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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

言葉と思考と感性

フランスの日本人シェフについての山田敏夫という人の記事の一部だが、感性は言葉の数に比例する、という考えが面白いのでメモしておく。ただ、その考えが正しいかどうかは疑問である。というのは、言葉はそれ自体「思考停止状態」を招く危険性を持っているからだ。
小林秀雄が、「人はスミレという言葉を口にした時、スミレそのものを見なくなる」という意味のことを言っている。実際、そうである。スミレという言葉ですべてが分かった気になるわけだ。
多くの概念が、そのような部分的思考停止状態で頭の中で動いているのが我々の「思考」であり、それは本当は思考の真似事を無批判に行っているのである。
ただ、言語化することで、無意識的思考が意識的思考に推移し、それが有益であるのは言うまでもない。言葉の数と感性が比例するのは、そういう意識的思考においてである。思考内容の他者への伝達においては言葉が最大の武器であることも言うまでもない。
ただ、言葉は時に感性を「自分自身に誤解させる」可能性もある、と言っておく。


(以下引用)



 感性は言葉の数に比例すると言われており、日本人は、ひらがな・カタカナ・漢字といった異なる表記を自然に使い分けています。語彙の数は5万語以上で、英語の3倍。言葉での直接的な自己主張が重んじられる欧米に比べ、日本では言語として表れない余白や間(ま)に対しても敬意が払われています。

 それだけを取り上げて日本人の感性のほうが繊細であると短絡的に決めつけるわけではありませんが、機微に触れようとする気質は間違いなく持っています。



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