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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

十二縁起の考察

三田誠広の「般若心経の謎を解く」の中にあった「十二縁起」について考察する。三田氏自身の解釈ではなく、それを参考にした私自身の解釈だ。
三田氏はこれをそのまま、1から12まで連続すると考えているが、最後のふたつとその前の10箇条は連続しないだろう。つまり、これは「10+2」の縁起で、最後のふたつは別扱いすべきだ、と私は考える。それ以外の言葉の解釈などはだいたい三田氏に従う。
さて、十二縁起とは、苦悩の発生機序だ、と大きく解釈しておく。最初の10はその形而上的縁起で、残るふたつが形而下的縁起だ、というのが私の解釈だ。
先に十二縁起を書いておく。括弧内の解説は、一部は三田氏の解説を参考にして、私が解釈したもの。「縁起」という呼び名にこだわると、順序が気になるだろうが、順序はさほど意味は無いと思う。要するに、「無知」から苦悩が生まれる大まかな機序である。「生」と「老死」の解説は不要だろう。生自体が苦悩の直接原因であり、老死は苦悩の代表的なものだと思えばいい。1から10は、苦悩の基盤は認識であるから、その機序を知り、苦悩から脱出するために認識過程を細説したものだろう。

1:無明(無知のこと)
2:行(無知と識を結ぶ運動)*「偶然的機縁」という解釈もあり、だろう。
3:識(意識)*この段階では「無意識的意識」と言っていいかもしれない。
4:名色(意識された現象とその名前)
5:六入(眼・耳・鼻・舌・身・意による外界との接触)*順序的には2、3番目だろう。
6:触(外界が自分に触れることの無意識的感受)*3と分ける必要はなさそうだ。
7:受(「触」が完全に意識に上ること)
8:渇愛(外界の存在を欲望すること)*存在の形が曖昧なまま欲望するのはよくある事だ。
9:取(外界が自己に「受け取られた」形)
10:有(世界を自分が認識する姿)(あるいは、世界は存在する、という頑固な信念)
11:生
12:老死
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なぜ家庭用浴槽はいつまでも同じなのか

某スレッドのコメントの一部だが、浴槽メーカーは真剣にこの案を考えてほしい。
同じ欲求を持っている人は多いはずである。つまり、こういうものがビジネスチャンスなのである。足を伸ばせる風呂はもちろんだが、「布団代わりに寝れる風呂」というのも、冗談で終わらせるべきではない。(ちなみに、「足を延ばせる」と書くと、足の長さが延びることになる。「伸縮」の「のびる」だから「伸びる」と書く。)(「寝れる」は正しくは「寝られる」だが、もう、この手の「ら抜き言葉」は当たり前になっているので言うのも空しい。)

(以下引用)

68: 風吹けば名無し 2021/06/08(火) 13:16:03.32 ID:mXAF+ULB0
家の浴槽に長時間浸かってるのなんかしんどいわ
温泉だと余裕で長風呂するのに

84: 風吹けば名無し 2021/06/08(火) 13:17:24.74 ID:ayYLk66sM
>>68
足伸ばせないのもあると思うわ
高さ低くして幅伸ばして欲しいわね

91: 風吹けば名無し 2021/06/08(火) 13:18:07.03 ID:JE7ngAr7p
>>84
足伸ばせる風呂ええで

108: 風吹けば名無し 2021/06/08(火) 13:19:18.67 ID:JuFK8kQ2a
>>91
足伸ばせるどころか湯を布団代わりに寝れる風呂が欲しいわ

創価学会とは

創価学会の教義がどんなものか、知らないので、メモである。
まあ、要するに「仏教(シャカの教え)」ではなく「日蓮宗」と言うべきだろう。

創価学会

教義関連[編集]

教義・理念[編集]

  • 日蓮大聖人の仏法を広め、仏法が説く生命尊厳の思想を根本に、人類の幸福と社会の繁栄、世界平和の実現を目指す「広宣流布」という運動を実践する[SG 6][リンク切れ]
  • 万人の生命に等しく内在する、智慧と慈悲と勇気に満ちた仏の生命を最大に発揮する「人間革命」を信仰の指標とする[SG 7]

経典[編集]

釈尊出世の本懐である法華経を最高の経典とし、日蓮が説いた寿量文底下種仏法・三大秘法を基礎としている。

勤行[編集]

朝晩の2回、御本尊に向かい、法華経の方便品(ほうべんぼん)と寿量品(じゅりょうほん)を読み(勤行)「南無妙法蓮華経」(なんみょうほうれんげきょう)と題目を唱えること(唱題)[17]。これを「勤行と唱題行」という。

唱題[編集]

「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」(「なむみょうほうれんげきょう」ではない)という題目を唱える行為。「勤行」のあと、随時「題目」を唱える。これを、「唱題(しょうだい)」という。

時間が取れない場合などには「勤行」を行わずに、「題目」のみを唱えてもよいとされる[18]。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は経典の表題を唱えることに由来する。

本尊・本仏[編集]

  • 信仰の対象である本尊は、日蓮が顕した法華経の肝心である「南無妙法蓮華経」の文字曼荼羅である。

本尊に関する事項は、会長が司る(創価学会会憲第9条第4項 及び 創価学会会則第12条第1項)。

  • 破門に伴って宗門より御形木本尊の下付が停止されたため、1993年(平成5年)以降は日蓮正宗第26世法主・日寛が1720年(享保5年)に書写した本尊(淨圓寺蔵)を複写印刷し、「御形木御本尊」として授与している[SG 8]
  • 諸事情で自宅に仏壇を安置できない場合は、「お守り御本尊」と呼ばれる小型の御本尊を授与する。日寛書写の本尊を複写印刷したものである。
  • 「本門戒壇の大御本尊」については2002年(平成14年)の会則改正により表記が変更された。さらに2014年(平成26年)の会則改正により、「弘安2年(1279年)の本門戒壇の大御本尊は受持の対象とはしない」と聖教新聞上で公式発表された。なお「弘安2年の本門戒壇の大御本尊」は日蓮正宗総本山大石寺に安置されていて、日寛書写の本尊はこの本尊を書写している。
  • 「謗法払い」については、創価学会は新入会希望者に対して、
    1. 入会希望者自身が、かつての信仰対象の処分・返却を行うこと。
    2. 本人が承諾しても、他人が手伝ったり預かって持ち帰ったりしないこと。
    3. 謗法払いは入会する会員自身が、自ら自分自身で行う。
    4. 同居家族や所有関係者の事前了解を得ること。
を指導として徹底している[SG 9]

本仏[編集]

皇室問題に関する事実から妄想への飛躍

遍照飛竜氏のNOTEに記事タイトルだけ載っていた記事の一部だが、前半の「皇室の過去」については真実性が高いと思う。日本の最高の「上級国民」としての天皇や皇室が共産主義を恐れていたことは確かだと思う。そこで、「勝共連合」とのつながりで皇室の一部の者が文鮮明と交流を持ったのは事実だろう。そして、皇室の祖が百済から来た、あるいは朝鮮半島のどこかから来たのも事実だろう。これは私自身、他のブログで考察しているものだが、「日本三代実録」の記載は読んでいない。いつか読みたいと思う。
しかし、記事後半の、現在の皇室について書かれたこと、特に美智子上皇妃の和歌の解釈に関しては、こじつけが過ぎると思う。熟読していないが、「反皇室」意識が強すぎて、妄想になっているようだ。

(以下引用)とするともりだったが、コピー不可能なようだ。そこで遍照飛竜氏の記事から、該当記事の紹介の部分をコピーしておく。と思ったが、そのコピーもできないので、名前だけ書く。「皇室問題分析室」というサイトだ。なぜNOTOには掲載可能で、普通のブログには掲載不可能なのだろうか。

「失われた地平線」とは何か

もちろん、世界的に「シャングリラ」という名前が知られたのはヒルトンの「失われた地平線」と、その映画化作品のためだが、その語源がヒンドゥーのシャンバラだとは知らなかった。最近ではその「シャンバラ」という言葉もかなり使われているようだ。
しかし、なぜ「失われた地平線」なのだろうか。チベットに地平線は無いと思うが、だからこそ「失われた地平線」ということか。最初から無いのに「失われた」というのはおかしくないか。
で、映画の主人公が「二度とその理想郷に行けない」という意味で「失われた」というのなら、失われたのはやはり「地平線」ではなく、「国」だろう。(もっとも、高山地帯だから遠くの地平線が見えることは見えるわけだが、その地平線が意味するのは、主人公の母国である英国だろう。とすれば、主人公は帰国できたのだから、「失われて」いないわけである。)(英語の原題は知らないので、私は無駄な思考遊びをしたのかもしれない。)



pwatermark チベットにある理想郷、という小説内の都市で、モチーフはヒンドゥーのシャンバラだそうだ