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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

殺人者(犯罪者)と「ユーモア感覚の欠如」




「殺人者っておかしなことを言ったりなんてしないでしょ ちがう?」
「ちがわない」    (ローレンス・ブロック「泥棒は図書室で推理する」より)



戦争で人を殺すことがありふれていた時代ならともかく、現代においては、殺人という極端な行動を取る人間の特徴は、ユーモア感覚の欠如ではないか、という気がする。どの殺人者の顔写真を見ても、ユーモアの感覚が無さそうだ。(「バットマン」のジョーカーなど、フィクションの人物は話が別である。ジョーカーの「ユーモア」にしても、当人が面白がっているだけで、他者への嘲笑という単なるサディズムである。)
ユーモア感覚というのは「正常と異常の区別が明確についている」ことが大前提だろう。だからこそ、異常な物事を笑えるのである。特に、正常の仮面を被った異常こそが、ユーモアの攻撃対象になる。厳しい論理性(正否の区別)があるからこそ、ユーモアもあるのだ。
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遠くを見ること

一読すると頭に「?」が浮かぶことわざだが、恐らく「遠くを見る」というのが比喩になっているのだろう。
当たり前なら、しゃがんだ大人より、木の上の子供のほうが遠くを見ることができるはずである。つまり、「遠くを見る」というのが、「先々まで考える」という比喩なのではないか。
このことわざとは逆に、『荀子』では、「山に上れば、自分の背が高くなったわけでもないのに遠くまで見ることができる。これが『物に仮(借)る』、つまり、他者の力を利用することである」という趣旨の言葉があり、この考えで行けば、「遠くを見るのに木に登る子供は、わざわざしゃがみこんだ大人より賢い」という理屈になりそうである。




さんがリツイート

「一人前の大人は、しゃがんだ姿勢で木の上のこどもより遠くを見ることができる」 ガンビア




刑事司法制度の根本

まあ、弁護士側の言うのも理解はできるが、被害者遺族などから弁護士が憎悪されても当然だろうな、と思う。そういう因果な商売だから米国などでは高い報酬を得ているのだろう。
何か、これを改善する方法は無いのだろうか。本当に、「それをしなければ刑事司法制度が崩壊する」のか、その根本をもう一度考える価値はあると思う。

なお、私は、殺人事件に関しては、その遺族には殺人犯を許す権利は無い、と思っている。許す権利があるのは、死んだ被害者だけだろう。だが死人が意見を言えるはずがない。遺族がその代弁をするのも不可能だ。では、どう裁けばいいか。「犯した罪に等しい罰を与える」でいい。
つまり、殺人には死刑判決以外は不要だという考えだ。では、殺された人間が殺されても仕方が無いような悪行を積み重ねたとんでもない悪党だったらどうか、と言えば、それでも殺害者は死刑にすべきだと思う。
要するに、「目には目をもて償い、歯には歯をもて償う」という最古の(かどうかは知らないが)法律こそが一番正しいという意見である。
法律がまともに機能していれば、誰かがその悪党を殺す前に、その悪党は法で正しく裁かれており、殺す必要性もないはずであり、それを殺すのは、「罪に相当しない罰」を勝手に与えていることになるわけだ。




さんがリツイート

素朴な感情としては理解できるんですよ。このような凶悪犯罪を許せないという気持ちはおそらく全ての弁護士にあります。
でも、刑事弁護人としての矜持があるので、被疑者被告人を全力で弁護するんですよ。それをしなければ刑事司法制度が崩壊するからです。



男のマロンwww




女性というのは、料理というと何か大げさなものしか料理と言わないと考えているようだが、野菜を切って塩か何かをかけるだけでも料理だ、と男の私は思っている。下手に手を加えないほうが素材そのものの味が生かせるものである。ただ、たとえば刺身をきれいに切るだけでも実は修練が要る。
まあ、それはともかく、台所に2人も人がいて料理をしたら危ないのではないか。台所では刃物も使うし火も使う。洗い物をしていると割れ物も出る。そんな場所である。自分だけの行動ならコントロールできるが、他人の行動の予測はつかない。プロの調理人でもないかぎり、同じ場所で複数の人間が働くのは危険だろう。いや、プロでも危険だ。ただ、訓練されているだけのことだ。台所で男女がいちゃいちゃしながら料理をする、というのは料理を甘く見すぎているのではないか。そんなのは漫画か何かだけの世界だ。

なお、日本の男は自分で家事をやるということへの抵抗が強すぎ、だから女性に家事負担を押し付ける。そしてそれが日本の美風だと威張ったりする。下のスレッドは女も男も、どっちもどっちである。

(以下引用)



私が料理してると夫が「何か手伝おうか?」って聞いてくれた。私「じゃぁお願い」夫(えっ)

コメント(0)

何を書いても構いませんので@生活板77

309: 名無しさん@おーぷん 19/07/11(木)19:20:19 ID:Vih.fs.5j

そういえば、新婚の頃、私が料理をしていると
「何か手伝おうか?」って聞いてくれるから
ありがとう!じゃあry
って何事か頼むと、えって顔されたの思い出すわ。

そのうち、そういうこと言われなくなって忘れたころ

明石家さんまの番組かなんかで、
彼女が家に来て料理をしてくれているとき
「手伝おうか?」
「ううん、いいよー、テレビ見て待ってて☆」
って、会話いいよな!と、男芸人たちが盛り上がってて
あー、男のマロンってそれかぁ!
と気づいたわ。

正直、イチャイチャ一緒にお料理☆的なのにあこがれてたんだけど
考えたらこれ、女のロマンなんだろうな・・・

 

310: 名無しさん@おーぷん 19/07/11(木)19:22:29 ID:veA.9r.gl

>>309

男のマロンて…








恋愛の美と花火の美

昨夜というか、もう今日になっている深夜にネットテレビで「ジェニーの肖像」という古い洋画を見たのだが、見て良かったと思う作品のひとつである。
第二次大戦の少し前に作られた作品だと思うが、今ならタイムリープ物のSFロマンス映画として制作されるタイプの映画だろう。このころはSFよりは幻想的ファンタジー映画(ファンタジーそのものが幻想を意味するのだが、実は描写はリアリズムのファンタジー映画もあるので、こういう妙な言い方をした。)として作られたようだ。つまり、作中の現象に「科学的」説明はなく、ただ、なぜか突然そういう超常現象が起こり、そこに悲劇的な恋愛が生まれた、という描き方だ。
ヒロインのジェニーを演じたのがジェニファー・ジョーンズで、そのヒロインが10歳くらい、15歳くらい、18歳くらい、22歳くらいという年齢で主人公の画家(ジョセフ・コットン)の前に現れ、主人公は彼女に恋をする、という話である。繰り返し流れるドビュッシーの曲が、この話の雰囲気によく合っている。
クラシック曲というのは、こういうタイムリープ物のロマンス映画によく似合っている。正確な題名は忘れたが、クリストファー・リーブ(「リーブス」だったか)が主演した、「いつかどこかで」とか言ったSFラブロマンスもラフマニノフの曲が実にぴったり合った、いい作品だった。

私は「恋愛は期間限定精神病だ」という説の持ち主だが、芸術的には恋愛というのは素晴らしい題材であることは確かである。その美しさは、実は恋愛が「永遠ではない」という点にあるのではないか。はかないからこそ美しい、という点で、花火の美しさに似ている。
恋愛がタイムリープ物のSFと相性がいいのもそのためだろう。「時を駆ける少女」が、作者が思いがけないほど読者の支持を得て、何度も映画化されたのも、タイムリープということ自体が恋愛のはかなさをいっそう際立たせ、だからこそいっそう美しく思わせるわけだ。「たんぽぽ娘」がSF短編小説の中の傑作のひとつとなったのも、恋愛とタイムリープの重ね合わせの効果だろう。