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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

悪の本質

私自身の別ブログの旧記事を転載。
冒頭が舌足らずだが、「このふたつ」とは、ゴミのポイ捨てと殺人である。
そして「最高の塔の歌」は私が前に持っていたブログだが、なぜか突然書き込みができなくなった(強制閉鎖された)ものである。「悪は量や大きさの問題ではない」は私自身の記事タイトル。


(以下自己引用)

悪が悪である理由

私の一生のテーマは、悪をこの世界から無くすことは可能か、ということを考えることであるが、その前提として、悪とは何か、なぜ悪を無くすことが必要なのか、ということを簡潔に示す言葉を「最高の塔の歌」というブログから引用しておく。
ただし、この世界では悪は現世的な「利」と結びつくことが多いので、悪は世界にとってほとんど不治の病になっている……。



(以下「最高の塔の歌」より引用)


悪は量や大きさの問題ではない


(下に引用した文章は)IT技術者で神秘思想家のKAYさんのブログの一節である。
この丹波哲郎の言葉は非常に面白いが、その意味は何か。
私なりに解釈すれば、この二つが同じなのは、それはどちらも「この世界を傷つける行為」だからだ。
そして、それは同時に、自分の精神の中の「神性」を傷つける行為だからだ。
ゴミを道に捨てる行為と、人を殺す行為は、どちらも、魂のダークサイドに身を委ねる行為だという点で同一なのである。
「悪」がなぜ禁ぜられるべきことなのか、という理由は、実はそれが世界毀損行為であり、世界破壊行為であり、世界汚染行為であると同時に、それが自己毀損行為だからである。

悪を為す人間は、この世界はもっと美しく生きることができるはずなのにそれを知らないという、ある意味では哀れな人間だろう。



(以下引用)

昔、「霊界の宣伝マン」と自称していた国際俳優の丹波哲郎さんは、「自動車の中からゴミを捨てる人がよくいるが、あれは殺人と同じなのだ」と言っていたことがあるが、歩き煙草なども、全くその通りなのである。
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