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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

国柱会

私の好きな宮沢賢治について、非常に気になるのが、彼が日蓮宗の教徒で国柱会会員だったらしいことだが、石原莞爾と、宮沢賢治という大物ふたりが会員だったことで、国柱会という存在が非常に意味ありげに思われる。或る種の「世界的把握」あるいは「宇宙的想像力」というのが日蓮宗、あるいは法華経の中にはあるような気がする。まあ、宮沢賢治は「銀河鉄道の夜」の中にキリスト教的思想も書いており、エスペラントに興味を持つなど、必ずしも仏教に凝り固まっていたとは思わない。

(以下引用)


国柱会の名称は、日蓮の三大請願の一つ「我日本の柱とならん」から智学によって命名された。独立した宗派としての正式名称は「本化妙宗」。 また、智学の造語であり、戦前日本では国家主義スローガンとして多用された「八紘一宇」を最初に標榜したのは国柱会であった。「日蓮主義」という表現も、国柱会によって初めて使われた。「主義」という概念が、明治以降に流入した西洋哲学に由来するものであり、後述のように日蓮主義という概念は、日蓮教学の近代的体系化の一端を表している。

思想・信仰[編集]

国柱会の根本の理念は、寺檀制度によって形骸化した伝統宗門の改革と近代化を在家主義の立場から目指すものである。

教学における国柱会の功績は、現在でも「師子王文庫」や「真世界社」などに引き継がれている。分派した各法華宗・日蓮宗宗派の統一、更には法華一乗のもと全宗派、全宗教の統一(一天四海皆帰妙法)のための宗教革命、ならびに皇祖皇宗の日本国体を法華経のもとに体系化することを究極の目標としている。

更には、智学の思想による「全国の神社に祀られる主神はすべて皇祖神に統一されるべき」という主張や、法要時の礼服祭壇の祀り方、数珠を一切用いない、など神道的な要素を強く残しており、法華神道の団体としての色彩も強い。

なお、本化妙宗としての信仰は、釈尊教祖日蓮宗祖と仰ぎ、本尊は日蓮大聖人の「佐渡始顕の妙法曼荼羅」としている。

歴史[編集]

創始期[編集]

智学が日蓮宗の宗義に疑問をいだき、還俗して最初に設立したのが「蓮華会」という組織である。1880年(明治13年)、横浜において結成され、国柱会のさきがけとなった。その後、東京進出にともない1884年(明治17年)に名称を「立正安国会」に改名。「宗教ヲ以テ経国ノ根本事業トスベシ」と宣言し、在家主義の立場から仏教の近代化を目指した。

1902年(明治35年)、日蓮仏教の教学を組織体系化した「本化妙宗式目」を発表し、1903年(明治36年)より大阪などで日蓮門下各教団の僧侶を集めて本化妙宗研究大会を開催。智学はその中でも神武天皇御陵前での講演「皇宗の建国と本化の大教」において、日蓮仏教の国教化を目指す王仏冥合思想を宣言した。

国柱会へ改称以降[編集]

1914年大正3年)、名称を現在の「国柱会」に改称。1922年(大正11年)には芸術を通しての教化活動と銘打って外郭団体「国性文芸会」が組織され、日本国体に基づく独自の「国性芸術」を展開した。

1923年(大正12年)には議会政治に参画する目的で「立憲養正会」が結成され、国立戒壇建立を主張、天皇の法華経帰依による広宣流布、宗教革命を目指した。1929年(昭和4年)には智学の次男・田中澤二が総裁に就任。澤二は前年の第16回衆議院議員総選挙に立候補し落選、澤二の議席獲得はならなかった。しかし1936年(昭和11年)の第19回衆議院議員総選挙に同会公認で立候補し落選した田中耕が同年繰り上げ当選し、初めて帝国議会に議席を獲得した。田中耕は1937年(昭和12年)の第20回衆議院議員総選挙にも立候補し再選。地方議会や農会には最盛期で100人を超す議員が所属した。同会は新体制運動大政翼賛会には批判的であったため、1942年3月17日結社不許可処分を受け、解散に追い込まれた。

1926年(大正15年)には明治節制定の請願運動を契機に外郭団体「明治会」が創設され、愛国主義運動を宣揚、1927年(昭和2年)に請願が実り明治節が制定された。

また、著名な会員であった帝国陸軍石原莞爾中将の「東亜連盟」構想や「世界最終戦論」、更には石原が参謀であった満州国建国の思想的バックボーンとして、国柱会の思想は多大な影響を及ぼした。特に満州国には皇軍慰安隊を国柱会より派遣し、関東軍軍人を支援している。この時期が国柱会の歴史上もっとも活況だった時代であり、日蓮系諸教団の中でもエリート主義集団と目されるほど、有数な著名人が会員であったことで知られる。




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「大審問官」とジュズイット

「カラマーゾフの兄弟」の中でローマ・カトリック教会、特にジュズイットが批判され、フリー・メイソンとの類似性が書かれているのだが、ジュズイットについての簡単なメモである。
まあ、要するに、ローマ・カトリックの最右派、法王絶対主義的な存在と言える。ドストエフスキーから見れば、ローマカトリックはキリスト精神の捻じ曲げであり、ローマ法王は「キリストの権威の簒奪者」であるわけだ。つまり、「大審問官」とはローマカトリックそのもの(象徴的人格化)だと言えるだろう。


(以下引用)


弾圧と復興[編集]

ヨーロッパ諸国がナショナリズムを強め、王権のもとに国をまとめていこうとしたとき、国境を越えて自由に活躍し、教皇への忠誠を誓うイエズス会の存在が目障りなものとなっていた。イエズス会への弾圧は18世紀になると急速に進み、ポルトガルがイエズス会員の国外追放を決めるとフランス、スペイン、ナポリ王国、両シチリア王国、パルマ公国もこれにならった。列強は教皇クレメンス13世にイエズス会を禁止するよう圧力をかけたが、教皇は頑として聞き入れなかった。だが、イエズス会を保護し続けたクレメンス13世が急逝し、次の教皇としてクレメンス14世が着座すると圧力はいっそう強まり、教皇はイエズス会をとるか、ヨーロッパ諸国と教皇庁との関係をとるかという究極の選択を迫られることになった。

このような経緯を経て1773年7月、クレメンス14世は回勅『ドミヌス・アク・レデンプトール (Dominus ac Redemptor)』を発してイエズス会を禁止した。ただロシアにおいて、イエズス会の貢献を高く評価していたエカテリーナ2世がイエズス会禁止の回勅の発布を拒否し、教皇も「列強の圧力に屈しはしたもののイエズス会を完全につぶすのはしのびない」と思っていたため、イエズス会はロシアにおいて細々と存続しつづけることができた。また、プロイセン王フリードリヒ2世も自国へのイエズス会士の亡命を許可し[7](彼は数年後、「我が国には、イエズス会士以外に学識のあるカトリック教徒はいない」とさえ言うようになる)、カトリック系の学校の教師として歓迎している。

1814年に教皇ピウス7世の小書簡『カトリケ・フィデイ』によってようやくイエズス会の復興が許可された[8]。復興後のイエズス会は急激な成長を遂げた。そのことは多くの学校が19世紀に設立されたという事実からもわかる。たとえばアメリカ合衆国にある28のイエズス会大学のうち22はこの時期に創立されたか、あるいは他から引き取ったものである。弾圧を受けたことで、イエズス会の中で正統な権威というものに対するこだわりが強まったという指摘もある。もちろんこの指摘に対しては異論もあるが、概してイエズス会員には教皇への忠実という意識が強く存在し、19世紀にウルトラモンタニスム(教皇支持派)と呼ばれた人々の中に名を連ねたものも多く、第1バチカン公会議における教皇不可謬説の宣言の理論的枠組みをつくったものもいた。

スイスでは19世紀に起こったカトリック諸州とプロテスタント諸州の間の紛争の後、1848年憲法によってイエズス会の禁止が決定された。この禁止令は1973年5月20日に、国民投票によって廃止が決議されるまで存続した。

20世紀はイエズス会にとって発展と衰退の両面を示す世紀となった。カトリック教会全体の趨勢に従ってイエズス会員の数は1950年代にピークを迎え、以後ゆるやかに減少していった。会員が減少したにもかかわらず関連施設は増加し、協力者会の会員数も増えた。20世紀の著名なイエズス会員の中には「第2バチカン公会議のデザイナー」とも呼ばれるジョン・コートニー・マレー英語版がおり、彼は同会議の文書の一つ「信教の自由に関する宣言英語版」の草稿を書いたことで知られる[9]

特許や著作権は世界の幸福増進を妨げる

メモである。
引用元は森山高史のツィッター。
特許を独占しないことで、有益な新技術が世界に広がるのはいい事だろう。金儲けよりは世界の幸福のほうが大事だ。


(以下引用)



コスト半減、どこでも貼れる新太陽電池 初の量産: 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXZQO ペロブスカイト型太陽電池は日本生まれの技術だが、発明した桐蔭横浜大学の宮坂力特任教授は、技術の基本的な部分について海外で特許を取得していないからだ。出願手続きに多額の費用がかかることなどが理由
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地球の大気の流れ

某お勉強サイトの記事のひとつだが、メモである。
いろいろと疑問があるが、それはいずれ書くつもりだ。

(以下引用)


大気の流れと気象現象――熱・風・雲のかかわり

前項では、雨がふることと風が吹くことのしくみについて初歩的な説明をしてきました。

地球上の熱の輸送には風が吹くことがその役割を担っており、その影響として気象現象が生じています。

今回は、さらに一歩踏み込んで、地球上の大気にはたらく力から風がどのような気象の変化を生み出しているのかについて解説していきます。

地球大気の大循環

地球上の熱の循環には、大気(空気)と水蒸気、海水という3つのものが用いられていますが、それらを実際に動かしている力は風になります。

前項でも確認したように、空気は太陽の熱によって暖められると軽くなって上空に向かって浮き上がり、その周囲から空気が入り込んで風が生み出されます。

これと同様のことが地球規模でも行われており、地球上でもっとも温度が高い場所である赤道付近では大量の空気が暖められて上昇し、地球の北と南に向かって大規模な風が発生します。

赤道付近から生じた風は中緯度付近(北緯30°および南緯30°)まで運ばれ、そこで下降していきます。

この低緯度付近における大気の循環は「ハドレー循環」とよばれていますが、地球上ではこのような大気の循環が中緯度、高緯度(極付近)でもそれぞれ発生しています(「フェレル循環」「極循環」)。

地球上において発生する熱エネルギーの不均衡はこのような大気の循環を生み出し、それによってさまざまな気象が変化する要因となっています。

また、それぞれの緯度における大気の循環に加えて地球の自転によって、東西の風が生まれてきます。

それが「貿易風」と「偏西風」で、みなさんもどこかでこの風の名称について聞いたことがあると思います。

貿易風はハドレー循環の一部を形成していて、赤道付近で東から西に吹く大量に水蒸気を含む湿った空気をともなう風です。

逆に、偏西風は西から東に向かって吹く風で、その中心で特に強いものは「ジェット気流」とよばれています。

この偏西風は私たち日本のある地域の上空を常に吹いている西風で、台風が東側に進行していくのもこの風の影響を受けているわけです。

上昇気流の発生場所と雲の形成

さて、地球大気の循環について確認したところで、次は雨のもととなる雲がどこで形成されるかを見ていきましょう。

雲ができる場所は陸地と海洋の2つに分けられ、さらにそれぞれに2つのパターンがあることから合計で4つに分類ができます。

いずれも上昇気流が発生し、そこから雲が発生する場所になっています。

太陽放射

これは陸上において地表が太陽の熱で暖められ、その熱が周囲の空気を暖めることで空気の上昇が生じてそこから雲ができるパターンになります。

なお、空気中の水蒸気から雲になるしくみについては、前項の地球の大気と熱収支――気象変化の基本原理のページにて解説していますのでそちらで確認してください。

地形

主に山の斜面に風が吹き込むことで地上の空気が山の上に押し上げられて雲が形成されるパターンです。

特に、海からの空気の中には大量の水蒸気が含まれており、それが山の斜面に当たって上昇気流になると大量の雲が発生し、そこから雨が降ることが多いといえます。

低気圧

海上で低気圧が発生し、そこに周囲の空気が集まって上昇気流になるパターンです。

低気圧、すなわち気圧の低いところの周囲に高い気圧の空気があると、その空気はより低い気圧のところに向かって流れ込みます。

低気圧の中心に空気が集まってくると、その空気は行き場を失ってしまって上に昇るしかないため、それが上昇気流を生み出すメカニズムになっています。

なお、低緯度地域でこの低気圧の上昇気流がより激しくなって形成されるものとして台風があります。

台風の中心部の気圧が低くなれば低くなるほど周囲との気圧差によってそこに吹き込む空気が多くなるため、大型の台風になっていくというしくみになっています。

前線

温かい空気と冷たい空気がぶつかって雲が形成される場所を前線といいます。

前項の地球の大気と熱収支――気象変化の基本原理において飽和水蒸気のトピックで触れたように、暖かい空気と冷たい空気がぶつかると暖かい空気の温度が低下するために、そこで水蒸気が水滴になって雲が形成されます。

前線にはいくつかのパターンが存在していますが、特に暖かい空気の下に冷たい空気が入り込むとそこで暖かい空気の上昇気流が生まれてそこから雲が形成されていきます。

以上に挙げた4つのパターンによって上昇気流が生まれてそこに雲が形成されて雨が降るというしくみになっています。

大気の流れを理解するポイント

私たちは普段から空にある雲を当たり前のように目にしていますが、それがどこでどのようにしてできているのかについてはあまり意識することは少ないと思います。

ただ、気象現象の前提には、地球において生じる熱エネルギーの不均衡から大気が動くという部分が常に関わっています。

たとえば、日本では夏になると熱帯で発生した台風が接近し、時として大きな被害をもたらしますが、私たちはそちらの部分に注意が向きがちです。

しかし、これを地学的な観点から見た場合、地球規模で生じる熱エネルギーの不均衡を解消するべく、赤道付近の熱を高緯度に向かって移動させて熱収支を安定的に保とうとするメカニズムのひとつだといえます。

このように、地球規模の大気の流れを見ていくことが気象現象を理解することのポイントになってくるのです。

IMEの日本語変換の劣化

「一長一短」のような日常的な言葉をわざわざ自分で単語登録する馬鹿がどこにいるか。今使っているマイクロソフトIMEでもこれは「一兆一反」という、変な変換が最初に出てきた。つまり、日本人の使い勝手などまったく考慮せず、いい加減な言葉を並べているのである。IMEはどんどん劣化している。案外、日本人の日本語をいい加減なものにすることで日本文化や日本精神と現代日本人を切り離す、意図的な戦略かもしれない。

(以下引用)


最近はみんな、単語登録をして変換辞書を鍛えるという発想がないんだな。ジジイには隔世の感がある。
引用ツイート
さんたーP
@santarh
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最近 GoogleIME がオワっているので MS IME を使っているのだが… 「一長一短」を「1000000000001反」などと一発変換しやがるんだがもう日本語 IME はだめだ……
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