忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

現代におけるセックスの氾濫と恋愛の喪失

あまり深く考える気にはならないテーマだが、私は

「セックスと共に恋愛は終わる」

のではないかという疑問を持っている。もちろん、美男美女を好み、セックスをしたいという気持ちは第二次性徴以降の人間の大半が持っているだろう。しかし、それは恋愛ではないし、セックスした後に恋愛になるというものでもないだろう。
で、相手への関心がすぐに性交に至る場合、そこに恋愛という感情は無いはずだ。そんな軽いものは性的好奇心でしかない。

「リライフ」というアニメは最近では珍しく、「まともな恋愛」を描いた作品でもあったが、そこでは好きな相手と手を握るという行為、腕を組むという行為、強く抱きしめるという行為、つまりセックスとはまったく無関係な行為が「恋愛感情」の中ではいかに大きな意味を持っているかが描かれていた。それは、男性器と女性器を結合するなどの行為は恋愛とはまったく無関係だ、ということでもある。
シニカルな言い方をすれば、性交は動物でもやるが、恋愛は人間しかできない、ということだ。自分の体を売る女性でも恋愛はやるのであり、その恋愛のためには死にもする。これがセックスと恋愛の違いを示している。
そして、恋愛が「結晶作用」を本質とするなら、相手の動物性を直視することになる性交は、恋愛の死滅をもたらす可能性すらあるだろう。


PR