忍者ブログ

独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

仏葬とキリスト教葬

竹熊健太郎のツィートだが、これは、坊主を呼んでの葬式だと激高(たか)になるということだろうか? まあ、戒名だけで何万何十万も取られると聞いたことはある。そもそも、死んだ人間が仏教徒でない場合にも戒名をつけるのはおかしくないか。

(以下引用)

昨日、亡父の葬儀を終えましたが、時節を考慮して誰も呼ばず(事実の連絡のみ)、私と弟夫婦だけの家族葬にして、14年前の母親の葬儀に合わせ牧師を呼んでキリスト式にしたところ、激安の葬儀になったことをお伝えします。



(追記)どこかの寺か何かのホームページから転載。

戒名に関するよくある質問

そもそも戒名はなくても問題ないのでしょうか?
戒名はつけなくても問題はありません。戒名を付けない場合の注意点として、お葬式など、宗教的な儀式を行わないということが前提となります。
戒名がなくてもお墓に埋葬はできますか?
お墓によっては、戒名なしではお墓に入れてもらえないという可能性が出てきます。死後に入る予定のお墓がある方はそのような可能性が考えられるので、あらかじめ住職の方に相談しておくと良いでしょう。
戒名を付ける場合の金額相場を教えてください。
戒名のランクにより金額が異なってきますが、ランクが低い方の場合、10~30万円、ランクが高い方の場合は50~100万円ほどが一般的な相場となります。
院号居士
院号大姉
居士
大姉
信士
信女
本寿院 3万円 3万円 3万円
A社 15万円 5万円 2万円
B社 20万円 6万円 2万円
C社 20万円 6万円 2万円
D寺 25万円 15万円 8万円
PR

嘘だらけの世界

「阿修羅」記事のコメントが面白いが、特に新しい情報ではないのでここに残しておく。

(以下引用)

1. 2021年7月12日 21:21:33 : NCHL4FEwKE QUZpRHJVaTZxSEk=[23]  報告
岡田正彦
Q10 ワクチンは本当に効いているのか?
A ファイザー社ワクチンが世界でもっとも多く使われています。効果が高く、副作用も少ないと説明されていますが、本当でしょうか?

有効性を示す唯一の根拠とされているのが、昨年12月31日に発表された1編の論文でした。そこで示された「有効率95パーセント」との情報が世界を駆け巡り、ワクチンを推進する人たちのバイブルとなっています。この論文を掲載した専門誌も、よほど自慢らしく、会員となっている私の手元にも、繰り返し「掲載のお知らせ」が届きます。しかし、この論文には数々の疑惑があります。

疑惑その1
  もっとも重大な疑惑は、有効率95パーセントという数値そのもにあります。総人数が36,523人と多い点は評価できるのですが、高熱などあきらなか症状を呈した人だけにしかPCR検査が行われていなかった点です。米国の政府機関FDAあてに会社から提出された大部の資料によれば、3,410人の疑い例があったにもかかわれず、PCR検査が行われていませんでした。これらを合算すると、有効率は95%でなく、わずか19%となってしまいます。

疑惑その2
 次に、「ワクチンが重症化を防ぐ」と政治家や専門家が述べていますが、それもこの論文がもとになっています。掲載されているデータを、著作権に触れないよう形を変えて以下にまとめてみました。このデータから、論文の執筆者は「接種したグループでは重症化した人が1名しかおらず、重症化を防いでいる」と書いています。この記述はあきらかな間違いです。なぜなら、「重症化した人÷感染した人」という計算をすべきだからです。その結果は、最下段に示したようになりますが、接種した人のほうが、はるかに重症化しやすいことがわかります。もちろん、この数字は論文には記載されていません。

疑惑その3
 論文には、「1回目の接種をしたあとから、2回目直前までの3週間」における有効率が52.4%に過ぎなかったと記載されています。ところが、この計算には「1回目の接種直後から7日以内に感染した人数」が意図的に加えられていました。この期間は、ワクチンの効果がまだ現れていないはずから、感染者を数えれば、ワクチン接種群とプラセボ群で同じくらいになるはずです。このことに気づいたフランスのある研究者が、この人数を除外して計算しなおすと有効率は92.6%になる、という主旨の記事を最近、発表しました。執筆者らが報告したものより、本当はずっと良い値だったのです。

さて、このややこしい話はどう理解すればよいのでしょうか? なぜ執筆者らはわざと低い値を報告したのでしょうか?もう、おわかりだと思います。「ワクチンは2回打たないと効果がない」という話にしたかったのです。そうでなければ、会社の売り上げが半分に・・・?

疑惑その4
 「毎日、ホームページを見てます」という方から情報提供があり、ファーザー社と米国FDAのと間で交わされた文章「ブリーフィング記録」を入手することができました。それを見ていて、本日、気づいたことがあります。論文には、1回目の接種を行ってからの112日間、「ワクチン接種群」と「プラセボ接種群」における、新規感染者数の推移を記録した折れ線グラフが提示されています。一方、ブリーフィング記録には、そのグラフに加え、日を追うごとに対象者数が減っていく様子も示されていて、77日目には早々と半数を割っていることがわかりました。これが何を意味しているかといえば、慎重に進めるべき追跡調査の途中で、協力者がどんどん脱落し、いなくなっていたということです。

途中で脱落していく人が多ければ、グループ間に偏りが生じるなど、調査結果の信頼性を著しく損ねることになります。実際、ずさんな調査ほど脱落者が多いことは、歴史が示しています。「副作用がきつくて嫌になった」などは、脱落理由の定番として知られています。

今日現在、判明している疑惑は以上です。この論文の掲載を決めた編集長エリック・J・ルービン氏(ハーバード大学非常勤教授)は、「全人類」の未来永劫にわたる健康被害(?)に対する責任を負ったことになりますが、どのように考えているのか、聞いてみたい気がします。

南スーダンに派遣された自衛隊を取材、政府の隠ぺい体質を告発した、布施祐仁・三浦英之著『日報隠蔽』(集英社)という優れた報道ノンフィクションがあります。その帯に書かれていた言葉を最後に引用させていただきます。

「結局、すべてがウソなんじゃないか」

2. shue777[944] gpOCiIKVgoWCVoJWglY 2021年7月12日 21:52:48 : n8j4rFGIGs UDBWZDdFUWlTakk=[86]  報告
このニュースでどれだけの政治家がブルってるでしょうねw
どの国の首相も政府もどうしてこんなに横並びに徹底して従う意味がこれですな。
まずもって従わなければどうなるか暗に脅迫され分かり切っているからでしょう。
菅がいつもビクビク怯え切って発言する意味もこれでしょう。
逆に媚び打った言動ではしゃぎすぎてるのが河野。
どうあれ未来的に凶悪犯罪の罪で裁かれ尻尾切りされる運命なのが常ですが。
3. 2021年7月13日 07:19:26 : WJLqXS1WII UmVwcS9rWi5zaDY=[24]  報告
ハイチ大統領暗殺の他にもまだあったのか、大統領だと政権打破などで狙われる可能性がおおい、なんとも米しづらいが、RAPT理論がソースであるなら100%デマでしょう。
311は麻生の仕業ww
4. 2021年7月13日 08:40:42 : I4RZLJzHZo UnV4ZENhSnNYemM=[2]  報告

今起きていることは、

戦争だという認識を持たないと、

特に、国のトップにいる人間は、

敵対する相手に簡単に首を取られてしまうんだよ。

今回の戦争は、従来型の国と国との戦争ではない。

宇宙的観点で言うと、悪対正義、悪魔対天使、

この現実的な地上的観点で言えば、

世界制覇を狙う邪悪なビルゲイツら支配層対人類

という構図だ。

奴らは、今回生物兵器を仕掛けてきて、
多くの人々を殺害ないし奴隷化しようと

試みている訳だ。

こういう認識が、ハイチの大統領らにあれば、

易々と奴らに殺されないんだよ。

先ずは、スパイ的人間を排除したり、

それから、各国の味方の政治家連携する。

例えば、プーチン、トランプだ。

彼らは、完全に正義の側にいることが分かる。

彼らと連携すれば、簡単にはやられない。

特にプーチンは超強力な味方だ。

シリアのアサドを見たら分かる。

何回も暗殺されてもおかしくない人間だ。

ということで、軍を味方につけたトランプが、

先ずは米国で奴らをとっ捕まえて、

処分して欲しいものだね。

5. 2021年7月13日 17:38:20 : rmLceWdmuI UkJ5TVZPV1hFZE0=[9]  報告
インドネシア、タンザニア、ハイチ?
6. 2021年7月13日 19:38:30 : 1HdYy6WWuA QjdvSzJlR1AvWm8=[304]  報告
ミャンマーを見習うべきだな
7. 2021年7月14日 08:05:25 : h27ypqbMGc LlRZR09vOWl0Tk0=[11]  報告

力あるものが正義____
力あるものが正義を振りかざし、嘘まみれのプロパガンダで洗脳し、略奪と殺戮を繰り返してきた

○「ニュースは流すものではなく、造るものだ。」
 ルパート・マードック(ニューズ・コーポレーション会長兼CEO)

~メディアはカダフィ体制の崩壊を「独裁の終焉」と報道し、戦争行為を肯定した。しかしリビアでは新婚世帯に約5万ドルの住宅購入補助金を支給、失業者には公共住宅を提供、車購入の際には補助金50%を支給し、全てのローンは無利子、さらには所得税などもゼロだった。水道や電気、医療費は無償なうえに、国内で必要な治療が受けられない場合は外国での治療費と渡航費までもが援助されるシステムだ。カダフィは特に教育政策に力を注ぎ、初等教育から高等教育、さらには大学まで全てを無償化した。対し米国では4700万人が医療保険に未加入であり、350万人が路上生活を強いられ、大学生の70%以上が2万5000ドル平均の学資ローンを抱え苦しんでいる。
・・・・・響堂雪乃著「略奪者のロジック 第5章 メディア 」 より
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

緑の革命を掲げ、人類史上例を見ないほどの福祉国家を作り上げたカダフィ大佐。
その慈悲に溢れた政治理念と偉業とに、心から哀悼の意を捧ぐ。合掌・黙祷!

一方、自由と民主主義を掲げる西側諸国は、アラブの春を演出後、自作自演の911を理由にイラクを始めとしたアラブ諸国へ武力侵略。イラクでは、大量殺戮と同時に何世代にも健康被害を及ぼす劣化ウラン弾を投下。真のねらいは傀儡政権の擁立による国家資源の半永久的な略奪であり、前世紀と同様の植民地化のための侵略戦争だったのである。

>リビア、カダフィ大佐の死亡、彼の業績に関する追悼のツイート 10523字
http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65671198.html

>カダフィーの真実~理想社会を創った英雄 
http://bossanovaday.hamazo.tv/e4223198.html

イスラームからキリスト教への改宗

これは、現地の人間、あるいは海外に住む人間でないと知らない貴重な情報だろう。FG氏は必ずしもキリスト教に肯定的な人間ではない(と思われる)ので、なおさら信頼性がある。

(以下引用)

イスラームを棄教する難民

2016年6月7日付けのLe Mondeル・モンド紙が
〈シリア、イラク、アフガニスタンなどからドイツへ亡命した回教徒の難民が何百人もキリスト教プロテスタントに改宗した。改宗希望者で宗教講座に熱心に出席している人も多い〉
と報道しました。第13面を全部使った大きな記事です。Frédéric Lemaîtreフレデリック・ルメートル氏の署名記事です。

F爺は、イスラームからキリスト教に改宗した人を何人も知っています。ところが、イスラーム圏の国々には
キリスト教からイスラームに改宗する人はたくさんいるが、その逆は存在しない
という事実無根の信仰があります。
「存在する」
と言っても信じてもらえないことが多いのです。それどころか
「反イスラーム運動をしている」
と誹謗中傷されます。

そして・・・イスラームを棄教した人が多くの国で他の回教徒からどんな迫害を受けているか知っているため、個々の改宗者の名前や住所を公表することは、F爺には出来ません。

こういう事情があるため、教会の場所と名前、改宗の儀式を行なった牧師の名前などを明記したこういう新聞記事は、貴重です。

数字

Stuttgartシュトゥットガルトのアラブ福音派教会の牧師Hanna Josua氏は、レバノン出身のアラブ人ですが、今年の復活祭にシリアとイラクからの元・回教徒難民8人に授洗(*)したそうです。近々に元・回教徒の受洗者の数が更に増える予定だと言っています。

(*)「洗礼を授ける」のが「授洗」で、読み方は同じですが、「洗礼を受ける」という意味の「受洗」とは別語です。

Hamburgハンブルクのペルシャ・キリスト教のアルファ・オメガ教会の牧師Albert Babajan氏は、2016年前半期だけでもイラン人とアフガニスタン人(*)の元・回教徒196人に授洗したそうです。

(*) イランのペルシャ語とアフガニスタンのDariダリー語とタジキスタンのタジク語は、一続きの方言連続体を成しており、相互に意思の疎通が可能です。

2016年の後半にはこの教会で500人ほどが受洗を希望しており、牧師はそれを受け容れる方針だと言っています。

BerlinベルリンのSteglitz地区のルーテル派(*)福音派ドライアイニヒカイト(**)教会でも、同様の現象があって、教会内ではドイツ語よりもペルシャ語を話す人の方が多いくらいだそうです。

(*)「ルーテル派」と「ルター派」は、同じことです。ドイツ語では、名詞としてはLutheraner、形容詞としてはlutheranischと言います。

(**)「Dreieinigkeitドライアイニヒカイト」は「三位一体」のことですが、ここでは教会の固有名詞の一部として用いているので、翻訳しないでカタカナ転写するのがF爺式のやり方です。

この教会の牧師Gottfried Martens氏は、受洗希望者のために「教会の儀式」「祈祷の仕方」などの集中講義を開いてルーテル派の教義を詳しく説明しているのですが、最近はどの講座にも200人を超えるイラン人やアフガニスタン人が熱心に出席するようになっているそうです。

「誠実な棄教と改宗なのか」との疑問

回教徒が大挙してキリスト教に改宗するのを快(こころよ)く思わないドイツ人も多いそうです。そういう人たちは、
〈難民認定が楽に受けられるようになるのが目的で表向きだけ改宗するのではないか〉
という疑いを口に出します。

この記事を書いた記者のFrédéric Lemaîtreフレデリック・ルメートル氏の観察では、そういうことは無いそうです。

実名を明かす人もあり、匿名を望む人もあるそうですが、氏との対話を受け容れた大多数の改宗者と改宗希望者は、故国で受けたイスラーム教条主義の武装団体からの迫害を逃れて難民となり、イスラームそのものに疑問を感じた末にキリスト教会にやって来て真摯に違いを知りたがり、何ヶ月あるいは何年か後に、改宗を望むに至ったのだそうです。

〈改宗すると家族や友人たちとの絆が切れてしまうため、決断には長期間の熟考が必要だった〉
と、
〈でも、改宗して本当に良かった。生まれ変わった気分です〉
と、改宗者は述懐するそうです。

無邪気な笑顔で大惨事

メモというか、問題の言葉が面白いので記録しておく。ただし、この記事の中では誤記されている。allen ではなくallezのようだ。私はこの女性のファンになってしまった。無邪気な笑顔が実にいい。


【ツールドフランス事故】落車原因の看板の意味や賠償金は?

女性が持っていた看板に書かれていた言葉はなんでしょうか?

『Allen opi omi』と書かれていますね。

こちらのツイートによると、『Allen opi omi』は前半がフランス語で後半がドイツ語。

意味は、おじいちゃん、おばあちゃんへの挨拶言葉だそうです。

意味は、「じいちゃん、ばあちゃん頑張れ」というような意味になります。

調べてみると、このじいちゃん、ばあちゃんとOpi とOmi の愛称で呼ぶのは、ドイツ語になるようで、この問題の女性はドイツ人なのではないかと言われています。

追記:フランス人女性だと発表されました。

おじいちゃん、おばあちゃん頑張れ・・・・とテレビカメラに向かっていっている間に、歴史的な大惨事を引き起こしてしまった黄色のジャケット女性。

おじいちゃんもおばあちゃんも、テレビ画面越しにショックでしょうね・・・・。

モンタノス派とウルトラモンタニズム

「モンタノス派」はこの「ウルトラモンタニズム」とはまったく別系統のキリスト教(原始キリスト教に近いと思う。)で、私も誤解していた。「ウルトラ」は誤解を招く言葉である。


ウルトラモンタニズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動

ウルトラモンタニズム または ユルトラモンタニスム(ultramontanism) とは、キリスト教の歴史上、17,18世紀フランスやドイツにおけるカトリック教会内の教会政治上の論争において、ローマ教皇の首位性を主張した立場。しばしば「教皇至上権主義」「教皇至上主義」と意訳される。転じて、教皇が政治上も絶対的権威を有するという近代の主張もこの語で表される。

概要[編集]

ウルトラモンタニズムを直訳すると「山の向こう主義」。フランスから見てローマはアルプスを隔てた向こう側であることによる。類義語に「バチカニズム(バチカン主義)」「キュリアリズム(教皇庁主義)」が挙げられる。超モンタニズム(=超モンタノス主義)では全くない事に注意。

対立概念は「ガリカニスム」。こちらは直訳すると「ガリア主義=フランス主義」だが、しばしば「国家教会主義」と意訳される。

カトリック教会政治に限定された議論のようでありながら、世俗権力を巻き込む主張・論争に発展したのは次の経緯による。すなわち、王権神授説絶対君主の権威の源は神の意思という説だが、そこからすなわち世俗のより神の代理と称するローマ教皇の権威が優先するという主張が可能であり、これがウルトラモンタニズムである。対してガリカニズムは、フランスの大司教の権威は教皇ではなく直接の神の召しであり、ローマ教皇に従属するものではないとして、その大司教から戴冠した王の権威の上にも直接に神がおり、王は教皇の支配下にはない、と主張した。これに地域教会の独立性の主張の観点から「国家教会主義」の訳を充てる。

したがって、用語ウルトラモンタニズムは「教皇至上主義」と日本語訳されることがあるものの、ローマ教会の権威における公会議と教皇との優位権を巡る公会議主義に対する「教皇主義」、プロテスタントの標榜する聖書の権威が教会に優先するとする「福音主義」に対する「教皇主義」の、どちらも意味しない。