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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

見ない権利、聞かない権利

「ゾーニング」の定義は知らないが、「棲み分け」の意味だとしたら、私はゾーニング肯定論者である。いや、肯定というか、棲み分けを重視すべきだ、という意見だ。つまり、一般共有空間にエロやグロの「表現」は基本的に置くべきではない、ということである。表現そのものを禁じたりするのには大反対だが、「見ない権利」というものもある、という意見であり、それに対して「自分だけ目をつぶればいいだけだ」というのは暴論だ、と思う。目をつぶって繁華な道路を歩けるか。
これは街中の騒音についても言える。自分の嫌いな音楽を聴かされる苦痛というものもある。私は、待ち合わせの喫茶店で大嫌いな演歌が流れていたので、そこに入るのをやめ、デートをすっぽかしたこともある。携帯電話の無い時代だったので、もちろん、その女の子との間はそれで終わりである。



漫研OBとして?  僕が「ゾーニングは必要だ」と言ったのは「見たくない」人の権利を守り、トラブルを避けるためです。宇崎ちゃん、彼女自身はボーイッシュで、恋愛や色気と無縁なのに、ただ胸が大きいだけで周囲はやたら性的な目で見て勝手に困るというギャグ漫画で、いろいろ象徴的だと思います。

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セクシーとは、要するに「視覚的売春」

「セクシーさ」というものの公共の場での陳列や掲示に対してクレームがつくというのは別に日本だけのことではない、ということだ。そもそもセクシーさというのは異性の性衝動を誘発するのが最大の目的なのだから、子供も見るような場所での掲示にはある程度の規制があって当然だと私は思うし、「セクシー」という言葉そのものが、正当な使用範囲を超えて「環境問題にセクシーに対処する」というアホな発言になるのも大嫌いである。言葉に麻痺してしまうからだ。
まあ、ビジネス的にはセックスはカネにつながるので、商売人がセックスを売り物にするのは当然だとは思う。ただ、それにクレームをつける側だけが(主に表現者たちから)一方的に非難されるのは、まあポジショントークとはいえ、むしろそちらの方が「衆を頼んだ」やり方だと思う。
あざとい言い方だが、セクシーさを売り物にするのは、「視覚的売春行為」だというのが私の考えだ。ただし、また、私は売春を全面的に否定するものではない。生活に困った女性が最後に売るのは自分の身体であり、誰にもそれは批判できないと思う。


(以下引用)



セクシーすぎる?下着CMが"アマチュアポルノ"扱いに

「自分の体に自信を持っていることが『不適切』で『下品』だと言うことは、私たちに対する侮辱です」

普通の下着CMが"アマチュアポルノ"扱いに
YouTube

オーストラリアの下着ブランド<Bras N Things>CMが「セクシーすぎる」という理由により、店頭でこの動画を使った宣伝が禁止された。

問題となった動画はこちら。

この動画をめぐって、オーストラリアの「The Advertising Standards Bureau(以下ASB)」という広告に対する苦情などを受け付け、企業へ指導をする団体(日本の「JARO」のような団体)へ多くの苦情が寄せられたそう。

苦情の内容は以下のようなものだった。

・「子供や家族が訪れるショッピングモールという公共の場にはふさわしくない」

・「わいせつ的で、子供にはふさわしくない。女性の品位を傷つけるものだ」

・「ただ下着の宣伝をするのではなく、わいせつ的、挑発的、そして思わせぶりにカメラを見ている。まるでアマチュアポルノのようだ」

・「軽蔑的で、みっともないディスプレイ」

さらに「ASB」も広告を「性的」だと判断。理由は「無声動画は通行人の目を奪う」こと、また「モデルは髪に触れ、思わせぶりな動きをしているため、性的に捉えられる」とコメント。

店側は直接クレームをほとんど受けていないこともあり、広告規制に違反しているとは考えていないが、今後は動画の代わりに写真を使用するとのこと。

ADの後に記事が続きます

これにはモデルのシモーン・ホルツネーゲルも黙っていなかった。Instagramに皮肉を交えながら彼女の意見をポスト。

ポルノという意味は『性器、または性的行為の不適切な表現や描写』です。このCMにはそういったものは一切ありません。私の体を性的なモノ扱いしないで。自尊心を持った、健康的な女性らしい体、また女性用商品の女性向け宣伝を不快に感じるなんて酷いわ。自分の体に自信を持っていることが『不適切』で『下品』だと言うことは、私たちに対する侮辱行為です。

私はこれまで通り、恐れずに自分らしく、曲線のあるこの体と自分の自信を大切にします。他の女性にも同じようにしてほしいと思います。これが"間違った"行動だと言うのなら、私は"正しい"ことをしたくありません。

シモーンの言う通り、"ポルノ"の定義には当てはまらないし、セクシー過ぎるとも思えない。文句を言った人の多くが女性だったらしいが、自信を持つ女性は、同性からの非難の的にもなりやすいよう。

シモーンにはめげずに、これからも彼女が正しいと思うことを貫き、自分らしくいてほしい。きっと世の中の女性の多くは彼女に共感していると思うから。





女性の「理想的ヒーロー像」に見る自己保存本能

「本しゃぶり」というブログの記事の一部だが、興味深い。特に、女性が男性に何を求めるか、というのは、まあ大体以前から考えていた通りではあるが、改めてじっくり考えると索然とした気持ちになる。こりゃあ、男と女の間には、深くて暗い河がある、と思ってしまう。
つまり、お互いに愛し合っていることが大事だ、と言いながら、その理由は、実は生物学的な自己保存本能が底にあるからだ。愛し合っていれば、ほぼ安全に自分はこの雄に守られるだろう、というわけである。放っておけば男というのはあちこちに種を撒くだろうが、自分を愛している男なら、ほぼ永続的に自分の所属物になるだろう、というのが女性の「恋愛」の根底にある、という言い方は嫌味に聞こえるだろうが、それが嘘だと言うなら、女性はなぜ恋愛対象の条件に強さ(権力)やカネ(金力)を求めるのか。なぜ「白馬の王子様願望」があるのか。
実は女性が男性に求める「望ましい容姿」も、権力や金力と結びついていると思う。つまり、白人種が世界の支配層であるから、彼女たちは白人種的容姿を男に望むのだろう。




(以下引用)


アル・クーパーらがスウェーデンで行った「性的オンライン活動についてのアンケート」によると、主な活動として「エロ画像・動画を見る」と回答した割合は、男性は37%で最も人気だったのに対し、女性は6%にすぎなかった*3。女性に人気なのは「恋人やセフレと連絡を取る (21%)」*4「同じ性的嗜好の人達とチャットする (17%)」*5である。

そこでオーガスとガダムは「エロ文章を読む (9%)」*6に目をつけた。二人は1,878人の作家による10,344作品のロマンス小説の全文を抽出し、ヒーローの体がどのように描写されているか調査した。ヒーローのパーツを表す頻出語トップ7は以下となった。

  • ほお骨
  • あご
  • ひたい
  • ウエスト
  • ヒップ

また、同じ調査でヒーローのルックスを表す形容詞の頻出語トップ7は以下となった。

  • 引き締まった
  • 美男子の
  • 金髪の
  • 日焼けした
  • 筋肉質の
  • 男らしい
  • 端正な

以上を見てわかるように「尻 (ヒップ)」こそあるが、「股間」に注目するワードは無い。また「大きな」「立派な」といった形容詞もトップからは外れているのである。したがってアンチ巨乳派がよく持ち出すような「股間を強調した巨根のキャラ」は女性における需要が少ないのである*7

女性が性的に消費しがちな男性の身体的特徴は以上だが、「外見」という観点では抜けている要素がある。それは男性の立場を示すものだ。

18禁のハローワーク

女性に人気の職業とはなんだろうか。正確に言えば「女性が性的に消費する人気の職」のことである。ここでもまたロマンス小説が役に立つ。

アンソニー・コックスマリアンヌ・フィッシャーは1949年から2009年までのロマンス小説、計15,019作の作品名を分析した*8。この調査結果の中に、頻出する職業トップ20がある。これから男性の職業を抜き出したトップ10が以下だ。

職業頻度
医師 388
カウボーイ 314
ボス 142
王子 122
牧場主 79
騎士 77
外科医 77
55
ボディーガード 41
保安官 40

「カウボーイ」や「牧場主」「保安官」あたりはいかにもアメリカらしい。以降には「兵士」「弁護士」「海賊」と続く。

この結果について著者らは、「資産」「たくましさ」が求められていると分析している。また、「ボディーガード」や「保安官」「弁護士」などは庇護のイメージから「たくましさ」に通じるのではないかと考えている。

したがって女性向けの性的なキャラを作るのならば、ただのイケメンではなく、「金持ち」*9「強者」の印象を与えるようなデザインであることが望ましい。








美しい身体は商業用に選別されたもの

美しさというのは伝統と主観の融合であり、伝統で刷り込みされた美から外れた現実を見るとショックを受ける。ヌードモデルの女体の醜さは、よく漫画のネタになる。もちろん、男の裸も同様。特に、勃起したあれなど、(特にゴムなど付けたそれは)間抜けそのものである。
男でも女でも老人の身体を美しいと思う人間はいない。醜い身体は見せるべからず。
ただし、美術の場合は意図的に醜いものを描いたりするのが現代美術。


さんがリツイート

RT  昔、これのものすごくわかりやすい例を、モデルさんから聞いたことがある。デザイン専門学校のヌードクロッキーの時間に、何人もの生徒が気分が悪くなって退室。目の前のモデルを見ようとせず、頭の中に出来上がっている裸の女の子の絵を描いていたり。現実は複雑で把握不可能だから「恐ろしい」。












汚くはないが子供の前に出すものではないだろう

ならば、公園や学校でも、大勢の人が見ている前でセックスしろ、と言えば極論になるか?




原初の頃から大体の人間がせっせと行ってる行為を「汚い」「恥ずかしい」とかの言葉で子供に教える、あるいはそう言う目で見るものじゃない、と思って描いてます。ハイ。