忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

教室という場と「笑い」

某スレッドのコメントのひとつだが、「クラスのノリが男子特有のものになる」というのが、何となく分かる気がするが、それをうまく言語表現できない。「馬鹿なノリほど大勢力になる傾向」と言えるかもしれないが、私自身は特にそういう経験も無いので、アニメか漫画で見たものだろう。「自分から人前に出たがるコメディアン」は男子にしかいなかったと思うが、あるいはそういう傾向が「男子特有のノリ」だろうか。同級生には半分馬鹿にされながらも、目立つ存在ではあった。中には、勉強はできなくても笑いを生む才能のある者もいた。たいていは単に騒がしいだけの存在だったが、「騒がしい存在」がいることで教室が明るくなったのも確かだ。就職用の売り文句ではないが、「教室の潤滑油」的存在である。(知的な笑いではなく、奇妙な言い方や奇妙な仕草で笑いを取る、低レベルの芸人に近い。)
で、女子にはこういう存在が稀だったのは、「他者から笑われること」「見下されること」への恐怖感が男子より強かったのではないだろうか。

(以下引用)


@tomatoha831 ・理系と文系でクラスが別れるから、女子は友達と離れたくないという理由で文系に行くことが結構ある ・私は共学で理系クラスに行ったけど、圧倒的男子率のせいでクラスのノリが男子特有のもの(?)になることが多くて、いつまでこのノリは続くんだろうって思ったり、キツいと感じることが度々あった
PR

お大尽と取り巻き

私自身の別ブログに載せた引用記事である。

(以下引用)


『災間の唄』出版記念 小田嶋隆・武田砂鉄対談 後編

糸井重里と松本人志を小田嶋隆・武田砂鉄が改めて語る「“機嫌の悪い人って嫌だよね”で糸井村のムードに」「松本に笑いが上納されている」

「松本人志は、織田信長が「あっぱれじゃ」と言うと「ほほー」みたいな世界に入っちゃっている」

糸井重里と松本人志を小田嶋隆・武田砂鉄が改めて語る「機嫌の悪い人って嫌だよねで糸井村のムードに」「松本に笑いが上納されている」の画像2
『災間の唄』を発売した小田嶋隆氏と武田砂鉄氏(写真/尾藤能暢)

──糸井氏の「ユーモアが大事だよね」ということともつながりますが、この本のなかで小田嶋さんはユーモアや笑いが持つ暴力性も繰り返し指摘されています。その代表格こそ松本人志ではないかと。

〈笑いは権力に抵抗するための有効な手段だと言われている。もちろんそういう側面もあるのだろう。でも、テレビ経由で流れているお笑いネタの大半は、強い者が弱い者をナブる時に起こるアクシデントを笑うパターン芸で、むしろ権力の作用そのものだったりする。〉(2017年10月17日)

小田嶋 私が若いころに面白かった人といえばだいたい左側の人で、野坂昭如とか青島幸男とか、あるいは橋本治とか。右側の人たちは喚いてばかりいて、いつも興奮していて、およそユーモアのない人たちだったんです。それで私自身は思想的に左だったわけじゃないけど、左側の人たちのほうが柔らかみや余裕なんかがあってかっこいいよねと思っていたわけです。ところが、吉本が笑いの中心になってから、批評的な笑いが一切消えて、後輩をいびってみんなで笑うような、ほもソーシャルのなかの笑いが主流になってしまった。松本人志はそのチャンピオンでしたからね。松本は地頭が良くて、教室の後ろのほうでときどき面白いことを言って混ぜっ返すタイプ。それが力を持ってしまったということが、なんていうのかな、真面目に考えることをバカバカしくしちゃう空気をつくり出したんじゃないのかな。

──2019年にも〈松本人志がヤンキーのヒーローたり得たのは、勉強漬けのインテリの知的武装をワンフレーズのボケで無効化してしまうその地頭の良さにあったわけなんだけど、この20年ほどのていたらくを見ていると、「勉強しない地頭」の劣化サンプルみたいなことになっている。〉とツイートされていましたよね。

小田嶋 松本人志がすごく面白かった時期は、とにかく不思議なアドリブの冴えがあったんですけど、でも、あそこから何も成長していない。

武田 たぶん、いまの小田嶋さんのたとえで言うと、これまで、教室の後ろでやんややんや騒いでいた人たちが、いまはもう、教壇に立っているわけですよね。で、その教壇から生徒に対して何を求めるかといえば、同調です。教壇でやっていること、言っていることの面白さに気付けとか、あるいは、いい感じに揺さぶってみろと迫る。僕はナンシー関さんのコラムが大好きでしたが、ナンシー関さんは生前、松本さんのことを高く評価されていた。それは、業界の仕組みに突っかかっていく一匹狼的なところへの評価だったはず。いま彼を見て一匹狼と思う人はいないでしょう。一匹狼ではなく、群れの長です。

小田嶋 それはビートたけしも同じで、軍団つくっちゃったでしょう? たけしがすごくつまんなくてもみんな笑う。松本周辺に起きている笑いも同じ。いつもパターンが一緒なんですけど、同じことを混ぜっ返すだけなのにすごく笑いをとるんです。ある若手芸人が「これ美味しくないですね」って言ったとすると、「それ『美味しくないですね』か?」って言うだけなんですよ。オウム返しするだけで笑いがとれる。あれはなぜ笑いがとれるかと言えば、その立場にいるからなんですよ。

──教壇に立っているから、と。

小田嶋 中小企業の社長がなんか言うとどっと受けるとか、織田信長が「あっぱれじゃ」と言うと「ほほー」みたいな。その世界に入っちゃっている。お笑いの世界じたいがそういうピラミッド構造のなかで、下の者は「私は笑っていますよ」というサインを出す。あれは権力関係の笑い。笑いが上納されているんですよ。

──視聴者もそこに組み込まれていますよね。

小田嶋 これを笑わないと笑いのセンスがないって言われてしまうことへの同調のなかで笑うという動作が発生している。

武田 EXILEグループの皆さんは、一斉に笑いながら、手を叩いて立ち上がります。全体で同意しているぞ、というのを作る、見せる、というのが大事なんでしょうかね。

小田嶋 彼らはTRIBEって言っていますからね。「部族」「種族」ですよ。

「精神鑑定」で殺人者を無罪にする例が多すぎないか

「責任能力」が無いから殺人者を無罪、という法律そのものがおかしくないか。
「子育てに悩んでいた」→「だから殺した」
ちゃんと論理があるではないか。論理的思考能力があるなら責任能力もあるに決まっている。


(以下引用)

小1女児殺害容疑の母親を不起訴「責任能力に問題」 大分地検支部

奥正光 倉富竜太
[PR]

 大分県中津市のアパートで1月、小学1年生の長女(当時7)を殺害した疑いで逮捕・送検された母親(41)について、大分地検中津支部は21日、不起訴処分とした。同日、地検が発表した。「精神鑑定の結果などを総合的に考慮し、責任能力に関して問題があったと判断した」と説明している。

 地検は同日付で、心神喪失者等医療観察法に基づき、適切な医療措置を求める審判を大分地裁中津支部に申し立てた。2月から約2カ月間、鑑定留置を行っていた。

 大分県警は1月17日午前0時ごろ、長女を殺害したとして、殺人容疑で母親を逮捕。同日午前7時25分ごろ、母親自らの通報を受けて自宅アパートに駆けつけた中津署員が、寝室に横たわっている長女を発見し、長女はその場で死亡が確認された。捜査関係者によると、県警の調べに対して母親は「子育てに悩んでいた」「自分も死のうと思った」と供述したという。(奥正光、倉富竜太)

トロッコ問題としての「夢」

某アニメを見ていて思ったのだが、自分の名前のついた少惑星か何かを見たいから月に電波望遠鏡か何かの大望遠鏡を作りたい、あるいは作らせたいという夢を持つ天文学者の夢は、多くの人の労力と膨大なカネをかけても実現するに値する夢なのだろうか。
その膨大なカネがあれば、何十人もの、あるいは何百人もの人間の命が確実に救えるのである。いや、ひとりの命でもいい。月の望遠鏡は、むざむざと死んでいく人間の命より貴重な価値があるのだろうか。月の望遠鏡は、それほど未来の人類の幸福や生命維持に寄与するものだろうか。

そして、その天文学者と子供のころに「自分は月に行く」と約束したアニメ主人公の夢は、はたして他のすべての宇宙飛行士志望の人間の夢より優先される価値があるのだろうか。子供のころの夢を大人になっても持ち続けていることは、そんなに素晴らしいことだろうか。月に立ちたいという夢は、隣家の貧困老人を助けるより大事な夢だろうか。いや、老人など汚いだけだし、助ける義務はない、という気持ちは分かるが、ひとりの人間の生命を一日でも伸ばすのは、月に行くよりははるかに素晴らしい行為なのではないか。いや、猫一匹の命でも、誰かが月に降り立つより、はるかに貴重なのではないだろうか。

まあ、そう言いながらも、私は昔は「ベートーヴェンの第七交響曲がこの世に生まれることは人類の半分の生命より価値がある」と思っていたのである。優れた芸術作品は、人類が月に降り立つよりはるかに価値がある。月など、空にあればいいのであり、人間の足が汚す必要などない。特に、月に降り立つ人間の動機が単なる功名心(それを夢と言ってもいい)であるとすればなおさらだ。

格物致知とは何か

朱熹のように、「格」を「至る」と読むのは無理があるだろう。しかも、それだと「致知」の「致」と同じであり、字を変えた意味がない。王陽明の「格(正す)」のほうが自然だと思う。

(以下引用)

格物致知

格物から転送)

格物致知(かくぶつちち)とは、儒学術語で、伝統的に様々な解釈のある複雑な概念である。格致(かくち)とも略される。『礼記』大学篇(『大学』)の一節「致知在格物、物格而知至」に由来する。

とりわけ、宋代以降の朱子学において重要視され、格物窮理(かくぶつきゅうり)とも言い換えられた。すなわち『易経』説卦伝の一節「窮理盡性以至於命」(を窮(きわ)め性(せい)を尽くし以て命(めい)に至る)の「窮理」と結びつけられ、「事物のを探究する行為」を意味した[1]

概要[編集]

礼記』は儒教の経典(経書)である。その『礼記』の一篇「大学篇」は、儒教の思想を簡潔かつ体系的に述べた篇である。宋代以降は、大学篇そのものが一個の経書(四書の一つ『大学』)に位置付けられた。

大学篇の内容は、「三綱領」と「八条目」に要約される[1]。三綱領とは、「明徳を明らかにし、民を新たにし(民を親しましむと読む説もある)、至善に止る」の三項、八条目とは、「格物、致知」の二項と、「意を誠にし、心を正し、身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らぐ」の六項を合せた八項目のこと。これらは全体として、儒教思想の体系を巧みに論理だてて、説き明かしている。ところが八項目のうち六項目については、『大学』の文中で詳しい解説が与えられているのに対し、「格物、致知」の二項については、一言も説明が加えられていない。「格物、致知」が解らなければ、段階を追って組み立てられている八条目の思想が出発点から曖昧になる。そこで、特に宋代以降、儒学者のあいだで、この解釈をめぐって儒教の根本問題として論争の的となった。

歴史[編集]

までの伝統的な解釈である後漢鄭玄(127~200)注では、「格」を「來」、「物」を「事」、「致」を「至」と解し、善や悪を深く知ることが善いことや悪いことを来させる原因になるとしていた。しかし、この一文はかつてはそれほど注目されたものではなかった。

重視されるようになったのは、北宋程頤(1033~1107)が格物を窮理と結びつけて解釈してからである。彼は自己の知を発揮しようとするならば、物に即してそのを窮めてゆくことと解釈し、そうすることによって「脱然貫通」(だつぜんかんつう)すると述べた。

南宋朱熹(1130~1200)はその解釈を継承し、『大学』には格物致知を解説する部分があったとして『格物補伝』を作った。ここで格は「至(いたる)」、物は「事」とされ、事物に触れ理を窮めていくことであるが、そこには読書も含められた。そして彼はこの格物窮理と居敬を「聖人学んで至るべし」という聖人に至るための方法論とした。この時代、経書を学び、科挙に合格することによって官僚となった士大夫に対し、格物致知はその理論的根拠を提供した形である。しかし、格物は単に読書だけでなく事物の観察研究を広く含めた。そこから、近世以降の東アジアでは博物学本草学名物学)の営為が「格物」と表現されることもあった[2][3]。また、末中国の丁韙良英語版『格物入門』、幕末日本の福沢諭吉窮理図解』など、西洋の自然科学自然哲学)を導入するに際しても「格物」「窮理」の語が使われた。

一方、明代の王守仁(王陽明、1472~1528)は、「格物」は外在的な物に至るというものではなく、物を「正す(格す)」として、自己の心に内在する事物を修正していくこととし、「致知」とは先天的な道徳知である良知を遮られることなく発揮する「致良知」だとした。ここで格物致知は自己の心を凝視する内省的なものとされた。また初の顔元は「格物」を「犯手実做其事」(手を動かしてその事を実際に行う)とし、そうすることによって後に知は至るとした。ここで格物致知は実践によって知を獲得していくこととされている。

従って「致知在格物」の読み方もそれぞれ異なり、朱子は「知を致すは物に格(至)るに在り」と読み、王陽明は「知を致すは物を格(正)すに在り」としている。

出典[編集]

  1. a b 湯川敬弘・小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)『格物致知』 - コトバンク
  2. ^ 太田由佳「松岡恕庵本草学の研究(要旨)」、京都大学 博士論文、2011年。 / 太田由佳『松岡恕庵本草学の研究』思文閣出版、2012年。ISBN 978-4784216178
  3. ^ 西村三郎『文明のなかの博物学 西欧と日本 上』 紀伊國屋書店、1999年。ISBN 978-4314008501。第2章「花ひらく江戸の博物学 「格物致知」-朱子学の立場」

関連文献[編集]