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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

翁の文(第六節)

それでは、その真の道の、今の世の日本で行われるべき道はどうかと言うのなら、ただ物事の当たり前のことを務め、今の仕事を本として、心をまっすぐにし、身持ちを正しくし、物の言い方を丁重にし、ふるまいを慎み、親がいる者はよくこれに仕え、(翁の自注に言う、六向拝教を見るべし、もっぱら五倫のことを説いている、また儒者もこれを重んじている、また神令にもこの五種を載せておられる、これは真の道は三教の道にも欠かせないものである印である、と。)主君がある者は、よくこれに心を尽くし、子がある者はよくこれを教え、臣下がある者はよくこれを治め、夫がある者はよくこれに従い、妻がある者はよくこれを率い、兄がある者はよくこれを敬い、弟がある者はよくこれを憐れみ、年寄りに対してはよくこれを大切にし、幼い者に対してはよくこれを慈しみ、先祖のことを忘れず、一家の親しみを疎かにせず、人と交わってはまごころからの誠意を尽くし、悪い遊び(注:遊蕩のことだろう。)をせず、優れたものを尊び、愚かな者をあなどらず、おおよそ我が身に当てはめて(考え)、悪いことを人に為さず、鋭く角々しいことをせず、僻んで頑なにならず、せかせかと余裕の無い態度をせず、怒ってもその際限を誤らず、喜んでもその守りを失わず、楽しんでもそれに淫せず(溺れず)、悲しんでも迷いに至らず、十分なことも不十分なことも、みな自分の幸福だと心を満足させ、受けてはならないことは塵ほどのものも受け取らず、与えるべき場合には国や天下でも惜しまず、衣食の良い悪いも、自分の身の程に従い、贅沢をせず、吝嗇でなく、盗まず、偽らず、色を好んでも理性を失わず、酒を飲んでも乱れず、人に害の無いものを殺さず、食物を慎み、悪いものを食わず、多くは食べず、(翁の自注に言う、云々:この段の論拠が古典や経などにあることを述べているだけなので省略する。)暇な時には自分の身に利益のある芸を学び、賢くなることを務め、(翁の自注に言う、云々:同様に省略)今の文字を書き、今の言葉を使い、今の食物を食い、今の衣服を着、今の調度を用い、今の家に住み、今の風俗習慣に従い、今の掟を守り、今の人と交際し、さまざまな悪いことをせず、さまざまな良いことを行うのを真の道と言い、また今の世の日本で行われるべき道とも言うべきである。




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翁の文(第五節)

(例によって、富永仲基による前節の注釈)左を右にしてはいけない、右を左にしてはいけない(注:不自然な改変をするな、の意味か。)というのだから、今の風俗を変えて太古のようにしろと神道も言うのではない。それだのに、今の神道が、さまざまなことで昔を手本にして怪しく異様なことをだけするのは、またその道にも当たらないことである。野々宮宰相公(注:江戸中期の貴族で学者か。)が、今の神道は皆神事であって真の神道ではない、とおっしゃったそうだ。本当に、今の世の道は、皆神事・儒事・仏事の冗談事だけであって、真の神道・儒道・仏道ではないのである。もしこの「翁の文」と、また宰相公の言葉が無かったなら、仲基もこのことは意識しなかったかと思われる。


このようにこの事を言えば、嘲って内容の無い嘘言を繰り返し言うようにも聞こえるが、これをたとえて言うならば、五里十里隔たった近い場所の風俗さえ真似て習うのは難しいことであるのに、まして中国やインドのことを日本へ学ぼうとし、また五年十年過ぎた程度の近い事さえ、覚えている人は少ないものであるのに、まして神代のことを今の世に習おうとする者は、皆、実現不可能な、大いに愚かなことである。たとえそれをよく学び得て、少しも間違わずにいたとしても、人が、成る程、その通りだ、とまた今の世に了解すべきことでもない。であるから、この三教の道は、皆、今の世の日本で行われるべき道の道(真の道)ではない。行われない道は道ではないのだから、三教は皆、真の道に適わないものと知るべきである。





翁の文(第四節)

(以下、前回同様、富永仲基自身による注釈)「夷狄にあっては夷狄の風に則して行う」とも言い、また、「礼は俗に従う」とも言い、また禹王は片肌脱いで裸国に入ったとも言うので、まったくその国の風俗を変えて中国の真似をしろと儒者も言っているわけではない。しかし、日本の儒者が、いろいろな事において中国の風俗に似せようとしてこの日本に縁遠いことだけ行うのは真の儒道に当たらないことである。

さてまた日本の昔は、人に向かって手を拍ち四拝するのを礼とし、柏の葉を重ねてそれに飯を盛って食い、喪には歌を歌い、泣き偲び、喪が終われば川へ出て祓いをした。神道を学ぶ人は、このようなことをひとつひとつ昔に違わないように考えて行うべきである。今の世に用いている金銀や銭などというものも、もともと神代には無かったものだから、神を学ぶ人はこれをも捨てて用いないのが当然である。また、今の衣服も呉服と言って呉の国から伝えたものだから、これを用いないのを良しとする。また、物を言うにも神代の古語をよく覚えて、父を「かぞ」母を「いろは(注:いろ、とも言う)」お前を「おれ」衣服を「しらは」蛇を「はは」病気を「あつしれる」などと、物事を(今と)違ったように言って、またその名前も「なに彦、なに姫の命」と付けるべきである。







翁の文(第三節)

(この段落は、富永仲基が「作者不明」の「翁の文」の注釈をした形になっている。)仏は「私の言葉でも、他所では清浄でないならば行わなくても過ちではない。私の言葉でなくても他所では清浄ならば行わないわけにはいかない」と説いているので、まったくその国の風俗を変えてインドを学べと教えているわけではない。しかし、日本の僧侶が、すべての事にインドを真似て学ぼうとしてこの日本に不相応なことをだけ行うのは、みな仏の道に当たらないことである。翁はそれを憎んで(第二節のように)嘲弄したのである。

また、中国では、肉食が主であるから儒者は牛羊などを飼育して常に料理すべきである。その献立も礼記の内則篇に書いてあるのを考えてやるべきである。婚礼には新郎が新婦を自ら迎えるべきである。祭り(注:これは「魂祭り」のように先祖を祭ることだろう。)には仮に神の代わりとなる者(かたしろ)を置くべきである。またその衣服も深衣(注:中国風の衣服だろう。)を用い、頭には冠をかぶるべきである。当今の儒者が裃を着て、総髪にするのは、中国の形ではない。それ以前に儒者は唐音(中国の発音)を使い、漢文字を用いるべきである。唐音にもさまざまあるので、周代の魯国(注:孔子の生国)の音を学ぶべきである。漢文字も種類が多いので、周代の字体を学ぶべきである。






翁の文(第二節)

僧侶がすべての事々にインドのことを学んで自分をも修練し、人をも教化・済度するが、梵語を使って説教したり、人もこれを会得したためしは無い。まして調度から家づくりまでインドとすべて同じようにするなどは思いもよらない。インドでは片肌を脱いで合掌するのを礼とし、股膝なども露見するのを端正であるとする。だから経にも「(仏は)くるぶしも膝も露見し、陰部は馬のように体内に納める」と書いてある。人の臀部の汚いのも顕して隠さないのを良しとする。僧侶なら、(本当は)みなこういうこともはばからずするべきである。