っている期間としてはほぼマックスなんです。

――そもそも何をして少年院に?

戦慄:14歳の頃からだんだんと家に帰らないことが多くなり、歌舞伎町や秋葉原などをウロウロしていたら、次第によくない人とも交流が増え、犯罪が身近になっていました。いろいろあったんですが、お金を稼ぐ手段としていわゆるJKビジネスを個人で仕切るようなことをしていたこともありました。

――それは誰かに教えられて?

戦慄:いえ、自分で考えました。

――商才が……と言っていいのかわからないですが、すごいですね。

戦慄:あの頃はとにかくお金への執着が強かったんです。母と妹と3人暮らしだったのですが、何日もご飯をもらえないまま妹と放置されて。誰も頼る人がいなかったから、「このままお母さんが帰ってこなかったらどうしよう」ってうなされていました。そんな毎日だったから、お金さえあれば自立できると思い、次第にブラックなビジネスに手を出すようになってしまいました。


少年院で知った「居場所がある幸せ」


――少年院ではどのような生活を?

戦慄:作文を書いたり、先生なりの何かメッセージのこもった映画のDVDを見せられたり。最初は嫌すぎて、課題をビリビリに破いてトイレに流して詰まらせたり、監視カメラに向かってサンダル投げて中指立てたり、ひどかったです(笑)。でも今思えば私、甘えたかっただけなんですよね。先生にかまってもらいたくてやっていたところがあります。

――ご家庭で甘えさせてもらえなかった分?

戦慄:そうそう。少年院生活は辛かった一方で、どこか温かさも感じていました。「一生ここにいろ」と言われたらそれはそれでいいなって……。私に限らず、少年院に来るのって、社会や家庭の中で身の危険を感じて育ってきた子が多いから、ちゃんとご飯があって、先生が優しくて、勉強させてもらえて、本が読めてという当たり前のことが、なんだかすごく幸せに感じられたんです。

※7/31発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【戦慄かなの】
’98年、大阪府生まれ。「ミスiD2018」でサバイバル賞を受賞。現在は大学に通う傍らアイドルとしても活動。また、育児放棄・児童虐待への支援を行う「bae」を立ち上げるなど、自身の経験を生かして精力的に発信している

取材・文/朝井麻由美 撮影/尾藤能暢


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観る人が違えば別の人間が現れる

人間というものをあまり単純に観るべきではない。或る人間がどんな人間かは観察する人がどういう目を持っているかによる。視角が変われば、別の人間が立ち現れるのだ。その一例が、「嵐が丘」の作者エミリ・ブロンテの目に映った兄ブランウィルの姿である。大方の人の目には素行不良の大バカ者と思われていたブランウィルの魂の一部が、「嵐が丘」の主人公(と言うべきだろう)ヒースクリフにかなり投影されていると言われる。
女性が男を愛する時には、その人間の秘められた長所をこの上なく拡大して愛するのではないか。だから、世間的には「なぜあんな素晴らしい女性がなぜあんな屑のような男を愛するのか」と不思議がられることになる。そして、それは、世間が正しくてその女性が馬鹿だということにはならないのである。
おそらく、エミリには、この年の近い兄の美点が他の誰よりもよく分かっていたのだろう。道徳に厳しい社会の目からは只の放蕩児、不良息子としか思われなかったブランウィルの精神的美点(他からの評判を気にせず、思いのままに放蕩することも、見方を変えれば、一種の勇気があるということであり、自分の中の自然な欲望に忠実であり正直だとも言える。)が彼女には見えていたからこそ、それが「野生児」ヒースクリフとして再生されたのだろう。しかし、エミリは兄の弱点や欠点(お坊ちゃん気質や薄志弱行)が見えなかったわけではない。そちらは、作中のヒロイン・キャサリン(キャシー)の兄、ヒンドリとして使われていると思う。
つまり、ヒースクリフとヒンドリは、どちらもエミリの兄ブランウィルの二つの側面なのである。
だから、人間を単純なものと観るべきではない。