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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

自分の手の中にあるものは現在だけ

山本貴嗣の人生論は鼻につくことも多いが、下の言葉はまったく同感。

後半部分について。
ロシアの神秘思想家グルジェフが「理性と感情は別のセンターを持っている」という趣旨のことを言っているが、要するに、理性を働かせるべき時に感情だけが働いてしまうということはよくある。それを私の次兄は「気を使うな、頭を使え」と簡単に言ったことがあり、この言葉は私の人生訓のひとつである。だが、感情を理性で制御することは難しい。理性と感情をふだんから峻別する訓練をするしかないだろう。





人の心の苦しみの大半は「今この瞬間」のことではなく「ひきずっている過去のこと」か「まだ来ない未来への恐れや不安」であることが多い。「恐れること」と「備えること」はまったく別のことなのに混同しているといつまでも苦しむ。変えられないことを変えようとするのは念力のけいこと同じ。





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なぜ小型犬は狂暴なのか

人間でも、チビほど気が強く、凶暴であるのは、見かけで差別されることへの反動だと思う。
歴史的な英雄でも、ナポレオンなど、その種の劣等感が根底にあるのではないか。俳優を見ても、チビは気が強く、大男は優しいことが多いし、それは実生活でもそうだと思う。
犬の場合は、小型犬は戦いでは勝てないから威嚇で自己主張をするわけだろう。人間も同様だ。
争いの少ない猫の場合は、体型による違いは少ない。


















ゴータマ・ブッダと仏教

これは仏教の理解として正しいと思う。
ただ、輪廻を仏教思想の一部として認めるなら、三世諸仏は「輪廻の外から」現世に介入するボランティアである、と考えればいい。
もっとも、仏教思想の根本が「空観」だと私は考えており、それはプラグマティズム的な哲学であって宗教ではないと思う。つまり、ゴータマ・ブッダはキリストとではなく、ソクラテスや孔子と並べられるべきである。なぜなら、悟るには自分の思想を突き詰めればいいのであり、実は神仏への帰依を必要としない(悟りは「般若の知恵」に至ることによるのであり、それは「知恵」であって仏ではない。)からだ。ただ、その悟りが生悟りになる危険性が常にあるが、まあ、自己責任だ。神仏のせいにはできない。





竹熊健太郎《地球人》 @kentaro666 5時間前

たまに「我は仏陀の生まれ変わりだ」と言う人がいるが、その時点でインチキ確定である。ゴータマは解脱したから仏陀になったので、未来永劫、生まれ変わる筈がないからだ。

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  • 5時間前

    また仏教の究極の目的は悟りを開いて解脱することだが、これは「二度とこの世に生まれ変わらないこと」だと何度言ったら。この世が地獄なので、二度と生まれ変わらないことが最高の幸せなのだ。

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  • 5時間前

    前世の記憶がとか、生まれ変わりが、とか言う人がいるが、数から言ってバクテリアに生まれ変わる確率が遥かに高いと思うのだ。一度死んだらほぼ未来永劫人間には生まれ変わらないと考えて方が合理的ではないだろうか。

差別を軽蔑する人間の差別意識

まあ、それぞれの言葉の定義が違うのだろう。井上氏の「凡人」と苺野氏の「馬鹿」は(自分と同じ側ではないものを指すという点では)同じなのではないか。お互い、どういうことを「凡庸」と言い、「馬鹿」と言っているのか、分かったものではない。
私は井上氏の「エリート意識」が非常に鼻につく。「リベラルアーツ」というのが何を意味するか分からないが、井上氏の文脈だと「アーツ」は「アート(芸術)」と区別されるもので、おそらく「(複数の)技術」を意味するのだろう。だが、一般に知られた言葉ではないし、大学の教養部で使われていた(いる?)と記憶するが、エリート意識の漂う言葉だ。そこから、彼女の「凡人」や「凡庸さ」への軽蔑が生じているなら、私は苺野氏に与するが、苺野氏も「馬鹿」を差別して、自分を「賢者」の側に置いているのが不愉快である。人間の賢愚など、状況や位相(その人の立場や、それを観る者の視点)次第である。


さんがリツイート

違うね
差別は馬鹿がするもの
賢人は区別はしても一方を虐げることはしない








殿様バッタとは、「上級国民」のこと

こういうのに気づける人は素晴らしいと思う。
おそらく、最初にこの名前を知った時に子供は疑問に思うのだろうが、いちいち疑問を持っていては生きられないので、そのまま覚え込むのだろう。
だが、言葉には意味がある、という事実を無視して覚えた言葉とは何だろうか。

ちなみに、私の考えでは、「コメを作った百姓は、(年貢の過重さのために)その米が食べられない。コメを食べられるのは殿様のような連中だけ」という皮肉だろう。
もちろん、トノサマバッタの形状を「頭が高い」と思ってそう表現したのかもしれない。百姓は土下座するか米つきバッタのようにぺこぺこお辞儀をするのである。



さんがリツイート

稲を食い荒らすバッタに「殿様」という名前をつけるの,今気づいたが皮肉だな