今まで知らなかったが、私もポリアンナ症候群だったようだwww
だいたい、悪いことが起きても、「それよりもっと悪いこと」に比べたらマシ、と思って暢気に生きる人生だったような気がする。青少年時代はむしろ、「20歳になったら死のう」と思っていたくらいで、悲観主義者だったのだが、まあ、それは「よりよいこと」に比べたら、自分の現在は最悪だ、という思考の結果だったような気がする。
「ポリアンナイズム」(病気扱いするより、人生の生き方としての主義と見るのが妥当ではないか)を簡単な例で言えば、家が貧弱だ、と不満に思うより、「壁と屋根があるだけマシ」「寝られる場所があるだけマシ」「平安時代の庶民の家や原始時代の竪穴住居にくらべればマシ」という考え方である。そういう考え方だと現世的な欲望は非常に少なくなるから、絶対に出世はしないwww
なお、私は去年脳梗塞になったが、「右手と右足が多少不自由になるだけで済んでラッキー」という気持ちだった。字が下手になったが、もともと下手なので問題はないし、日常生活の動作にまったく不自由は無い。これより悲惨な病気は無数にある。
私は昔は「美少年→美青年→美中年」だったが、老年になってひどく醜い顔になり、まあ、これは人格が顔に現れたのかもしれないが、容貌における老醜はすべての人の宿命だろう。だが、「これで女への欲望とは無関係の人生だから、安心立命の境地になれる」と思うだけで、特に不満は無い。
そのうち(明日かもしれないし、数秒後かもしれないが)死ぬ時が来るだろうが、その時も「まあ、死ぬのもそう悪くない」と思えるだろうか。生きることが「四苦八苦」で満たされているなら、死は救いかもしれない。
反対に人生がいかに美と幸福に満ちていようが、永遠に生きられるものでもないし、たいていの嗜好品(異性や芸術を含む)はいつかは飽きるものである。まあ、当面の手軽な満足さえあれば私は満足だ、と小泉進次郎レトリックで締めくくっておく。個人的な問題より、私には全人類や世界の運命のほうが関心の対象なのである。
幸福の実体は「満足」なのであり、そんなものなど、安い菓子でも食えばすぐに手に入る。菓子を24時間食いたいとなれば、それこそ病気だろう。美食にしても、空腹の状態があるから食事が美味いのだ。24時間食い続けろ、となれば拷問である。その食事も塩むすび1個やハンバーガー1個で満足なら、何もパリのレストランまで行く必要はない。
1: ななしさん@発達中 2020/11/05(木) 00:44:57.60 ID:awRp+G540
直面した問題の微細な良い面だけを見て負の側面から目をそらすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状。
別の言い方で表すと、楽天主義の負の側面を表す、現実逃避の一種
ポリアンナ症候群(ポリアンナしょうこうぐん、英: Pollyanna syndrome)は、直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て負の側面から目をそらすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状のことである[1]。別の言い方で表すと、楽天主義の負の側面を表す、現実逃避の一種だと言い換えることもできる[2]。 別名を「ポリアンナイズム」「パレアナ症候群」という
名称は1913年にエレナ・ホグマン・ポーターが書いたベストセラー小説『少女パレアナ(少女ポリアンナ)』(Pollyanna)と『パレアナの青春(ポリアンナの青春)』(Pollyanna Grows Up)の主人公パレアナ(ポリアンナ)にちなんでいる[5]。同作は1986年にアニメ化されている。
内容としては「父親を亡くして孤児となったポリアンナが貧しさと不幸に負けず、身の回りで自分に優しくしてくれる人たちの存在に気付いて喜ぶ『よかった探し』で、自らが置かれた絶望的な状況を受け入れつつ生きるための勇気を出す」という物語である。この「ネガティブな事態でも常にポジティブであろうとする」特徴からこの疾患の名前に選ばれたと言われている
主な特徴として「題の良い部分だけを見て自己満足してしまう」「現状より悪い状況を考え、今そうなっていないことに満足しようとする」ことが挙げられる
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