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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

太平洋戦争と「責任問題」

この本は持っているが未読である。まあ、天皇の戦争責任をどう論じているかだけは読んでみたい気がする。私の意見は、「責任はあったが、法的に『無答責』だったのだから、無罪である」というものだ。つまり、責任があることと、「責任に応える責任」はイコールではない。当時の法律には「命令者責任」は無かったのである。それを問題視した政治家も学者もいなかったと思う。そして、法律は「不遡及」原則がある。つまり、過去に無かった法律(現在の法律)を根拠に過去の事件を裁いてはいけないわけだ。戦争の勝者が敗者を裁くことの法的根拠も無いはずだ。つまり、東京裁判などは「無理が通れば道理が引っ込む」話にすぎない。米国は日本への原爆投下(非武装民間人大量殺戮)で裁かれたか?

国の権力行使により個人が損害を受けた場合でも、昭和22年(1947)国家賠償法施行以前の行為であれば国は賠償責任を負わないとする原則。国家無答責の原理。


(以下引用)

かつての日本が何故、勝ち目のない太平洋戦争に突き進んだのかを、歴史学者の加藤陽子氏が、高校生との質疑応答形式を採りながら平易に解説したのが、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』2009 でした。 それ故か、菅政権は2020年度の日本学術会議の新会員候補だった加藤氏の任命を拒否しました。
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引用ツイート
吉 井 よ し 子 ❤ #大阪を返せ!カジノはいらん!
@yoshi_yoshi4414
私が日本の教育の敗北だな、と思うのは、あんな悲惨な太平洋戦争になぜ突入してしまったのか、それを学ぶ場がないということです。 なぜ、負けるとわかっていた戦争に引きずり込まれ、国民は狂喜乱舞させられ、そして何もかも失ったのか。 それを学ぶ機会がなければ同じことを繰り返す。
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顔の美醜が性格に与える影響の男女差

比較で言えば、美人のほうがブスより性格はいい確率が高い気がするが、美人や可愛い子は同性からいじめられるので、メンタルが強くないと生きていけないだろう。その結果、嫌な(闘争的な、詐術もいとわない)性格の美人が出来上がる。男の場合は男同士の美醜にはあまり関心がないか、むしろハンサムにはホモ的な好意を抱くのではないかww その結果、ハンサムは呑気で優しい人間(しばしば、私のような豆腐メンタルww)になる。
要するに、女性社会は古来、「優れた男性獲得レース」という弱肉強食の闘争の世界であるわけだ。これは、優れた遺伝子を残したいということと、強者男性への寄生者として贅沢な生活をしたいという欲望のためだろう。つまり、逆に見れば、男に興味が無いという女性のほうが「毅然とした」いい女であるわけだ。そういう女性は同性からも好かれるのではないか。

イケメンは性格がいい←わかる

俺は性格が悪い。 (EDGE COMIX)

1名無しさん@おーぷん ID: wEWE

可愛い女に関してはなんか性格悪いかネジぶっ飛んでんの多くねえか

2名無しさん@おーぷん ID:wEEp

女社会では顔よりメンタルの強さが大事だからなそして顔だけいい女は弾きものにされるんや

3名無しさん@おーぷん ID: wEWE

>>2
あーなるほど
なんか腑に落ちるわこれ

6名無しさん@おーぷん ID: wEWE

>>2 が答え出してくれたからもうええで


悪の本質

私自身の別ブログの旧記事を転載。
冒頭が舌足らずだが、「このふたつ」とは、ゴミのポイ捨てと殺人である。
そして「最高の塔の歌」は私が前に持っていたブログだが、なぜか突然書き込みができなくなった(強制閉鎖された)ものである。「悪は量や大きさの問題ではない」は私自身の記事タイトル。


(以下自己引用)

悪が悪である理由

私の一生のテーマは、悪をこの世界から無くすことは可能か、ということを考えることであるが、その前提として、悪とは何か、なぜ悪を無くすことが必要なのか、ということを簡潔に示す言葉を「最高の塔の歌」というブログから引用しておく。
ただし、この世界では悪は現世的な「利」と結びつくことが多いので、悪は世界にとってほとんど不治の病になっている……。



(以下「最高の塔の歌」より引用)


悪は量や大きさの問題ではない


(下に引用した文章は)IT技術者で神秘思想家のKAYさんのブログの一節である。
この丹波哲郎の言葉は非常に面白いが、その意味は何か。
私なりに解釈すれば、この二つが同じなのは、それはどちらも「この世界を傷つける行為」だからだ。
そして、それは同時に、自分の精神の中の「神性」を傷つける行為だからだ。
ゴミを道に捨てる行為と、人を殺す行為は、どちらも、魂のダークサイドに身を委ねる行為だという点で同一なのである。
「悪」がなぜ禁ぜられるべきことなのか、という理由は、実はそれが世界毀損行為であり、世界破壊行為であり、世界汚染行為であると同時に、それが自己毀損行為だからである。

悪を為す人間は、この世界はもっと美しく生きることができるはずなのにそれを知らないという、ある意味では哀れな人間だろう。



(以下引用)

昔、「霊界の宣伝マン」と自称していた国際俳優の丹波哲郎さんは、「自動車の中からゴミを捨てる人がよくいるが、あれは殺人と同じなのだ」と言っていたことがあるが、歩き煙草なども、全くその通りなのである。

買春否定論者の買春?

前回記事の北原みのりに関して、こういう記事もあるので、その発言をどう受け取るかには注意が必要なようだ。
なお、前回記事は、途中でなぜか書き込みができなくなったので、結論らしきものを書いておく。女性が売買春を否定するのは「買われる」ということに非常な侮辱を感じるからだろう、というのが私の考えである。その証拠が下の記事で、女性が男性売春夫を買うのはまったく罪の意識を持っていないからである。これはまさにダブルスタンダードである。
で、買われるというのは自分が単なるモノとして存在していることだと思えて、それに否定的な感情を持つのだと思うが、資本主義社会では労働力も人間自体も商品であるのは当然である。人間自体が商品である例は芸能人だ。これは枕営業の話ではない。その存在自体に「商品価値がある」のが芸能人だ、ということである。で、これは実は売春婦も同じである。
つまり、性的商品としての女性(男性)が存在することに文句を言うのはまったく非論理的だ、と私は言っているわけである。芸能人と売春婦(夫)にそれほど本質的な違いはない。単に価格差が巨大にかけ離れているだけのことである。テレビで媚びを売る芸能人と「飾り窓の女」に本質的な違いはないだろう。


(以下引用)

北原みのり、ウリセンボーイ目当てで店に行っていた:フェミニストの性的搾取とは

北原みのりウリセンボーイを買っていた

フェミニストによる男性の性的搾取?

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売り専ボーイ(ウリセン)とは

売り専ボーイ(ウリセン)とは男性を相手とする男娼の事を指す隠語です。

ただし、ウリセンすなわちゲイというわけでもなく、多くはノンケとされています。

そのため、女性がノンケのボーイを買いに来るということもしばしばあるようです。

仮に女性の買春が「女性の性的搾取」ならば、ウリセンを買う行為は「男性の性的搾取」と言う他ないでしょう。

ところが、自称フェミニストがそうした行為を自白しているように見える例が。

ウリ専に行った際の自身の性癖を吐露する北原みのり

https://archive.md/AonHL https://archive.md/1vaYi https://archive.md/FujQw

ウリ専ボーイが居る店に行った際に性癖を吐露する自称フェミニストの北原みのり。

もっとも、体の関係があるとは言っていないので、この文面だけでは単にホスト的な目的で店を利用しただけのように見えますが…

このように、「JKビジネス」を買春と同義に捉えています。JKビジネスと、そのエスカレートした先にある売買春の実態或いは性被害は別のはずですが、JK散歩とホストとで何が違うんでしょうか。

フェミニストの言う「性的搾取」とはいったいどういう意味なんでしょうか?

他方で日本社会批判をするために「買春」を絶対悪のものとして捉えています。

https://archive.md/SeKQL

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「外国から連れてこられて目が覚めたら温泉街だったという女性が無数にいました」

さらには「外国から連れてこられて目が覚めたら温泉街だった・・・という女性が無数にいました」という誇大な表現。

https://archive.md/Fd3kY

外国から拉致されてるのにパスポートがあるとか、荒が目立つツイートですねと。

女湯の面積がどうの…というのも、利用客に男性が多ければそうなるでしょうよと。

「女客など相手しない温泉街が多かった」事実はどこにあるんでしょうか?

仮にこれらが本当ならフェミニストは萌え絵に怒ってる場合じゃなく、その実態解明をするべきですが、そのための活動は何かしていたんでしょうか?

ところで北原氏、温泉街で有名な草津町の新井祥子氏の件で市長を冤罪に巻き込もうとし、草津町自体を貶めた件で何も反省の弁が無いですが、このままスルーするのでしょうか?

以上:はてなブックマークをして頂けると助かります。

恋愛と自由性交と売買春

「AERA」所載の北原みのりの文章だが、これについて考察してみる。
フェミニズムとの関係は別として、売買春というのはなかなか哲学的な考察課題であるし、恋愛による性交は否定されないのに、なぜ金銭授受を伴う性交は否定する女性が多いのか、というのは面白い考察課題だと思う。つまり「恋愛だから」「愛があるから」という名目があれば、性交は女性に大いに推奨されるわけだが、それは売買春と何が本質的に違うのだろうか。ついでに言えば、恋愛でなくても、あるいは愛などなくても、行きずりの男とのセックスも女性はまったく否定しないようだ。むしろそういうアバンチュールを欲するように見える。
とすると、問題は「金銭授受があるか無いか」だけに問題は収束するようである。
では、金銭授受を伴う性関係はそれほどの悪なのだろうか。
おそらく、売春が不可能になると生活が不可能になり命を絶つしかない性産業従事女性の数は膨大なものだと思う。そうした女性のかなりの割合は、他の仕事に就くことが困難なのだろう。それは今の社会の不備ではあるが、ではその「客」である男性は、下の記事のようにその存在を徹底的に否定されるべきものなのだろうか。

(以下引用)

Colabo仁藤夢乃さんの「キモイ」は女性を守るセンサー 少しでもマシな世界になりますように〈dot.〉

配信

AERA dot.

(引用終わり)