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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

ナンパという「心理的レイプ」

李琴峰という作家の文章の一部である。
ナンパという行為が女性に与える災害(やや大げさだが、心理的なものも含めて災害であることがある。)を考えれば、それは「心理的レイプ」と見做してもいい。もちろん、女性の側がそれを喜ぶことも多いだろうし、男からの働きかけが無ければ男性との交際機会を持てない内気な女性もまた多いだろう。その点でもレイプに似ている。男女が密室にいて、男の性欲が極限(最初、「極言」と出て、気づかないままだった。「極言する」という言葉もあった気がするが、滅多に使われる言葉ではない。だから「極」の字を見ただけで漢字変換成功と思ったわけだ。)に高まった時、相手に「セックスしていいですか」と聞く男はいないし、聞かれて「はい、いいです」と答える女性もほとんどいないだろう。この場合は、男女が密室にいる時点で「了解があった」と見るのが普通だと思う。
しかし、ナンパの持つ加害性はあまり認識されていない。職場などでのセクハラが犯罪であるとされているなら、未知の人間へのナンパはなぜ犯罪視されないのだろうか。


(以下引用)

 それでも、こんな「何様のつもりだよ」な男たちはこの社会に実在していて、彼らの存在に怯えて多くの女性は一人で夜道を歩くのを恐れ、そのため夜遊びを諦めたり帰宅時間を早めたり治安が悪いと思われる場所を避けたりと、実に多くの自由を自ら放棄せざるを得ない、というのが現状です。
 そんな自由を放棄しようとせず、侮辱に立ち向かおうとする女性が傷付けられた時に、社会は彼女たちにこう言います。「自己責任だ」と。

 私はネットで見かけた、女子高生がナンパ男に暴行された事件を思い出しました。35歳の男と10代の女子高生という歴然とした力の差があるこの事件でさえ、女子高生を批判する意見が散見されるのです。

https://www.topics.or.jp/articles/-/377083

 勘違いしないでほしい。誰にも邪魔されず、安全を脅かされることなく夜の街を闊歩するというのが私たちの人間としての、ごくごく当たり前の権利です。自分が飼っているペットか何かみたいに軽々しく話しかけないでほしい。いや、話しかけてもいいけど、無視されるのが当たり前だと思ってほしい、「キモイ」と言われてもまあそうだよなと鼻を軽くひっかいて次に当たってみよう、くらいの心の余裕がなければナンパなんてやめた方がいいでしょう。その辺、新宿辺りのナンパ師に見習ってみてはいかがでしょうか、変なじじいや、35歳の暴力男よ。







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アフリカや中東における「女性器切除」の理由

以前に女性器切除のことを書いたことがあると思うが、その理由については考察していなかった。下のツィートが正しいかどうかは知らないが、ありそうな理由ではある。そもそも、封建時代の社会では女性は子供を産む道具扱いであったわけで、これは多くの社会に共通していたと思う。女性は家事や育児や農作業での「働く道具」でもあったが、なぜそういう奴隷的な、あるいは道具的な存在に貶められていたか、考察するべきだろう。そして、そういう地位からなぜ「人間」としての地位をだんだんと獲得できたのか。(ひとつには本物の「機械」や「道具」の発達で女性の行う労働が軽減されたことがあると思う。)
女性の性欲がなぜ男性から嫌悪されたかと言うと、推測だが、男性の知らない内的メカニズムを女性が持っていることに「未知への恐怖と嫌悪」を感じたのではないかと思う。もちろん、女性のエクスタシーに男性も関与できるが、それは(自慰でもレズでも可能であり)必須のものではないだろう。女性を「イカせる」のがセックスの醍醐味だというのは比較的近代のものだと思う。通常は、と言うか、生物的な本来的な在り方としては、男性のセックスは「射精するのがすべて」であり、女性側の快感など無関係なものである。ただし、サディズムに見られるように、背徳的な快感ほど大きいという奇妙な現象が男性にはある。


(以下引用)

ろくでなし子 祝デコまん無罪確定!
@6d745
返信先: さん
弓月先生、リプライありがとうございます。アフリカ地域で、女性が妊娠出産目的以外の性欲を持ってはならないとする、長らく行われて来た悪慣習です。母親自身が我が子へと、綿々と受け継がれて来た点でも根深い問題で、とても痛ましく、早く根絶できる事を祈るばかりです。

怒りの瞬発力

「怒りの瞬発力」というのはいい着眼だと思う。
私もまさに「(安全への注意喚起ではなく怒りの表現として)車のクラクションを即座に鳴らす」人間を奇妙に思うタイプであり、何かの問題が起こった時には、まず問題の内容を把握しようとするために「怒りの表現」はなかなか発動できない。人前で怒鳴ったのは一度しかなく、それは騒がしい教室で子供の騒ぎを抑えるためで、怒りとも違うような気がする。私の場合は社会的な不義不正への怒り、つまり公憤という形でしか怒りはほとんど生じないようだ。
その代わり、と言っていいかどうか、他者(身近な嫌な人間)への嫌悪感は心の中で蓄積される傾向があるようだ。
なお、個人的な意見だが、ヤクザや不良などは「怒りの表現を即座に行う」ことが習い性となっている人種だと思う。それが彼らの「生きるための生活の知恵」でもあるわけだ。「ナメられたら終わりだ」という人生観を持った人種である。これは橋下徹などにも言える。すぐに怒る人間が強い人間とは限らない。怒ることで相手を威嚇し、肉体的な闘争を避けることのほうが多いのではないか。

(以下引用)

今回は「怒りの瞬発力」というお話です。確かに、何かあったときに一瞬で怒る(怒れる)人と、そうじゃない人がいますよね。

山本: 私には本当に怒りの瞬発力がなくて、分かりやすいところでいうと「車を運転しているときのクラクション」です。目の前に人が急に飛び出してきて、「あぶねーだろ!!!」ってすぐ言える人がいるじゃないですか。あれ私、できないんですよ。

――そうか、確かにあれも瞬発力ですね。

 判断にすごく時間が掛かるんです。人が飛び出してきても、まず「あれ、ここって横断歩道だったっけ?」とか「信号は青だったっけ?」とか、そういう方を先に考えてしまうんです。いつも「私が悪い前提」で考えが始まるんですよ。

 だから自分に落ち度が全然なくても、一回「私が悪い」ってことで考えて、ゆっくりと「私は悪くないのでは……?」ってことが全部整理できてから、じわーって怒りが来る。

――それってロジックのあとに感情が来てますよね。理屈が確認できてからやっと怒り始める、というのは。

 そうそう。そこ(理屈の確認)を全部やらないと、やっぱり「間違えて怒っちゃったらどうしよう」っていうのが心配なので。

――「まず私が悪い前提で始まる」っていうのは、そうなった原因というか、きっかけのようなものはあったんですか?

 やっぱり私の今までの全作品で共通して言っているのが、自己肯定感の低さなんですよね。なんか自分の順位が低いんです、すごく。

――過去の作品では「小学生時代には全能感があった」と描かれていて、実際かなり奔放だったようですが。

 小学生の頃はそんなこと(自己肯定感の低さ)なかったと思うから、中学、高校、卒業してから……と、じわじわ出来上がっていったんだと思いますね。

――ちなみに、先ほど「間違えて怒っちゃったらどうしよう」と言われてましたが、間違えて怒ってる人なんて世の中にめちゃくちゃいっぱいいますよね。

 そうですね(笑)。めちゃくちゃいるし、そういう人たちに私たちは日々、悩まされてると思うんですよ。「あれ、なんで今自分が謝ったんだろう」って。

――そういう性格を直したり解決したりしたいとは思いますか?

 うーん……でも、そんなにすぐキレたくないじゃないですか。私はすぐキレる人は好きじゃないから、別に今のままでいいかな。確かに「適切な場面でキレる」ことができるようになったらスカッとはするんでしょうけど、今のままでいいです!

<(2)に続く>

弱点克服は自分自身の客観視から

人相は嫌いだし、少年院上がりという過去も嫌悪感を感じるが、文章内容を見ると、非常に頭脳明晰な人物であると思う。何より、重要な部分はこれだという判断が素晴らしい。

(以下引用)

悲しいほど「心が弱い人」に共通する3つの特徴

強さは「修復力」と「客観視」から生まれる

総合格闘家・朝倉未来さんが語る「強さ」の秘訣とは?(写真提供:村上裕一)
時には命も危険にさらす、過酷な総合格闘技の世界。その第一線で活躍し続けるには、常人にはない「強者」のマインドが必要です。
若くしてRIZINで7戦全勝という成績を収め、昨年開始したYouTuber活動では1年で登録者数100万人を突破。今年2月には初の著書『強者の流儀』を上梓した総合格闘家・朝倉未来さんが、自分の経験をもとに、誰にでも共通する「弱さ」の克服方法について語ってくれます。

プロの格闘家として活動していると、「どうしたらそんなに強くなれるのか」とよくたずねられます。ところが僕の場合、聞かれているのはどうも格闘技における「強さ」の身に付け方ではない、とよく感じます。

むしろ「弱さ」を克服して自信をつけたい、他人に「弱い」人だと思われたくない、人に流されたくない、というような、万人に共通する悩みをどうやって解消したらいいかを、みなさんが知りたがっているという印象を受けました。

僕自身も、もともとの性格は飽きっぽくて意志が弱く、1つのことをやり通せるような「強い」人間ではなかったので、そういう悩みにはとても共感します。

今回は、少年院を出てから総合格闘家を目指し始めてからの10年間、強くあるために日々試行錯誤を重ねていく中で見いだした、「弱い」人に共通する3つの特徴についてお伝えできればと思います。

弱者は「自分の感情に振り回される」

「弱さ」とは、力や能力で他人に劣ることだけではありません。自分の感情に負けてしまうことも、「弱さ」の1つです。

すぐに動揺したり、何かにつけて失敗を他人のせいにしてしまう人は、いかにも弱い人に見えますよね。例えば僕の場合ですが、YouTubeの収録のためにわざわざ集まったのに、共演者の都合で撮影がなくなってしまったことがあります。こういうときは、他人を責めたり不平不満を漏らしたりと、ネガティブな感情にとらわれてしまいがちです。

ここでイライラにのまれずに、頭をさっと切り替えられるかどうかが重要です。いったん冷静になって状況をポジティブに捉え直せば、「せっかく集まったのだし、今できるほかの撮影をやってみよう」と、時間と機会を有効活用するアイデアを提案できるかもしれません。

ちょっとしたことに感じるかもしれませんが、日常的に発生するこうした小さいトラブルもチリも積もれば山になります。こういうネガティブ要素をいかにポジティブに「修復」できるかが、弱者から強者に変わるためのポイントの1つなんです。

ネガティブな感情から距離をとる「修復力」を身に付けるためには、自分自身を1歩引いた視点から眺める「客観視」が必要不可欠。そして客観的な視点は、勝負事で強さを発揮するうえでも大事なものです。

格闘技に限らず、勝負や競争には必ず相手がいます。「客観視」ができないと、自分の強みの過信や、逆に弱点の軽視などによって、必ず足をすくわれてしまいます。

「客観視」ができなければ、勝負に勝ちきれない

僕が「客観視」を意識するようになったのは小学生のころです。あるとき両親がビデオカメラを買ってきて、僕の動きを撮影してくれました。そして、そこに映っていた自分の動きを観て衝撃を受けます。想像していた自分の動きと、画面に映る等身大の自分の動きが、まったく一致していなかったんです。

自分でうまくできているつもりでも、実際にはできていないことがたくさんある。そのことに気づいた僕は、ビデオで自分を撮影することにハマり、あらゆる動作を自分で検証するようになりました。そして、思い込みと現実のギャップを埋めることで、自分の弱みを潰し、新たな強みを身に付けることができるようになりました。この徹底した「客観視」の訓練が、後の格闘技生活に大きく役立ちます。

逆に言えば「弱い」人というのは、自分のしたい動きだけをしてしまう人、自分のイメージどおりに物事が進むと思い込んでいる人のことだと言えるでしょう。

そういう人は、実戦の場で自分の思うように事が運ばないときに、なぜうまくいかないのかを理解できません。自分の予想と異なる動きをする相手が現れたときに、翻弄されるままになってしまうのです。

「客観視」の実践の仕方としては、第三者に意見を求めたり、他人のよい部分を観察することが有効でしょう。

RIZINでリオン武選手と対戦したときのことです。僕は動体視力に自信があるので、相手の攻撃をもろに受けることはあまりありません。しかし彼のパンチは特殊な打ち方で、うまく避けきれませんでした。「これはすごい技だ」と感じ、すぐに研究を開始。次の試合のときには、技のレパートリーに加わっていました。自分にないものに出会ったら、とにかくすぐに試してみる。その積み重ねで、視野も広がっていきます。

また、視点をずらす客観視の考え方は、戦う相手を分析するときにも応用できます。通常の客観視は、「自分の主観から離れて、第三者の視点からビデオカメラのように自分を眺める」ことです。他人を分析するときにはその反対に、「第三者の視点から見た風景を、自分の主観に置き換えて再現する」操作をします。僕はこれを、「空間的想像」と呼んでいます。

格闘技の試合を例に挙げましょう。例えば、試合相手の分析をするために、その相手の過去の試合映像を可能な限りたくさん観ます。映像には、2人の選手が並んで戦うところが映っていますが、実際の試合では、自分の視界に映るのは相手だけです。このギャップを埋めるためには、撮影された映像を観るときに「自分の視点からだとどう見えるか」をシミュレーションする必要があるのです。

「空間的想像」で入念に対戦映像を分析すると、攻撃の軌道や回避の癖など、外から観ているだけではわからない相手の細かな動きが、だんだん具体的に見えてきます。

「弱い」人は相手を分析しようとしても、ただ映像を漫然と見てしまうことが多い。自分ならどうするか、自分の視界からはどう見えるか。それをつねにシミュレーションすることで、臨機応変に対応できる「強さ」が生まれるのです。

目的意識が曖昧だと、準備や練習も非効率的に

これは、格闘技に限らず、多くの物事に共通する問題でしょう。

多忙なビジネスパーソンならみなさん同じ境遇だと思いますが、僕も試合や練習だけに時間を使えるわけではありません。インストラクターとしての仕事や取材対応などもありますし、最近始めたYouTubeもチャンネル開設1年で登録者数100万人を超えるほどに本気で打ち込んでいます。睡眠時間も平均7時間は確保しているため、必然的に練習や準備の時間は限られます。

そうなると、「練習」は短い時間で効率的に行わなければなりません。そのためには、やはり「実戦」をつねに想定することが大切なのです。

僕は2時間の練習時間をどれだけ有効に使うかを考えた結果、「総合格闘技の試合で勝利することに直接結びつかない練習」はしないことにしています。具体的には、ウェイトトレーニングやランニングなどは行わず、ひたすら実戦形式のスパーリングや、レスリングなどの新しい技の習得に時間を割いています。

基礎練習は大事、と思う方もいるかもしれませんが、実際の勝利に貢献しているとは限りません。ウェイトトレーニングやランニングで身体に負荷をかけて「練習をした気になった」としても、試合で勝てなければ無意味なんです。

これは社会人と英語力の関係に似ているかもしれません。「これからの時代英語は基礎教養」とずっと言われていますが、具体的に使う機会がなければ成果が出にくいでしょう。また日本人は、テストの点数はよく取れるのに会話はぜんぜんできないという状況になりがちです。趣味ならそれでもいいでしょうが、忙しいビジネスパーソンがそんな悠長な態度ではいられないですよね。

結局、何かを達成したいとか、何かを克服したいというような、明確な目的意識が大切なんです。目的さえはっきりすれば、自動的にやるべきことも明確になりますから、コミットすることができます。そして、コミットしているからこそ、短時間でも集中して質の高い準備ができるんです。

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逆に言うと、目的意識が曖昧なのは「弱さ」です。やっていることに自信がないため、練習メニューもちゃらんぽらんになりがち。そうすると質も効率も落ち、成果が出ないから心身ともに疲弊してしまいます。こういう状態に心当たりはありませんか?

目的意識をしっかり持つために大切なのは、今取り組んでいることが本当にやりたいことなのかどうかの再確認です。結局、本当にやりたいことでなければ全力をぶつけることはできないでしょう。

そして、取り組んでいることが本当にやりたいことであれば、どんどん成長することができます。やりたいことではないのになんとなくやめることができず、ずるずると続けてしまう、というのも「弱さ」の表れです。もちろん、疲弊したときはしっかり休息をとって、モチベーションを回復させましょう。

心身ともに余裕を持ち、本当にやりたいという意欲を持って物事に取り組むこと。それができれば、「弱者」は自然と、「強者」に生まれ変わっているはずです。






水道水には銅が溶けている?

水道水に銅が含まれていることが平然と書かれているが、これは水道管が銅で出来ているから、それが水道水に溶け出すということだろうか。
それなら、同じような事故が今後も起こるだろうし、逆に今まで起こらなかったのが不思議である。まあ、酸性物質を水道水に溶かすこと自体が稀だったのかもしれないが、それなら酢飯とかを作る場合はどうなのか。酢を水道水で希釈して用いるのではないか。
いずれにしても、日常の中に潜む危険性ということで、生活の知恵として覚えておくべきだろう。



 
 
 
やかん(写真はイメージです)=ゲッティ© 毎日新聞 提供 やかん(写真はイメージです)=ゲッティ

 大分県は8日、臼杵市の福祉施設でステンレス製のやかんに入ったスポーツドリンクを飲んだ70~90代の男女13人が、嘔吐(おうと)、吐き気などの症状を訴える食中毒になったと発表した。水道水に含まれる微量の銅成分が古いやかんの内部に蓄積し、酸性の飲料で溶け出したことが原因とみられ、極めて珍しいケースという。

 県食品・生活衛生課によると、福祉施設はステンレス製のやかんで湯冷ましをつくり、スポーツドリンクの粉末を入れた。そのスポーツドリンクをデイサービスの利用者が6日午前10時20分ごろ、一人あたり150㏄を飲んだところ、嘔吐などの異状を訴えた。

 大分中部保健所に届け出があり、同課が検査したところ、スポーツドリンク1リットル中200ミリグラムの銅が検出された。通常、銅10ミリグラム程度を摂取すれば、中毒症状が表れるが、1人当たり30ミリグラムの銅が入ったスポーツドリンクを飲んだとみられる。

 同課によると、やかんは約10年前から使用しており、内部に黒く変色した部分があった。水道水に含まれた銅が内部に蓄積し、酸性のスポーツドリンクを入れたことで溶けたとみている。【津島史人】