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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

スポーツという「競争原理」洗脳の場

スポーツというもののほとんどは「競争」「競技」であるから、必然的に人間(子供)のランク付けになる。体育の授業では結果が露骨に目に見える形で示され、その場が賞賛と嘲笑、誇りと屈辱の場になるわけだ。
これが勉強だと「オレ、勉強してないから成績悪くて当たり前、勉強すりゃあ出来るさ」と思えば、それでいい。しかもテスト成績が他の子供全員に分かるわけでもない。
人間の序列化を社会支配の原理にしている資本主義社会はスポーツを使って子供時代にそういう序列意識を植え付けるわけである。
  1. 浅利与一義遠‏ @hologon15 18時間18時間前
  1. 7年余に渡って『運動音痴』と言われ続け、そっち方面のスクールカーストでは最下層にいた人間が、そんな程度で体育を好きになる訳も無く、結局その後も漫画ばかり描いていた。  転校後の、いじめグループの何人かが、俺に授業でごぼう抜きにされた事で、態度が変わったのはメリットだったか。
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    1. 18時間前
    1. 短距離走や跳び箱は壊滅的だったが、実は長距離走だけ地で速かったというのに、中学の頃に気付いた。小学校の持久走程度では分からなかったのだ。 そこから鍛える事はしなかったが、今は自転車に乗るのに役立っている。 >運動が苦手でも、得意種目があれば体育が楽しくなる 
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