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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

人間五十年

私はいつも、織田信長の幸若舞で「人間(にんげん)五十年」と謡うドラマを見ていて、「これ人間(じんかん)の間違いじゃないか」と思っていたが、「にんげん」という読み方も昔からあるようだ。むしろ、呉音は漢音より早いのか? もちろん、「ひと」の意味で「人間」を使うのは明治以降だと思うが、幸若舞の「人間」は「人の世」の意味で通じる。人の世とは、生まれた人が生きる場所と時間でもあるからだ。



人間/にんげん

意味

人間とは、ひと。人類。人柄。人物。

人間の語源・由来

人間は、仏教語でサンスクリット語「mamusya」の漢訳。
仏教語としての「人間」は、「世の中」「世間」「人の世」を意味した言葉で、「人間」に「」そのもの意味が加わったのは江戸時代以降である。

「人間」を「にんげん」と読むのは呉音。
漢音では「じんかん」と読む。
一般に「人」を表す場合は「にんげん」、「世の中」の意味で用いる場合は「じんかん」と読み分けられることが多いが、この読み分けに特別な理由は無く、「世の中」の意味で「にんげん」と読んでも間違いではない。

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宇宙空間で何秒生存可能か

国際宇宙ステーション(ISS)などに搭乗する宇宙飛行士は、宇宙飛行の間ずっと船内にとどまっているわけではなく、時には宇宙空間に出て船外活動を行う場合もあります。そんな場合に着用するのが宇宙空間で安全に生存・活動することを可能にする宇宙服ですが、「宇宙服を着ていない状態で宇宙空間に放り出されたら人間はどうなるのか?」という疑問について、サイエンス系メディアのZME Scienceが解説しています。




広くささやかれている説の中には、「生身で宇宙空間に放り出されると人間の体は爆発する」「宇宙空間では一瞬にして血液が沸騰し、蒸発して死亡する」といったものがあります。また、そういったシーンを描いたSF映画もありますが、実際に宇宙服を着ない状態で宇宙空間に飛び出してしまったとしても、人間の体が爆発したり血液が沸騰したりはしないそうです。



普段の生活で意識することはほとんどないものの、地球で暮らす人間の体は常に大気圧で押されており、体内の圧力がそれを押し返すことでバランスを保っています。しかし、宇宙空間は真空状態であることから、地球上では当たり前に存在する大気圧が存在しません。そのため、宇宙空間へ宇宙服などの保護なしで飛び出すと、急激な減圧状態に陥ります。

「宇宙空間に飛び出すと人間の体が爆発する」という説は、この急激な減圧によって連想されたものです。しかし、ZME Scienceによると人間の皮膚は非常に柔軟かつ丈夫であるため、大事な組織や臓器をこぼすことなく減圧にしたがって膨張できるとのこと。

だからといって急激な減圧による影響は小さなものではなく、組織内の水分が急激に蒸発することで体が膨張する苦しみや、腸内の空気が膨張することによる心臓や横隔膜の圧迫、減圧症などを引き起こします。加えて、肺から急激に空気が抜けることにより、肺や気道の組織に損傷が生じる可能性もあるそうです。


生身で宇宙空間に飛び出した人間を直接的に死に至らしめるのは、酸素の欠乏だといわれています。とはいえ、宇宙空間に飛び出した際に酸素を少しでも使わないようにと考え、息を止めることは「実行できる限り最悪の行動」だとのこと。宇宙空間で息を止めると空気の泡が血中に入り込んで脳に到達して脳卒中を引き起こすか、圧力の変化に伴って肺が破裂してしまうそうです。

しかし、たとえ息を止めなかったとしても酸素はすぐに不足してしまいます。運がよければ宇宙空間に出てからも15秒程度は意識がある可能性があるとのことですが、それ以降は意識を失い、2分ほどで全身の臓器が酸素不足になって死に至ります。


過去にはいくつかの「真空あるいは急激な減圧にさらされてしまった事故」の事例があります。1965年にジョンソン宇宙センターで発生した事故では、真空チェンバー内に入った技術者が誤って減圧してしまい、12~15秒ほどで意識を失ったとのこと。27秒後に真空チェンバー内が再加圧され、この技術者は意識を取り戻し、事故後4日ほどは味覚を喪失したものの無事に回復したそうです。1982年の事故では、技術者が大気圧のわずか3.6%に相当する低圧環境に1分間さらされてしまい、肌が青くなって肺から出血するなどの事態に陥りました。この男性も、事故後に無事回復したそうです。

また、ISSが太陽に面している時の外部温度はおよそ121度、太陽が地球にさえぎられている時の外部温度はおよそマイナス157度であるため、宇宙空間では「温度」も人間の生命を脅かすものに思えます。しかし、宇宙には空気がないため、人体に空気を通して熱が伝わったり、対流によって熱が伝達されたりすることもありません。宇宙空間で熱が伝わる唯一の方法は放射しかありませんが、放射で熱が伝わるには時間がかかるため、熱によって死ぬ前に酸素の欠乏で死亡するだろうと、ZME Scienceは指摘しました。

「標高」と「海抜」の違い

これは疑問にすら思ったことが無かった。

(以下引用)

「標高」と「海抜」はどう違う?

オピニオン 昨日 20:15
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高さを表す基準の「標高」と「海抜」。どちらもよく見かけるものですが、2つの意味は少々異なります。「標高〇m」などと書かれた看板は意外とたくさん立っています。

(画像=dメニューマネー編集部)
(画像=dメニューマネー編集部)© 「標高」と「海抜」はどう違う?

高さの表示は山の頂上ではもちろん、道路沿いや公共施設でも見かけますが、「標高」や「海抜」の表記は場所によって異なるようです。紛らわしい2つの言葉ですが、どのように違うか分かりますか?

■同じ場所で「標高」と「海抜」が異なると混乱を招いてしまう

「標高」とは、東京湾の平均海面を0mの基準面として、基準面から測った高さのことです。国土交通省の付属機関である国土地理院では、日本の土地を「標高」で表します。標高は広く使われる基準ですが、実際に海面から測量するのは実用的ではありません。

そこで1891年に国内の高さの基準となる「日本水準原点」が、東京都千代田区永田町に設置されました。その後、関東大震災による地殻変動の後と、東北地方太平洋沖地震による地殻変動の後に、水準原点の高さは改定されました。

日本には全国に2万点あまりの水準点が設置されており、標高を測る際の基準になっています。

本来の「海抜」とは、近隣の海面を0mの基準面として、基準面から測った高さのことです。ただ標高と海抜が異なると混乱を招くので、一般的には海抜を表示するときにも東京湾を基準にしています。

東日本大震災以降、国土交通省では津波被害を軽減するための取り組みとして、道路上に海抜情報を表示するよう推進してきました。表示シートの寸法は縦30cm、設置高さは視界に入りやすい1.5m程度とされています。

防災関連では津波を意識するために「海抜」が使われます。

■解答:「標高と海抜」の違いとは……

「標高」とは東京湾の海面から測った高さのことで、「海抜」とは近隣の海面から測った高さのことです。実務的にはどちらも同じ数字になります。

文/編集・dメニューマネー編集部

(2022年3月12日公開記事)

福岡正信式農法

「東海アマブログ」記事だが、本人の体験も含め、福岡正信式農法を詳しく説明していて有益である。

(以下引用)




 2008年に逝去された福岡正信氏は、世界の農業に巨大な革命を起こした……と言いたいところだが、残念ながら、いまだ日本のプロ農家の大部分が福岡式自然農法を採用していない。
 理由は何か? 私も、乏しい知識で猿真似をしてみて、分かったことがある。
 それは、「何もしない……」放置農法といわれながら、実態は、まったく逆で、凄まじい手間のかかる農法だからだ。

 それは、何よりも農地の土壌が福岡式を適用できるほどに成熟するには、どんなに短くとも5年、普通は10年かかるということ。その間に、農家として必要な換金作物の生産が非常に困難であるということ、そして福岡式が成立し、素晴らしい作物を収穫できたとしても、農業機械に頼ることができないため収穫量が少なく、市場に出すには、恐ろしい手間がかかるということだ。
 収穫作物の価格も、その手間と栄養価や美味の価値を反映したものにならない。消費者の理解が乏しいのである。

 福岡式農法の本質は、炭素循環法であって、好気性土壌微生物量が一般農地の数十倍もあるような、まるで数千年も斧鉞の入らぬ原生林のような土壌で、入れた有機質が、たちまち微生物によって分解される、土壌そのものが一つの巨大な生物であるかのように絶えず呼吸する農地である。
 それは無肥料とか無耕起で示されるような農業用農地の概念では表せない、生命活動そのものなのだ。

 農作物が土壌の肥料分を吸収するためには、ミミズや土壌菌類など何段階もの分解が必要であって、稠密な微生物相こそが肥料の本質である。
 だから、少ない肥料や、落雷固定窒素でさえ、土壌微生物の橋渡しによって植物体が吸収して成長できるのである。
 それが鮮明なのは豆類や甘藷の窒素固定菌(根粒菌)である。この菌は、土壌窒素分が逆に有害であり、空中窒素の固定が抑制される。
 つまり、肥料よりも微生物相の方が大切なのだ。過チッソ土壌で芋が育たないのは、そのためだ。

 福岡式自然農法農地には、絶対に人より重い農業機械を入れてはならない。すべての農作業は、手作業だけで行わねばならない。
 それは、手で鉄棒を入れれば2mも差し込めるようなフカフカのスポンジ土壌が圧縮されて微生物が呼吸できなくなるからだ。人が歩いて踏み固めることさえ躊躇されるようなスポンジケーキなのだ。

 自然農法畑にスコップを入れると、私の畑では、嫌気性微生物のカビのような悪臭が出るのに対し、まるで、最高の麹のような、ふくよかな良い香りが漂う。ちょうど紅葉が終わる頃、分解酵素で香しい芳香が漂うのと似ている。
 それは、大気と絶え間なく呼吸して、地下深くまで酸素が循環しているからだ。

 「福岡式土壌」が成立するまでは、外部からの人為的干渉を一切断って、土壌酵素を与えて放置しても、5~10年かかるといわれるが、1~2年程度に短縮することもできる。
 それは、EM菌かEMBC培養液を土壌表面から平米数十リットルも大量に散布するやり方だ。元々、比嘉輝男氏がEM菌を発見したのは、原生林の土壌からだといわれる。
 つまり自然界最高のバランスに収束した原生林土壌の成分がEMであり、福岡式農地なのだ。

 だから、EMやEMBC培養液を大量に投与した土壌は、1年くらいで鉄棒が1m以上軽く差し込めるフカフカ土壌に変貌する。
 そこには、ミミズや好気性バクテリアの宇宙が展開されている。作物に敵対するメタン菌やフザリウムなどの嫌気性菌が消えてしまうのである。
 嫌気性菌は粘性物質を分泌して、コロニーを作り、土壌の通気酸素を遮断してしまう。
 EM培養液投入土壌では、酵母や乳酸菌などが大量に生成されていて、他の土壌の数十倍のスピードで炭素循環が行われているので、地表の植物残渣など有機物が短期間で分解される。

 ならばEM培養液でやれば手っ取り早いと思うが、残念ながら比嘉EMは世界救世教の資金源なので、培養液1トンを作るのに数万円もかかるほど高価であり、経済性がないし、また外部から乳酸菌源を入れるような人為的な改変ではなく、自然の秩序に任せて淘汰の洗礼を与えた方が長期的な信頼性が高い。
 EM培養液を入れる代わりに、深い溝をたくさん掘って、蜜柑、柿、などの果実皮など酵素源を大量投入して5年間放置することで、福岡式土壌に近づけることができる。

 私は、ブラジルで農業を営んできた、ある方から、ほぼ福岡式といえる自然農法のやり方を、長浜市まで行って聞いたことがある。
 ブラジル帰りのSさんは、この方式を確立し、東チモールで、大規模な果樹栽培に成功された。もちろん、無農薬・無耕起・無肥料だった。
 
 海外で大きな支持を集めている日本の自然農法 2021年05月13日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827267.html

福岡式自然農法は、このようなスポンジケーキ土壌を作るところから始まり、収穫物の残渣(稲の場合は藁)を長いままで農地に返す。
 そして「泥団子」と呼ばれる独特の種子栽培を行う。泥団子播種方式は、現在、日本のたくさんの研究者によって、世界中の砂漠緑化、不毛地緑化に利用されている。
 これは「適応緑化方式」で、その土地に適応できる種だけが育つ仕組みである。

 福岡式米作では、泥団子に種籾を数粒ずつ入れる。稲の刈り取り前に、麦の入った泥団子を散布しておく、刈り取りは稲穂だけで、藁は、長いまま田に返しておく。
 麦を刈る前に、米の入った泥団子を散布しておき、麦わらを放置する。藁は生物マルチの役割だ。この交互二毛作が福岡式自然農法の原点である。
 https://www.youtube.com/watch?v=1JII-YXn16E&ab_channel=YagiSumu

 砂漠における泥団子は、降水量の少ない乾燥地でも、朝方は夜露が降りるので、数十種の種が入った泥団子が、夜露を被って、水が地面との接点に集中し、そこから団子の種が発芽することになる。
 このとき、土地や気象に適した種類だけが発芽し、他は淘汰される。いわば、その土地に向いた種だけが育つことができる。

 このような福岡式から派生した、日本NGOによる外国の荒野緑化事業は、諸外国から高く評価されている。外国には粘土団子方式のような優れた適応緑化の思想がなかったので、闇雲に多量の水を投入しても管理が長続きしなかった。

 こうした福岡式農法の神髄は、自然観察力である。自分の目と足を使って長い年月をかけて自然を観察し、試行錯誤を繰り返して、もっとも適した方法を探した結果なのだ。
 学問界の農業理論など、あまり役に立たなかった。粘土団子方式など地位目当ての研究者の視野では無理だ。金になること、金をかけること、評判を取れることしか考えられないからだ。

 外国で日本人による砂漠緑化に成功したとき、共通する問題は、少しばかり植物が育つと、近隣の住民が押し寄せてきて、手当たり次第に刈り取ってしまうことだという。
 森を作るためには、武装した軍隊で森を守らなければならないことになる。
 だから、本当の問題は、住民の意識改革であり、身近な自然のなかで小さな循環原理を成功させ、感動させることで、大きな自然の循環を作るには、何をしなければならないか考えさせなければならない。

 今回、福岡式を紹介した理由は、繰り返し書いているように、来年2013年は、太平洋戦争以来、最大の生活困難と農作不振が約束されているからで、わけても世界的な肥料不足、争奪戦のなかで、日本では、無肥料の福岡式に転換しなければ、農業全体に巨大な危機が訪れると考えるしかないからだ。

 これからの農業は、福岡式を踏襲するならば、農業機械を捨てて、すべて手作業でフカフカのスポンジケーキ土壌を生み出すところから出発する必要がある。
 こうなれば、土壌内微生物が空気中の肥料分を勝手に取り込んで、肥料を入れなくとも、十分に生育し、有害な病気や害虫も発生しにくくなる。
 福岡式田んぼでは、雲霞も発生しないし、他の害虫も寄りつかない。またウイルス病にも、ほとんどかからない。それは微生物バランスによるものだ。

 つまり、農薬も肥料もいらない。除草剤もいらない。そして最高の作物が収穫できる。
 だから、世界的な肥料不足の飢餓のなかで、我々が生き延びるには、福岡式農法の神髄を理解し、実践することしかないと私は思う。

 福岡正信の自然農法を考える 2018/7/20
 https://chemiclimb.com/fukuoka-masanobu-shizennouhou

 2006年06月01日 日本の哲人・福岡正信氏の自然農法 - 砂漠の緑化へ
 https://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id027345.html

 福岡正信自然農園
 https://f-masanobu.jp/about-masanobu-fukuoka/

 新しい「農」のかたち 2022年11月
 http://blog.new-agriculture.com/blog/2022/11/6567.html

瑠璃と玻璃

「瑠璃も玻璃も磨けば光る」という諺があるのだが、その瑠璃や玻璃が何を指しどういう色か、調べたことは無い。瑠璃はおそらくガラスだろうと思うが、瑠璃色はどういう色なのか。たぶん、青色だろう、と想像している。玻璃はまったく想像できない。


瑠璃:つやのある青色の宝石。ガラスの古名。
瑠璃色:紫がかった藍色。

瑠璃色の説明は予想と少し違う。青色と藍色では別の色だろう。

玻璃:水晶。ガラスの古名。

ということは、玻璃色というのは無さそうである。

ま、「瑠璃も玻璃も磨けば光る」という言い方には、瑠璃も玻璃もあまり珍しくない宝石だったというニュアンスがある。