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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

差別的言辞と悪意の有無

私自身人種的偏見のある人間なのだが、それは自分が男だから、ということも原因だろうという気がする。つまり、個々の人や人種をまず外面の美醜で見てしまうのだ。(もちろん男の美醜などどうでもいい。顔に品格があればかえってブ男のほうが立派にすら見える。人種的外貌については女性の外貌しか興味はない。)女性はそういう点では案外人種的な違いには神経質ではない、と私は思っている。つまり、美醜というのは化粧や衣服やハイヒールや整形手術など、単なる外面の工作によって簡単に変えられるものだ、と分かっているからではないか。それに、美醜で判断されたら即座にアウトという女性は多いのだから、他の人種を美醜で判断するとそれはブーメランになるだろう。
だが、「可愛い」という価値判断は美醜とは別である。「可愛いおばあさん」もいれば「可愛い猫」もいるし、「可愛いバッグ」もあれば「可愛い毛虫」だっている。それは彼女たちは本気で「可愛い」と思っているのだ。
この通訳の女性が黒人を「可愛いチンパンジーたち」と書いたのは、本気で「可愛い」と思い、「チンパンジーは可愛い」と思っていたから、黒人をチンパンジーにたとえることに何の罪悪感も無く、黒人を傷つける意図もなくそう書いたように思う。ただ、それが社会的に許される時代ではない、ということにあまりに鈍感だったためにこういう騒動になったのではないか。
何も考えず発言する人間は世の中にはたくさんおり、そのほとんどはその場で謝れば許されることが多いだろう。この女性はそういう人生を送ってきたと思う。我々の身の回りにそういう人間は多いのではないか?




通訳女性の投稿問題 事務局が謝罪 別大マラソン定例会議【大分県】
事実関係を説明する阿南寿和別府市副市長(中央)© 大分合同新聞 事実関係を説明する阿南寿和別府市副市長(中央)

 別府大分毎日マラソン大会の主催団体が集う定例会議が15日、大分市営陸上競技場であった。女性通訳スタッフのブログ問題を受け、大会事務局長の阿南寿和別府市副市長(63)が「選手や投稿を見て不快に思った人たちに心からおわびする」と述べた。

 会議には大分陸上競技協会の岡松真明副会長、毎日新聞西部本社の谷由美子事業部長ら25人が出席した。

 冒頭、阿南副市長が「大変遺憾。二度と過ちを起こさないようにしなければならない」と強調し、経緯を報告。ボランティアスタッフの選任や研修の在り方を見直す考えを示し「SNS(会員制交流サイト)の取り扱いにも配慮が行き届くようにしたい」と話した。

 今年の大会は3日に大分、別府両市で開催した。事務局によると、女性はアフリカの男子選手の通訳を担当。大会後の10日、所属する運動サークルのブログに選手の写真を掲載して「かわいいチンパンジー達」などと表現した。

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集団の成員を一括りに捉える愚

そもそも、関東とか関西とか一括りにしていいのか、と思う。関東も関西も広い範囲であり、素朴な関西人もいれば口から先に生まれたような関西人もいるのではないか。
私は京都に数年前に来たが、京都市内の人と京都郊外の農家の人では性格がまったく違うように思う。大阪人も無神経で図々しいというのは一部の底辺層だろう。吉本新喜劇がそういう芸風だから大阪人がそうと思われてしまうのは気の毒である。だが、笑いに関しては大阪出の人は鋭いセンスがあると思う。小松左京や筒井康隆などは大阪だし、漫画家ではあずまきよひこなどもそうだと思う。
大阪弁そのものが、最初から「笑いを内包した言葉」のようにすら思う。つまり、言葉が「ボケとツッコミ」の対応に適しているわけだ。これが東北だと、太宰治や宮澤賢治は素晴らしいユーモア感覚を持っているのだが、言葉自体は東北弁だから面白いという作風ではない。あくまで基本は標準語であり、その笑いは、語る内容のユーモアである。
ただ、大阪の人同士の会話が本当に常に「オチ」があるかというと、そんな才能があれば、誰もが芸人になるだろう。他府県人よりは会話のテンポがよく、お互いのからかいや他者への嘲笑が多いという程度ではないか。それを大阪弁で言うと漫才風に聞こえるだけの話で、その内容はからかいと嘲笑という、あまり品の良くないものである可能性が高いと思う。ただし、大阪もいろいろであり、私の知っていた大阪の人は、実に穏やかで優しい、上品な家族だった。まあ、要するに、東京だの大阪だの、一括りに論じるのが間違いだ、ということだ。黒人がみんなスポーツ万能で、巨根で、リズム感が良く、頭は空っぽというわけでもないのと同じだwww なお、頭が空っぽというのは「無駄に悩まない」と言い換えてもいい。ただし、それがアフリカ大陸が白人に蹂躙された何百年の歴史の原因でもある。(現在も、白人社会で黒人はスポーツと芸能関係でしか上に行けないはずである。)




「関東は話にオチがない」っていうけど、 そんなに日常の会話にオチって必要なの?

何を書いても構いませんので@生活板71
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1547809167/
※本スレに書き込む場合は>1をよく読み、ルールを守って書き込みをするようにお願い致します。

何を書いても構いませんので
156: 名無しさん@おーぷん 2019/01/22(火)16:19:47 ID:Gky
関西人のツッコミ話が出てきたけど、私は関東の人間で現在は中部地方に住んでる。
職場に関西の男の子と女の子が新しくやってきて、関西人が皆んなツッコミ出来ると思うなという
先の書き込みは個人によるものだから理解できるんだけど
上記の職場の関西人二人組と関西人上司がしょっちゅう「関東の人は話にオチがない」
「関西人は話にオチがあるのが当たり前。関東人は話がつまらないし広がらない」と言ってきては
盛り上がってる。
よくテレビの芸人たちも「関東は話にオチがない」っていうけど、
そんなに日常の会話にオチって必要なの?
関西人同士の会話を聞いてても別にオチのある会話してないんだけど・・・
関西人のオチのない会話はオッケーで関東人のオチのない会話はダメなの?


そして関西の男の子と上司が「関東の男が「~だよね?」「~しますね」とか言ってるの聞くと
オカマに思えてキモい、こないだ東京でタクシーの運転手が◯までですね と言ってきて
オカマくさくて身の危険を感じたわ」と言ってる。
これがオチってやつなの?オチって面白い終わりという認識だったけど、
これはただのイチャモンと受け取ってたけど違かったのかね。

兵庫に住んでた時も関東はオチがないって、色んな人にしょっちゅう言われてきたから
会話にオチが大事と言ってる人に「あなたも会話にオチないじゃん」と指摘すると
「関西人が皆んなお笑いのセンスがあると思うな、こうやって関東人は関西人の誰もが
お笑いのセンスあると勘違いしてきて困るわ」と言ってきて、えぇ・・・ダブスタ・・・となる。
会話のオチや笑いがないと言ってくる割に、こちらがそれを求めると
自分はお笑い芸人じゃない関西人みんなオモロイと思うなよ となるのが解せない。

157: 名無しさん@おーぷん 2019/01/22(火)17:12:28 ID:m4g
>>156
関東の人間に関西人気質を求めること自体お門違いで無意味。
オチだのボケツッコミだのうるさいヤツに限ってクソ面白くない中身のつまらんヤツらばっかり。


男という生き物

これを高尚な言い方をすると、ゲーテ(「ファウスト」)の「永遠に女性なるもの我らを牽きて往かしむ」であるwww
なお、ゲーテは80歳くらいになっても十代の少女に恋したとかいう。




277: 2018/12/29(土) 20:37:17.96

まんさん「おっぱいチラッ」
ちんさん「!!!!! うおおおおおおおおお!!!!!!」  



「古事記」の国譲りとは、縄文人から渡来人への国譲りだった?

「神戸だいすき」記事の一部だが、なかなか示唆的で興味深い。
大昔の渡来人と縄文人が「譲り合い」をすることで共存した、というのは事実に近いのではないか。もちろん、その結果、縄文人は「下級国民」になり、渡来人は「上級国民」になったわけだが、それでも縄文人は絶滅することはなく、奴隷的な待遇ばかりでもなかっただろう。概して百姓(農奴)階級が縄文人の置かれた地位だろうが、そこから上に昇る者もおり、血の混交が2000年くらい続いたと思う。
これが白人種が相手だったらどうなったかと言えば、旧約聖書にあるように「根絶やし」にされただろう。近世でもオーストラリアのアボリジニとかアメリカ大陸のインディアンなどはそれに近い状況になったわけであり、白人種の他民族への対応はそういうものである。
渡来人と縄文人が譲り合いをしたというか、縄文人が「譲った」のは、古事記の「国譲り神話」に書かれたとおりだと思う。大国主の命がおそらく縄文人の酋長だったのだろう。それが大和朝廷(渡来人朝廷)に国譲りをした、というのは、日本各地で行われた縄文人と渡来人の「手打ち式」をひとつの話にまとめたのではないか。


(以下引用)



次は、日本列島が世界のアクアリウムであることを、話したいです。

日本列島は小宇宙なんですね。
隔離された蓬莱島
一定量のパイしかない。
その袋小路にたどり着いた人々は、征服によっては、全滅する・・・譲り合わせなければ、生き残れない状況をいかに克服するかにかけたのです。

そしてね、その最初の衝突は、縄文人と渡来人の衝突でした。
そこから、日本は「奪い合い」では、全滅する「譲り合い」で、いくらかでも生き延びさせよう・・・という世界観を構築します。


実は、この状況が、今世界中でおこっているのです。
いくら世界が広くても、人類はこの限られた地球号のパイを分け合うしかない。ようやく地球の狭さを実感する所まで来たのです。

縄文人と渡来人が衝突した。。。2000年前の日本列島に、ようやく世界が追いついてきたのですよ。

だから「日本が世界を救う」のです。

謝罪と許し

面白い、また実に有益な指摘だと思う。
社会には、大変な犯罪をした政治家や官僚や経営者やタレントなどが上辺だけの謝罪をしただけですべて終わり、となる事例があまりに多い。大物の悪事にはそのようにいい加減な対応だのに、小市民の些細なミスには死ぬほど責めるのが日本社会である。




Nikov @NyoVh7fiap
「謝ってるから許してあげなさい」という教育は本当に害悪だと思う。許すか許さないかはその人にしか決められないし、相手を許せない自分に罪悪感を覚える必要もない。
機械犬はジャクソンVを買いました @edgeofinsanity4
@NyoVh7fiap 謝るというのはごめんなさいで「終わり」ではなく、「これから反省しているという事を証明していきますので見ていて下さい」という「始まり」なんですよね。大人でもそれが判らない人がよくいますが…
TOMATO @mimihana
@NyoVh7fiap 本当にそう思います。「許さないことで自分自身も苦しめている。許すことで解放される。」などと、相手を許さないことはイコールあなたが未熟なため、だとか言われたことある。許すか許さないかはその人にしか決められない。本当にそう思います。
月之介 @tsukinosuke_o
本当よな。
ごめんで済むなら警察も弁護士もいらぬ。
世の中には取り返しのつかないことが山ほどあるんじゃ。 twitter.com/NyoVh7fiap/sta…