怒りの瞬発力
私もまさに「(安全への注意喚起ではなく怒りの表現として)車のクラクションを即座に鳴らす」人間を奇妙に思うタイプであり、何かの問題が起こった時には、まず問題の内容を把握しようとするために「怒りの表現」はなかなか発動できない。人前で怒鳴ったのは一度しかなく、それは騒がしい教室で子供の騒ぎを抑えるためで、怒りとも違うような気がする。私の場合は社会的な不義不正への怒り、つまり公憤という形でしか怒りはほとんど生じないようだ。
その代わり、と言っていいかどうか、他者(身近な嫌な人間)への嫌悪感は心の中で蓄積される傾向があるようだ。
なお、個人的な意見だが、ヤクザや不良などは「怒りの表現を即座に行う」ことが習い性となっている人種だと思う。それが彼らの「生きるための生活の知恵」でもあるわけだ。「ナメられたら終わりだ」という人生観を持った人種である。これは橋下徹などにも言える。すぐに怒る人間が強い人間とは限らない。怒ることで相手を威嚇し、肉体的な闘争を避けることのほうが多いのではないか。
(以下引用)
今回は「怒りの瞬発力」というお話です。確かに、何かあったときに一瞬で怒る(怒れる)人と、そうじゃない人がいますよね。
山本: 私には本当に怒りの瞬発力がなくて、分かりやすいところでいうと「車を運転しているときのクラクション」です。目の前に人が急に飛び出してきて、「あぶねーだろ!!!」ってすぐ言える人がいるじゃないですか。あれ私、できないんですよ。
――そうか、確かにあれも瞬発力ですね。
判断にすごく時間が掛かるんです。人が飛び出してきても、まず「あれ、ここって横断歩道だったっけ?」とか「信号は青だったっけ?」とか、そういう方を先に考えてしまうんです。いつも「私が悪い前提」で考えが始まるんですよ。
だから自分に落ち度が全然なくても、一回「私が悪い」ってことで考えて、ゆっくりと「私は悪くないのでは……?」ってことが全部整理できてから、じわーって怒りが来る。
――それってロジックのあとに感情が来てますよね。理屈が確認できてからやっと怒り始める、というのは。
そうそう。そこ(理屈の確認)を全部やらないと、やっぱり「間違えて怒っちゃったらどうしよう」っていうのが心配なので。
――「まず私が悪い前提で始まる」っていうのは、そうなった原因というか、きっかけのようなものはあったんですか?
やっぱり私の今までの全作品で共通して言っているのが、自己肯定感の低さなんですよね。なんか自分の順位が低いんです、すごく。
――過去の作品では「小学生時代には全能感があった」と描かれていて、実際かなり奔放だったようですが。
小学生の頃はそんなこと(自己肯定感の低さ)なかったと思うから、中学、高校、卒業してから……と、じわじわ出来上がっていったんだと思いますね。
――ちなみに、先ほど「間違えて怒っちゃったらどうしよう」と言われてましたが、間違えて怒ってる人なんて世の中にめちゃくちゃいっぱいいますよね。
そうですね(笑)。めちゃくちゃいるし、そういう人たちに私たちは日々、悩まされてると思うんですよ。「あれ、なんで今自分が謝ったんだろう」って。
――そういう性格を直したり解決したりしたいとは思いますか?
うーん……でも、そんなにすぐキレたくないじゃないですか。私はすぐキレる人は好きじゃないから、別に今のままでいいかな。確かに「適切な場面でキレる」ことができるようになったらスカッとはするんでしょうけど、今のままでいいです!
<(2)に続く>