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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

女性が抽象的ゲームが強くない理由

「世界変動展望」というブログから抜粋転載。
里見女流棋士が年齢制限により奨励会退会を余儀なくされたという出来事で、女流棋士はなぜ男性棋士より実力が劣るのか、という問題が再度浮かび上がってくると思うが、一番の原因は男と女の間での将棋普及度の違い、つまり裾野の広さの違いにあるとしても、女性と男性の頭脳の性格の違いというのもありそうな気がする。

女性は論理的でないと言うと女性に叱られるだろうが、男性ほど論理性を好まない、とは言えるのではないか。これは、抽象的なものを好まない、と言い換えてもいい。ただし、文芸などは「感情の世界」をかなり含むので、必ずしも抽象的とだけは言えない。現実世界での感情生活の代用品、あるいはより高次元の在り方としてのフィクション創作においては女性は非常に優秀なのである。

論理よりも感情を優先させる、というのは必ずしも悪いことではないし、それこそが女性らしさの本質だと思うが、それが碁や将棋などへの熱中度への違いを生み出すように私には思われる。つまり、盤上の現象への全的な没入という点で違いが出てくるような気がする。
「りゅうおうのお仕事」というアニメはあまり好きではないが、その中で、あいという少女が「勝ちたい勝ちたい」と考えて泣きながら将棋を指す場面は、わりと女性性を穿っているように思う。その逆に、「三月のライオン」で、二階堂と宗谷が、勝ち負けよりも、自分たちのやっている勝負そのものの内容のすばらしさに恍惚となる、というのが「男性的将棋」であるだろうし、それを描いている点で海羽野チカという漫画家は(男性棋士を理想化しすぎているとはいえ)素晴らしい漫画家だと思う。

もちろん、非論理的な男はゴマンといるし、感情的そのものの男もゴマンといる。上に書いたのは「頭脳ゲームへの没入」という点だけの話で、一般的傾向として、女性は日常生活や愛情生活で頭をフル回転させるから、抽象的ゲームには全的な没入はなかなか難しいという話なのである。男は、将棋を好きな男が将棋をやっている時にはそれ以外のことはほとんど頭に入らないだろう。「三月のライオン」で言えば、女出入りの多そうな後藤のような男でも将棋をやっている時は盤上での戦い以外は頭に無いと思う。



(以下引用)




「知性は男女差がないはずなのになぜ男女で実力差があるのか?」という問い対しては多くの人が様々な意見を述べている。

「将棋人口1500万人のうちの女性人口は0.2%に過ぎず、数が圧倒的に違うのだからプロ棋士選抜の過程で男性の方が質の高い人が集まり実力差が生じる。」「男性の方が論理的思考、空間認知能力に長けた脳を持っているため女性よりも実力が高い。」「将棋は純然たる知性の勝負ではなく対局時間が丸1日近くなるなど長時間で体力を使う。そのため体力的に劣る女性が男性よりも不利になる。」

女流棋士が一般棋士よりも実力が劣る原因については上述のように様々なことが言われているが、どれも決定的な理由ではない。

この原因をきちんと突き止め真実を明らかにすることは将来的には合理的な制度運営のために必要だ。仮に男女に生来的な将棋の実力差があるなら男性と女性を同じ土俵で戦わせることは合理的でない。きちんと男女を区別しプロ棋士の選抜や棋戦を運営すべきである。それは、陸上競技で男女を分けるのと同じだ。ひょっとすると女流棋士が男性棋士に勝てない原因は100m走トップの男子に女子が勝てないのと同じことかもしれない。

男女に生来的な将棋の実力差がないなら、将棋が女性にきちんと普及したら女流棋士制度を廃止した方が合理的である。実力が平等なのに男女の形式的な区別だけで違った制度を設けるのは合理的でないし、実力差がないなら女性はいつか男性と同等の実績を残せるはずだ。

女性が女流棋士ルートと一般棋士正規ルート等を自由に選べる現行の制度は女性への将棋普及といった効果があるだけでなく、女性と男性に生来的な実力差がある場合とない場合の両方に対応できる点もよいと思う。現在では男女の実力差の原因についてはっきりとわかっていないのだから専門家の人がそれを明らかにするまで、専門家以外の人は実力差の原因について深く考えず現行の制度を維持するのがよい。専門家が原因を明らかにしたときに制度を改善すればよいのである。

女流棋士が圧倒的に一般棋士の実力に劣る現状で男女の知力差にその原因はないかという検討をするのは、下手をすると「女性は男性よりも知性が劣っている。」という結論になって周りから猛烈に批判されることになりかねない。多くの人は、特に女性は男女の能力は平等であると信じ、女性が男性に劣っているということを否定したがるが、科学的な真実と思想とは全く関係がない。中世の暗黒時代のように思想で真実を否定するようなことにならないでほしいし、真実から目を背けては合理的な制度は生まれない。

将来的には男女の将棋の実力差についてきちんと真実を明らかにし、適切な制度を運営しなければならない。しかし、真実を発見する作業は一般人が行っても憶測の域を出ないので専門家である学者に任せておけばよいだろう。

現状では女流棋士が男性棋士の実力に圧倒的に劣るのが現実だが、その原因や男女の生来的な実力差についてはいずれ明らかになるだろう。

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正常と異常

キチガイだとは思わないが、LGBTはノイジーだな、とは多くの「正常者」が思っているだろう。私もそう思っている。ただし、「正常者」を括弧に入れたのは、正常の定義や範囲など恣意的なものでしかない、と思うからである。
まあ、性的な物事に過大な意味づけをするのが近代文明の特徴であるが、封建道徳のようにそれを抑圧するのとどちらが幸福か、あまり現代の視点でだけ考えないほうがいい。社会は進歩もすれば退歩もするのである。




titleicon ハッキリ言うけど、LGBTってキチガイだよね こんな価値観放置したら人類は滅びるわ
2018/2/17
categories カテゴリ ニュース・時事・事案 : 議論

hatena はてブ | twitter comment (70)
1 名無しさん@涙目です。(台湾) [US] 2018/02/16(金) 22:38:51.99 ID:d6x8oDma0● BE:565421181-PLT(13000)

sssp://img.5ch.net/ico/2mona2.gif
トランスジェンダー女性が授乳可能に、初の科学的研究


乳の分泌を誘発するホルモンを使って
トランスジェンダー女性が授乳できるようになったとする
初の科学的な臨床研究結果が、医学誌に発表された。
ただ、乳の栄養価や子どもの安全面については、
さらなる研究が必要だと専門家は指摘している。

報告によると、このトランスジェンダー女性は
6年間にわたって女性化ホルモン療法を受けていたが、
性器や胸の手術は受けていなかった。
パートナーの女性が妊娠したものの授乳する意思を示さなかったため、
「生まれてくる乳児の最初の栄養源となる役割を自分が担いたいと希望し」
医学的アドバイスを求めたという。

 このトランスジェンダー女性は、
卵胞ホルモンのエストラジオールや黄体ホルモンのプロゲステロンなど、
乳の分泌を誘発するホルモンを使った療法を継続する一方、
搾乳器を1日3回、5分ずつ両胸に使用するよう指導された。

 さらに、乳の分泌量を増やす用途外の効果を求めて
吐き気止めの薬ドンペリドンをカナダから取り寄せ、使用した。
ドンペリドンは、心不全を誘発する懸念を米食品医薬品局(FDA)が指摘し
米国では認可されていない。

授乳される乳児へのリスクも分かっていない。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180216-00000064-jij_afp-int

2 名無しさん@涙目です。(catv?) [US] 2018/02/16(金) 22:40:06.57 ID:6wzisNwl0

これがまともだっていうなら人格障害者とか何なんだ

7 名無しさん@涙目です。(福井県) [GB] 2018/02/16(金) 22:42:57.60 ID:3hdDCsZa0

おっさんのおっぱいで育つ子供が出てくるのか
ステキやん!

3 名無しさん@涙目です。(空) [US] 2018/02/16(金) 22:40:13.87 ID:aTK7lJY80

確実に基地外だよな
早急に抹殺しないと人類が危ない

10 名無しさん@涙目です。(兵庫県) [ニダ] 2018/02/16(金) 22:44:19.75 ID:+Jfjzm8P0

>トランスジェンダー女性
>女性化ホルモン療法を受けていたが、性器や胸の手術は受けていなかった。

これってつまりはおっさん?
女性じゃなくておっさん?
女性ってことにしたいおっさん?

93 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [DE] 2018/02/16(金) 23:13:18.87 ID:NviMuMcR0

>>10
そうだよ

23 名無しさん@涙目です。(アメリカ合衆国) [ES] 2018/02/16(金) 22:47:23.60 ID:LsIKTMdF0

別に死ねとは言わないが、自分達が異端だという自覚だけは忘れないで欲しい

27 名無しさん@涙目です。(宮城県) [DE] 2018/02/16(金) 22:49:10.76 ID:FWHh8Aj30

薬使いまくって乳出してそれを子供に飲ますのか、エゴやな
子供より自分の為

31 名無しさん@涙目です。(東京都) [US] 2018/02/16(金) 22:50:33.83 ID:1SQMETG50

本来は他人に気付かれないようにひっそり生きていくべき生物のクセに、
何を勘違いしたのか、堂々と人権を主張するキチガイ集団

203 名無しさん@涙目です。(dion軍) [KR] 2018/02/16(金) 23:39:59.43 ID:kexhWRJW0

>>31
一般の正常な大多数に譲歩を強気で要求する風潮
介助がいるガイジ系にも見られる

283 名無しさん@涙目です。(catv?) [PL] 2018/02/17(土) 00:07:21.98 ID:K8kRrUkL0

>>31
大多数が正常な社会を構成しているからこそ言える甘え

中学生が社会が悪いんだ俺は産んでくれとは頼んでない
みたいなことを言ってるのと変わらんよな

33 名無しさん@涙目です。(東京都) [ニダ] 2018/02/16(金) 22:50:46.25 ID:hqHOKvUa0

ガイジだから放っておけ

35 名無しさん@涙目です。(家) [ニダ] 2018/02/16(金) 22:51:01.63 ID:0TNHb8nm0

石を投げたりはしないから
大人しく道の端を歩いていて欲しい
調子に乗ってデカいツラし始めたら全力で迫害するわ

36 名無しさん@涙目です。(チベット自治区) [US] 2018/02/16(金) 22:51:39.35 ID:dSSXH0U90

とにかく一回減った方が良いんだろうね

39 名無しさん@涙目です。(青森県) [ニダ] 2018/02/16(金) 22:52:30.28 ID:XPNquVgY0

キチガイだらけの世の中で、LGBTなんて大したことないわ
人類滅びるとか強迫観念持ってる>>1の方がよっぽどキチガイ度高いし

43 名無しさん@涙目です。(北海道) [ニダ] 2018/02/16(金) 22:54:26.18 ID:dQ01rBzw0

なんでひっそり暮らしていこうとしないんだろう

46 名無しさん@涙目です。(空) [ZA] 2018/02/16(金) 22:56:31.80 ID:d1zaUWDD0

ただの趣味なのに被害者ヅラするのやめろや

52 名無しさん@涙目です。(dion軍) [US] 2018/02/16(金) 22:58:46.16 ID:lhyUai870

>>1
これは本当にそう思う
ひっそりしてる分には問題ないが、LGBTの価値観が広まったら人類は危ない

75 名無しさん@涙目です。(北陸地方) [CN] 2018/02/16(金) 23:06:37.29 ID:v+8H9vFq0

>>52
74億もいるのに人類危ないってちゃんちゃらおかしい

53 名無しさん@涙目です。(東京都) [GB] 2018/02/16(金) 22:59:16.06 ID:rJfnaxNP0

最近はコイツら変態なだけだと思い始めてる

54 名無しさん@涙目です。(庭) [CH] 2018/02/16(金) 22:59:26.51 ID:FIl1JTvf0

弱者様だぞ!言うこと聞かないとどんな手段使っても潰すぞ
LGBTのやつのイメージはこんな感じ

59 名無しさん@涙目です。(catv?) [FR] 2018/02/16(金) 23:01:45.21 ID:OkK6fibc0

他人に迷惑かけなきゃ良いよ。迷惑かけなきゃね

60 名無しさん@涙目です。(東京都) [CN] 2018/02/16(金) 23:01:56.16 ID:T76yeAWs0

病気なのを自覚してほしいね
してる人がほとんどだと思うが

71 名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US] 2018/02/16(金) 23:04:52.91 ID:/SgPV2bv0

ホモの知り合い何人かいるけど
心の奥底ではこいつらキチガイだなと思ってるんだろうな

81 名無しさん@涙目です。(愛知県) [US] 2018/02/16(金) 23:07:57.50 ID:HJCY8kzd0

ホモとレズはロリコンと一緒で単なる変態
コイツらがくっ付いてる限り俺は認めない

83 名無しさん@涙目です。(高知県) [CA] 2018/02/16(金) 23:08:33.11 ID:DIXLSMoh0

病気を撒き散らすし、悪いけど迷惑な存在なんだよな
社会的に
まとめてスイスあたりに移住してくれないかな

99 名無しさん@涙目です。(関東・甲信越) [US] 2018/02/16(金) 23:15:57.11 ID:08OcBMPJO

ノイジーマイノリティが騒げば騒ぐほど逆効果なのに気付いてないんだろ

110 名無しさん@涙目です。(庭) [US] 2018/02/16(金) 23:19:06.09 ID:3V20ihuH0

基地外とは思わないけど、最近ギャーギャーうるさい!調子に乗んなよ基地外!

120 名無しさん@涙目です。(茸) [US] 2018/02/16(金) 23:23:00.85 ID:6mAucoEV0

ある米ドラで、数少ないレギュラーメンバーにじっかり
ゲイレズ黒人白人黄色人(全員善人)をきっちり詰め込んでるのを見ると、
もうこの流れは止められないんだろうなと感じる


文化と文明





文化と文明

 

まず、例をあげて考えよう。黄河文明とかエジプト文明などのように、我々は、人間の知恵が発達し、動物と一線を画すようになった状態を文明と呼んでいる。人知が明るくなった状態が文明だと言える。一方、江戸文化とは言うが、江戸文明とは言わない。なぜなら、江戸というのはすでに人知が明らかになった、そのはるか後の時代であり、また規模が小さいからである。文明とは人知の発祥や発達を示す長い期間と、その舞台となった地域、通常は広範囲な地域を指す言葉だ。では、文化とは何か。文明の中に含まれる様々な物質的精神的産物が文化なのである。江戸文化とは、江戸時代の人々が作りだした文物のすべてである。(文物とは文化的産物のことだ。)

すなわち、文化とは人間が生活を豊かにするために作り上げた事物や制度のすべてである。言い換えれば、動物と人間を分けるものが文化の有無なのである。そして文明とは人間が文化を有した状態にあることを表現したものだ。ただし、その期間が短い場合やその地域が狭い場合には「文明」とは言わないのは先に書いたとおりだ。つまり、「文明」と言うには時間的空間的なスケールの大きさが必要なのである。

ここで、ドイツ哲学あたりから来たと思われる、「文化=精神的産物」「文明=物質的産物」というような使い分けはしないことにする。我々は日常生活の中でそのような使い分けなどしていないからである。

もちろん、文化は必ずしも産物だけではなく、存在の状態をも表すことがある。文化という言葉自体、もともとは「~化」という状態変化の意味なのだから。

 

ところで、「文」とは何か。これは「文章」などではなく、「あや=飾り」のことなのである。つまり、生活の中に装飾が生まれることが文化なのである。この場合、装飾とは装飾的活動や装飾的事物のすべてを指す。言い換えれば、生存に直結しない、不要不急の事物を指す。たとえば、物を食うのには、何も箸やフォークは要らない。手づかみで食えばいい。この箸やフォークが装飾的事物であり、箸やフォークを使うのが文化的行為なのである。

なぜか我々の先祖は、そうした無駄な行為に一種の美感を感じたらしいのである。最初に箸やフォークを使った人間はおそらく嘲笑されただろう。だが、それを使い続けるうちに、他の者も、それを使う行為に何か意義があるというふうに感じ始めたのである。特に、それを使うのが王侯貴族であれば、そうした事物や行為が王侯貴族の品位を表すものとされ、下の階級の者たちに真似された。すなわち、模倣的動物としての人間の本性が、新たに誕生した文化をそのまま死滅させずに伝播させ、発展させたのである。

最初に箸やフォークを使った人間が、それに美感を感じたと私は書いた。ここに動物と人間の相違がある。動物にも怒りや恐怖の感情はある。だが、美感やユーモアは無い。怒りや恐怖は生存と直結した感情だが、美やユーモアにはそうした「必要性」はない。だからこそ、人間のもっとも人間らしい感情的特質なのである。

美も笑いも文化的産物であり、文化が違うと共有できない。同じ文化圏内でさえ、年代が違えば美や笑いは共有できなくなることがあるのである。いっぽう、怒りや恐怖はより普遍的である。

文化とは、要するに生存の必要性を棚上げにして、眼前の事物に新たな意味付けをするという頭の回路から生まれたものであり、それを昔の人は「文=飾り」と呼んだのである。

もちろん、人間の文化の多くは必要性から生まれたものではある。私はここで文化の起源を論じているのであり、人間の文化がすべて無駄な物事の主観的な意味付けだなどと言うつもりはない。だが、その出発点において、ある種の「装飾性への渇望」があったからこそ、人間は他の動物と異なる存在になったのだと思う。装飾性というものこそが、人間と動物を分ける、と私はここで主張しておこう。言い換えれば、不要不急の物事にも意義を見出すところに人間的な精神の働きがあるのである。それを私は文化性と言っている。

 

人間は動物的生を生きることもできる。いや、中世までの農民の暮らしは生活の必要性に縛り付けられた暮らしがほとんどだっただろう。だが、その中でも彼らは生活の装飾化を試みた。それが日常の儀式化であり、祭りなどの「ハレ」の日である。

なぜ花嫁花婿は三三九度で固めの杯を飲むのか。答えは単純だ。それが「意味ありげ」だからである。意味ありげなものは人々を「ハレ」の気分にする。それだけである。三三九度が二二四度だろうが、五五十度だろうが、同じことなのである。

神主はなぜあのわけのわからない祝詞を読むのか。それが「意味ありげ」だからである。「何事のおはしますかは知らねども、忝さに涙こぼるる」という気分に人々を誘うからである。

 

もう一度繰り返すが、文化とは、生存の必要性を離れることによって人間が人間という存在になった証なのである。すなわち、ファンタジー(夢想)の能力によって人類は人間的存在となったのだ。

道具を使う動物は人間だけではないという。しかし、その道具に装飾を施すのは、おそらく人間だけだろう。これは道具を使いこなすための手があるか無いかだけの問題ではない。物事に主観的な「意味」を見いだせるか見いだせないかという違いなのである。物事を意味付けするとは、抽象化の能力でもあり、抽象的思考の出発点でもある。

犬や猫の目には、青信号や赤信号は青や赤という特徴をもった物体でしかない。だが、人間はそこに「進め」や「止まれ」という意味を読む。なぜなら、そのように取り決められているからだ。これが文化であり、動物が持ちえないものである。

意味付けする能力とは、言い換えれば「空中に楼閣を建てる能力」である。意味を剥ぎ取れば、そこには妄想の残骸があるだけだ。

我々の生には何かの意味があるだろうか。それとも、誕生しては死滅する無数の動物や昆虫の生と同じだろうか。答えは、それを自分がどのように意味付けするかによる、というものだ。我々の人生の価値なるものはもちろん主観的幻想にすぎない。だが、幻想による意味付けが無意味かというと、そうとも限らないのである。その価値を信じきれない人間を虚無主義者と言う。我々の生は、我々が踏みつぶす蟻の生と変わることはない、と彼らは考える。だが、そう考えることで彼らは自らの生をそう意味付けてしまったのである。

神が存在しない限り、この世界には意味がない、という考えをする人もいる。そこで彼らは自分好みの神を想像し、あるいは創造する。そして、神が自分を創造したと信じる。これも人生の意味付けの一つである。神が偉大な存在である以上、神に創造された自分や、その人生に意味が無いはずはない、というわけだ。これが西欧人種の考え方だ。したがって、神に従うことにも意味があると彼らは考え、本人は神に従っているつもりで、神を利用する人々に従う。こうして神を利用した支配システムが作られる。これも文化の一つである。その他、音楽も美術も、人間による主観的意味づけから生まれ、やがてそれが実体的な感動の源泉となっていった。すなわち、主観から生まれた幻想が、多くの人々に共有され、実体的な事物となっていったのである。

抽象化の能力は言語と結びつくことで文化を飛躍的に発達させた。そして、人間は論理に従って思考することを覚え、論理に従って思考すれば問題に正解を出す確率が高くなることを知った。このように、「幻想能力」から始まって、「抽象化」「言語」「論理」などが加わることで、人間のあらゆる文化の土台ができあがったと言っていい。しかし、すべての出発点は人間が自らの夢想を「掴み取った」ことなのである。

「2001年宇宙の旅」で、類人猿の一人が、地面に転がった骨を拾い、それで他の骨を叩く。叩かれた骨は梃子の原理で空中に飛び上がる。類人猿はそれを見て何か考えたような表情になる。これが、人類が文化を得た瞬間であり、人類が類人猿から人間となった瞬間なのである。「叩く→叩かれた骨は打撃を受けている→他の骨を叩く→叩かれた骨は砕ける→叩かれた物が獣なら?→もしかしたら、その獣は死ぬ→この骨を手で持つことで、他の野獣と戦える」こうして、最初の「武器」の概念が人類に誕生したのである。

そこから人類のあらゆる文化が発生してくるのだが、そのすべては、あの類人猿が小首をかしげて「考えた」瞬間から始まったのである。



各年代での人生の密度

コメント25は私にとっては盲点だった。なぜ年を取るに従って感受性が鈍り、すべてが退屈になっていくのか、という疑問の答えは、生きてきた時間が分母になる、ということであるようだ。
ほとんどすべてが「新しい経験」である頃と、ほとんどすべてが「やったことの繰り返し」である年代では経験の重みがまるで違うのは当然である。
もちろん、後者も悪いところだけではなく、何事にも動じなくなり、何事でも簡単にあきらめることができ、生きるのが容易ではある。
ついでに言えば、年を取ると、未経験のことでも、これまでの経験に照らして簡単に予想がつくため、あまりやる気が起こらなくなる。たとえば新しい漫画やアニメ番組を見る場合でも、それを読んで得られる快感と不快感の予想を天秤にかけ、不快感が勝るという予想なら見なくなるだろう。残された時間が少ないから、使える時間をそういう不快なものにしたくないわけである。その結果、新しい発見をすることも少なくなる。





23: 名無しさん@おーぷん 2018/02/11(日)08:56:12 ID:R40
正直小学生の6年間と最近の10年間どちらが短いかと聞かれたら後者を答える自信ある

 

25: 名無しさん@おーぷん 2018/02/11(日)08:58:19 ID:745
>>23
そらな、例えば小学6年生にとっての1年は「生きてきた12年のうちの1年」なんや
しかし30~40ってなってくと30年のうちの1年、40年のうちの1年ってなって
どんどん密度と価値が薄れていくんやな

 

27: 名無しさん@おーぷん 2018/02/11(日)08:59:02 ID:Lzq
>>23
わかる
ワイも高校の3年より会社入ってからの6年の方が短いわ

 

28: 名無しさん@おーぷん 2018/02/11(日)08:59:05 ID:0ui
>>23
長かったよなwww
高校の3年間が20~30までとほぼ同感覚





何かを学ぶということ






小中学校の教科というものは、案外と合理的に分類されている。つまり、人間が社会に生きていく上で必要な知識のほとんどが体系化されて学べるようになっているわけだ。

「国語・算数(数学)・理科・社会・音楽・美術・体育」について、義務教育レベルの内容を習得すれば、それで社会人として生きていく上での知識は十分なのである。後は自分が興味を持った分野について独学していけばいい。

つまり、社会人として必要な学歴は、義務教育終了まで、つまり中学卒までなのである。それ以上は無駄な学歴だ。高学歴であるということは、自分一人でもできる勉強や、学ぶ意味の無い無駄な学問を、他人(学校)に頼って身につけて満足しているだけのことである。ところが、実はその義務教育レベルの知識も、案外といい加減なのが一般の社会人である。

 

義務教育レベルの知識に関していえば、私の自己評価は5段階評価で「国語5算数5理科3社会4音楽3美術3体育3」といったところだ。ただし、長年生きているので、国語の「5」は「50」くらいにまで達しているし、算数も「10」くらいはあると思う。しかし、5段階評価なら、どちらも5にしかならない。その一方で、理科は中学生レベルでも普通レベルしかないし、社会は学校教育的知識なら4程度で、社会の裏知識なら30くらいはあるだろう。体育も「保健体育」なら10くらいはあるかもしれないが、実技は中学生の平均以下かもしれない。社会人の知識というのはそういうものだ。自分の興味のある分野の知識だけがどんどん肥大していくが、それ以外の知識は、実は中学レベルで止まっているのである。そういう大人が、小学生や中学生に向かって、偉そうにお説教をしているのを見ると、私は内心、おかしくてならない。案外と、人間のレベルはあなたがお説教しているその子供のほうが上かもしれないよ、と思うからである。

 

「タブラ・ラサ」という言葉がある。「白紙」ということだが、辞書的な説明では「感覚的経験をもつ前の心の状態を比喩的に表現したもの」(「大辞林」による)ということになっている。何かを学習する以前の脳が、いわばこのタブラ・ラサである。

私は脳科学には詳しくないが、我々のあらゆる経験は脳の中の一つの集積回路となり、その集積回路が無数に集まったのがハードディスクとしての脳なのだと考えている。つまり、我々の脳には毎日毎日、無数の「書き込み」がされていくのである。しかも、それはクリアできないハードディスクなのだ。忘却とは記憶がクリアされることではない。インプットされた書き込みの取り出しができなくなることなのである。つまりは、脳の故障だ。

我々が何かを覚える度に、脳の「未使用領域」がどんどん少なくなっていく。年をとると物覚えが悪くなるのは、「未使用領域」が少なくなっていくからだろう。そこで、かつての「書き込み」の隙間部分に、無理に新しい書き込みをするのだが、上書きに上書きを重ねて劣化した脳は、それを覚えてくれないのである。

まだ何も学んでいないという状態が、いかに素晴らしいことか、そして、その白紙状態の脳に下らない知識を詰め込むことが、いかに冒涜的な行為であるかが、以上から分かるだろう。もちろん、これはただの仮説だが、その真実性にはかなり自信がある。そうでなければ、私の記憶力がこんなに悪いはずがない。