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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

降圧剤と口の渇き

「口腔外科相談室」より転載。
私の場合はおそらく降圧剤の副作用だと思われる。


(以下引用)



口腔内のトラブル

口の中が乾燥する

口の中が乾燥する

高齢化により唾液の分泌量が低下することにより口が乾燥することがあります。これは心配ありません。ストレスによっても唾液が出にくくなることがありますがその場合はストレスがなくなれば症状も回復します。急激に唾液が出なくなり、痛みがある場合は唾液腺などの疾患が考えられます。診察を受けることをお勧めします。

口腔乾燥症(ドライマウス)

唾液の分泌が低下して、口が乾いた状態のことをさします。広い意味での口腔乾燥症は、唾液分泌の低下だけでなく、口が乾いていると自覚する症状すべてをさすことになります。
軽度では主に口の中のネバネバ感、ヒリヒリする、う蝕、歯垢の増加、口臭も強くなります。
重度になると、唾液分泌量が低下し口腔内の乾きが進行し、強い口臭、舌表面のひび割れ、痛みで摂食障害、会話しづらいなどの障害も現れます。場合によっては不眠をきたすこともあります。
平均的な唾液の分泌量は、一日あたり約1~1.5リットルで、口の中の唾液腺から湧き出し、口の中の食べかすを、消化器官へと、洗い流してくれています。
また唾液には抗菌作用があり、口の雑菌の繁殖を防いでくれています。そのため、唾液が不足して口が乾くと、う蝕や歯周病にかかりやすくなり、また、口臭の原因にもなってしまうのです。
口の乾燥がひどくて、我慢できない場合には、専門医にご相談下さい。
年齢が高齢化するにつれて、唾液の分泌量が低下する事により、口の乾燥がひどくなることもあります。

原因として

「薬の副作用(抗うつ剤、鎮痛剤、抗パーキンソン剤、降圧剤などの多くの薬物の副作用として唾液分泌の低下があります)」
「糖尿病」、 「シェーグレン症候群 (唾液腺、涙腺などの外分泌腺が萎縮し、口と目が乾燥する自己免疫疾患)」、 「年齢的なもの」(年齢とともに口や顎の筋力が低下や萎縮がおこり唾液の分泌量が低下します) 、「ストレス」(ストレスがかかったり緊張をすると交感神経が刺激され、唾液の分泌が抑制されます) 、「口呼吸」(鼻炎などの鼻疾患や癖などで口で呼吸をすれば唾液は蒸発してしまい口が渇きます)など
治療としては、生活指導や対症療法が中心となります。

保湿性薬剤、保湿力の高い洗口液、保湿ジェル、スプレーによる噴霧、夜間の乾燥を防ぐ保湿用マウスピース、夜間義歯などを症状に応じて処方、投与します。
積極的に水分を補給するように心がけるのも、有効な方法です。






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基礎代謝と適正摂取カロリー

「なごみ薬局」というところのホームページから転載。
なかなか有益な内容だと思う。
なお、記事の中にある計算式で出した私の適正体重は67・375kgである。10キロのダイエットが必要だwww

(以下引用)


エネルギー代謝編

【エネルギー代謝編】
人間は食べ物をエネルギーに変えて生きている。
人の体の中では、毎日摂取した食べ物がごく当たり前に「エネ
ルギー」へと変換されています。万一、この食べ物がエネルギー
へと変換されるというシステムがなかったら、人間は生きていく
ことができません。人間は、体温を保つことにより生活できる
動物です。なお、内臓や酵素・免疫を働かせて体の機能を維持
しています。
加齢により一日の必要エネルギーはどんどん減ってくる?
「10年前と同じ量しか食べてないのに、最近太りやすくなった。」これは良く聞く話です。人間は、年をとるに従って一日の必要カロリーが低下してくるからです。それでいて、以前と同量の食事を続けていれば、明らかに体脂肪が蓄積していきます。体内の機能を維持して、人が最低限生活できるため必要なエネルギーを「基礎代謝」といいます。この「基礎代謝」が加齢とともに低下していくことは善か?悪か?といえば、明らかに「悪」といえるでしょう。エネルギーの節約という面からのみ考えれば、体内の基礎代謝が低いほうが有利に思えます。しかし、内蔵機能、免疫機能、酵素機能が一緒に低下していくために、相乗効果にて「老化」が進んでしまうからです。なお、これらの機能が低下していくことにより、「ガン」などの病気が発生しやすくなることも考えられます。
体内で産生されたエネルギーはどこで使われる?
体内で食物から得られたエネルギーの6~7割は、前述の「基礎代謝」というものに使われます。これは人間が生存するために最低限必要なエネルギーとなります。また、基礎代謝の中で一番エネルギーが使われる場所は「体温維持」で、その他、内臓、酵素、免疫などを働かせる場合にも使用されています。基礎代謝の大部分を占めている「体温」が一度違うだけでも、全体カロリーは大きく異なってきます。平均の大人で、 
体温が一度違いにて一年間同じものを食べていたとすると、体重が約8kgも違ってくると言われています。なお、あとの3~4割は、運動エネルギーといって、体を動かすことにより、体内エネルギーを使用しています。人間は加齢により、体温が低下し、運動量も少なくなるので、カロリーを徐々に減らしていく必要があります。
基本の基礎代謝編
基礎代謝は後天的環境に、以下の因子により差が出てきます。
年齢による基礎代謝量
生後、次第に増加します。体重1kg当たりの基礎代謝量は、1歳~2歳で最高となり、少しずつ減少し、20歳前後以降減少の度合いは小さくなります。初老期には基礎代謝量は少なくなります。
性別による基礎代謝量
同年齢では女子の方が基礎代謝量は低くなります。これは女子は脂肪組織が多いためと考えられます。妊婦の場合は妊娠後半に約20%の基礎代謝量増加を示します。
気温による基礎代謝量
基礎代謝量は夏が低く、冬は高くなります。気温が低いほど、体温を維持するために代謝は増加します。
発熱による基礎代謝量
体温が1℃上昇すると、代謝は約13%増加すると言われています。例えば、40℃の高熱の場合、正常体温より50%程度増加すると考えられます。
情緒による基礎代謝量
基礎代謝量は感動、恐怖、怒りで亢進し、落胆して意気消沈
した時は低下します。よく「ストレス太り」という言葉を聞きますが、
これも、あながち間違っているとは限らないと思います。感情の
変化により、基礎代謝が低下する一例でしょう。また、うつ病の
患者さんは明らかに、低体温にて基礎代謝が低下している確率
が高いようです。
栄養状態による基礎代謝量
長期にわたる食物の摂取不足、食事が偏ったダイエットや無理なダイエット、栄養失調症などでは10%~30%低下します。現代人はこのパターンが非常に多く、高カロリー・低栄養素に起因する典型的な基礎代謝低下と言えます。
運動、環境による基礎代謝量
激しい肉体労働やスポーツをする人は、エネルギーを最も消費する筋肉量が多いため基礎代謝量は高くなります。糖の消費量は、人間の体の中の50%が筋肉で消費されています。また、普段、体の動きが悪い人は「エネルギー発散システム」が低下し、基礎代謝量もおちていきます。
食べ物のエネルギーはどのくらい?
食物中の炭水化物、脂質、たんぱく質が体内で発生するエネルギー量を測定すると1g当たり炭水化物:4kcal、脂質:9kcal、たんぱく質:4kcalになります。この値をアトウォーター係数または、カロリー換算係数と呼び、食品中の栄養素の含有量が分かれば、この値を用いてその食品中のエネルギー量を求めることが出来ます。また、食品成分表に表示される各食品中のエネルギー量も、それぞれ適切な係数を用いて算出された値です。尚、酒類のカロリーが高いのは、アルコールの熱燃焼が1g当たり7kcalとして計算されるためです。
必要エネルギーが人により異なる「生活強度」
生活強度という言葉をお聞きになられたことはあるでしょうか?同じ年齢、同じ体重、同じ食べ物(カロリー)の人でも、この「生活強度」という環境が異なれば、一日の消費カロリーが違ってくる指数のことを言います。たとえば、事務仕事にて一日デスクに座っていれば消費カロリーは少なく、道路工事など激しく肉体を使う場合は消費カロリーが多くなります。以下は、だいたいの目安となる生活強度指数です。
※摂取エネルギー目安を求める際に使用する数値
生活強度Ⅰ(低い)=25kcal
散歩、買物など比較的ゆっくりした1時間程度の歩行のほか大部分は座位での読書、勉強、談話、また座位や横になってのテレビ、音楽鑑賞などをしている場合。
生活強度Ⅱ(やや低い)=26~27kcal
通勤、仕事などで2時間程度の歩行や乗車接客、家事等立位での業務が比較的多いほか大部分は座位での事務、談話などをしている場合。
生活強度Ⅲ(適度)=28~29kcal
生活活動強度II(やや低い)の者が1日1時間程度は速歩やサイクリングなど比較的強い身体活動を行っている場合や、大部分は立位での作業であるが1時間程度は農作業、漁業などの比較的強い作業に従事している場合。
生活強度Ⅳ(高い)=30kcal
1日のうち1時間程度は激しいトレーニングや木材の運搬、農繁期の農耕作業などのような強い作業に従事している場合。
★現代人のほとんどが生活強度Ⅰ~Ⅱにあてはまると言われています。
自分の標準体重の求め方
身長(m)×身長(m)×22 となります。たとえば、身長170cmの人は
1.70×1.70×22=63.58kgが標準体重と計算できます。
適正カロリーの求め方(生活強度指数から考えて)
では上記の「生活強度」と「標準体重」より、自分の一日に必要なカロリーを計算してみましょう。
標準体重(kg)×生活強度(kcal)=適正体重における一日に必要なカロリーの目安
※上記例(身長170cm)の人の生活強度がⅡであった場合
63.58kg×26~27kcal=1653~1716kcalが必要カロリーとなります。その他、もっと細かく計算すれば、年齢・性別によりも左右されます。




医学の不足部分を隠蔽するのがパターナリズム(父権的権威主義)

大阪府立急性期総合医療センター(かな?)のホームページから転載。
東海アマ氏の幼少期の腎臓病(尿蛋白)への氏の対応が必ずしも間違っていなかったようだというのが、ここから分かる。ある病気の療法が確立していない、というのを医学側が正直に書いており、むしろ信頼に値する態度だろう。
この態度の逆の態度が多くの医者に見られるパターナリズムである。これは、自分(医者側)の弱味を患者に知られないようにする「コケ脅かし」であり、医者が嫌われる理由だが、また多くの善良で無知な患者はこれに容易に騙されるのも事実である。かつては教育界でもこのパターナリズムが横行していた(一例が、体罰容認)現代ではそれが通用しなくなり、教師は生徒になめられる辛い仕事になっている。だが、事実が知られれば詐欺的行為が通用しなくなるのは当然であり、この流れ自体はいい事だろう。


(以下引用)赤字部分は当ブログ筆者による強調。

腎臓病の治療法は確立している?

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同じ患者さんでも、別の医療施設を受診すると、非常に異なった投薬や治療法を指導される場合があります。これは一部の腎臓病は治療法が確立されていないためです。また、一般に経過が非常に長いために、効果が実証されていない治療法もあることも事実です

例えば慢性糸球体腎炎の患者さんの安静度に関しても、よくわかっていないことも多く、我々医師からすれば、安静にした方が無難であると言う観点から、いたずらにきつい安静が指導されることも多いのです。

蛋白尿のある高校生が、腎生検も受けずに厳重な安静を指導され、両親が自家用車で学校の送り迎えをし、体育はおろか、階段を登ることすら禁止され、教師がおぶって登る、というようなことが行われていた実例もあります。このように厳密な安静を指導された患者さんの側から考えると、大変な問題です。精神的にも大きな苦痛を伴うのはもちろんですが、体育にも参加できなければ内申書にも影響し、進学もままならないという事態に遭遇します。

患者さんは出来るだけ自分の病状を軽く診断し、生活制限の軽い指導を求めます。このため、病院や診療所を転々と変わられる方がいます。最も軽い制限を指導された所に通院される場合も多いのです。先に述べたように、いたずらに安静を強いるような指導も問題ですが、このような場合も問題です。

腎臓病の治療方針は専門医の間でも意見が分かれている現状です。とにかく納得の行くまで専門医の意見を聞くことをお奨めします。




東海アマ氏の病歴と医学不信

東海アマブログの一記事で、書かれた内容に独断と偏見は多いと思うが、当人の体験談自体は確かだろうし、それは現在の医学の陥っている「学問絶対主義」「科学信仰」「患者そのものの軽視」という欠陥を鋭く指摘していると思う。つまり、役に立つ情報が含まれているのだが、経験から来る結論(特に個々の症例の自己診断)自体の幾つかが独断である可能性が高いのは注意すべきだろう。

(以下引用)


専門家の学識を信用するな。信用できるとすれば、その人間性と哲学だ。

カテゴリ : 未分類

 私は、幼い頃から尿に蛋白が出ていた。
 今から半世紀以上も前のことではあるが、当時の基準で3プラスはいつでも出ていた。今でも、試験紙に尿を垂らすと3~4プラスになって濃い緑に染まる。
 当時の医者は、私について、成人すると腎不全を起こして長生きできないと言っていた。だから、激しい運動はするなと固く指示されていた。
 今でも尿蛋白試験紙には、3プラスでは数年以内に透析に進行する可能性があると書かれている。

 だが、私は医者の指示を守らなかった。子供の頃は、自転車に乗って、どこまでも遠く駆けていった。
 成人しても、時間のある限り山に出かけて歩き続けたのだ。

 結局、医者の予言は、大きく外れて、還暦を大きく超えても、ボロボロながら一応生きている。
 ときどき、魚や肉を大量に食べると、急性腎不全を起こして尿量が極めて少なくなり、足が膨れてきて眠れなくなり、慌てて五苓散を服用して、尿量の回復に一喜一憂することがある程度だ。

 しかし、最近の医療では、蛋白尿について以前のような深刻な見解は持たず、腎臓の繊維化などの病変が見られても、運動療法で治せると考える医師が増えた。
 腎不全に対する意識が、医学会全体で大きく変わり、これまでの蛋白尿=運動制限という発想は、今では完全に否定されるようになった。
 http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shippei/ckd/exercise.html

 2012年頃から、浄化槽や池に湧いたユスリカの死骸によって間質性肺炎を患った。一時は、数メートルの歩行でさえ激しく息切れがして、寝ていても息苦しく、横になると、辛うじてウトウトできた。
 相当にひどいベルクロラ音があって、息切れが収まる気配はなかった。
 ネットで調べると、完全に間質性肺炎の条件を満たしていて、余命は、最長で6年と書かれていた。
 しかし、その6年は、とおに過ぎたが、まだ死んでない。
 確かに、病状は悪化したかのように見えるときもあるが、毎日、必死になって蒸気機関車のように呼吸しながら歩いているうちに、不思議に呼吸能力が回復してくるのだ。

 私が病院に行かなかったのは、検査治療のなかに、肺穿刺検査と書かれていたからで、これは太い針を背中から肺に突き刺して、細胞を採取して診断を確定するものだが、治療には何の貢献もしない。
 ただ、担当医が論文を書いて評価されるためのデータとして役立つだけなのだが、患者に対する負荷は、背中からナイフを突き刺されたと同じくらい激烈なもので、これが原因で、肺炎を悪化させたり、傷害が原因で死んでしまったりの例が少なくない。

 どうせ確実に死ぬならば、なんで医者の名誉のためだけの苛酷な検査をさせられるのか? 間質性肺炎は、ベルクロラ音や呼吸不全、MRIだけでも十分に確定できるはずで、逆効果にしかならない細胞診をやりたがる医者が、どうしても信用できなかった。
 実は、細胞穿刺という検査は、日本では、肝臓・腎臓・肺などに広く行われているが、そのすべてで、治療目的ではなく、診断確定目的であり、患者の病変回復に逆効果しかない。西洋医学の穿刺は藤枝梅安のようなものらしい。

 日本では「病変を確定しなければ正しい治療ができない」などと屁理屈をこいて、患者をモルモットにしたがる医者が多いが、アメリカでは、検査のためだけの穿刺細胞診はほとんど行われない。他にいくらでも診断方法があるからで、無理にやった場合、患者から巨額の賠償請求訴訟を起こされるのが普通である。

 こんなふざけた検査を医療のつもりでカネをふんだくってまで患者に強要している日本の医療界を、私は、どうしても信用できず。交通事故などの外傷は別として、過去20年、内科疾患は一切、病院に行っていない。
 それでも、ちゃんと生きているし、もし医療を受けていたら、とっくに死亡していたと思うしかない。
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881040030/episodes/1177354054886012993

 なぜ、医療が信用できないかというと、医者の養成行程に極めて大きな欠陥があると昔から考えていたからで、まだインターン制度があった1968年くらいまでの医療は、現場主義で、患者と直接相対して、知識との齟齬を自分の感性で克服できる制度だったから、良い医者が育つことができた。

 それ以降の医学カリキュラムは、医者の特権意識=プライドを育てるばかりで、知識偏重(頭でっかち)の医者ばかり育てているように思われる。
 それを自分の身で痛感させられたのは、1990年前後に、相当に深刻な痛風発作を起こしたときだ。
 
 私は40歳までに日本百名山を完登するほどの山好きで、いつも下りで駆け下りるクセがあったので、膝関節に大きな負荷が蓄積していた。
 このため、腎臓障害=高尿酸症から、いきなり原因不明で膝が腫れ上がり歩けなくなった。最初は、変形膝関節症を疑ったのだが、あちこち病院を回っても誰も診断をできなかった。

 なかには膝に直接ステロイドを注射する医者もいたりして、散々な目に遭った。
 ところが、山仲間の当時、守山区にあった石川外科の院長だけが、一目で「こりゃ痛風だ」と指摘し、ようやく治療にこぎ着けることができた。
 大半の医師が、教育された固定観念で、「痛風は足の親指から始まる」と思い込んでいて、膝から始まる痛風を理解できなかったのだ。

 アロプリノールを頂いて、毎日服用するようになって痛風発作は起きなくなった。
 後に、交通事故で入院した瑞浪厚生病院の整形外科医師も、すでに確定して、足の親指骨変形が見えているにもかかわらず、どうしても痛風を理解できず、薬の支給も拒否された。

 結局、たくさんの経験則を持たない、頭でっかちの知識偏重医師は、教科書と勝手な自分の思い込みだけで患者の苦痛と、まともに向き合おうとしないことを思い知らされた。患者の訴えに対し、自分の思い込みだけで耳を傾けようとしないのだ。
 このときは、尿路結石を引き起こして苦痛を訴えたら、鎖骨骨折の手術まで拒否されて強制退院させられた。結果、私の鎖骨は、今でも偽関節になり、激痛に苦しめられている。
 このときの経験は、医療と医師の人間性に対する極度の不信を私に植え付けた。

 他にも、医療に対する不信は無数にあるのだが、全部も書けないので、大雑把に振り返れば、医療に対する不信感は、医療システム全体に対してのものであり、医師個人が主観的感性でどうにかなるものではない。
 いってみれば、西洋医学の方法論そのものに本質的な間違いがあると思うしかなかった。

 それは、定型的な論理学的=形而上学の問題ではあるが、我々が生身の人間として日常生活を送るうえで、どんなに欠陥があろうとも、医療を拒否ばかりはしていられない。
 現実に、私は2011年2月に、運転中、ブラックアイスバーンの上でスピンして左肩を複雑骨折して、救急車で病院に連れて行かれた。
 結局、この病院では、尿路結石の苦痛を訴えたら磯部という医者に「文句が多い」といわれて強制退院させられ、手術をしなかったので、ひどい偽関節になってしまった。

 それでも、本人が嫌でも、路上で卒倒すれば強制的に病院送りされるので、医療と向き合わねばならない。
 そこで、イヤイヤながらも付き合う医療では、医療体制の本質的な問題点を指摘するより、「この医者は信用できるのか」という視点で、医者個人の人間性と、その哲学を信用して身を任せるしかないのだ。

 医師の知識など、全体にろくなものじゃない。大学の医学部で勉強してきたと自負していても、冒頭に書いたように、腎臓病だって、これほど長い、膨大な経験を重ねても、未だに真実には完全に手が届いていない。
 今では、透析患者だって「歩くことで」回復に成功した例まであって、それなら、これまで何百万人の人々が、透析によって腎機能を失い死んでいったことに対して、どうやって責任をとるのかと言いたい。

 しかし、所詮、学問なんて中途半端なものであり、医学は失敗の経験の上に築かれるのだから、必ずしも間違いや失敗が悪いばかりではない。
 こんなとき、我々が、医療に納得するとすれば、それは医者個人の人間性と哲学に対する信頼感だろう。

 学問は信用できないが、医者個人の「患者を病気の苦しみから救ってあげたい」という明確な意思と、人生や自然に対する哲学を信頼し、連帯して一緒に病気に立ち向かうという発想でゆくしかない。
 こんなとき、山仲間だった石川医師は本当に信用できた。それは、自然が大好きであり、自然とともに歩むという哲学が明確に見えたからだ。

 しかし、その石川医師も311後の放射能汚染に対しては、自分の長年の放射線医療経験から、「被曝はたいしたことない」という発想を私に示すことで、大きな齟齬ができて、縁が失われてしまった。
 放射能汚染は、エックス線やガンマ線の外部被曝とは本質的に異なるものであり、外部被曝の経験しか持たない医師には内部被曝が理解できない。
 その影響は、数十年も人々を苦しめ、あるいは200年にわたって遺伝子障害をもたらす。
 このことを理解できている医師が極めて少ないのは、本当に残念だった。
 
 それでも、人間を愛している医師は、例え間違った認識、知識があったとしても、一緒に生きてゆくしかなく、その誤りを共有するしかないのかもしれない。

 私は、ずいぶんたくさんの病気になって、全身がボロボロなのだが、こんな状態でも、生き続けていける理由として、若い頃からの山歩きの習慣をあげたい。
 十数年前、5月に島根県の三瓶山を訪れ、下山後、周辺の散策路を歩いた。
 美しい萌えるような若葉に覆われた散策路は、体から登山の疲れを抜いてくれて、もの凄く元気を回復させてくれた。

 このとき、「萌える若葉の森の気」という概念を強烈に理解することができた。
 歩いているのに、ウソのように疲れが抜けて元気になったのだ。それからというもの、自分の病気は「森を歩いて治す」という発想が、私の生涯のテーゼとなった。
 それからというもの、二年にわたる血尿も、肝臓障害も、そして間質性肺炎も、毎日、苦しみながらも森を歩くことで治せるという確信を抱いて実行している。

 よほどの豪雨を除けば、小雨程度も含めて、毎日1時間半程度ではあるが、累積標高差200mの道を年間350日程度は歩いている。
 印象としては、やはり萌える若葉のなかを歩くのが一番大きな効果があるように思える。
 医学が正しければ、本来ならば私は去年、死んでいたはずだ。しかし、苦痛ながら歩き続けることで、急性増悪でトイレにも行けないほど悪化していても歩けるようになった。
 もし、医療にかかっていたなら、肺穿刺を受けて、ニンテダニブを服用し、今頃は悪化して死んでいたように思える。
 今ほど、若い頃からの登山経験に感謝するときはない。


























手足のしびれ

「日本神経学会」ホームページより転載。

脳梗塞以外の可能性も一応調べてみる。


しびれの原因となる主な病気

 しびれは、感覚の経路 (感覚受容器から末梢神経、脊髄、大脳へ至る感覚の伝導路)のいずれかに障害がおきると出現します。表1には、障害部位によって分類したしびれの原因となる主な病気の一部を示しております。しびれで病院を受診される患者さんの多くが心配している病気の一つとして、脳梗塞や脳出血などの脳血管障害があります。通常、脳血管障害によるしびれは、急に出現した片側性の症状であることが多いです。感覚障害に筋力低下を伴うことが多いのですが、感覚障害が唯一の症状であることもあります。口の周りと片側の手がしびれる場合なども脳血管障害の可能性があるので注意しましょう。
 脊椎に異常があって、首 (頚椎) や腰 (腰椎) の神経を圧迫することによって生じるしびれは、慢性的なしびれで最も多い原因の一つです。この場合は、発症の日時が不明であったり、症状の変動があったり、ある一定の領域 (脊髄神経根であれば皮膚分節) に限局してしびれを認めます。
 また、手足の末梢神経の障害によるしびれも日常でよく遭遇するしびれです。末梢神経障害は、一つの末梢神経にのみ障害がみられる場合を単神経障害、非対称性に複数の末梢神経に障害がみられる場合を多発単神経障害、左右対称性でいわゆる手袋靴下型に障害がみられる場合を多発神経障害といいます。手根管症候群や撓骨神経麻痺などの絞扼に伴うもの、血管炎や膠原病などの炎症が関連するもの、ギラン・バレー症候群などの免疫が関連するもの、糖尿病やビタミン欠乏などの代謝性疾患に伴うものなど、末梢神経の障害だけでもしびれの原因は実に様々です。急な症状の出現ではなくても、しびれの範囲が広がっていく、別の身体の部位にしびれが出現してくる、など慢性の経過でも末梢神経障害をはじめとして様々な病気が隠れている可能性があります。

表1. しびれを引き起こす主な病気

障害部位疾患
① 大脳、脳幹、脳神経 脳梗塞、脳出血、脳腫瘍
多発性硬化症、脳炎、三叉神経痛など
② 脊髄、脊髄神経根 脊椎症、脊椎椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、後縦靭帯骨化症
脊髄梗塞、脊髄動静脈奇形、脊髄動静脈瘻
多発性硬化症、脊髄炎
亜急性連合性脊髄変性症、HTLV-1関連脊髄症など
③ 末梢神経 単神経障害 手根管症候群、肘部管症候群、撓骨神経麻痺
腓骨神経麻痺、足根管症候群
帯状疱疹など
多発単神経障害 血管炎、膠原病関連疾患
サルコイドーシスなど
多発神経障害 糖尿病、尿毒症、ビタミン欠乏、アルコール多飲
ギラン・バレー症候群、慢性炎症性脱髄性多発神経炎
Charcot-Marie-Tooth病
家族性アミロイドポリニューロパチー、アミロイドーシス
腫瘍、傍腫瘍性、感染症 (AIDSなど)
中毒性 (重金属、農薬、有機溶剤など)
薬剤性 (抗腫瘍薬など)
④ その他 電解質異常、過換気症候群、下肢静止座不能症候群など