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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

「人民は政事の実体にして政事は人民の虚影なり」

高島俊男の「漢字雑談」の中に、中村正直訳「西国立志編」中のミルの言葉を紹介した部分がある。こういうものだ。原文のカタカナ部分をひらがなにするなど、表記は適当に変える。

「邦国(注:ここではイギリスを指すか。)の政事は、特に人民各自一己のもの会衆して放つところの回光返照(かえりうつるひかり)なり。蓋し人民は政事の実体にして、政事は人民の虚影(むなしきひかり)なり。」

この「人民は政治の実体で、政治はその反映である」というのは、民主主義の本質を見事に言っていると思う。現代の政治は、「政治家」という虚像が異常に肥大化しているわけだ。
政治家というのは代議士と言うように、「人民に代わって政治を議する」存在であり、その使命は人民の意志を政治に反映させる以外に無い。だからこそ代議士はrepresentativeと言うのである。
すなわち、人民の意志を議場において「再び(re)」「開陳(presentation)する」のがその役割であって、代議士自身の意志や野心を政治で実現するのは代議士の本来の在り方ではない。
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チームスポーツの地獄性

「弁護士ドットコムニュース」から転載。
17キロの減量というのは大変な数字である。かなりの肥満体だったと想像できるが、それでも部活(バレーボール)をやりたい、やれるという熱意と意志はたいしたものだ。だが、周囲からは嫌われていたのだろうということが、顧問の暴言やそれに同調した部員たちの態度から分かる。これがチームスポーツの地獄性だろう。熱意だけでは「仲間」になれないわけだ。
いわゆる「空気の読めない奴」扱いだっただろうと想像できる。
普通なら、数キロオーバー程度なら、「復帰後に気が緩んで体重が増えたのだろう」と周囲も顧問も寛容に見るはずだが、厳しく指弾されたのは、体重とは別に「いらない奴」「邪魔な奴」と誰からも見做されていたと思われる。
たとえば、全国大会で優勝もできそうなチームに、「障害者は運動部部活に入れないのはおかしい」として身体障碍者を強引に入れられたら、周囲がその障害者を憎悪するのは自然の結果だろう。全国レベルの高校の部活というのはそういうものだ。自分たちが勝利と栄光をつかむことが、その一人のために不可能になるとして、それを快く受け入れ、部活は楽しくやれればいい、と言える人間は滅多にいないはずだ。

(以下引用)


「17キロ減量しろ!」部活顧問に命じられた女子高生…公開で体重測定、部員からの罵声も

「17キロ減量しろ!」部活顧問に命じられた女子高生…公開で体重測定、部員からの罵声も
写真はイメージです(Fast&Slow / PIXTA)

部活の顧問から「お前は減量しろ!」と17キロの減量を命じられ、ストレスから体調不良になったーー。

弁護士ドットコムに、このような女子高生からの相談が寄せられました。

●顧問「17キロの減量」命じ、部員「体重計に乗ってみろ」

相談者は、公立高校のバレーボール部に所属しています。部活の顧問から「お前は減量しろ!理想の体重になるまで皆と同じ練習はさせないし、もちろん試合にも出さない」と減量を命じられました。

しかし、顧問の言う「理想体重」までは17キロ痩せる必要がありました。相談者はランニングと食事制限をしましたが、他の部員と同じ練習ができないストレスやハードな減量で、生理が止まってしまったそうです。

写真はイメージです(AKITA_SYA_KE / PIXTA) 写真はイメージです(AKITA_SYA_KE / PIXTA)

数カ月後、ハードな減量を乗り越えた相談者は、顧問に17キロ減量できたと自己申告しました。ようやく他の部員と同じ練習に参加し、試合にも出してもらえることに。

ところが、ある部員から「体重ごまかしてるんちゃうか、体重計にのってみろ」と言われ、皆の前で体重計に乗せられました。

表示された数字は申告よりも数キロ多く、他の部員から「体重ごまかしてまで試合に出たかったんか」「出ていけ」など、罵声を浴びせられたそうです。顧問からも、「お前なんてもういらん、出て行け」と言われたといいます。

写真はイメージです(Fast&Slow / PIXTA) 写真はイメージです(Fast&Slow / PIXTA)

翌日、相談者は練習に参加できず、1人でランニングしていた相談者は気分が悪くなり、トイレで倒れ、救急車で病院に運ばれました。数時間意識が戻らず、脳の検査などをおこなったところ、「部活における過度なストレスによる精神的なもの」と診断されたそうです。

相談者は、顧問の指導は「精神的な体罰」だと考え、体重測定を強要した部員の行為に対しても「いじめ」ではないかと考えています。

今回のケースで、相談者に減量を命じた顧問の指導や、体重測定を強要した他の部員の行為には、どのような法的問題があるのでしょうか。佐田理恵弁護士の解説をお届けします。

●減量命令は「体罰」にはあたらないけれど…

ーー部活顧問による減量命令は「体罰」にあたるのでしょうか。

体罰とは、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴るなど)や被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・うさぎ跳びを強いるなど)をいうとされています。

今回のように、17キロの減量を達成するまで練習や試合に出さないというのは、それ自体は、体罰にはあたらないのではないかと考えます。

しかし、高校の運動部活動は、学校教育活動の一環であり、児童生徒が自発的・自主的にスポーツをおこない、より高い水準の技能や記録に挑戦するなどしてスポーツの楽しさや喜びを味わい、学校生活に豊かさをもたらすという意義を有しています。

写真はイメージです(kotoru / PIXTA) 写真はイメージです(kotoru / PIXTA)

それを、体重を理由に練習にも参加させないなどということは、児童生徒が学ぶ機会を不当に奪う、行き過ぎた行為であると言えます。

相談者は、自らにランニングと食事制限を課し、生理が止まってしまうほどの無理を強いられることとなりました。

さらに、練習への参加が一度は認められたものの、体重が数キロオーバーしていたことで、再び暴言を浴びせられ、練習に参加できなくなり、最終的に、過度なストレスが原因で倒れてしまったというのですから、顧問の責任は重大であると言えます。

また、体重測定の強要といった他の部員からのいじめも、こうした顧問の問題ある指導により誘発されたと考えられます。この点においても、顧問の責任が極めて重い事案です。

●他の部員の行為は「いじめ」にあたる

ーー他の部員の行為は「いじめ」にあたるといえるのでしょうか。そうであれば、他の部員に対して、相談者は損害賠償請求をすることはできますか。

いじめは、いじめ防止対策推進法という法律で、次のように定義されています。

「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」。

今回のケースのように、一部の部員らが、皆の前で相談者の体重測定を強要し、その結果、体重が数キロ多かったために罵声を浴びせたことは、相談者にとって屈辱的であったと容易に想像できます。それゆえ、相談者の心身に苦痛を感じさせるものであったとして、いじめに該当すると思われます。

以上のとおり、顧問と一部の部員の行為は違法であり、これにより、相談者は、過度なストレスで倒れてしまったのですから、彼らに対して不法行為に基づく損害賠償請求をすることができます。具体的には、治療費や精神的損害に対する慰謝料などを請求することが考えられます。

(弁護士ドットコムライフ)




専門家は現実を知らない

「東海アマ」ブログ記事の一部だが、「専門家(机上の空論)」と「現場仕事(現実)」の乖離についての面白い指摘になっている。

(以下引用)



 だいたい、「専門家」と自称したがるのは、「全体像を軽視している」と自白しているようなものだ。私には「哲学」がありませんと言っているようなものだ。
 私は、「非の打ち所のない素晴らしい設計」というプラントを知っているが、残念なことに、設計がどんなに素晴らしくとも、施工が同じように完璧に行われるかといえば、絶対にそうではない。

 施工では、あらゆるミスが繰り返される。私は、検査員として多くのミス・欠陥に遭遇している。逆に、施工はミスのカタマリであり、完全なる施工など幻想以外に存在しないことを思い知らされている。
 それは、プラントばかりか、宮大工の造営でも起きる。完全無比の建築造営など存在しない。頭領は、一つの現場で、いくつのミスが出るが、最初から予想して、その後始末を考えながら仕事をしている。

 超高級な檜の柱に、他の職人が傷をつける。これは、そういうものなので、傷が出やすい場所に予防手当をするのだが、それでも傷がつくし、サイズが合わないこともある。
 こんなとき、どうやってごまかすかが棟梁の真の技術なのだ。
 プラントでも同じで、サイズ違いのフランジをどうやって接合するかが監督の技量ということになる。それが「人間の仕事」なのだ。

 こういうのを「ゴマカシ施工」というのだが、これが皆無のプラントは皆無である。
 そして、それが大事故の発端となる。
 フクイチでメルトダウンを起こした原子炉の一つに「ジェット計測配管」の切断があって、ここから80気圧で冷却水が噴出してメルトダウンをもたらした。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-841.html?all

 この報告では、何号機でそれが起きたのか書かれていないのが残念だが、設計ミスなら複数の原子炉で同じ現象が起きていた可能性がある。
 一カ所だけなら、おそらく溶接欠陥だろう。ステンレス小径配管の溶接は最高度の困難な技術を必要とするが、フクイチの建設時に溶接業者のレベルが低かったとの報告がある。

 たぶん、フクイチの設計は素晴らしく高度なものだっただろうが、施工がついてゆかないことが容易に分かる。
 「木を見て森を見ず」という言葉があるが、たった一本の木に問題が起きても、森全部が破壊されるような現象について、「専門家」は無力だ。
 自分の専門分野しか理解ができない。専門家と言った瞬間、専門外について無知であることを告白したに等しいのだ。







「独楽」の本質

記事の一部だが、老年の「美学」を「孤独に耐えること」としているのが面白い。つまり、我田引水すれば「独楽」である。
独楽の本質は「自分自身(の頭脳)を相手に楽しむこと」である。周りにどれほど素晴らしい存在があっても、その素晴らしさを感じ取れる感受性や知識があっての話だ。つまり、味覚障害者に最高の料理や最高の酒を与えても無意味である。逆に、一粒の露の中に最高の宝石の輝きを見出せるなら、その人には最高の宝石と一粒の露は等価である。

(以下引用)


筒井康隆氏「若くもないのに若さを誇示してもはじまらない」

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コメント

 欲望が失われてしまっていたら悪事を企む気も失せてしまうから、ちょい悪老人を志すのは無理だろう。だからと言って品行方正な老人になっては、実はちょい悪老人以上に煙たがられる可能性がある。

 実はここからが老人の美学が発揮されるべきなのだ。以前にも書いたが老人の美学とは実は孤独に耐えることなのである。若い連中に張りあおうとすればどうしても他者の中へ行かねばならない。

 出て行くと余計なことを言いたくなる。誰かの言うことすることについていやそれは違うと自分の意見を主張したくなる。ここから老害というものが始まるのである。しゃしゃり出たくなる欲望を抑え、用もないのにうろちょろせず、じっと我慢して孤独に耐えるのが老人の美学なのだ。

 老人同士の集まりというものがある。しかしあれに加わるのも考えものだ。自我の強い老人が必ずいて、ひどい目に遭う。女性同士は仲良くやっているように見えるが、あれはあれで何やかやと陰湿な反目があるのではないか。やはり単独で孤高の道を選び、と言ってもそんな生き方を威張るのではなく、なんとなく存在しているのが一番だと思う。

 そこから先のことになると、自分が体験していない世界に入っていくことになり、ここで論じることはできない。



プラスもマイナスも前との比較による

まあ、自分でも愚論かな、とは思うのだが、金持ちや権力者の家に生まれるのはある意味不幸かな、と思う。と言うのは、生まれた時が絶頂で、そこからは落ちるしか無いからである。高い地位や財産を守る苦労もあるだろうし、周りの人間がみな、自分を利用しようとする人間だけで、人間そのものが信じられなくなる。偉人の2世が偉人になった例が驚くほど少ないのは、すでに恵まれた境遇にあって、努力や向上の必要性も無く、向上の喜びも無いからではないか。親と比較されて劣等感を味わうのはしょっちゅうだろう。
私は、人生の喜びの中でも上昇感覚は大きな喜びだと思うのだが、最初から頂上にいる人間は落ちるしかなく、不幸だ、というわけだ。逆に、最初から最低の場所や地位にいる人間は毎日が上昇である。
などと考えたのは、最近私は体の不調に悩まされることが多いのだが、時々、それが快方に向かうことがあって、その嬉しさは、病気にならないと得られなかったな、とふと思ったからだ。

良寛のエピソードとして知られている話で、良寛がある人から、カネを拾うと嬉しいと聞いて、持っている1文銭か何かを道に投げて拾ってもちっとも嬉しくない。ところが、その投げた銭が変なバウンドをして見つからなくなり、必死で探すと見つかり、それが嬉しかったので、あの人の言ったのは本当だったと納得したという話がある。これがつまり、私の言う「上昇感覚」である。プラスからより上のプラスになるのも、マイナスからゼロやプラスになるのも、前の基準点から上昇したのだ、ということである。世間の人は、「絶対的なプラスやマイナス」を妄想したり、それが妄想ではなくても重視しすぎたりしていないか。