天皇の存在意義
議論をするなら、それぞれの意見の細部をすべてきちんと検討するのが当然で、このあたりのいい加減さがツィッターというSNSの粗雑さ、あるいは使い方の難しさだ。
ここでは使われていないが、「天皇制」という言葉もかなりいい加減に使われている。「天皇が国家主権者である」政治制度を天皇制とするなら、現在の日本は明らかに天皇制ではない。
では、「天皇の存在を肯定すること」は「天皇制」なのか。下のツィートのように「天皇、あるいは皇族を一般人とする」ことが天皇制の廃止なのか。天皇や皇族を現状のままで存在させることの何が問題なのか。
2000年近い天皇の歴史を我々の(一時の)世代で廃止することに何の意義やメリットがあるのだろうか。単に、「あいつらは働きもしないで暮らしている」という批判なら、「生活保護受給者嫌悪」と同列ではないか。もちろん、その嫌悪は天皇や皇族の「国事行為」は「働く」範疇に入らない、といういい加減な判断によるものだ。海外からの賓客を迎える我が国の代表として、歴史ある天皇家が立つことに、私は大きな意義があると思っている。つまり、天皇は存在すること自体に存在意義がある、というのが私の考えだ。天皇の存在しない我が国はただの衰退が確定した資本主義国家のひとつにすぎない。文化と自然以外には誇れるものなど無いのだ。その文化とは伝統とほぼイコールである。過去の文化からまったく独立した文化など存在しない。
まあ、「天皇とは礼服のようなものだ」と思えばいい。普段着としては着ないが、それが無いといざという時に恥をかくという、そういう飾りである。そういう伝統があってもいいではないか。
先の戦争での天皇の戦争責任は当然あるが、そのころの天皇制、つまり「国家主権者として天皇が存在する」という国家制度は消えている。では、現在の象徴天皇制を否定する根拠は何なのだろうか。
(以下引用)