欧州の雨
ちなみに、スペイン(spain)では雨(rain)は主に(main)平地(plain)に降るというが、それはどんな雨か。
青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳
須賀敦子は『ミラノ 霧の風景』(白水社)を出したとき61歳になっていた。それまでに彼女が呼吸してきた瑞々しいガイコク感覚は、べつだん本を出さなくたって存分に周囲に放射されていたのだが、この一冊によってわれわれも須賀敦子の呼吸の奥にある言葉による再生感覚を知ることができ、彼女も翌年からたてつづけにその才能を本にする機会に恵まれた。
そういう女性はいろいろなところにいるものだ。彼女たちは、すばらしい人生をおくりながらも一冊の本も書かないことが多いけれど、たいていはある領域の文化をみごとに動かしている。そういう女性がいなければ、その界隈の文化の花は咲かなかったであろうような、そんな役割を思わず知らず担っている女性たちである。ぼくはなぜか、そういう女性によく出会う。須賀敦子もそのような一人だった。
阪神文化に育ち、聖心女子大から慶應大学院に進んだ須賀は1753年にパリに留学、5年後にはイタリアへ再留学したのちミラノに入った。31歳のころである。それから10年以上にわたってのミラノ暮らしがはじまる。そしてミラノの都心にある一軒の不思議な書店にまぎれこむ。本書は、そういう須賀が63歳のときに懐かしくも香ばしいミラノの日々を回想して綴った珠玉の一作だ。
須賀は本書の最後にこう書いている。「コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた」。そして、こう結んでいる。「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う」と。
[追記]須賀敦子は1960年にジュセッペ・リッカ(みんなペッピーノと称んでいた)と結ばれて、ミラノに棲みはじめたのだが、7年後に死別した。コルシア書店に勤めたのは6年ほどだ。日本に戻ってからカルヴィーノ、タブッキ、サバなどを訳し、いくつかの大学でイタリア語を教えた。2014年、須賀敦子翻訳賞が設けられた。
クライアントから「こういうWEBページを作りたい」「このまえ作ってもらったWEBページのここを直したい」といった要望を聞き、これを取りまとめてエンジニアやデザイナーに発注、納品されたものをクライアントに渡すという仕事
で、この仕事をやっていて思うんだけどエンジニアって性格終わってる人多くね?
営業やWEBデザイナーといった他業種にはない独特の性格の悪さがあると思う
「心理的安全性?なにそれ?」ってレベルの言葉遣いをしまくってくる
一体この差はなんなんだろう
一応規定のテンプレートに沿って発注書を作ったんだが受け持った案件がちょっと特殊であることがあとからわかって、仕様を詰められていない箇所があった
お疲れ様です。
(以下箇条書き10数個)
お言葉ですが最終チェックはされましたでしょうか?
これくらいのことを送ってきやがった
名指しで送られてきたものだから新人さんもパニックで「すみませんなんか〇〇さんが怒ってます!」って泣きついてくるし、何ならエンジニアチームに苦手意識を植え付けられた感じだった
流石にあまりにもな文面だったから後ほど個別チャットで「新人さんに対してあの文面はないでしょう「もうちょっと配慮してよ、新人さん怖がるよ」「せっかく入ってきた新人を潰したいのか」って内容をきちんとした丁寧語に直して送信したら、
ご指摘いただいた件ですが、開発部としては営業部の教育には関知できません。
って回答になってない回答を寄こしてきやがる
とにかく話が通じない
ちょっとでも情緒的な事情が入ってくるとこちらをシャットアウトしてくるんだよな
これが仮にデザイナーチームへの発注だったらそんなことはないんだよ
きっとチャットで「すいません〜確認したいことがあるので席伺ってもいいですか?」ってきてから口頭で「いや〜今回作るのって仕様が特殊なのでこのあたりの情報が欲しいんですよね〜」「すみませんがここだけ情報追記お願いできますか?」「新人さんなのにすごいめんどい案件受け持っちゃいましたねw」「追加の情報いただいたら次営業日には仮バージョン上げられます!」「頑張ってくださいね!」くらいのにこやかなコミュニケーションはしてくれただろう
(っていうか過去そうやって似たような案件でフォローしてくれた実績がある)
こんな調子だから社内においてエンジニアチームに対しては割と腫れ物を触るような対応になっている
何なら他部門と若干敵対しているような空気さえ流れているんだよな、同じ会社のメンバーなのに
どうにもうちのエンジニアは自分たちの仕事を定期テストの問題を解くようなものだと思っている節がある
問題文に不備があれば「せんせー!ここ間違ってます!」「なんでまちがってるんですか!ここ重要なんですけど!」「次からはちゃんとしてくださいよ!」って野次ってくる感じ
社会人の仕事ってそもそも問題作成のところから相互に協力し合って解決するものじゃない?違うの?
なんか最近は嫌なことがありすぎてエンジニアの連中を同じ人間とは思えなくなってきてるんだけど
こういうの全体会議の機会とかに指摘したほうがいいのかなぁと悩み始めているよ
【追記】
「10数カ所も指摘されるような発注書作ってるのが悪い!」みたいなこと言ってる人がいたので補足
本文に書いてある通りなんだけど新人さんが請け負った仕事は特別な対応が必要なもので、発注書も特別仕様の物を使わなきゃいけなかった
それを通常の仕様のもので送っちゃったってだけのことなのにネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチその通常の発注書にはなくて特別仕様の発注書にはある項目を指摘してきやがったって次第なわけ
それ特別仕様のやつになります!って普通に優しく言ってくれればいいでしょって話
いずれにせよやっぱりエンジニアって人として性格終わってる人が多いってのが反応を読んでよーくわかったわ
・わざわざ高圧的な物言いをしない
・わざわざ人の神経を逆撫でるようなことを言わない
・人に対して気遣いを持って優しく接する
わりとこれって社会常識というか、人と人とのコミュニケーションにおいて絶対に必要なことだと思うんだけどエンジニアってそういうの欠けてるんだな
ディレクター含め出てくる全職種兼任してるけど、新人の仕事に対して確認もしてない自分を棚上げして何言ってんだ?て話。確認してこれなら新人ではなく増田のミス。他部署の人間に自分の仕事をやらせんな