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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

日常生活動作の原則を考えること

私は一見些細な物事の「意味」や重要性を考えることが好きなのだが、たとえて言えば、スーパーなどの大売り出しで「100円」ではなく「98円」で売り出すようなことである。価格の2パーセントの違いは、売上が一億円なら200万円相当で、小さくはないが、その2円の違いの魅力で客足が本当に伸びるのなら、98円にする意義は損失より大きいだろう。これが為替などだと1円どころか1銭の違いでも大きな意味がある。
人生問題でもそういうことが多々あるのではないか。
たとえば、「呼吸の仕方」「歩き方」「座り方」「立ち方」「静止や動き出しの仕方」など、毎日無意識にやっていることでも、実は「最良の方法」があり、それが長い年月の間に大きな違いを生み出すのではないか、と考えたりするわけだ。
呼吸の仕方などだと、切迫した呼吸の仕方(呼吸の浅さ)が健康に悪いことはある程度知られている。だが、歩き方など意識しているのはファッションモデルくらいだろう。それも美的観点からのみで、健康にいいかどうかはあまり考慮されていないと思う。座り方や立ち方は私自身もさほど考えていない。しかし、「静止や動き出しの仕方」は、動作の基本として考慮するべきことだと思う。これが事故防止につながるからである。
今の時代にはタンスそのものがあまり見られない家庭もあるかと思うが、昔はタンスの角に足の小指をぶつけてしまう「事故」が多かったと思う。たいした事故ではないからすぐに忘れられ、同じ事故を何度も繰り返したりする。つまり、「動作の原則」が考慮されないから同じミスが何度も起こるわけだ。
まあ、昔は家の中に家具が少なかったから、「タンス事故」が家の中の事故の中で印象に残るのかもしれない。今のように家の中に家具が溢れている時代には、それなりの「動作の原則」が無意識に確立されている可能性もある。(要するに、動き出しをゆっくり行うだけであると思うが。)
そうした「日常生活動作の基本原則」を考察するのも、私の「生活の技術」の考察の一部である。
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