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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「スピリチュアル系ブログ」の文体

私は「大摩邇」というサイトをよく利用しているのだが、このサイトはスピリチュアル系ブログからの引用が時々ある。まあ、「大摩邇」自体「日月神示」とかいう、変に新興宗教くさい祝詞を冒頭に掲げているから怪しいサイトではあるが、マスコミの報じない情報を積極的に紹介しているから利用するわけである。
で、スピリチュアル系ブログの嫌いな私なので、「大摩邇」によく紹介される「ライラックのブログ」もまったく読んだことがない。文体自体が、スピリチュアルの匂いがプンプンするわけだ。
その例として、新しい記事の冒頭部分だけ転載する。その特徴として、「世間の人間は精神的に低いレベルにいる」「自分はそれを超脱している」という趣旨の内容が多いこと、そして時々「宇宙」がどうこう、という話をしたがることなどがある。前によくネットで活動していた「光の軍団」のように「光」がどうのこうのという言葉も好きなようだ。「プレアデス」がどうこうというのも、「自分たちは宇宙的視点を持っている。お前たち俗人とは違う」というアピールだろう。かと言って、伝統的宗教に関する知識は無いことが多いようだ。

(以下引用)

「傷付いている人ほど、他者を傷付けてしまう」「他者を傷付ける人は、自分も同時に傷付けている」

lilac(ライラック)のブログさんのサイトより
https://ameblo.jp/white-lilac719/entry-12754333736.html
<転載開始>

世の中を拝見しておりますと「誰かによって自分は嫌な思いをしている」と感じておられる方々が、まぁ、何と多い事かと思います。

(・。・;

 

そういう方達の共通点として「他人の事は良く見えても、自分の事になると盲目になる=他者を観る時と同じ視点に当てはめて、自分を客観視するが出来ない」、

 

或いは「自分の事を客観視出来ている様に思い込んでいる」というものがある様に私は思います。

(^^;;

 

皆自分が愛おしいと感じている分、他者より自分に対してものの見方が無意識に甘くなり、それ故自分の事になると"盲目的になってしまう"のでしょうと私は思いますが、

 

宇宙的に観ると、そうしたものの見方や捉え方というのはアンフェアでアンバランスなので、

 

そういう事に気付いておられない方達というのは、必然的に自分の生活環境や人間関係に色々な歪みや不満が生じて来るのだろうなと私は感じています。

(^^;(^^;(^^;(^^;(^^;;

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「戦争は文明を発展させる」論の批判

「まおゆう」だったと思うが、戦争、あるいは闘争が文明を発展させてきたという、ネトウヨ的な経済思想が話の柱になっていたと思う。まあ、第一話しか見ていないので、確かではない。私はネトウヨ、あるいはネトウヨ的性格の人間が嫌いなので、後は見ていないのである。
で、この「戦争が文明を発達させた」という思想は案外多くの人が同意しているので、平和主義者の私としては腹が立つわけだ。で、これを論破できないか、という意図で考察してみる。
あらゆる戦争道具・戦争機械が戦争を機に発明され工夫して向上し実際に使われるようになるのは明らかである。で、根本的問題は、これは「文明の発展」なのか、ということである。こうした戦争道具や戦争機械の利用によって戦力を増した国が戦争に勝ち、負けた国を支配する。これははたして文明の発達なのだろうか。もしそうなら、人類の文明はその精神性において、馬や豚よりも下のレベルなのではないか。戦争に勝った国は負けた国より文明が上だ、とするなら、文明の評価とは何と野蛮なものだろうか。
もちろん、戦争をきっかけに発明された物が平時の社会生活を向上させる、ということもあるにしても、それは別に人類には戦争が必要だという理由にはならないわけである。戦時に作れるものなら平時にでも作れるに決まっている。単に、戦争の時には膨大な国家予算が軍事費(研究費)に使われるだけの話だ。それを平時に使えば、もっと有意義な発明も出てくるだろう。何も、相手を殺し、破壊する道具や機械だけが有益なわけがない。
現実の問題点は、戦争は一部の人間の大儲けの最高の機会だ、ということである。だから戦争は地上から無くならないのである。戦争が文明を発展させる、というのはそういうサイコパスたちの自己弁護の詐欺論法にすぎない。

日本の老人の「息子の嫁」の女中扱い

他所の家の奇習は知らないが、ネットで見る限りは今だに(注:「未だに」は否定語を伴うべきものなので、何でも「未だに」とするのは間違い。もっとも、「今だに」と書くと無用の誤解を招くので「今でも」とするのが無難)自分の子供の奥さんを女中扱いしていろいろとやらせる老人は多いように感じる。自分が飲む酒の燗くらい、自分でしろ。他人に「自分のための雑用」をさせることが自分の権力を感じさせて嬉しいというキチガイ心理だろう。こういう人間にこそ「発達障害」の呼び名をつけるべきだ。
別の話になるが、「高級日本酒」を熱燗で飲むのは酒の風味をダメにする馬鹿な飲み方だ。その点でもこの爺さんは無知無能。しかも、5月になぜ熱燗?
報告者も、自分の父の馬鹿さ加減に気づいていないようである。その嫁さんが気の毒である。まあ、知らないことを知らないと言えない点では批判されてもいいとは思う。意図的にやった意地悪ならGJである。


(以下引用)


【ドン引き】父が高い日本酒を持ってきて「熱燗にしてくれ」と注文。嫁「わかりました!^^」俺(熱燗の作り方知ってるんだ~)→ゴボゴボ・・・

元スレ:嫁のメシがまずい253皿
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1557159267/


908: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/24(水) 14:06:37 ID:vRywjfUr0
親父が日本酒持って来て「熱燗にしてくれ」と嫁に注文

嫁は了承したので熱燗の作り方を知ってる物と思ってたら
鍋に全部開けてゴボゴボ沸騰させてた

大学生を名乗るケダモノたち

2007年の記事だが、今の若者の1割から2割くらいはこのようにモラルがまったく欠如した人間というか、人間まがいの動物、ケダモノだろう。慶応大学や早稲田大学のレイプサークルの事件があったように、大学生だからマシだろうというのは幻想である。
いや、小学校や中学校くらいまでは、「自分の知らない世界や知識がある」と分かっているから、悪事をするのもためらいがあり、やるのも無知のためという部分があるが、高校大学くらいになると、「分かっていてやっている」からより悪質なのである。つまり、悪事をやっても自分はうまく罰を免れられるという「成功体験」を積んだケダモノになるわけだ。

(以下引用)

「中学生と性交渉」告白大学生 内定取り消し、退学の危機

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   埼玉県の男子大学生(21)がミクシィに、キセル未遂行為を自慢する日記を2007年8月18日に書いていたことが分かった。同時に、駅員に暴言を吐いたことを日記に書き、さらに、自らのブログで女子中学生との性交渉などを明かしたため、2ちゃんねるなどで祭り騒ぎになっている。この大学生はIT企業のSEに内定しているが、大学では退学処分などを、会社では内定取り消しを検討している。

中学生との性交渉、カンニングなどもぞろぞろと

男子大学生がキセル未遂を明かしたミクシィの日記
男子大学生がキセル未遂を明かしたミクシィの日記

   この男子大学生は8月18日、彼女と一緒に、東京ビッグサイトで開かれたコミックマーケットに出かけた。その行きに、りんかい線国際展示場駅でキセルをしようとしたことを、独特の若者言葉でミクシィの日記に書いている。

「当日の朝、俺様Suicaに残りちょっとしか入ってなくて
これ改札通れるか微妙だなーって思って、清算しようと思ったんだけど
清算の列並びすぎwwwっうぇwww
っていうくらい並んでたので、キセルだイェイイェイ!!
って事で彼女の後ろにぴったりくっついて改札を抜けようとしたところ
駅員に止められました(^ε^)-☆Chu!!」(「彼女」は編集部書き換え)

   駅員が大学生のSuicaを調べたところ、不正は発見できず、彼女が突然、謝罪を求めて駅員に怒り出した。そして、男子大学生も、逆切れに便乗して、「お前それがあやまってるって言えんのかよ?誠意もって頭下げろや」などと駅員を恫喝し続けたという。

   この日記は、その後、2ちゃんねらーの話題になり、男子大学生がブログに書いていた過去の行為が次々に暴露された。例えば、男子大学生は、女子中学生と性交渉を持ち、妊娠させた可能性を明かしていた。この深刻な話は、女子中学生からメールで伝えられた。

「3日無視してたんだけどさ、気になってさ、電話したの!!
何か生理来ないとか意味わかんない事言い出してんの!!
『1月は来たんだけど2月と3月来てないんだよね』
なんだお(^ε^)-☆Chu!!
死刑宣告したいのかお(^ε^)-☆Chu!!」

   男子大学生は、さらに、ブログで、医師の診断書を偽造して大学の授業を欠席しようとしたこと、大学のテストでカンニングをしようとしたこと、腐った卵を自宅隣のアパートの郵便受けに突っ込んだこと、などを明かしていた。

「事実なら、社会人としての常識に反しています」
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批評と礼儀正しさ

何とか樹の文章の一部だが、思考テーマとして面白いので考えてみる。先にその短い部分を引用する。
(以下引用)
批評的でありながら礼儀正しい文体というのがどういうものか知りたい人にはアナトール・フランスの『エピクロスの園』とクロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』をご推奨したい。何が書かれているかを理解するよりも先に、彼らの息の長い文体そのものを味わって欲しい。複雑なことを言うためにはそれなりの知的肺活量が必要だということがわかるはずだ。それがわかるだけでも読む甲斐がある。

(以上引用)

「批評的でありながら礼儀正しい文体」というのがよく分からないのだが、批評的であることを「罵倒的」だとか「喧嘩腰」であることと混同している人間が多いという文脈のようだ。
しかし、一流の批評文は礼儀正しいのが普通であり、いや、と言うよりも一流の批評家はまともな人格を持っているからその文章に品位があるのは当然だろう。一時期の日本の文壇の下品な喧嘩は除外する。そういう連中はもともと人格が下品なのである。つまり、アナトール・フランスとかレヴィ・ストロースの文章は私はひとつも読んだことが無いのだが、「批評的でありながら礼儀正しい文体」というのはどの国の文壇でも当然のものだったと思う。しかも、それが「何が書かれているかを理解する」のが困難な「息の長い文体」であるらしいから、まったく読む気にもならない。レヴィ・ストロースなど、「野生の思考」を称揚することで西洋完全優位思想に一撃を加えただけで、その書物を読む必要などあるのか。アナトール・フランスも、既に過去の文学者であり、それより時代の古いディケンズやドストエフスキーが未だに文学的生命を持っていることとは比較にならない雑魚だろう。批評家としても、フランスには有能な批評家はほかにたくさんいるはずだ。日本でも、たとえば小林秀雄や三島由紀夫は、その切り口の鋭さではやはり一流の批評家だったと思う。(小林秀雄は「論理」ではなく「感性」が優れていた批評家である。)

「ウィキペディア」の一部を転載する。つまらないアイデアである。「概念」と「記号」は思考素材機能として本質的に同じであり、記号はより感覚に訴えるだけだろう。つまり、概念に名前や比喩的形象を与えたのが記号である。

野生の思考とは、ありあわせの素材を用いて入り用の物を作る場合(ブリコラージュ)に例えられ、器用人の思考様式と特徴づけられる。それは、眼前の事象を考える際に、その事象と別の事象との間にある関係に注目し、それと類似する関係性を持つ別の事象群を連想しつつ、それらを再構成することである。そして、それらの事象に異なる意味を与え、新しい「構造」を生み出せる。それは、理論と仮説を通じて考える科学的思考と基本的に同質なものである。両者の相違については、科学的思考が用いるものが「概念」であるのに対して、野生の思考が用いるものは「記号」である。