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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

正しい歩き方

私は長い間不自然な歩き方をしていたため、膝関節を痛めて一生の傷(故障)になったのだが、今日散歩していて、正しい歩き方をすると膝の故障が緩和されると知った。その歩き方を説明する。

まず、靴の履き方だが、少し工夫が要る 。
今日履いたのは、ワークマンかどこかで買った1000円程度の安物の作業靴で、つま先に鉄板が入った、あまりウォーキング向きとは思われないものだが、履き方によってこれが最上の散歩靴になるのである。大事なのは、紐で結ぶタイプを選ぶことだ。よくある、カバーで貼り付けるみたいな奴は、足首の固定(靴と足の一体性)という最大の要件が不可能になる。
靴は少し大きめのものを買って、100均の足底パッドというか、敷底を入れる。これで靴の足底の弾力性が生まれる。もちろん、高価な散歩靴なら靴底の弾力性は最初からあるかもしれないが、安物靴でも、足底パッドで足裏の皮膚が保護されるのである。
そして、肝心なのが、靴を履いたら最後に足首のあたりの靴紐をしっかり結ぶことである。足首と靴の間がゆるんでいると、歩行が確かなものにならないのである。
靴を履く習慣の大先輩である西洋人は、小さめの靴を履くというのも、靴と足の一体感が大事だということだろう。日本人は小さめの靴を履くのは好まないが、敷底を入れるのと、足首の靴紐をしっかり強く結ぶことで、足と靴の一体性(一体感)が確保されるのである。

最後に歩き方だが、肝心なのは、自然に立った時の足の逆ハの字型のままに歩くことだ。つまり、足先はやや外向きに出し、足跡が逆ハの字型(右足と左足の跡の位置はずれるが)になる。女性だと内股を上品だと思っている人もいるだろうが、足先を体の中心より外に蹴り出すように闊歩するのが正解である。正確に言えば、やや外に蹴り出した足を「掻い込む」ように歩くと言うべきか。蟹股と違うのは、脚全体はほぼ真っすぐなことだ。O脚にはならないのである。つま先を5センチほど外側に出す感じで脚を出し、地面を足先で掴む感じで体(の重心)を運び、次の脚の動作に移っていく、とでも言おうか。少し動作を速くすれば、そのまま疾走に移行する感じだ。しかし、散歩だからゆっくり歩けばそれでいい。歩くことがそのまま体の喜びになるだろう。全体のイメージは大股で闊歩する感じと言っておこう。
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至高の白菜炒め(笑)

そろそろ白菜の季節も終わりだが、白菜を使った単純で美味い酒のつまみを教える。
適当な大きさ(まあ漬物にするくらいの大きさだ。小口切りと言うのかざく切りとでも言うのか)に切った白菜を、軽くサラダ油を敷いて熱したフライパンで炒め、塩と味の素で味付けする。ポイントは、炒める際に全体量が半分になるくらい(薄い焦げ色がつくくらい)まで炒めることと、その際に出る汁を、最後に片栗粉を振りかけて白菜に絡めることである。この片栗粉のひと手間で、驚くほど味が変わる。つまり、汁となって流れ出てしまう白菜の味わいが、片栗粉で白菜に絡まることで、失われなくなるわけだ。材料が白菜だけで、その他の材料は肉も何も入れないほうが美味いと思う。実に単純で奥深い味の一品なので、試してみるといい。
なお、使用したフライパンは軽く水道で流してキッチンペーパーで拭くだけでいい。いちいち洗剤で洗う必要はない。(料理の残ったまま洗わないのは当然である。残り物は、脂分も含め、ごみ入れに捨てた後で洗い物をするようにしないと、流しのパイプがゴミと油で詰まるのである。)

エシャーロットはキャロットではない

記事の一部だけの引用だが、家庭料理や独身料理の参考になるかもしれない。
なお、私はエシャーロットがどんなものか想像ができず、ニンジン(キャロット)を想像したが、タマネギで代用するのだからネギ類だろう。


(以下引用)

フレンチの巨匠が「スーパーの食材」で作る深い訳三國清三シェフ「料理人人生に"置き忘れたもの"」

――『三國シェフのベスト・レシピ136 永久保存版』の副題に「スーパーの食材で作る」と打ち出したところが興味深いです。

まずは、家族がみんな家にいるような状態のときに役立つレシピがいいだろうと。僕は昔、20歳のときに3年8カ月スイス・ジュネーブの日本大使館公邸で料理長を務めていました。大使とその家族の食事を毎日3食プラス夜食で4食作っていた、あのときの感覚でやろうと。

食材は近所のスーパーで購入している(画像:YouTubeチャンネル「オテル・ドゥ・ミクニ」)

この近所にあるスーパーで特価品とか買ってきてもらって。そこにリアリティを感じていただけたのか、一気に伸びました。

「家族が喜んで食べてくれて、コロナでうつうつとしていた家庭が華やかになった」という感想も多くもらいました。精神的に救われたという人もいて、それは嬉しかった。

エシャロットがなければ玉ねぎでOK

――本書ではフランス料理を「簡単に」再現することに重きを置かれていますね。「切って混ぜるだけ」「材料は2つだけ」など、時間をかけずに簡単に作れるアドバイスが多く盛り込まれているように感じました。

フランス料理を家庭でとなると、一般の人は写真を見ただけで「こんなの作れない」と諦めてしまうんです。

まず材料が多いとハードルが上がりますので、意識的に食材は減らして、フライパン1つでできるようにしています。また、代用品の提案をしました。エシャロットがなければ玉ねぎを使うとか、ビネガーがなかったら米酢でいいとか、そうやって少しでもとっつきやすいようにしています。

(撮影:尾形文繁)

そして作るときは意識的に、フライパンでばーっとやって、皿にばーっと盛って、これでいいやみたいにやる。一般の人はそれですごく楽になるんだって。たまに焦がしたりすると喜ばれます。焦がすことそのものは、フランス料理なので焦げ目から味を作って仕上げていくこともありますしね。

本の中にある「塩は『3回』で決める」は恩師である帝国ホテルの村上料理長の言葉です。1回目は素材から味を引き出して下味、中間で塩して調整、最後で決める。決まってれば最後は塩をしないですけど。しょっぱくなったら元に戻せませんから。

スープの塩分も同じで、ひと口目からちょうどにしない。最初は薄味に思えても飲み終わったときに塩分がちょうどになるようにというのは、スープの基本なんです。そういうところはフランス料理のセオリーに忠実にやっています。

記事の読み方

これは欺瞞的記事だろう。
稲森和夫は、米国進出した時の現地マネージャーにストックオプションを渡すかどうかを言っているのに、記事全体では、まるで「社員(一般社員)に」ストックオプションを渡すことに稲盛が否定的だったように受け取れる書き方になっている。つまり、岸田の場合と稲盛の場合は話が全然違うが、それを錯覚させる欺瞞である。
マスコミ情報ではこの手の欺瞞が多いので、注意すべきである。もちろん、書いている当人が単なる馬鹿という場合もある。


(以下引用)

ストックオプションの功罪

「経営の神様」の考えは?

 ストックオプションとは、自社株購入権のことだ。「ストック」(STOCK)は「株式」を意味し、「オプション」(OPTION)とは、「(定められた価格で購入できる)権利」を指す。自社株購入の権利を与えられた社員は、株価が上昇した時点で(会社の株式を取得する)権利を行使して売却すれば、多額の利益(キャピタルゲイン)を得ることができる。

 ストックオプションは会社の業績と連動しているため、理論的には、ストックオプションを与えられた従業員のモチベーションを高め、業績を向上させるはずである。米国で広く普及したのは、与えられた仕事を最小限の労力で終わらせて帰るような従業員に対して、モチベーションを与えるのではないかと考えたからであろう。

 自分たちが頑張って企業の業績を上げれば、株価が上がり、自分の持っている株の価値が上がることになる。反対に、怠けていては企業の業績が下がって株価が下がり、自分の資産も減少してしまう。この株価に基づく報酬体系を導入すれば、従業員は株主にもなり、企業を成長させようとする共通の目標を持つことができるとされている。

 他にもメリットとして、創業間もない企業の報酬に使える点が挙げられる。そうした企業の手元にはお金がなく、高額の現金報酬を役員や従業員に提示することが難しい場合が多い。しかし、将来性さえうまくプレゼンテーション(ストックオプションでいずれ多額の報酬を得られる)することができれば、優秀な人材を集められる。

 一見して給料が低い(例えばスタートアップ)仕事であっても、株価が上がったり、上場したりすることで、長い目で見れば良い選択肢になる可能性がある。米国において経営者は、給与や現金ボーナスよりも株式授与やストックオプションの現金化で多額の報酬を得ているケースが多い。

 また、株価が右肩上がりを続けている場合は、従業員の離職を防いだり、モチベーションの向上が期待できたりする。

 給料の一部をストックオプションとして与えられる、もしくは選択できる企業は、日本においても外資系企業やベンチャー企業を中心に広がってきた。米国では、給料の代わりにストックオプションを選択できることが、特に競争が激しい雇用市場においては、優秀な労働者を獲得するための条件として当たり前のようになっている。

 ところが、「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏は、ストックオプションの導入に否定的だった。今回は、その理由をご紹介しよう。

ストックオプション税制の拡充

その必要性に岸田首相が言及

 岸田文雄首相は、スタートアップ支援としてストックオプションを日本に広めたいようだ。2022年9月22日(現地時間)、米ニューヨーク証券取引所での講演で、次のようにストックオプション税制拡充の必要性を説いた(カッコ内は編集部注、一部言葉の重複を削除)。

「女性と若者の活力は、日本経済繁栄の希望だ」

「第二、第三のトヨタ(自動車)やソニーは、彼らのような様々な挑戦者の気力と決意で生まれてくる。大切なのは、日本に、スタートアップを生み育てるエコシステム(生態系)を作り上げること。そのために、株の売却益を元手にスタートアップ投資を行う場合の税優遇措置や、ストックオプション税制の拡充が必要だ」

 米国や英国において、ストックオプションで得たキャピタルゲインは、一定額(米国では年間1000万ドル、英国では生涯100万ポンド)まで非課税である。さらに、シンガポールや香港では金額の制限なく非課税だ。

 対する日本は、売却益に20%(13~37年までは復興特別所得税が上乗せされて20.315%)の課税がなされる。この課税、非課税の違いが、日本でスタートアップが増えない原因だと岸田政権は考えたようだ。新自由主義を否定する岸田首相が掲げる「新しい資本主義」とはまったく正反対の方針に見えるが、いずれにしろ、ストックオプションを優遇しようというのが現在の政府方針といえる。

 しかし、ストックオプションをもらったからといって、誰でも金持ちになれるわけではない。ストックオプションは「会社の成功に懸けることができるチャンス」でしかないことに留意が必要だ。

 タイミングよく株を売ることができなければ、価値が暴落し、紙くずに等しいものになってしまうこともある。ITバブル崩壊、リーマンショック、昨年の株価下落などを背景に、会社の経営が傾き、億万長者になれると信じていた社員たちが大損をしたという話は、ちまたにあふれている。

 結局のところ、保有する株があなたにとって本当の価値を持つ瞬間は、買ったときと、売ったときの2回だけだ。日々の株価の乱高下に踊らされてしまうのが人間というものだが、オプションを行使して購入した株が無価値になった場合、使った金額を回収する見込みはほとんどない。

 従業員がオプションを行使してしまうと、一気にやる気をなくしてしまい、離職につながるケースも相次いでいる。昨年のように株価が上がらない市況においては、従業員のモチベーション低下は避けられないだろう。

ストックオプションの導入に

稲盛和夫氏が否定的だった理由

 では、「経営の神様」と呼ばれた稲盛氏は、ストックオプションについて、どんな考えを持っていたのだろう。稲盛氏が創業した京セラが米国へ進出した際に、雇用しようとする現地の米国人からは「報酬の一部をストックオプションで欲しい」と言われることが頻発したようだ。ここで、稲盛氏の言葉に耳を傾けてみよう。

「(会社のストックオプションをくださいというような)人をマネージャーにすると、最初は一生懸命取り組みます。しかし。自分の手に負えない経営状態になると破れたザルみたいにたくさんのお金を使い、大きな赤字を出すようになります。(中略)給料をもらい、会社のお金をたくさん浪費し、多くの赤字だけを残して辞めてしまうのです」(全トヨタ夏季セミナーでの講演『「切れるマネージャー」にありがちな問題』1979年8月23日。『稲盛和夫経営講演選集1』ダイヤモンド社より)

 ストックオプションが与えられると、キャピタルゲインを増やすために、短期的な株価の上昇を意図した経営を行うことが多くなってしまうようだ。さらに、企業の株価は(特に大きな企業になるほど)国全体の市況そのものに強い影響を受けることも多く、細かく改善する気がうせてしまうのだろう。少しの失敗でやる気をなくすと、一発逆転を狙って浪費したり、ストックオプションで本来もらえると思っていたお金を経費で使い込んだりしようと考えてしまう。

 さらに稲盛氏は、経営がうまくいっていても、ストックオプションは経営にとってデメリットがあると指摘する。

「逆に、経営が少しでもうまくいくと、自分の報酬にことさら強い関心を示します。会社は長期的な視野に立って利益を出していかなければなりませんが、自分が株を持っていますから、株価を上げ、ひいては自分の報酬が上がるよう、目先の利益だけを優先します」(同)

 本来であれば、自社株を持つことで会社の経営全般に意識が芽生え、中長期的な視野に立ってくれるだろうと期待して始めたストックオプションであっても、始めてみると、目の前の株価に一喜一憂するような現実が訪れてしまうのだろう。ストックオプションによって莫大なキャピタルゲインが得られそうなときなど、「いつ株を売ろう。さっさと売って、仕事を辞め、遊びに行こう」という心理状態になる。長く会社にとどまって会社を成長させようという気がうせてしまう。

 優秀な社員ほど、会社を去っていってしまうようでは、会社の存続が危ぶまれる。稲盛氏は、京セラの米国進出に際して、日本人と同じように、企業と共に自分が成長できるということを苦労して教えていったのだった。

日常行動の合理化

何もしなくていい自由な時間にぼんやりと浮遊思考に耽ったり外の景色を眺めたりしているのは私の娯楽のひとつだが、日常の行動はなるべく合理的に、無駄なくしようと心がけている。
たとえば、料理をしたり食器を洗ったりする時の行動である。料理をするのに10分かかるとし、その間にやるべき細かい動作(行為)が100あるとして、その1動作に1秒かかるとする。その1秒の中に無駄な部分が0.2秒あるとして、その時間をカットできるなら、100秒が20秒だけ短縮されることになる。つまり、料理時間は9分40秒になる。そして、日常の中の「やらなくてはならない作業」のすべてにこういう「無駄な時間」は存在するわけである。もちろん、10分の中の20秒ごときが短縮されてどうなる、という考えも当然あるが、実は人生というのはこういう瞬間の蓄積なのである。1秒あればプロボクサーなら2発のパンチが出せるだろう。その1発で相手をKOし、勝負が決まるわけだ。1秒というのは「長い時間」「貴重な時間」なのである。
もちろん、その「無駄な時間」を楽しんでいるなら、それは無駄な時間ではない。しかし、ほとんど無意識に費やしている無駄な時間の蓄積が、人生の10分の1を占めているとしたら、それは70年の人生のうち7年間を無駄にしていることになるわけである。
この「行動の合理化」は、たとえば日用雑貨を常にあるべき場所に置くとか、行動の動線を合理的にするとか、無駄な買い物時間を減らすために、消耗品は常にストックを置くようにする、などである。安い消耗品は案外すぐに無くなるものだから、それが切れていると思いがけない無駄な買い物時間を必要とすることになる。この場合は一見無駄に見える「ストックを置く」ことが大きな無駄、つまり「買い物時間の回数の増加」を防ぐことになる。(ストックを置くという、「空間の利用による時間の節約」だ。コンマリ流儀や断捨離の逆である。必要なものが必要な時にそこにある、というのは単なる無駄な空間の拡張より有益である。広い空間が欲しければ外に出て散歩すれいい。)で、その「行動の合理化」自体が「思考の遊び」として楽しくなれば、一石二鳥になるわけだ。もちろん、これは遊びや娯楽としての一見無駄な時間や無駄な行動を排除するものではまったく無い。