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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

翁の文(第三節)

(この段落は、富永仲基が「作者不明」の「翁の文」の注釈をした形になっている。)仏は「私の言葉でも、他所では清浄でないならば行わなくても過ちではない。私の言葉でなくても他所では清浄ならば行わないわけにはいかない」と説いているので、まったくその国の風俗を変えてインドを学べと教えているわけではない。しかし、日本の僧侶が、すべての事にインドを真似て学ぼうとしてこの日本に不相応なことをだけ行うのは、みな仏の道に当たらないことである。翁はそれを憎んで(第二節のように)嘲弄したのである。

また、中国では、肉食が主であるから儒者は牛羊などを飼育して常に料理すべきである。その献立も礼記の内則篇に書いてあるのを考えてやるべきである。婚礼には新郎が新婦を自ら迎えるべきである。祭り(注:これは「魂祭り」のように先祖を祭ることだろう。)には仮に神の代わりとなる者(かたしろ)を置くべきである。またその衣服も深衣(注:中国風の衣服だろう。)を用い、頭には冠をかぶるべきである。当今の儒者が裃を着て、総髪にするのは、中国の形ではない。それ以前に儒者は唐音(中国の発音)を使い、漢文字を用いるべきである。唐音にもさまざまあるので、周代の魯国(注:孔子の生国)の音を学ぶべきである。漢文字も種類が多いので、周代の字体を学ぶべきである。






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