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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

口中清掃行為としてのうがい

「日常生活動作の考察」のひとつとして、「うがい」を考えてみる。

うがいをやる人間の多くは、口に水を含んで上を向き、喉の辺りに溜めた水に肺から空気を送って水泡を作り、「ガラガラ」とやる、というものだろう。
で、これが風邪の予防とされていたが、実は風邪の予防にはあまり役立たないとも最近では言われているようだ。
だが、私の考えるうがいの効用は、風邪の予防とは関係がない。単に口中の清掃である。
食事をした後の口の中がいかに「食物ゴミ(細片)」だらけか、うがいをするとよく分かる。これは、歯磨きなどをしても気づかないものだし、実は歯磨きではこの食物ゴミは完全には取れない、と私は思っている。と言うのは、歯ブラシの毛先では歯と歯の間に届かない部分があるし、歯肉ポケット(と言ったか)にも届かない部分があるからだ。だが、水ならそこに届くし、水流の力というのは思ったより大きなものだ。特に、歯で囲まれた内部に溜めた水を歯の隙間から外(つまり歯と頬肉や口唇の間の空間)に押し出す水流の力は案外大きく、歯の内外で水を往復させる運動を数回繰り返すと歯間にあった実に大量の食物ゴミの細片が取れて水の中を漂うのである。
これをやる際には、最低でも十回以上は水の往復をさせるべきである。と言うのは、歯の間に挟まったゴミが水で動かされても、一回の水流では挟まったままで、それが数回の水の往復で動かされてやがて取れるからだ。
これは歯間だけでなく、歯と歯肉の間のポケットに押し込まれた食物ゴミにも言えることである。

まあ、こういう感じで、日常の動作や行為の中には、「間違ったやり方」をしていて無意味になっているものが案外たくさんあるのではないか、と私は思っている。
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日常生活動作の原則を考えること

私は一見些細な物事の「意味」や重要性を考えることが好きなのだが、たとえて言えば、スーパーなどの大売り出しで「100円」ではなく「98円」で売り出すようなことである。価格の2パーセントの違いは、売上が一億円なら200万円相当で、小さくはないが、その2円の違いの魅力で客足が本当に伸びるのなら、98円にする意義は損失より大きいだろう。これが為替などだと1円どころか1銭の違いでも大きな意味がある。
人生問題でもそういうことが多々あるのではないか。
たとえば、「呼吸の仕方」「歩き方」「座り方」「立ち方」「静止や動き出しの仕方」など、毎日無意識にやっていることでも、実は「最良の方法」があり、それが長い年月の間に大きな違いを生み出すのではないか、と考えたりするわけだ。
呼吸の仕方などだと、切迫した呼吸の仕方(呼吸の浅さ)が健康に悪いことはある程度知られている。だが、歩き方など意識しているのはファッションモデルくらいだろう。それも美的観点からのみで、健康にいいかどうかはあまり考慮されていないと思う。座り方や立ち方は私自身もさほど考えていない。しかし、「静止や動き出しの仕方」は、動作の基本として考慮するべきことだと思う。これが事故防止につながるからである。
今の時代にはタンスそのものがあまり見られない家庭もあるかと思うが、昔はタンスの角に足の小指をぶつけてしまう「事故」が多かったと思う。たいした事故ではないからすぐに忘れられ、同じ事故を何度も繰り返したりする。つまり、「動作の原則」が考慮されないから同じミスが何度も起こるわけだ。
まあ、昔は家の中に家具が少なかったから、「タンス事故」が家の中の事故の中で印象に残るのかもしれない。今のように家の中に家具が溢れている時代には、それなりの「動作の原則」が無意識に確立されている可能性もある。(要するに、動き出しをゆっくり行うだけであると思うが。)
そうした「日常生活動作の基本原則」を考察するのも、私の「生活の技術」の考察の一部である。

「偉くなるな」という教えは誤りか

カマヤン氏のブログ記事で、氏は実母への憎悪と軽蔑をブログに隠さずに書いていて、凄いな、と思うのだが、その憎悪や軽蔑が正当なものかどうかは「被告」の言い分を聞いてみないと判断できない。
下の記事の中で実母が「偉くなるな」と教えたのは、私にはある程度の合理性はあると思われる。つまり、偉くなるには、その偉さに耐えられるだけの「人格的キャパシティ」が必要であり、氏のようにストレスなどから鬱病になるようなタイプだと、偉くなったら、そのしがらみで精神的に破産していたのではないか。
世の多くの人間は、「一般大衆」としての容量を与えられて生まれてきたのであり、その容量を超える人生(ポジション)は当人の不幸だ、と私は思っている。そして、幸福や不幸は、カネや地位とはほぼ無関係だ、というのが私の考えだ。もちろん、生存に必要な最低限のカネは必要だが、「必要以上のカネは不必要だ」という、当たり前のことを納得できず、自分で勝手に苦しむ人も多いと思う。
自分の能力を超えた地位に就くのも不幸だろう。もちろん、地位が人を作るということはあるが、「下級国民」の場合は、努力に対する報酬のコスパが悪すぎる。

(以下引用)


で、俺の半生を、RPG的に「どういうキャラクターメイキングを生まれる前にしたか」という視点で考えてみた。
基礎ステータスを、Aを最上、Eを最低として、大雑把にこんな感じにキャラメイクしたと思う。
■知力A~B 
まあ田舎のおっさんになって恥知らずになったんで、ちと過去の自分をうぬぼれて自己評価高めに申告させてくれや。
ただし知的環境は15歳までほぼ最低水準。12歳ころまで知識の吸収源を学研の「ひみつシリーズ」に限定された。文化的環境は一切なく塾もなく中学の教員の能力が低かったので英語力はゼロになった。
15歳ごろまで「頭が良い」という言葉は俺に対する憎悪の言葉・侮蔑語だった。19歳ごろでも侮蔑語として家族から使われた。
18歳以降知的訓練をできる環境になるよう予定してキャラメイクした。ただ19歳の時老母の狂乱な過干渉のために鬱状態になって知的訓練を放棄してしまった。
知的訓練を放棄してもその後それなりに社会で他人から認められたのだから、素の知力はそう悪くはなかったのだろう。知的訓練をしっかりすれば知的スキルをたくさん得ることができ、レベルアップできただろう。レベルアップを繰り返せる条件は後で考えると存在した。レベルアップしないまま過ごした。残念なことだ。
50歳前後になったあたりで鬱症状もあってここ数年知力は衰えている感がある。知力と一口で言っても色々あるね。
■体力C~D ただし8歳ころから12歳ころまで肝炎によりデブとなり運動能力ゼロとなった。デブで運動音痴なため自己評価がかなり下がった。これはアクシデントだ。肝炎は死んでもおかしくなかった病気だから死ななかったことは幸運だ。それ以降は人並み。
■闘争心E~B- 暴力的闘争心は25歳ころまで最低レベルEだった。中年期に政治的闘争心がレベルアップした。B-くらいまで
■芸術センスC+~B- ただし文化的環境は18歳ころまでほぼ最低だった。そのため音楽スキルゼロ。小学校時代は絵を描く授業が当時ずいぶん多かったのと、マンガ好きだったことから画力スキルは+1~2程度。現役エロ漫画家していた時点で少しレベルアップして+2から3程度。文章力スキルはここ数年衰えてきたが画力よりは才能あったと思うので+4程度。人に説明する能力は少しボーナスがつく。ついた。かつては。今はレベルダウンしている。社会から隔絶して生活していたことと文化素養がないことからプロット作成スキルゼロ。
■総合運A 
0歳から11歳ころまでは祖母祖父の愛情を受けた。このため情緒の根底が正常になる。
4歳から15歳までの同級生運は最低。人嫌いになる。キャラメイクの時にはもう1週ほど早く生まれる予定だった。そうすればもっと穏やかな環境だった。俺が1歳まで暮らしていた「離れ」には似た年代の穏やかな男子が数人いたので、キャラメイキング時点ではその数人とは生涯近所づきあいする予定だったのだが、1歳の時に父母が村から隔絶した僻地で事業を始めそこで生活するようになり、村との人的交流が俺はほぼゼロとなった。これはキャラメイキング時に予想していなかったアクシデントだ。
16歳から18歳までの同級生運は普通。
19歳以降の友人運対人運は俺は振り返ると物凄く恵まれていた。
順当にいけば、俺は後輩が紹介してくれた大手アニメ会社に就職し、後年になって気づいたがどうも俺に淡い好意を持ってくれていたらしい前述とは別な後輩とたぶん結婚し、田舎の家業は接客業に向いた妹2号に継いでもらえば、これが一番自然な流れだった。そうなったとしても老父はそれなりに喜んでくれただろう。
それ以外にも他の後輩から仕事の誘いが2度ほどあったし、オタク向けの書店の店長にならないかという誘いがあったし、香港で漫画の仕事をしないかという誘いもあったし、塾でも正社員の誘いがあったし、大手出版社で書籍を発表しないかという誘いもあったし、田舎に帰らないでそれなりにしっかりした生活をするチャンスがいくつもあった。俺は19歳の夏に家業で、というか老母から豚のような扱いを受け自己評価が豚以下になっていたので、それらのチャンスを全部棒に振った。
愛郷心E 故郷には何の愛情も愛着もない。友人もいない。文化もない。家業にも愛着がない。老母には恨みが募るばかりで同居していることが鬱の原因である。19歳以降故郷に帰らないことをキャラメイキングの時想定していたのだろう。
■財運B
上記のように出鱈目で幸運をどぶに捨てまくったが、運よく、現在は人並みの収入、人並みより少し上の収入になっている。生活は退屈と不愉快で死にそうだが。
順当な別な人生を歩んでいてもほぼ同じくらいの収入になれた可能性がある。退屈で死にそうということはたぶんなかったと思う。
■名誉運C+
知的訓練していないエロ漫画家という立場から表現規制反対運動というミームを作れたのだから、別な人生ではもう少し名誉のある何かに達せただろうな、とか思う。
塾講師としては人気のある塾講師だったから、まともに勉強していれば、最低限でもそこそこ条件の良い高校の教師くらいにはなれただろうな、とも思う。条件の良い高校教師なら教養書の何冊かを発表することもできただろう。注目を浴びる才能はそれなりにあったと思うし、前述のように説明能力はそれなりに高かったと思う。
ただし今生活している田舎ではなにしろろくに対人関係結べないし結ぶ気力もわかないのでレベルダウンして名誉運D-くらい。
■塾講師としての才能A
■漫画家としての才能C~C-
■観光業自営業者としての才能C-~D

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順当な別な人生を俺が歩むことの方が老父のむしろ願いだっただろうな、とか、思った。
といった感じで「生まれる前に予定していたキャラクターメイキング」を考えてみたら、憑き物が落ちた。
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*1:あと一つ、「彼女を作るな」という要求もあった。我が老母は酷い毒親だ。他二つはともかくとして「偉くなるな」と言って大学に送り出すバカ親がどこにいる。ここにいた。俺の老母だ。俺の娘が生まれて初めて老母が抱いた時にも「偉くなるな」と呪いの言葉を俺の娘に吐きやがった。










ITの無意味な習慣

「quiita」というサイトから転載。




平成のうちにやめたかった『ITの7つの無意味な習慣』

2019年の今年は「令和元年」であるわけだが、年初はまだ「平成31年」だったので、ギリギリまだ平成ともいえる。ところで、ITの世界にもいろいろな都市伝説や根拠は薄いけれどもかっちり守られているしきたり/習慣があり、少なくとも今の世界では通用しないため本当は改善したほうがいいのだが業界的にずるずるといってしまっていることが色々と存在する。年末の今、平成を思い返したときに元IT企業に勤めていた人間として「この習慣は平成のうちに終わらせておかねばならなかっただろうに!」と悔やまれることを7つ挙げてみた。

※ちなみに、諸君のまわりでこれらをすべてやめられている人がいたならば本当に神である、というのが残念ながら今の現状だ。

【7位】 2要素認証でない「2段階認証」

これは令和元年にセブンペイサービスの停止でだいぶ話題になったので、認識されている諸君も多いかもしれない。話題になったのは大手企業のサービス停止の失態であるが、この記事で注目したいのは使われている用語である。マスコミはあいかわらず「2要素認証」と「2段階認証」の違いを正しく理解できておらず、間違った情報をまき散らしている。

何が違うかは以下の記事がまとまっているので参照されたい。

ポイントは以下のとおりである。

二段階であること自体にセキュリティ向上の価値はない
(1)「知っていること・記憶していること」知識要素(2)「持っていること・受け取っていること」所持要素(3)「自分の身体があること」生体要素、この(1)、(2)、(3)の認証要素を2つ使った認証が「二要素認証」となります。アメリカの国立の研究所であるNIST (米国標準技術研究所)は、「二段階認証」の価値を全く認めていません。NISTのガイドラインには、認証要素とその強度に関する記載がなされており、高い認証強度を確保するには2つ以上の認証要素が必要とされています。

つまり、同じ要素の情報は他人が同時に入手可能であることが実際には多いので、違う要素を組み合わせないとセキュリティ強度があがらないよ、ということである。

やはり日本だけがこの認識が間違って広まってしまっているようであるが、この記事では以下のように考察している。

日本だけなぜ「二段階認証」という言葉が流通している理由は、2000年前後に「パスワード+秘密の質問」の2つで、広く二段階認証が行われたためと推察します(この時代は、パスワードと秘密の質問を併用することが安全とされていました)。よって現在では、「二要素認証」「多要素認証」と書くのが正しい使い方であるにもかかわらず、「二段階認証」と誤って使われているのです。

秘密の質問とかは意味がないのである。いまだに秘密の質問をいくつも聞いてくるサービスが散見されるが、そのようなサービスのセキュリティ強度を信じてはいけない。これはまさに「平成の負の遺産」。2要素認証でない2段階認証は撲滅したい。

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【6位】 パスワード後送信付きZIP暗号化ファイルメールの無駄な処理

やはり日本だけの慣習として、企業や官公庁で行われている慣習に「パスワード付きZIP暗号化ファイルとパスワードをメールで送る」というものがある。これはかつて日本のITベンダーが広めたもののようだが、ZIPファイルとパスワードが連続してメールで送られてくるため、受信者は通常両方とも同時に入手出来てしまうため、セキュリティ強度の向上としては全く意味がない。ただ、この方法を取らないと情報漏洩だと始末書を書かなければならないITベンダーもいるようで、まったく意味が解らない。受信者はただただ開封が面倒くさいだけだ。最近はPPAP (Passwordつきzip暗号化ファイルを送ります、Passwordを送ります、Aん号化、Protocol)などと揶揄されている。

より詳細な情報については、たとえば以下の記事にまとまっているので参照されたい。

まさに日本だけの恥ずかしい習慣である。「くたばれPPAP」 Facebookグループもあるので、賛同される方は参加してみてもよいだろう。

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【5位】 出社してオフィスで使うことが前提のIT基盤

日本でも少子化やブラック企業での従業員自殺の問題などを経て『働き方改革』がだいぶ広まってきているようだ。少なくともこのキーワードがマスコミに登場してからは、もう10年近く経つ。平成最後の年には『働き方改革関連法』も成立 (平成30年7月6日公布、平成31年4月1日順次施行) して、国家としても本格的に推進していく形が整いつつある。

働き方改革といえば、法律的には長時間労働の抑制、有休休暇の消化義務、高度プロフェッショナル精度、同一労働同一賃金などが導入された。また、企業慣習としてはITの力を利用してテレワークリモートワークも推進されている。欧米ではオフィスに出社せず自宅から一日中テレワークで働くなどはもはや一般的な働き方であり、我が国もそれに一歩近づきつつあるということだ。

しかし、一方で肝心のIT環境に目をやってみると、企業/組織によってはまだまだ出勤してオフィスの中だけで働くことが限定になっているシステムが多いのも事実だ。メールや情報共有システム、社内業務システムが社外から使えない、といったところもまだまだ多いだろう。適用業務をきちんと選んだうえでテレワークを推進することで生産性が上がるなどの実績もきちんと出るようなので、国際競争力をつけるためにもこれはどの日本企業も欧米並みに推進してほしいところである。

詳細は以下の記事を参照されたい。

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【4位】 企業ネットワークのインターネットとの接続口を1か所に絞る

これは意外と知られていないことかもしれないが、10年ほど前からSaaSなどのクラウドサービスが導入され始めた際に関係者の間でよく問題になったのがこれである。これも欧米ではそんなことはないのであるが、日本では某ネットワークベンダーが導入を推進したようであるが、企業ネットワークとインターネットとの接続口はひとつのパブリックIPアドレスに絞って、ここですべてのセキュリティ対策を行う (いわゆる『入り口対策』) 、というものである。

ただし、パブリッククラウドを導入しようとするとこのパブリックIPアドレスにアクセスが集中してネットワークトラフィックのボトルネックとなってしまう。今の世の中ではセキュリティ対策は『多層防御』が主流であり、入り口対策だけでは不十分であり、内部対策、出口対策、標的型攻撃対策など、様々な対策を行う必要があるというのが常識であり、インターネット接続口をひとつに絞ることにはまったく意味がなくなっている。

クラウド導入時の障害になるこのネットワークトポロジをまだ採用している場合は、令和の早いうちに変更することをお勧めする。

【3位】 従業員の生産性を下げるIT環境

ITは企業/組織にとって本来は『競争力をつけるための積極的な投資対象』であるはずなのだが、日本の企業/組織では残念ながら『コスト』としてとらえているところが多い。それが、企業/組織内で使われているIT環境にも現れている。10年前のスペックではないかというような遅いパソコンをみんなで使っていたり、かといってBYODは制限していて最新のサービスや外部からの情報アクセスができなかったりして、結局従業員はひそかにGoogle DriveやLINE/facebookなどを使って仕事をするといった『シャドウIT化』してしまっているのではないだろうか。

従業員はみんなプライベートでは一般消費者向けの最新のサービスを使っているのに、企業/組織では使えないのである。これはかなり理不尽な状況であり、生産性を大きく下げている一因となっている。BYODをやっている企業で、いままでセキュリティ対策で大きな問題が出たというニュースはないはずである。セキュリティ対策は結局のところBYODをやるやらないといった形式的な事ではなく、BYODをやるのに必要なセキュリティ対策も出ているので、これをきちんと導入するようにすればよい。また、BYODであるかどうかにかかわらず従業員のセキュリティ教育など『どのような脅威があるかを認識させる教育』『不正を働かない教育』を行って一人一人が意識をもって対策することが結局のところ一番重要なのである。

自社で予算がないならBYODで最新デバイスを使えるようにするなど、従業員の生産性を下げないような対策が必要ではないだろうか。

【2位】 紙原本主義/ハンコ主義

ここからはさらにハードルが上がってくる内容になる。DocuSignやワークフローソフトウェアをはじめとしたシステムがかなり普及してきており、社内外の稟議、経費承認、契約行為にこれらのしくみを使う機会も最近かなり増えてきたのではないだろうか。外資の企業などでは原本のやり取りをしなくても電子証跡のみで契約行為が完了するところも多い。

しかし、日本では相変わらず紙原本が必要となる。これは監督官庁が定める制度に依存するところも大きいので一筋縄ではいかない。このために、日本企業ではたとえば経費の領収書や契約書の保管のために巨大な倉庫を海外や郊外に借りるなどしているところもあるほどである。これは大きな無駄である。

また、同時に言われるのがハンコ主義である。PHS (PrintしてからHanko押してScanして送ってくださいプロトコル)とも揶揄されているが、承認には紙にハンコが押されていないと認めない、というものである。詳細は以下の資料を参照されたい。

*『PPAPを何とかしたいがPHSも何とかしたい(PDF版)

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ただ、昔は紙が必須だったものも、近年の制度改正 (電子帳簿保存法など) で不要になってきているものもある。(たとえば領収書など) 思い込みでずっと原本を保管するのはやめて、最新の制度を正しく解釈して、そろそろ完全電子化に切り替えてみてはどうだろうか。

電子帳簿保存法は2016年と2018年に大幅な規制緩和が進められました。2016年の改正で原則7年間の保管の義務も条件次第では不要となり、2018年の改正ではスマートフォンで撮影されたデータも認められるようになりました。完全に電子化で保管できるようになったことで、領収書の保管方法を電子化に切り替える企業が増加しています。

【1位】 パスワードの定期的変更、パスワードでのログイン

そして、平成のうちに止めたかった無意味な習慣、1位は「パスワード」である。読者の諸君も公私含め様々なITシステム/サービスを利用していてパスワード管理には手を焼いていることであろう。たとえば以下のような事柄である。

  • パスワードの定期的変更を求められ、煩わしい、新しいパスワードが覚えられない。
  • パスワードの設定ルールがシステムによって違うので、対応が難しい。

挙句の果てに、取り扱うパスワードが数十にもなってしまい到底覚えられないし、同じパスワードの使いまわしも限界がある (パスワードの設定ルールも違うので) ため、パスワードを記述する付箋、テキストファイルやExcelファイルなどを使っているのではないだろうか!?または、ちょっと対策をしている人はスマホアプリなどでパスワードを管理するソフトを使って管理していたりするかもしれない。

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しかし、平成最後の年にマイクロソフトはパスワードの定期的変更が無意味な変更であることを認めた。パスワードを変更しても既存のものに小規模な変更を加えたり、一般的に覚えやすいものに設定されるために攻撃から十分に守れないのである。

今後はこの無意味で危険な習慣をやめて生体認証やPINを用いたログインが一般的になっていくだろうWindowsでもパスワードレスを強制する方法が実装されたが、残念ながら平成のうちには十分普及しなかったようである。令和の早いうちにはWindowsだけでなくすべてのITシステム/サービスでこの流れが加速して『パスワード地獄』から人々が解放されるようになることを望む。






カレンダーの利用法

スケジュール管理とは別の話になるが、カレンダーの裏に横罫線が入っているというのは素晴らしいアイデアだと思う。
私は、旅行に行く時には、使い終わったカレンダーの破ってある紙を畳んで持っていく。手帖だとどこに書いてあるか分からない「旅行に関するメモ」が、畳んだ紙なら表か裏かでさっと目に入る。旅行中は、乗り物の乗り継ぎなどで一秒でも早く知りたい覚書をさっと見られるのは大きなメリットなのである。固めの紙だから、下敷き無しで書き込めるし、いつ捨てても惜しくない。
とは言え、実は旅行中の出来事が、そのメモから思い出せるので、簡単な「旅行記録」にもなるから、捨てるつもりは無い。

少し違う話だが、「一枚の紙でまとめる」というのは、旅行に限らず、いろいろと有効な技術だと思う。たとえば、映画や小説の案を一枚の紙にまとめることで全体像が見えるのではないか。人前で話す時の演説草稿も同じである。


(以下引用)


吉田戦車、試行錯誤の末たどりついたスケジュール管理法は…ライフ・マネー 投稿日:2019.12.04 11:00

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吉田戦車、試行錯誤の末たどりついたスケジュール管理法は…

 

 家で使うメインのカレンダーとは別に、持ち歩くこともできるスケジュール帳として、A5サイズの卓上カレンダーを買った。

 

「高橋のエコカレンダー」というシリーズで、壁掛け用のB4サイズはずっと愛用しているのだが、昨年末思いついてA5を買ってみたらけっこう使い勝手がよく、今年(来年)も使うことにしたのである。

 

 

 私はスマホのカレンダーを使いこなせない。スケジュールを書き込むのもめんどくさいし、リマインダーとかぜんぜん便利に思えない。「せっかくの機能についていけない、もう終わってるおやじ」ということであるが、しょうがない。

 

 では、昔ながらのビジネス手帳は使いこなせるかというと、苦手である。使い切ったためしがない。スケジュール管理をしようと思っても開く習慣がつかないし、日記がわりにしてみようとすれば三日坊主になる。

 

 妻は、みっしり毎日絵入りでネタになるようなこと、ならないことを書き込み、「前の年の今日とか読むとおもしろいんだよ」などと言っている。 

 

 私は日記はPCで書いているし、落書きや直筆メモは、胸ポケットに入るようなメモ帳を使っている。スケジュールは壁掛けのカレンダーに書き込み、顔を上げれば確認できるようにしている。 

 

 だいたいそんなやり方で、なんの不足もなかったが、何度か書いているように、親が高齢となり実家に帰る回数が増えたため、外出先でも予定を確認したい場合が増えてきた。

 

「そういうときこそスマホの出番ですよ!」と、若い人は言うかもしれない。最初から入ってるカレンダー以外のアプリも試したことがあるが、紙カレンダーと違い、「一ヶ月を一目で見渡して、ざっと把握する」ことがうまくできず、チャレンジしてはさびしく撤退することになるのだった。

 

 そこで試してみたA5カレンダー。大きめ単行本相当のサイズは、机まわりの作業エリアに置いていてじゃまにならないし、台所のカレンダー前に持って行って、家族の予定をすりあわせるときにも便利だ。「あ、おれが求めていたのはこれじゃね?」と思った。

 

 表のメインカレンダーに予定を書き込むのだが、裏は横罫カレンダーになっていて、自由な覚え書きに使える。これより小さいB6カレンダーの裏面は、カレンダーじゃなくてただ罫線が引かれたメモ欄になっている。そっちのほうが目的には合うのだが、小さすぎる気がするので、来年もA5でやってみる。

 

 筆記具として遅ればせながら導入したのが、パイロットの「フリクションボール」で、スケジュール管理において、書き直せるってすばらしいな、と気づいた。

 

 A5カレンダーに弱点があるとすれば、喫茶店などでのうちあわせで出すのが少々気恥ずかしいことだが、「大相撲カレンダー」とか「東宝女優カレンダー」を取り出すわけじゃないし、それほど珍奇なことでもないだろう。