D is for Disease (訳すなら「ビは病気のビ」) 雑談 2020年03月30日 やっとcovid19のdの意味が分かった。しかし、漠然とdisease(病気)と言っているのは、まだ正体不明だからだろうか。つまり、自然発生ではなく、人工的に作られた「生物兵器」である可能性が高いということを含意しているのではないか? 略語を覚えるのが苦手なので、「Hugっとプリキュア」の真似をして「媚びっと19(歳)」と覚えよう。 Coronavirus disease 2019 : COVID-19 (SARS-CoV-2) PR
まさに「独楽」の時代か 雑談 2020年03月26日 カンドウヨシヒロという人のツィートである。 まあ、私のブログなど、「独りで(独りを)楽しむ」のがテーマだから、時代を先取りしていたわけだwww ちなみに、独りを楽しむには想像力が必要で、馬鹿や無教養な人間にはできない。これまでは「陰キャラ」と散々馬鹿にされてきたのが、そういう「独楽」の人々である。 (以下引用) ニュージーランドの警察公式アカウント 「史上初。テレビの前に寝転がって何もしないだけで、人類を救える」 私も人類救済に努力します。
思い出の「自然淘汰」 雑談 2020年03月26日 DORAという人のツィートだが、「自然淘汰」という言葉がこの文脈で出てくるのが面白いので転載した。誤記なのか、意図的な使用なのか分からないが、まあ、「記憶された事柄同志で自然淘汰が起こる」というのは案外科学的な、あるいは理系的な発想かもしれない。 ただし、それは「適者生存」ではなく、むしろ、後々自分を苦しめる記憶が一番残ったりする。まあ、「強力なものが残る」意味での適者生存である。 (以下引用) 「愛と死を見つめて」これだけ本が売れちゃうと皆 脳内 で物語を理想化するんだろうな。作者が後に他の女性と 結婚したのも自然淘汰で第三者が非難することでは ないと思いますね。本当にバカはいつの世にも大勢 いますね。
「地中海殺人事件」のこと 雑談 2020年03月25日 まあ、雑談なのだが、最近やっているテレビゲームが、この先どう進めればいいのか分からなくなり、レベル上げばかりしていると眠くなるので、気分転換にアマゾンプライムで昔の映画を見ると、これが実に素晴らしい掘り出し物だった。 アガサ・クリスティの推理小説を映画化した「地中海殺人事件」という作品だが、品のいい娯楽作品としては完璧なのではないか。たとえば、ミュージカルで言えば「バンドワゴン」的な完璧さである。(「雨に唄えば」は傑作だが、途中にジーン・ケリーを引き立てるためだけの退屈なナンバーが長々と続いたりする。) 監督はガイ・ハミルトンで、アクション映画の名匠(たしか「ナバロンの要塞」の監督だったと思う。)だが、こうした「推理小説の映画化」という困難な作業にこれだけの手腕を示したのが驚きだ。まあ、昔の映画監督は、ウィリアム・ワイラー(「ローマの休日」「ベン・ハー」その他)のように、どんなジャンルでも名作に仕上げる「職人監督」が多かった気がする。 で、「地中海殺人事件」は邦題がダメダメなせいか、アマゾンプライム内での評価は「星2.5」という低評価になっていて、気の毒なのでここに書いた次第である。 映像がきれいで、話が面白く、音楽も素晴らしく、俳優たちの演技もいい。どこをどう見れば「星2.5」などという評価になるのか。 そして、何より凄いのは、推理小説にはお決まりの「ご都合主義」がほとんどなく、推理の内容に整合性が見事にあることだ。文章で書いたらいくらでも読者は誤魔化せるが、映像だとそうはいかない。それを、映像を見せながら推理内容に破綻が無い、というのは実に凄いことである。 まあ、細かく言えば、「犯行の動機」が最後近くまで「見えない」ので、動機面から推理することが好みの人はアンフェアだと思うかもしれない。しかし、その程度は、推理小説やそれに基づく映画では仕方がないだろう。 ちなみに、原題は「Evil under the sun」で、「太陽の下の邪悪」とでも訳すべきだろうか。単に殺人というのではなく、まさに邪悪の塊りのような犯人像が最後に暴かれ、実にいい題名だと思う。 ポワロはピーター・ユスチノフで、デービッド・スーシエより愛嬌があって私は好きだ。ほかに、マギー・スミスとかジェーン・バーキンとか、魅力的な俳優が出ている。 そのマギー・スミスが、昔から仲の悪かったスター女優のショーダンサー時代を他の人々に紹介して、「彼女は誰よりも高く足が上がった」と言い、それでその女優が満足げな顔をすると「誰よりも大きく足を広げた」(つまり、誰とでも寝た)と続けてムッとさせるのが笑わせた。 なお、作中の音楽は、コール・ポーターの名曲の幾つかをアレンジしたもので、レトロ感覚が気持ちいい。
死者との接触が不可避の商売 雑談 2020年03月22日 おそらくイタリア在住の人かと思われるツィッター(のリツィート)から転載。 こういう事態になっても宗教信者の神への信仰は無くならないのだろうか。 まあ、「天に召されるのも神の思し召し」なのだろう。 (以下引用) カトリックでは、危篤に近い段階で司祭(神父)を呼び、逝去の前に「聖油の秘蹟」=塗油式を行うが、その際にコロナウイルスに感染したくさんの神父が亡くなっている。ベルガモでは15人の司祭が亡くなった。ここ3日間でミラノも3人の司祭を失った。パルマは6人の司祭と次々に