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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

論理と創造性

私も若いころの一時期には小林秀雄の文章は論理的ではない、と批判していた(他の批判者の存在は知らなかった。)が、現在では、彼のその「詩的直観」こそが、時に論理を超える大きな価値があるのではないかと考えている。「論理とは直感で得た答えを他人や自分自身に説明し、論証するだけの道具でしかなく、大事なのは直感だ」ということだ。計算を続けていけば正解に至るというのは、最初から正解がある数学や算数の話であって、そこに創造性は無い。

(以下引用)

古くは坂口安吾、最近だと丸谷才一がはっきりと小林秀雄の非論理性を指摘していますね。タモリさんの世代には(私も)特に入試現代文の超頻出出典でしたから、余計マイナスイメージがあるでしょうね。 実際、グダグダ持って回った末に最後の一行で力技で断定するのが芸ですから。
引用ツイート
町山智浩
@TomoMachi
·
1983年に小林秀雄が死んだ時、賛美の嵐のなか、タモリさんは彼をはっきり否定した。小林は「論理的ではないかもしれないが自分が○○だと感じたから○○だ」とゴーマンかます評論家で、その言い方で太平洋戦争も肯定したのだが、そこをタモリさんは痛烈に批判した。ものすごくカッコよかった。 twitter.com/ysmkwa/status/…
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論理と感情

人間は感情的になると論理的思考ができなくなる、というのが私の持論だが、これは誰でもそう思っているだろう。ところが、論理性を重んじる人間は日常生活においても、思考の中から感情を排除する傾向があるのではないだろうか。つまり、人間同士の感情のやりとりが苦手になるわけだ。
これは、子供や女性を相手にすると大きな欠陥になる。子供には論理は通用しないし、女性は感情生活を非常に大事にするからである。自分や他人の感情をああでもないこうでもないと飽きることなく考えるのは女性の特質だというのは私の偏見だろうか。
女性の場合は、男のようにどんな行動でも妥当な理由を求め、他人にはその説明を求めるというより、「黙って察しろ」と相手に要求するのが多い気がする。それは感情は論理ではないからだ。つまり、説明は難しいし、説明しても(論理ではないから)相手は納得しない。察するしかないのである。エルヴィス・プレスリーの「振られた気持ち」だったか何かの歌の中に「理由は感情を説明できない(reason can't stand in for feeling )」という一節があったのは、そういうことだろう。
モテる男というのは、要するに「女性扱い」、つまり、「大事なのは論理じゃないよ」が上手いわけで、その瞬間瞬間が満足なら、その男がいかに下種だろうが不誠実だろうが許容することが女性には多いような気がする。まあ、面倒くさくなれば黙って体に触れ、抱きしめたりキスしたりするのが得策だろうと分かっていても、論理で決着をつけないと問題は解決しない、というのが理系人間(論理型人間)の特徴かと思う。
ただし、「微細で複雑な感情計算」という面では男はだいたい女性にはるかに及ばないわけで、女性の書いた小説や漫画を読むと、女性の内面描写が凄いなあ、と思うことが多い。まあ、男の感情生活が小学校の算数なら、女性の感情生活は高等数学である。
とは言っても、ただひとつ、私には分からないことがある。これは女性だけの話ではないが、誰かを好きになる、その理由が実にいい加減で曖昧なことである。顔やスタイルが美しい異性を好むのは共通してはいても、実際に「惚れる」となると、なぜ、こんな相手に、ということがよく起こるわけだ。特に女性にはその「意味不明の恋着」が多いように思う。これは、スィフトが「ガリヴァー旅行記」のラピュタの巻で見事に描いている。確か、夏目漱石がこの部分を引用して「女には茶人が多い」と書いていた気がする。要するに、普通の論理では理解できない行動をするものだ、ということだろう。

「原爆を落とされた側」への奇妙な差別

「1/49サポート計画」という変な名前のサイトから転載。
特に目新しい内容ではないが、原爆投下前後の状況がかなり分かりやすく描かれている。ただし、日本の「国体護持」は、「国家安泰の護持」ではなく、「国家体制」の護持、つまり、天皇制国家維持というのが正しい認識だろう。「国体」という言葉は定義があいまいなままに大きな強制力を持って日本社会を縛っていたと認識していい。ただし、私自身は現在の象徴天皇制における天皇という存在や皇室という存在は日本という国のアイデンティティの上で重要な存在だと考えており、その護持を支持するものである。
私がこのサイトに至ったのは、現在の日本(特にネットの世界)において、奇妙な「広島差別」思想があると感じているからである。それは、広島が「原爆を落とされた」ことを同じ日本人(だと思う)が嘲笑するという異常な差別で、なぜ「原爆を落とされた側」が差別されるのか、その論理が常人には分かりにくいが、これは「原爆を落とした側の正当化」つまり、米国を正当化すること、そして米国の側に立つ自分を正当化する思想かと思う。つまり、広島差別をする人間とは「属米ネトウヨ」なのではないか、というのが私の推理だ。これは「沖縄差別」と同根である。

(以下引用)


第1部(2)「被爆差別」はなぜ起こったか

被爆差別の起こりを歴史的に 検証してみよう。

被爆差別が被爆体験からスタートするのは言うまでもない事だが、実は差別が生み出された背景に原爆投下決定に関する大国のエゴが深く関わっている。 その為そこまで歴史を遡る事になり、少々退屈かもしれないがおつきあいしてほしい。

【被 爆 前 夜】

 日米戦争においてのアメリカの原爆投下決定の真意

45年7月17日、日本の終戦問題などを議題とするポツダム会談が連合国の米英ソ連の間で行われた。

丁度前日の16日、米トルーマン大統領は世界初の原爆実験成功の報を受けていた。ポツダム会談のさなかの7月24日反ソ連派で知られるトルーマン大 統領は、ソ連が日本に対する戦争を始めようとしている動きを封じるために一刻も早く日本の敗戦を促そうと原爆を投下することを決定した。それは第二次世界 大戦が終結した後に米英ソ連が敗戦国占領を行う際に、東アジア地域においてソ連が発言権を増大させる事を嫌ってのことであった。このような「大国政治」の 思惑で、すでに死に体で敗戦は時間の問題であった日本に、強いる必要のない余計な犠牲をもたらしたのである。

 日本政府の「国体護持」

「満州国」という、実態は日本のあやつり人形国家を建設した日本は日中戦争が泥沼化して、戦争遂行が困難になってもまだその確保にこだわっていた。 そのため中国国民党政府やソ連への和平工作は最後まで難航していた。

 7月26日、米英ソ連の連合国はポツダム宣言を発す。そこには原案にはあった、日本の「国体護持」(国家安泰をまもること)に関する条項の第12 項が削除されていた。 これは当然日本にとっては即時に受諾することは難しい厳しい条件であった。トルーマン大統領にはあえてそのような難題を日本に突き 付けて原爆を投下することの口実にしようという策略があったのだ。当然のことながら28日、鈴木首相はポツダム宣言を黙殺する談話を発表し、アメリカの思 うツボとなる。

 こうして戦争をしかけて多くの国民に犠牲を強いながら、勝ち目がなくなると首脳部の安全だけを考えていた日本政府の裏切り行為も原爆投下に一役 買ったわけである。

【被 爆 当 日】

8月6日 ヒロシマ

ウラン235原爆『リトルボーイ』

被爆後4ヶ月以内の死者9〜12万人

8月9日 ナガサキ

プルトニウム239原爆『ファットマン』

死者6〜7万人

爆心地付近は瞬時に一切が粉砕され、屋外にあった全生物は即死、屋内にいたものは倒壊家屋の下敷きに。ついでいたるところで出火、一面の火の海に多 くの者が焼かれた。爆心地から1キロ以内で90%が死亡した。貧弱な救護医療体制のなかでかろうじて生き残った人々も被爆後二週間をすぎたころより顕著な 放射線障害に襲われ、急性障害(45年12月末まで)による死亡、広島で13〜14万人、長崎で7〜8万人にのぼった。

【被 爆 後】

 米占領軍の原爆政策と日本政府の追随

日本が戦争に負けるとGHQ連合国軍総指令部による進駐が行われた。実際はアメリカ軍一国による占領だった。進駐軍は日本の武装解除、民主化を進め る一方で、今後の戦争に備えて、爆撃効果の情報収集を行った。とりわけ未曾有の「効果」をもたらした原爆の威力のデータ収集に強い関心を持っていた。その 作業を担ったのがABCC原子爆弾傷害調査委員会という組織であった。

しかしその調査というのは前述の通り、将来の戦争に備えて兵器の効果を調査する事が目的であり、被爆者は単なる「研究対象」=モルモットとして扱わ れた。研究はするけれど治療は行わない。そしてその情報はすべて米占領軍の機密扱いとして吸い上げられてしまう。占領下の日本政府はこうしたアメリカの政 策に言いなりになるばかりか積極的に協力していった。そして適切な処置がなされぬまま多くの被爆者が犠牲になって命を落としていった。たとえ生存できたと しても軍事機密である被爆に対する知識は日本の医療関係者には全く公表されなかった。そのために被爆者は症状に苦しまされることになる。

ことは医療現場にとどまらない。占領軍は戦後4年余にわたりCCD民間検閲支隊という組織を通じ電信電話郵便マスコミ果てはミニコミにいたるまで徹 底的な検閲制度「プレスコード」を敷き、言論統制と情報収集をおこなった。原爆に関する検閲はとくに厳しかった。

そうした情報統制や政治の貧困が「原爆病は触れるとうつるんではないか」とか「遺伝するのではないか」とか「被爆者と結婚すると奇形児が生まれる」 という誤解や偏見をもたらすことになる。 このようにして被爆者を市民生活から遠ざけたり、結婚に対する差別、就職差別が生まれる土壌が出来ていった。

以上、長くなったが「原爆投下」と「被爆差別」が大国エゴのもたらしたものだということがおわかりいただけたと思う。

第1部(1)被爆差別とは?へ戻る

第1部(3)抗議団体の姿へ進む

社内政治で物事が決まる会社

私は田中圭一は人格的に嫌い(下品というよりさもしい人間だと思っている。)なのだが、この経験談はなかなか貴重だと思うので転載しておく。
もちろん、例外もあるとは思うが、組織内政治の力学(個人的には組織内遊泳術)で物事が決まっていくのは多くの組織で見られると思う。

(以下引用)


はぁとふる倍国土
@keiichisennsei
しょせんサラリーマンって実力とか成果じゃなくて、社内政治と根回しだな…と痛感した経験。苦労して通した企画、さらに苦労して立ち上げたプロジェクトがようやく黒字化した途端、企画に猛反対していた部長がリーダーとして着任してボクらが外された。 ・・・・・・今も根に持ってるからな!!!!!

記憶力の功罪

私は記憶力が絶望的に悪くて、自分の人生をほとんど覚えていない。むしろ、本で読んだことのほうが覚えているくらいだが、それは不幸なのだろうか。仮に、私の記憶力が優れていたら、私は自分の人生の苦痛や恥辱や悲しみをすべて覚えることになり、それで私が生き延びることができたかどうか、確かではない。動物には過去と未来を考える能力が無いと言うが、私もその点では同じで、だから悩むことが少なくて済んだのではないかと思う。
レイ・ブラッドベリに「たんぽぽのお酒」という短編集があり、その中に、自分の人生のすべての出来事を細大もらさず覚えている人間の話があり、それは一種のタイムマシンではないか、というのがその作品のテーマだったと思うが、世の中には実際、ものすごく記憶のいい人はいる。
だが、それが幸福かどうかは、にわかには判断できないと私は思う。