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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

子供を「作る」という思想

「株式日記と経済展望」の引用文を引用。
別に、ここに書かれていることに同意するわけではないが、少し示唆的なところがあるので備忘的に保存しておく。フェミニストたちからは猛烈な抗議を受けそうな内容であるが、女性にとって、はたして男女平等(特に、女性が外で働く、ということについて)というのは本当に幸せなのか、というのが問題だ。私は男も女も不幸になっているような気がする。だから、男も女も結婚しないし、恋愛もしない。あるのは無軌道無思慮な性関係だけである。それははたして幸福なのか。また、経済面で言っても、男も女も外に出て働くというのは幸福なのか。子供にとっては幸福なのか。
どうも、あまり考えないままに男女平等男女平等と「騙されてきた」ような気がする。結局は女性が労働力として奴隷化されただけのことではないか。昔の専業主婦のほうがはるかに幸福で、かつ夫も子供も幸福だったのではないか。
もちろん、仕事に生きがいを見出す女性は働けばいい。だが、女性もすべて働くのが「正しい」という風潮は、考え直す必要があるように思う。
なお、細かいことだが、子供を「作る」という言葉は、引用文筆者が言うように、おかしいのではないか。そこから、人工授精や試験管ベイビーのような思想も出てくるのだろう。「いい精子を得て優れた子供を作る」ために女性が希望して人工授精をする、ということに私は異常な精神を感じるのだが。(要するに、ナチスの優性思想の発展形のように思うわけだ。)
子供は工業品ではない。作るのではなく、「授かる」ものだ、と考えることで、子供を大事に思う心も生まれるような気がする。「作る」と考えるから、子供が気に入らないと「失敗作だ」と簡単に破棄する気持ちも生まれるのだと思う。




(以下引用)



2018年3月7日 水曜日

【坂本フジヱ】「男と女が同じなら、そらセックスもせん」 2015年1月23日 中川雅之

 私は古い人間ですから、昔の考え方が強いんやと思います。今の方は皆さんお産をものすごく大仰に考えている。ご飯食べて、うんこして、寝て、起きてという生活のその一コマでお産があるとは思っていないんです。でも当たり前ですけど、大昔、病院のない時代から人間はずっとそうしてきている。何万年と、自分の体のプログラムに沿って、みんな生まれてきたんですよ。

 姿形が違うように、本当は赤ちゃんの生まれ方だってみんな違うんです。その過程一つ一つに、ちゃーんと生き物としての意味がある。でも今は厚生労働省のマニュアルというのがあって、「こういうときにはこうしなさい」となっている。人生のスタートが、皆同じようになってきてるんですね。それが、人間の自然の能力というものを消し去っていくことになっているんじゃないですか。(中略)

生まれたら死ぬのが定め

 でも、生きるための根本の力が欠けていれば、それはそれまでの命です。それまでの命の子供は絶対に息はしませんよ。そのまま死んでいく。

 今の人たちはそんなの考えられんでしょう。でも人の命というものは、生まれたらあとは死ぬしかないんです。何歳で死ぬかは自分も誰も分かりませんよ。私も3人目の子を流産しましたけれども、いつかは必ず死ぬということが、人間の体に必ず起こってくる出来事です。こればっかりはどうしようもない。

 私の助産所で、死産というのは一回もないんです。これは別にうちがすごいとかじゃなくて、妊娠中に「あ、これはひょっとしたらこの子供はどこかに何かがあるのと違うか」と思ったら、病院へ送りますからね。

 それでも、私はいつもきっちり皆さんに説明するんです。「生きる、死ぬということは私たちには分からん」とね。親御さんにそれを受け止める気持ちを持っていただかなかったら、私たちも仕事はできんわけですから。

 お医者さんも2人、3人ぐらい裁判を持ったら、もう仕事をする意欲がなくなるんですって。それでもうお産はやめやと。お医者さんも追い詰められているんですよ。だから、なによりも「無事に産ませる」ことを考えるんです。でもそうすることで、両親も赤ちゃんも、何か大事なものを経験しないままに進んでいってるんと違いますか。(中略)

女と男は一緒ではない

 努力の努は「女のマタの力」と書きますけど、子宮の力は国の礎ですよ。子供が生まれんかったら国は亡びるんですから、いわば最後の砦です。そういう女の股の力がね、全部なくならん間に何とかしてほしいなと思う気持ちがやっぱり私にはあるんです。

 近頃は男女平等、平等って言いますけど、女は昔っから特権階級ですよ。神様が子供を産むということを女の人に与えているわけじゃないですか。日本の昔の女性が賢かったのは、自分が上位であるけどそれを表向きは隠していたことです。旦那を立てる。でも実際は自分が上位。そういう家庭が、多くあったんですよ。

 でもそれがいつの間にか、仕事の面で「女性が抑圧されている」って世の中がなりました。それで安倍首相なんかもいろんな政策をやっとるんでしょうけど「女性が安心して働けるように」っていう感じのものが多い。でもそれは自己中心主義の気持ちを、助長させるような政策に思えるんです。

 男女雇用機会均等法ができて以降、家庭でも会社でも、女性と男性が同じような役割を果たすべきという考えが当たり前になりました。でも私はこれには断固反対です。男性と女性は本来、全く違うんです。同じようにしたら歪みが出てくるんは当たり前です。セックスレスの夫婦は最近ほんとに多くて、深刻な問題やなぁと思うんですが、男と女がおんなじようになってきたら、セックスせん人が増えるんは分かる気もします。

「子供がいたら人生の邪魔になる」という意識が問題

 思春期教育にしても、今はだいたい「高校生の間だけは子供をつくらないようにしてくださいよ」というようなことが重点的なことなんです。でも「いのち」に畏敬の念を持たせるのが本来じゃないですか。「子供がいたら子供に邪魔されて、自分の人生が面白くない」という今の考え。これが一番の大きな問題なんですよ。

 最近は離婚も増えているといいますね。私はこれも、自己中心的な考えの結果やと思うんです。人のために我慢することができなくなっている。若い夫婦で親の干渉がないように、関係をほぼ切っているような人も多いですね。こういう人は学はあるのかもしれんけど、それは見せかけの賢さや。子供のために自分はどうしたらいいか、ってことを考えられないんや。

 結婚の適齢期はないけど、子供を産む適齢期は絶対あるんや。国の人口でいうたら、女性が25歳から35歳ぐらいまでに3人か4人産むのが望ましいわけでしょう。この期間に女性が他のことを気にせず、出産や育児に集中できる環境を作らなければいけません。子供というのは神の意思でなかったら、なかなか授かれんです。それを「やっぱりもうちょっと楽しんでから結婚しようか」という人が増えたでしょう。子供も「つくる」って言うようになりましたね。でも年いってからあわてて子づくりしても大変ですよ。(後略)




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男らしさと性欲

コメント711が面白いので転載した。
「男らしい」とは、今風に言えば「肉食系」で性欲丸出しの人間だと考えるべきではないか。性欲を失ったら紳士にはなるが男らしくは見えないだろう。
ただし、倫理的な意味での「男らしさ」とは「侠気」のことであり、「弱きを助け強きを挫く」気風を言う。これは見かけとは無関係である。
で、女性はどちらの男らしさを好むかと言えば、雌としての動物的本能によって、性欲ギラギラで野蛮で活動的な阿呆を「男らしい」と感じるものだ、というのが私の考えだ。つまり、ヤクザ、DQN、不良、スポーツ馬鹿を「男らしい」と思うはずだ。思索的で慎重な人間を男らしいと思う女性はまずいないだろう。
下の報告者は女性だと思うが、問題の男子高校生たちが「男らしくない」からタレコミをしたのではなく、「女性全体を守る意識」つまりフェミニスト的意識からそういう行動に出たはずで、自分がつきあう対象としてなら、「男らしい」連中、つまり問題の高校生たちと似たタイプを選ぶような気がする。思索的で慎重な人間なら、この高校生男子たちのような会話の仲間には入らないか、仲間づきあいでそういう会話に加わっても罪悪感を抱いているだろう。だが、まあ、概して言えば思春期の男なんてのは性欲の怪物であり、馬鹿である。つまり一番「男らしい」時期だ。





マックで女性に点数つけてブスだのババアだのと盛り上がってる男子高校生の集団がいた → 録画してそいつらの学校へ持ち込んだ → 結果・・・


702 :
名無しさん@おーぷん 2016/11/30(水)13:29:47
半年ぐらい前のお昼時のマックにて、ブスとかババアとか言いながら
大声で盛り上がってる男子高校生の集団がいた
 
ペーパーを取るために移動した際にチラッと見てみたところ、
盗撮したと思われる女性の写メ?を取り囲んでいた

「こいつはババアだけどナイスボディから70点」
 
「○×(地名)ってやたらナイスボディ多いよな。撮影はかどるわ」
 
「こいつは汚女臭いから50点」
 
「こいつは歳いったブスだけど少女連れてるから60点」
 
「幼稚園付近もいいスポットだよなwww」
 
「ほらさ、ちょこっと、車に連れ込んでさ、小さな女の子とwww」
 
ちょっとマイルドな表現にしたけど、こんな感じのお喋りをしていた
周囲にいた家族連れやリーマンがそっと席を移動したことにも気付いてない様子だった

見間違いかと思ったけど、男子高校生の集団の中に五歳年下の従弟がいた
無理やり付き合わされてるのかな?とも思ったけど、
割と積極的にブスとかババアとか言ってた
向こうは私に気付いてなかった
 
少し悩んだ結果、男子高校生の集団をスマホで音声付きで録画した
従弟たちの高校は私の母校でもあるから、会社帰りに
学校に寄って馴染みの先生に録画をお見せした
 
こっちは
 
「ちょっと痛い目見やがれwww」
 
みたいな軽いノリだったんだけど…
先生はかなりお怒りのご様子だった

この後のことは家の事情だから流石に詳しくは書かないけど、
結論から言うと従弟は息苦しい生活を送っている
パパがお家に介入しちゃったんだってさ
 
「今までは私ばっかり叱られてスマホ没収されてたけど、
父さんが家にいてくれるようになってからは弟ばっか叱られて
常にスマホ没収されてる。あのクソババアはずっとメソメソしてる」
 
笑いながら語った従妹の顔はそれはそれは晴れ晴れとしていました
 
 
703 :名無しさん@おーぷん 2016/11/30(水)13:35:20
男子高校生の集団は害悪。
この前も可愛くて大人しそうなJKを取り囲んで
セクハラ発言してる男子高校生の集団がいたわ。
 
 
709 :名無しさん@おーぷん 2016/11/30(水)16:06:10
>>702
息子溺愛&娘冷遇って9割型こんな感じになるよね…
 
 
706 :名無しさん@おーぷん 2016/11/30(水)15:49:06
>>702
母親が息子溺愛してクズ男に育て上げたのか
かーちゃんしっかりしろよ
女々しく育ててどうするよ
 
「男らしく女らしく」は不平等だと言われるけど、
ある程度はそう厳しくしといたほうがよいのかもね
 
欧米って社会人になったら男女同権・男女平等の面をビシバシ出してくるけど
子育てのうちは割とビシバシ「男らしく女らしく」育ててるんだよね
おもに米ではイジメられないため、欧では役割分担のためと正しくフェミニストなため
最近読んだ本の受け売りだけど


711 :名無しさん@おーぷん 2016/11/30(水)16:14:13
むしろ「男らしく」育ってると思うけど。その従弟




美はスポーツの採点基準とすべきではない

美の基準が世界的に欧米にあるのなら、美を競う競技で欧米基準から外れる選手(アジア人やアフリカ人など。アフリカ人は顔はともかく体型的にはまだマシである。)はそもそもそのスポーツをやる資格が無いのではないか。欧米基準ではない美を認めろ、と言うのなら、どのようなのを美とすればいいのか。胴長短足のデブこそ美である、としたなら、誰がそんな競技を見るのか。顔にしても、鼻ぺちゃで河豚のような顔を美であると世界に承認させるのか。
もともと、美をスポーツの採点対象とすること自体が無理なのである。





平昌でも露呈、欧米えこひいきの冬季五輪採点

平昌冬季五輪、フィギュアスケート女子シングル・フリースケーティング(FS)の演技に臨む宮原知子(2018年2月23日撮影)。 © AFP/Mladen ANTONOV〔AFPBB News〕 平昌冬季五輪、フィギュアスケート女子シングル・フリースケーティング(FS)の演技に臨む宮原知子(2018年2月23日撮影)。

 「バンブーシーリング」――。グラスシーリング(ガラスの天井)ならぬ、その名の通り、「竹の天井」(バンブー、すなわち竹はアジアを象徴しているという)といわれている。

(文中敬称略)

 米国や欧州などでアジア系の人間が上に登りつめようとすると、その“見えない”竹の天井で、成功や出世の道が閉ざされたり、バッシングやハラスメントを受けたりすることをいう。

 「世界の平和・平等・公平」を謳うオリンピックも、例外ではない。

貴族のスポーツ

 アルプスの最高峰モンブランの麓にある高級リゾート地、シャモニー・モンブラン(フランス)で約100年前に開かれた冬の祭典を発祥とする冬季オリンピック。

 特にヨーロッパの「貴族のスポーツ」の祭典として始まった冬のオリンピックには、この見えない「バンブーシーリング」が立ちはだかってきた。

 貴族のスポーツゆえ、とにかく、このウインタースポーツにはお金がかかる。資金面の上でも、贅沢なスポーツで、世界でも一部の人間しかできないスポーツばかりが集められている世界的に超リッチな競技大会だからだ。

 中でも、ヨーロッパの「美」の基準が色濃く残るフィギュアスケートでは象徴的だ。冬季オリンピックだけでなく、世界選手権でも長年、ロシアや米国が牛耳ってきた。






ローカルルール

私はこういうのを「マイ常識(マイルール)」とか「ローカル常識(ローカルルール)」と呼んで、非常に危険なものという認識を広めるべきだと考えている。ひどい場合には、ひとつの村全体がそういうローカルルールで凝り固まっていることがあるのではないか。自治会ルールとかPTAルールもローカルルールの危険性がある。他地域や他組織から見たら非常識そのものなのである。
都会であってもローカルルールに冒されていることもある。たとえば「田舎者差別」というのはそれこそ都会のローカルルールだろう。子母澤寛の作品の中にそういう「田舎者差別」意識を読んで非常に嫌な気分になったこともある。夏目漱石の「坊ちゃん」にもそういう所はあるが、田舎者だから悪いというよりは、田舎者特有の精神の低劣さを蔑んでいるのであり、それには正当な部分もある。だが、たいていの田舎者差別は、田舎出身であるというだけで差別するという質の悪さがある。
イギリス人のアジア人差別というのは、田舎に行くほどひどいらしく、田舎者だからこそ視野が狭く、自分たちと違う存在をすべて自分たちより下と見るようである。つまり、差別する側の方が、人間性としては差別される側より低劣であるわけだ。





外に出ると雨。すると同僚、出入り口の傘立てからビニール傘を平然と2本抜き「はい」って私に差し出した

2018年03月03日 16:35

今まで生きてきて凄く衝撃的だった体験 その21
494 :名無しさん@おーぷん : 2018/03/01(木)21:40:12 ID:jQe
ちょっと前にアルバイト先の同僚と仕事終わりに書店に寄ったんだが、
買い物終わって外に出ると雨。
すると同僚、出入り口の傘立てからビニール傘を一本、
当たり前のように平然と2本抜き「はい」って1本私に差し出した。
え?え?え?って今起こっている出来事が理解できなくて一瞬固まったけど
「え?それ誰かの傘でしょ?」って言ったら「え、ビニール傘だよ?」って。


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「いやそれは見りゃ分かるけど、泥棒じゃん」って言ったら
「ビニール傘なのになんで泥棒なのよ」って笑いながら言われて
ますます意味が分からなかったけど
「ビニール傘でもなんでも人のものでしょ」って言うと
「だーかーらーーーー、ビニール傘はみんなのものでしょ?」って呆れたように言われた。
彼女の話によると、ビニール傘は一時的に使うもので、必要なくなったらその場に置いていくもの。
置いていったものを又誰かが困った時に使うもの。
そうやって回していくのがビニール傘で、そういうシェア的なことをしたくなければ
ちゃんとした柄入りや色付きのジャンプ傘とか折り畳み傘を使うのがマナー。
話聞いててマジで混乱した。どこの国の話?日本だよね、ここ?
そんな話は一般的ではないし、まれに「困った時にお使いください」って置いてある店を見かけるが
あれはあくまでサービスであって、利用したら元の場所に戻すのがマナーだし、
ビニール傘は買った人のものであって、他人が勝手に使えるものではなく
勝手に持っていけば窃盗になるって説明したら
「子供の頃から親にそう言われて育っている。ずっとそうやってきた」って引かない。
なので、明日バイト先で他の人に聞いてみたら?って言ったら
翌日バイト先で話を聞いた全員その場でビックリし過ぎて固まってた。
その同僚、前日家に帰って母親に私の話をしたら
「そんなわけのわからん人と付き合うな」って言われたらしいんだ。
でも一応他の人たちに聞いてみたら、誰一人賛同する人がいなくて
それどころか非常識な泥棒扱いされてショック受けて、やっと自分ちが非常識だと分かったらしい。
現在、家を出て一人暮らしする準備中らしいが、20代半ばまでそうやってきたってのが驚く。
でも今からでも遅くはない。真人間になるチャンスだと思って応援してるw

495 :名無しさん@おーぷん : 2018/03/01(木)21:48:03 ID:nkD
>>494
信じられないことに、そういう考えの人間結構いるのよ
たまにいるんじゃなくて、結構いるから驚く。

497 :名無しさん@おーぷん : 2018/03/01(木)21:55:25 ID:iTK
>>495
マジですかー
誰が最初に教えるんだよそんなことーーーーー

498 :名無しさん@おーぷん : 2018/03/01(木)23:35:33 ID:OAY
>>494
職場にビニ傘じゃなくて普通の傘でもそういうことする人がいるけど
カラオケに行ったら外国の歌を外国語で歌っていて、初めて外国人だと知った
日本も多様性の時代に入ってそうした海外の習慣が流入しているんじゃないか?



日常の中のインテリジェンス

安達裕哉という人のブログから転載。
なかなか示唆的な内容である。
情報の表面だけを読むというのは、言ってみれば、人間はすべて正直な発言をする、と信じることである。だが、実際の人間は言うまでも無く嘘ばかりついている。情報の中から隠された真実を見抜くことがインテリジェンス(諜報活動でもあり、知性でもある)というわけだ。

(以下引用)


医師の知人から聞いた話だ。

その知人がまだ駆け出しの医者だった頃、小さい子供が「お腹が痛い」と病院に来た。だが、彼が腹部を診ても何も見つからない。なぜ子供が「お腹が痛い」とこれほど訴えるのか、彼はすっかり困ってしまい、上司に相談した。

「お腹がいたいと言っているんですが、何も見つかりません。胃腸炎か何かでしょうか?」

すると、その上司はいった。

「バカヤロウ、お前は何を診ているんだ。」

 

そして上司は子供に向かって言った。

「本当に痛いのは、お腹じゃなくて、おちんちんじゃない?」

子供は頷いた。

子供は恥ずかしくて、「お腹が痛い」と言ったのだ。

 

先輩の所見は「睾丸捻転症」。放置すれば危険なこともある。

知人は「僅かな情報から、多くの事象を読み取ること」の凄さを思い知ったそうだ。

 

 

こうしたことが、「経験を積めばだれでもできる」と思うのは間違いである。

経験を積んでも、知識を積み上げても、残念ながらこうした「インテリジェンス」に係る件は「気づかない人はいつまでも気づかない」のだ。

地頭を良くしようとするならば、「インテリジェンス」を意図的に働かせることが必要なのだ。

 

この細部に気づく、意図を読み取る、内部の法則性を読み取る、などの意識の働きが強い人を、おそらくは「地頭の良い人」と呼ぶのだろう。