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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

経済学としての売春

「Hatenaブログ」の記事のひとつだが、例の岡村発言批判に対する批判である。
論理は面白いが、無理な論理の部分もあり、そもそもこれを書いた動機が、「逆張りして自分の頭の良さ、論理力を見せびらかしたい」というものに思える。
あるコメントが書いていたが、「人の不幸で利益を得ようというその精神が気持ち悪いだけだろ」というのは正論だが、問題は女性の側が、それをどのくらいの不幸と思っているのか、それとも人それぞれで、体を売ってカネが貰えるのは楽でいいと喜ぶ女性もいるのか、ということで、男である私には分からないが、言えるのは、体を売る相手が自分で選べないのはやはり不幸だろうな、ということだ。
今やカタカナ語(つまり言葉偽装)で売春がセックスワーカーと呼ばれる時代であり、体を売ること自体が倫理的にどうという問題は、現代ではたぶん女性にすら馬鹿にされるのではないか。そもそも、「自分のマンコを自分がどう使おうが自分の勝手だろ」と、売春少女たちは言うのではないだろうか。(確か、村上龍が、売春している少女になぜ売春が悪いのかの説明として「君の未来の恋人が悲しむからだ」という趣旨のことを小説で書いていた記憶があるが、そんないるかいないかわからない存在のために、なぜ現在の自分が「貞潔を守る」ことを強制されるのか、と反発する女性のほうが多そうな気がする。要は、マンコの所有権は所有者にある、という話である。)そうなると、醜い相手には最初から勃起不可能なだけ男のほうが体を売る商売に向いていない。だからホストは「雰囲気を売る」ことに努力を傾注するのだろう。冴えないブスを御姫様気分にさせるわけだ。

(以下引用)


2020-04-26

岡村氏のコロナ後の性風俗発言の何が問題なのかわからない

岡村氏の4月23日放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』における例の発言は、良い発言ではないが、少なくとも問題ある発言とは思えない。下記に当該記事抜粋する。

 

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岡村氏は)「コロナ収束したら、もう絶対面白いとあるんです」と希望を持っているという。

それは「収束したら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、お嬢風俗嬢)やります」と、風俗店美女入店する可能性が高いと持論を披露

岡村は「短期間でお金を稼がないと苦しいですから。3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働いてパッとやめます」と予測

そのため「『え? こんな子入ってた?』っていう子たちが絶対入ってきますから。だから、今、我慢しましょう。我慢して、風俗に行くお金を貯めておき、仕事ない人も切り詰めて切り詰めて、その3カ月のために頑張って、今、歯を食いしばって踏ん張りましょう」と呼びかけていた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200426-00010000-flash-ent

 

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女性貧困を待ち望むクソ野郎(大意)」とのブコメが多かったが、岡村氏は単なる予測を言ってるに過ぎない。それは例えば「コロナ後にはたぶん株価回復するから、株を買うのが楽しみ」と同じようにしか、私には読み取れない。

 

お金に困った女性短期間で稼ぐためにどの職業を選ぶかは、完全に女性自由である例外はあるかもしれないが、それは犯罪なので考えない)。その自由に選んだ職業顧客になることがなぜ「クソ野郎」になるのかさっぱり理解できない。

だいたい女性が性を商品化し、必要金銭を得るためには顧客必要である。仮に岡村氏がクソ野郎だとしても、クソ野郎いるから生き延びることができる。需要が増えればギャラは上がり、当該女性は早く必要な額を稼ぎ切りることができるだろう。

 

岡村氏の発言を「女性貧困を待ち望むクソ野郎」と批判している人たちは、自分が思い描いた「風俗で働く女性=不幸」という善意ストーリー押し付けているようにしか思えないのだ。しかし、それで貧困は減らない。女性貧困を待ち望んでいる(らしい)男を批判することと、貧困をなくすことは全く関係がない。まして、女性は(自ら進んで)性風俗従事することで貧困を抜け出すことが期待できる。

 

岡村氏の発言批判している人たちは、性風俗従事する女性を下に見ているように思える。風俗に行って「なんで君みたいな人がこんな仕事してるの?やめなよ」と上から説教するような人。職業に良いも悪いもない。

とすれば、そういう批判クラスタ形成し、常識となることで、女性職業選択の自由を狭めることにも繋がらないだろうか。

 

時間がなくてささっと書いたので言葉足らずな部分もあるとは思いますが、改めて私には岡村氏の発言の何が問題なのかさっぱりわからない。

ちゃん理解したいので批判くれればと思います


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弥生人と処女尊重意識

私は、「処女(処女性ではない、事実上の処女、つまり処女膜保持者)尊重」意識は、自分以外の男の種の子供に自分の家を継がせたくない、という「家意識」と結びついているという意見だが、その家意識はいつごろから発生したのかは、学問的に立証できるのだろうか。
まあ、儒教の発生(先祖崇拝意識の発生)と密接な関係があるかとは思うが、儒教伝来以前の、たとえば縄文時代の日本人に処女尊重意識があったとは思えない。
「日本書紀」には、天皇が后に迎えようと思った美女が、他の男に犯されて問題化した、という記述が多く、それは「天皇の后は処女でなければならない」という意識を反映した記述だと思う。私は大和朝廷は帰化人が作った朝廷だという説だが、そうすると、弥生人の渡来と処女尊重意識とは同期しているのかもしれない。

婚外性交と性病

特に深く読んだ記事ではないが、このブログの柱のひとつと考えている倫理問題の中の性道徳と関連するので、メモしておく。性病が広がるには配偶者以外の人間と性交をすることが大前提なわけである。つまり、性病問題は性道徳問題のひとつ。ちなみに、この市議が「美人」かどうか、あるいは「維新」議員であるかどうかはフライデー記者の「売るための」作戦であり、問題の本質ではないが、周辺情報としてはわずかな価値はあるかもしれない。
なお、この議員は「夫から移された」と話しているが、夫婦のどちらが原因か、証明は不可能だろう。

(以下引用)


美人市議が議会で「性病になりました」と突然告白の真意

4/3(金) 10:02配信

FRIDAY

「性感染症にかかっていたものが妊娠時に活性化してしまいまして。もしそのままその時に子供が産まれていたら、帝王切開をしないといけないというような状態でした。まさか自分が、性感染症にかかるとは思ってもいなかったです。かかってはじめて、そのツラさを知りました」

元婚約者が明かす「小室圭さん母子ここまでヤバイ人とは!」

現役の議員が議会中に性感染症をカミングアウトした――そんなことが、大阪市の市議会で話題になっている。

3月5日に行われた民生保健委員会で、性感染症が議題となった際、その質疑中に「自分も性感染症になった」と決意の告白を行ったのは、大阪市議の宮脇希議員(33)だ。

この日の委員会では、大阪でも急増しているコロナウイルスの対策に加え、全国約6000人の感染者の中で800人を超えるという(大阪市調べ)大阪の梅毒感染の対応策についての議論が行われていた。

同日の委員会参加者が回顧する。

宮脇議員の質疑が淡々と進んでいたところ、梅毒対策の話から、突然、自身の性感染症について話をしはじめた。思わず彼女を二度見してしまいましたよ。彼女の発言の瞬間に、空気が明らかに変わり場内が静まり返った。

その後約10分間にわたり、自身が性感染症になった実体験を交えて性病対策や性教育について熱弁していました」

大阪維新の会に所属する宮脇議員は、外資系企業や大学の非常勤講師などを経て、2015年、20代のときに東淀川区から出馬し初当選。19年に選挙区を旭区に移すとトップ当選を果たし、市議会議員として2期目を迎えている。現在は議員としての活動も行いながら、今年の頭には第一子を出産し、母としての顔も持つ。

「彼女は、維新の会の中でも美人議員として有名な存在です。伊東良夏佐々木りえ高山みか議員の4人で、“維新美人姉妹”と呼ばれていたこともあるくらいです。

そうしたバックグラウンドから、彼女は色眼鏡で見られることも少なくありませんが、マジメな性格で、物怖じせずにはっきりと言うべきことをを言えるタイプです。

議会や委員会でも、党を問わず先輩議員が相手でもおかしいと思ったところはしっかり意見をぶつけます。まだ若いですが、今どき珍しい骨のある議員ですよ」(維新の会関係者)

無論、男女問わず性感染症は深刻な病気だ。その経験を告白し、警鐘を鳴らすことはなんらおかしな行動ではない。しかし、なぜ突然告白したのか……宮脇議員本人にその真意を聞いた。

―委員会での「私も性感染症になった」と発言し、市議会の中でも話題になったとのことですが、どういった意図で告白したんでしょうか?

宮脇:1月の頭にちょうど子供が産まれたばかりなんですが、その妊活中に性病の一種である性器ヘルペスが伝染ったんです。

妊婦が性感染症になると、切迫早産の恐れがあるということで、発覚後、すぐに入院をしました。その時に、医師から『このままもし子供を産むとなると(感染症が赤ちゃんにもうつる可能性があるので)帝王切開になる』という話を医者から言われました。自分の中でものすごくつらかった経験となりました。

梅毒をはじめ、近年様々な性病が増えているのは事実で、同じような経験を若い世代に味わって欲しくないという思いが根底にありまして、委員会での発言となりました。

――感染源は旦那さん、ということですよね。パートナーから伝染されたことに、ショックはあったんでしょうか?

宮脇:ありました。もちろん大揉めしましたよ。

――もともとの感染源については問い詰めたのでしょうか?

宮脇:そこは家族間の問題なので、申し訳ないですがノーコメントでお願いします(苦笑)。

――元をたどると結婚後のことではない、ということは確認させていただきました。大阪では梅毒を含む性感染症が流行している、と警鐘を鳴らしていらっしゃいます。

宮脇:大阪はもちろんなんですが、全国に広がっています。性のことに関する教育や情報が行き届いていないから、感染者は増えていく一方です。本当は子供の頃の教育に、性病に関する教育も盛り込めたらいいんですけど、教育委員会がそこに対しては深く踏み込めない感があるというか。

そこに長い間、問題意識を感じていまして。たまたま民生保健委員会があったので、まずは大人のほうの啓発から、しかも身を挺して発言しないと説得力がないだろうと思い、あの発言に至りました。

性器ヘルペスというのは、伝染ると熱が出るんですが、私も感染後、1週間高熱が出続けて、ぶっ倒れまして。子供を産む直前という時期にそういう状態を経験したことが、自分の中で性に関する問題に重きを置くようになった理由のひとつですね。

まずは若い子達が行く飲食店や飲み屋に、性病の問題を啓発するリーフレットを置かせてもらうなどして、最終的には市の方も動くように持っていける流れを作りたいと思っています。

夜の世界で働いている女性も含めて、寂しさから不特定の人と一夜を共にするという人は少なくない。その結果、性感染症が伝染るリスクがあることは知っておかないと。

いざ真剣に付き合っている人と結婚しようとなった時に、自分が性感染症だった、となったら、トラブルにもなるじゃないですか。そういう時に後悔をして欲しくないな、と。自身の経験も踏まえて、そういう予備知識やリスクがあることを伝えたかったんです。

以上が宮脇市議の発言の真意だ。自身の感染経験を明かすというリスクを背負って行った決意の告白。宮脇市議の願い通り、広く届くといいのだが。

取材・文:栗岡史明

腐女子の「異世界願望」

このブログでは、性意識というものの考察が多いのだが、そのため、下のような情報は貴重である。つまり、「腐女子」というもの(つまり、男性の同性愛に非常に好奇心を持つ女性)は日本だけの存在ではない、という情報である。とすれば、彼女らが男性同性愛になぜ興味を持つのか、というのは社会学的な研究の対象になっていい。私の知っている範囲だと、彼女らは、現実はともかく「フィクションとしての女性同性愛」にはあまり興味を持たない傾向がある気がする。女性の性は知りすぎていて興味が無いのかもしれない。男性同性愛にしても、現実にあるデブ同志の同性愛などには関心は無いのではないか。何か、美的象徴性への憧れというようなものが腐女子の「男性同性愛偏愛」の根本にあるように思う。

一般的に男性はレズに許容的で、女性はホモに許容的であるのではないか。まあ、自分の配偶者や恋人が、その同性の相手と浮気をしても許容するかどうかは分からないが、同性愛者だったら(偽装のため以外は)最初から結婚したり異性の恋人を持たないだろうwww


(以下引用)



『腐女子』はタイ語で何というのか、日本語ペラッペラ通訳さんに教えてもらったら日本由来だった話 タイはBL花盛りだよ〜
桜
チューリップ
花束


「弾圧される側」としての左翼とエロ表現者の共闘

左翼とは定義的に「現状変革」を主張する政治思想であるから、世の中が変わらない限り(大きく言えば革命が成し遂げられるまで)常に体制側から弾圧される存在であり、その「思想の表現」も当然弾圧されることになる。
そういう意味では「現在の体制的道徳」に抵抗する表現、つまり過剰な性的表現が弾圧されるのと構造は同じであるわけだ。
昔から反体制思想家の多くが性的に放縦であったのは当然であるわけだろう。
要するに「表現の自由」においてエロ小説家やエロ漫画家、エロ画家は左翼思想家と同じ陣営に自然と属することになる。
だが、下で紙屋氏が言うように、左翼思想家でも性的には旧来の道徳を重んじる人もおり、エロ陣営の人でも政治的には右翼である人も無数にいるわけで、同じ「弾圧される側」だから共闘できるとは限らないわけである。
なお、過剰なエロ表現を「エロ目的ではない」と言い張るのは、それこそ偽善と欺瞞の最たるものだと私は思っている。そうではなく「エロでなぜ悪い」と言うべきだろう。
そして、これは偏見かもしれないが、私は性的に放恣な人間が他の面では健全な道徳性を持っているとはまったく信じていないのである。道徳や倫理は社会的必要性があって形成されてきたものであり、その否定には細心の注意を要するだろう。性欲の赴くままに行動することが正しいと言うなら、行きずりの女性をその場で強姦する、原始人的行為は正しいわけである。配偶者がいるのに不倫をするなら、結婚関係は無意味であるかただの束縛だということになる。(もちろん、「経済的寄生」目的の結婚関係は珍しくはないだろうし、経済的メリットが結婚の動機の一部であることは咎められることではない。だが、私は男女を問わず不倫を無思慮で「汚らしい」行為だとしか思えない。要するに、それは陰湿で下品な「裏切り」行為であるからだ。)
ちなみに、女性は恋愛感情は婚姻関係に優先する、と漠然と思っているだろう。性的関係は社会関係に優先する、と言い換えてもいい。これは女性が男性より自然的存在だからだ。子供を産み育てる性であることは頭で考えた理屈に優先するわけで、性的関係もその一環として理屈、つまり社会道徳に優先するはずだ。
これは、「現代倫理学概論」の最初に書いた、『土佐源氏』の、汚らしい馬子が「優しくして、セックスを許さなかった女は一人もいなかった」という事実からそう推定できる。

(以下引用)


 ぼくは左翼の一人ですから、左翼やリベラル派の中で、最近、「問題だと思われる表現」に対して、それを批判していくことと、表現を規制することが混同されてしまう傾向が出てきていて、正直かなり気になっていました。もちろん、世の中でメインに表現規制を要求しているのは支配層であり、右派の人たちだろうという現実はあるのですが、それをただすべき左派の中に右派と似通った傾向が生じていないか、左派の一人として気になって仕方がありません。

 ぼくがかつて中学生だった頃に、筒井康隆のエッセイ(「差別語について」)で、いわゆる「差別語」狩りによって古典落語が次々と口演不能に追い込まれていく現状をあげて、

最近「赤旗」の編集者と知りあえた。共産主義は体質にあわないし、共産党はあの組織や制度の仕組みがいやだが、この問題に関しては「赤旗」と手を組んでもいい、と、ぼくは思っている。(筒井『やつあたり文化論』新潮文庫Kindle No.2721-2722)

と書いていたのを読み、「筒井がここまで政治的に踏み込んで支持をするのは実に珍しいのではないか。そこまで言わせると言うのは、共産党は一体どういう主張をしているのか」と興味を持ったことがあります。

 その後、高校生になってから「いわゆる『差別用語』問題について」という日本共産党の論文を読みました。

 ことばは現実の反映である。ことばだけをタブー(禁句)にしても、現実の差別はなくならない。戦前の支配者は、現存する君主制への批判をおさえようとして、“不敬語”と称する用語上のタブーをつくりだした。戦後はアメリカの占領支配への批判をおさえつけるため、占領軍という用語をタブーにし、“進駐軍”という用語に統一した。

 社会に不当な状況や不当な差別が現存する場合に、その実態を放置したままでことば、表現だけをタブーにするのは、問題の真の解決にならないことはあきらかである。不当な差別を実態的にも、心理的にも克服、解決するという積極的立場から、ことばや表現の問題にも対処していくことが重要である。まして、「差別用語」や「差別的表現」でないものを「差別語」だとこじつけてタブー視するのは、現存する不当な事態や差別を克服する問題を後景にしりぞけることにさえなる。

 〔……〕勝手な「差別語」狩りや「タブー」拡張に反対し、あくまでも言論・表現の自由のためにたたかうものである。(「赤旗」1975年6月9日)

 この論文が非常に印象に残り、ああこれが筒井の言っていたことだったんだな、と腑に落ちた記憶があります。

 ぼくにとって共産主義者とか左翼というのは表現の自由を徹底的に弾圧された歴史的当事者であり、そのために命がけで闘う存在であるというイメージがありました。

 それだけに、最近の左派界隈での風潮の変化には戸惑いがあるのです。

 そしてそのような変化は完全に間違っているわけではなく、正しい契機と誤った契機が混在しています。