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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

酒のつまみの考察

誰かも書いているが、肉類はビールに、海の物は日本酒に合う。ついでに言えば、ウィスキーには乾き物以外はほとんど合わない。ワインはビールと同じだが、乾き物も合う。
一番コスパのいいのは、竹輪や魚肉ソーセージのスライスにマヨネーズを適量かけたものだが、野菜類はあまりどの酒にも合わない。強いて言えば、アボカドはワインやウィスキーに合うか。また、野菜も、グリーンアスパラとかレタスなど一種だけを塩コショウでソテーしたものはビールなどに合う。種類を混ぜると「おかず」になってしまい、酒のつまみではなくなる。
ついでに書いておけば、シャトー勝沼の「赤わいん(甘口)」は、税込み1000円程度だが、飲み口の良さでは私が飲んだワインの中ではかなり上位に入る。しかも、酸化防止剤無添加で、二日酔いが無いように思う。もっとも、泥酔するほど飲んだことが無いから、量によるかもしれない。

日本酒に合うのは、いわゆる「珍味類」で、イカやタコの燻製や明太子、カニみそなど最高だが、比較的高価でコスパは悪い。まあ、シーチキンの缶詰などに醤油を少し垂らすだけでも十分にうまいつまみではある。前に書いた竹輪にマヨネーズも同じ。酒を2合くらいで留めるなら、1000円以内で、十分に満足のできる「一人酒宴」ができる。酒好きなら、晩飯はやめて酒とつまみにしたほうが、晩飯も食い、酒も飲む生活よりは健康的だろう。
要するに、夜から炭水化物を摂るのはよしたほうがいい、ということだ。炭水化物は一日の活動エネルギーになるのだから、朝(とせいぜい昼)だけで十分だ。寝る前に炭水化物(米、パン、うどん)を摂るのは大間違い。逆に、(寝たきり老人以外は)朝飯には絶対に必要。



ビールに合うつまみで打線組んだwwww

2018/3/14 00:05 打線組んだ コメント(29)
beer_man

1: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:01:13 ID:ltr
1(二)焼き鳥
2(遊)焼き肉
3(三)唐揚げ
4(左)厚切りベーコン
5(一)チョリソー
6(右)ポテトチップス
7(中)フライドチキン
8(捕)ハンバーガー
9(投)フライドポテト

異論は認める

2: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:01:46 ID:3tS
ハンバーガー?

4: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:02:33 ID:H0Q
野菜を食え

7: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:03:11 ID:ltr
>>4
ビールには脂っこいもんが合うと思うの

5: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:02:37 ID:X2f
5番から助っ人外国人ばっかやん

8: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:03:16 ID:2RE
枝豆

9: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:03:17 ID:H0Q
海のもんが一つもない

11: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:03:40 ID:ltr
>>9
海の物には日本酒かなって

10: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:03:31 ID:07k
日本人選手すくねえ

13: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:04:25 ID:jIT
枝豆を外したのは評価する

14: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:04:32 ID:9mE
餃子はマストやぞ

15: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:04:36 ID:PSC
焼 肉

17: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:05:21 ID:Wmh
ビールや赤ワインは肉系
白や日本酒は魚系

18: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:05:23 ID:QY2
ホッケとかホタテはビール合うやろ

22: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:06:00 ID:ltr
>>18
淡白なのは日本酒やね
まあ人によるやろうけど

26: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:08:09 ID:QY2
>>22
調理の仕方にもよるかぁ

バターとガーリックで炒めればビールに合う説

29: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:08:59 ID:ltr
>>26
ガーリックバターならビールに合うやね
教えてくれてサンガツ

19: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:05:27 ID:Hjr
ビールにつまみは要らない派おる?

23: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:06:45 ID:sD6
>>19
エールならいらない
ラガーは必須

20: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:05:45 ID:x1b
わさビーフやぞ

21: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:05:55 ID:t8y
ビールにハンバーガーって合うんやな今夜やって観るわ

27: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:08:17 ID:UcS
枝豆
イカ
カルパス

28: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:08:35 ID:9mE
フィッシュ&チップスも入れたい
no title

30: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:09:13 ID:t8y
鶏皮カリカリになるまで焼くとビールにクッソ合って美味C

31: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:09:32 ID:ltr
>>30
塩コショウふってええか?

41: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:11:05 ID:t8y
>>31 ええで。ワイもそうしとる

33: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:09:39 ID:UWH
うーん….うーん…
Aクラスは厳しそうなチームだな

35: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:10:12 ID:g2U
ちょっとまて
餃子がないやん

38: 名無しさん@おーぷん 2018/03/13(火)17:10:39 ID:zOR
これでいこう
1中 柿ピー
2遊 するめ
3一 ベビースター
4左 カルパス
5三 ビーフジャーキー
6二 カシューナッツ
7捕 スモークチーズ
8右 煮干し
9投 餃子



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我々は日常的な事柄を案外知らない

まあ、私がここの「生活の知恵」項目で書いているのは、自分が社会に出る前に知っておきたかったこと、みたいなものだ。もちろん、社会に出てからでもいいが、若いうちがいい。
正直言って私はどういう歩き方が一番いい歩き方なのかすら分からない。習ったことも無い。
もしも、本当に正しい歩き方があるのなら、子供のころに教えて欲しかったと思う。
そのほか、正しい呼吸の仕方も知らない。正しいトイレの使い方もあるいは知らないのかもしれない。何しろ、トイレの中には自分しかいないのだから。
そのほか、正しい風呂の入り方、正しい思考の仕方、すべて手探りでいい加減にやっているにすぎないのである。
私が学校で教えてほしかったことのひとつは「演技」である。演技ができれば、他人と付き合うことは容易だろう。笑い方、話し方、ジャスチャー、などなど、すべて演技項目として練習させてほしかった。
洟のかみかたを知らないのか、大人になっても鼻水を吸い込む人間もいるのである。実は私も大人になるまで洟をかむ習慣が無かった。そのため蓄膿症みたいにいつも頭がぼんやりしていたのだ。こういう些細な知識や習慣が人生の中では意外と大事なのである。




2018年03月12日 05:05

学校でガチで教えて欲しい事

学校でガチで教えて欲しい事



引用元:学校でガチで教えて欲しい事
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1519643476/

1: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)20:11:16 ID:ktV
・給料から引かれる諸々の意味
・学生の年金免除の罠
・電話応対
・独身の辛さ
・役所の手続き
・独身の辛さ

2: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)20:12:08 ID:XNG
礼儀作法

葬式とか恥かくぞ

3: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)20:12:15 ID:AvQ
他人は当てにならない

7: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)20:13:33 ID:iIN
社会生活全般


64: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)20:59:33 ID:xFt
労働組合法
労働関係調整法
労働基準法

65: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)21:00:28 ID:MI9
>>64
あらましは中学と高校で習うはず

68: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)21:01:07 ID:ep3
>>65
言うて習ったうちには入らんで

71: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)21:02:17 ID:MI9
>>68
内容もざあっと習うやろ
社会に出たらこれ大事なんやなってそこで気づかんとあかんのやで

75: 名無しさん@おーぷん 2018/02/26(月)21:04:49 ID:k65
先生「でもお前ら途中で寝るじゃん」





「徒然草」の法則。(失敗は易きところでする、の法則)

これは法則として一般化できるのではないか。「難しい部分が終わって、ホッとするため、簡単な仕上げで失敗する」法則www 難しく言えば、「九仭の功を一簣に欠く」パターンである。
漫画家や芸術家に限らない。たとえば私など、役所や会社に提出する書類の中身を全部埋めて、自分のサインや日付で間違うことが多い。いや、サインは間違わないが、物凄く下手な字になって、出したくなくなってしまう。まあ、自分の名前を書くことなど、学生以外はほとんど無いから、案外うまく書けないものである。あるいは、印鑑がうまく書類に付かないとか、本当に多い。ならサインや押印を先にすればいい、と言われそうだが、気分的にそれはしたくない。最後に「画竜点睛」と行きたいわけだ。なら、最後こそ慎重にやれ、という話である。



(以下引用)椎名高志ツィッターから転載。




できた。「あーそろそろ描かなきゃなー」と先送りをあきらめて机に向かう作業に数時間かかり、実際の作業に一時間ほどかかり、最後に自分のサインや日付を書き間違えるのである。





1枚の紙にメモすること

これは「生活の技術」として有益。私も同じようにやっている。特に便利なのはカレンダーの終わった頁の裏側をメモ用紙にすること。(薄い紙と違って、4枚折りくらいにすると下敷き無しで書ける。)それを4枚折りや8枚折りにして、必要部分が表になるように書いていく。電車や飛行機の出発時刻や便名、予約番号など書いておけば、たとえば航空券を無くしても予約番号で乗れたりする。もちろん、旅先のホテルの住所電話番号なども必須。
手帳などと違って、重要項目を一番表に書いてあるから、何か行動しながら片手で即座に取り出して見ることが容易である。トランクなど持っていると、これは大事。
1枚の紙なら、旅行が終われば机の引き出しに放り込めば、旅の記録として残せて、スペースも取らない。
旅行だけでなく、外出の際にはそうした紙1枚をポケットに入れておくだけでも、外出先で気が付いたことや重要な思い付きを簡単に書け、またいつ捨てても惜しくない。






手帳は焦るとどこにメモをとったのか焦るばかりで見つけられなくなる。なので旅の時は必要なメモは全部一枚の紙に書いて一目で見渡せるようにしてある。私はページをめくると頭が付いてこないから困る。頭のハードディスクが狭すぎる




情報学的に見た「運命」




情報学的に見た「運命」

 

(1)

 

運命はあるか無いかと言えば、それはある。ただし、運命が不変的か可変的かと言えば、それは可変的だろう。簡単な話、君は今すぐにでもビルの屋上から飛び降りて自分の人生を終わりにすることもできる。この場合、運命は君によって作られた。つまり可変的だったのだ。だが、それをする「勇気」というより無謀さは君にはおそらく無い。それに対して、君がビルから飛び降りなかったのが君の運命であり、だから運命とは不変的なのだ、と占い師の類は言うかもしれない。だが、運命を司る存在がいちいち君のことなど考えているはずはない。もしも「彼」が君の運命にそれほど関心があるなら、「彼」はなぜ犬や猫やミミズやアメーバの「運命」に無関心なのか。それともミミズやアメーバの運命まで「彼」はいちいち考えて決定しているのか。運命という思想は、自己の存在や人間存在を過大視したがる人間の自惚れの産物だとも言える。

もちろん、不変的だからこそ「運命」と言うのであり、可変的な運命という考えは論理矛盾だと考える人もいるだろう。それならば、そういう意味での「運命」は存在しない。

では、可変的なのになぜ運命という言葉を私はここで使うのか。それは、個人の人生には大きな傾向があると考えるからだ。

 

その考えを簡単に言えば、「人は自分の望む人生を無意識的に選び取っている」ということだ。べつに新しい思想ではない。多くの「生き方指南の書」が同じことを言っている。しかし、それを詳しく説明した書物が少ないから、私がこの文章を書いているのである。

 

私のこの文章は、情報学的観点から「運命」について考え、良く生きるためのヒントを探ってみようというものだ。

 

 

(2)

 

そう、人は自分の望む人生を無意識的に選び取っている。

別の言い方をすれば、自分はこのような人生を望んでいる、とあなたが情報を外部に発信しているから、外部の状況はあなたにそれを実現させるように変化していくのである。

そんなはずはない、私の不幸な運命を私自身が選び取るはずはない、と思う人もあるだろう。もちろん、世の中には不可抗力的な運命もある。天災地変などは個人の意思や生き方とは無関係に不特定多数の人の身の上に起こるものである。そういう偶発事を私は運命とは言わない。それはただの災難だ。だが、生き方の上では、不幸な生き方を自ら選び取っている事例は無数にある。

よくある例が、すべてに恵まれた女性が、ろくでもない男に騙されて不幸になるという事例だ。芸能界や芸術の世界では、優れた女性はだめな男とくっつくべしという法律でもあるのかと思うくらい、そういう例が多い。

では、これは不可抗力だったのか? そう思う人はいないだろう。それとも、女性が馬鹿だっただけなのか? そう言ってしまえば話はお仕舞いである。だが、おそらく事実はそうではない。これは一種のタナトス(死や破滅への欲望)が働いた結果だというのが私の考えだ。つまり、彼女たちは破滅したかったのである。それは、彼女たちの社会的成功によって得られたもの(金・名声・豪勢な生活等々)が彼女たちに真の満足を与えず、心の中に空虚なものがあったからである。彼女たちは自分の現在の生活が癪に触っていたのである。なぜ自分はこれほど成功しながら不幸なのか。そこで、彼女たちは自分の生活を破壊する可能性のある男が近寄ってきた時に、ぞくぞくするようなスリルを味わう。

つまり、彼女たちはそういう駄目男、ロクデナシをこそ求めていたのである。

まあ、以上は話の一つの側面にすぎない。そういう駄目男が本当に彼女たちには魅力的に見えたのかもしれないし、そういう男たちの詐欺師的技能が奏功したということも多いだろう。

私が言いたいのは、彼女たちは無意識的にそうなる運命を選んでいたということだけだ。

 

(3)

 

我々は常に外部に情報を発信しながら生きている。

あなたの着る服、あなたの髪型、あなたの話し方、あなたの表情、あなたの癖の一つ一つが外部への情報なのである。もちろん、あなたの話す内容や行動はもっとも大きな情報だ。だが、毎日の微細な表情の一つ一つも情報なのである。それはあなたがどういう人間であり、何を望み、何を好んで何を嫌っているかを周囲の人に教えている。

変な話だが、あなたを真に知っているのはあなたではなく、あなたの周囲の人間なのである。あなたが自分自身について知っていると思っていることはあなた自身の主観にすぎない。あるいはただの「そう見えてほしい」という願望や妄想にすぎない。

この言葉を嘘だと思うなら、自分の写真を見てみるとよい。それはあなたの予想とは大きく異なるはずだ。あるいは自分の録音された声を聞いてみるとよい。これが自分の声とも思えない変な声のはずである。ではどちらがあなたの真の姿か? もちろん写真や録音された声だ。我々は自分自身を騙しながら生きていると言っていいくらいである。そういう甘やかしがないと生きるのが苦痛なのだから、この騙しは無益なわけではないのだが、しかし、それを事実だと思わないほうがいい。

まず、「我々は自分自身の客観的な姿を知らない」ということを肝に銘じておこう。ソクラテスが一生のモットーとしたデルフォイの神託も「汝自身を知れ」ということだった。それだけ自分自身の真の姿を知るのは困難なことなのである。

 

さて、我々は自分自身についての情報を周囲に撒き散らしながら毎日を生きているわけだが、考えてみるとこれはなかなか危険な行為である。自分の弱点を自分の敵に知られてはいけないわけだから、我々は自分の欠点や弱点をなるべく隠すようにする。これを「蔵拙」と言う。精神年齢の低い人間は「嘘はいけない」という大人の嘘を心から信じていたりするから、こういう蔵拙も嘘の一種だと思って偽悪的な生き方をしたりするが、これはあまり賢い生き方ではない。周囲の人間はそれを微笑ましく思って許容しはするだろうが、「社会の暗黙の了解」との本格的な衝突が起こった場合にそのかっこいい偽悪を守ることは難しい。そこでいつもの偽悪をひっこめて偽善に従うというみっともない羽目になるわけである。まあ、社会人として生きるということは演技者として生きることであり、その演技の大半は偽善なのである。

話が少し逸れたが、我々は日々自分自身についての情報を撒き散らしながら生きている。では、その結果どうなるか。次の章で述べよう。

 

(4)

 

我々が自分自身についての情報を周囲に発散し続けると、周囲はそれに反応する。あなたがAという歌手が好きでBという歌手が嫌いなら、周囲の人間はあなたと話す場合にAという歌手の話をし、Bという歌手の話を避けるだろう。

これが運命を引き寄せるということである。

つまり、あなたが発信した情報によってあなたに集まってくる情報にバイアス(偏向)や制限がかかってくるのである。

そこで、女が好きな人間の周囲にはワイ談好きな連中や女そのものが集まり、金が好きな人間の周囲には金の話が集まることになる。そうなると、相互作用によってより一層、女関係やお金関係の情報が彼のところに集まりだす。女についての情報が集まれば、当然、女を得る機会が増え、金についての情報が集まれば、金を得る機会が増える。

 

プレイボーイが女にもてるのは、彼に魅力があるからではない。彼が、自分は女好きであるという情報を発信しているからである。プレイボーイであること自体がもてる理由だと言ってもいいだろう。

金の好きな人間が砂漠の真ん中で生活していて金が儲かるわけはない。金の集まる場所で生活し、自分は金を欲していることを明らかにするからこそ、彼のところに金の情報が集まるのである。もっとも、そういう儲け話は「そんなに儲かるなら自分でやれば」という一言でお仕舞いになる怪しげな話も多いのだが、少なくとも金儲けの機会が増えることは間違いない。

これが運命を引き寄せるということだ。

そして、その人の運命はその人が無意識に選んでいる、ということだ。

 

(5)

 

デール・カーネギーやナポレオン・ヒルなどの「生き方指南の書」で言われているのは、「目標を具体的にし、それを常に意識せよ」ということである。このことの理由は、情報論的に言えば、目的を意識し明確化することで、その目的に関連する情報に対して意識が強く働くようになるからである。その目的に関連する情報に気がつけば、その情報を利用して目的が達成できる可能性も高まるわけだ。しかし、私はそれだけでは不十分だと思う。自分の願望や目標を情報として周囲に発信すると、いっそう成功可能性が高まることは前に書いた部分から明らかだろう。あなたがその情報を求めていることが分からないと、周囲の人もあなたにその情報を伝える必要を感じないだろう。

「類は友を呼ぶ」というのは、情報の集まり方についても言えることなのである。情報は類似情報を集める、と言い換えてもいいだろう。

逆に言えば、いくら情報を集めても、その視野から外れた情報は集まらないということだ。その外部的情報の中にこそ必要な情報がある可能性もあるわけだから、創造的な仕事をしようという場合は「食わず嫌い」をしてはいけないということである。

 

(6)

 

もう一度「運命」の話に戻ろう。

 

ほとんどの人間は自分の現在の状況に不満を持っているだろう。では、どういう状況を望むのかと言えば、案外とそれを明確に言える人はいないものだ。せいぜいが、男なら美女をはべらして酒池肉林の御馳走を食うという程度の、低レベルの極楽をイメージするくらいだ。あるいは恋愛中の人間なら、愛する相手に愛し返されたならそれだけで天国だと言うかもしれない。はっきり言って、どちらも馬鹿馬鹿しい望みである。前者は1時間もたてば満腹して、それ以上は食い物を見るのもいやになるだろう。後者は、自分を愛するようになった相手の現実の姿が、そのへんのただの男や女と何も変わらないことに半日で気づくだろう。枯堂夏子ではないが、恋愛など、片思いの間が最高なのである。

つい興奮して乱暴な発言をしてしまったが、要するに、我々の願望などあいまいなものにすぎないのである。だから、我々は(いつでも望む物に交換可能だと信じている)金を得ることを目標にするのである。だが、その金を得た後、どうするのかはほとんど考えていない。まあ、働かないで、のんびり遊んで生きられたらいいなあ、というのがほとんどの人間の願望の最大公約数だろう。ところが、一生遊んで暮らせる財産を持っている大金持ち連中が毎日遊んで暮らしているかというと、そうでもないのである。つまり、彼らにとっては遊びよりも仕事の方が楽しいのである。働くのが楽しいのだから、金が儲かる。金を得るのは楽しいから、もっと金を求める。金を求める明確な目的があるのだから、金が集まる。こういうサイクルで、金持ちはいっそう金持ちになり、貧乏人はずっと貧乏人のままとなるのである。

こうして金持ちが自分の望む運命を手に入れるのは分かった。だが、では貧乏人は貧乏人の運命を望んだだろうか? そんなはずはない、と世の貧乏人の皆さんは声を荒げるだろう。まあ、落ち着きなさい。かくいう私も貧乏人だが、自分が自分の求めた運命を手に入れていることは分かっている。

 

あまりにも有名な話で、世界中に同じパターンの話があるのだが、知らない人のために書こう。

ある南のリゾート地に、大会社の社長が遊びにやってきて、休暇を楽しんだ。彼がぶらぶらと散歩をしていると、そこに原住民が昼寝をしていた。こういう怠け者の大嫌いな社長さんは、その男を叩き起こして、「そんなに怠惰な生活をして恥ずかしくないのか。少しは働いたらどうだ」と言う。男は「働いたらどうなる」と言う。社長さん「金が手に入る」男「金を手に入れてどうする」社長「いくらでも遊べる」男「たとえば?」社長「そうだな、こんなリゾート地でのんびりと昼寝ができる」

という話だ。

意味わかりません? 分からない人はもう一度読むように。

つまり、私が貧乏人であるのは、このリゾート地の原住民と同じことである。金があっても金がなくてもやることは同じだから、金を求める気持ちがない。だから、金が手に入る気づかいはない、というわけだ。せいぜいが、病気の時の保険程度の金があればいいなあと思っているが、無ければ無いで、医者にかからなければいいだけだ。医者に行くのを我慢した結果、病気をこじらせて死んでも仕方がない。近代以前の社会では、どんな高貴な人でもたいした治療は受けていなかったのだから、何も不満はない。

というわけで、私が貧乏なのは、私が、あくせく働いてまで金を求めるのは嫌だなあ、と心の底で思っているからである。そしてそういう情報を私は常に無意識のうちに外部に流しているわけだ。そうなると、金の話は私の上空を素通りしていくのは理の当然だろう。

これが、多くの貧乏人の方々が貧乏人の運命を自ら手に入れているということの説明だが、まだ納得いただけないだろうか?

同様に、男運の悪い女はそういう運命を自ら求めているのであり、やたらと病気や怪我になる人間はそういう運命を自ら求めているのである。後者には、考えられる限りの不摂生をしながら、病気になるとその治療に狂奔するという場合もある。まあ、病気や怪我は本人の責任ではない場合も多いのだが、私のように臆病な人間は生まれてから一度も骨折などしたことはない。骨折などというのは勇敢な人間、言い換えれば危険に立ち向かう人間の勲章であり、それもやはり自らを骨折する可能性の中に投げ込んだことから来る、性格的運命の一つなのである。

 

(7)

 

最後に、こういう「運命原理」に対し、どういう態度を取るのがいいかと言えば、言うまでもなく、何もしなくていいのである。その運命は、あなたが望んだものなのだから。もしも自分の運命を心から変えたければ、まず自分自身の無意識を見つめることである。その結果、自分の性格的運命に甘んじるか、それを変えるか決意するが良い。運命を本気で変えるつもりなら、前に書いたように「外部への情報発信」をすることである。できるだけ多くの人に対して情報を発信すれば、運命を変えるきっかけとなる情報もそのうち手に入るだろう。簡単な話、海で溺れている人間が「助けて」と叫べば、誰かが助けるだろうが、叫ばないと、ただ泳いでいるだけと見做されるかもしれない。情報発信とはそういうものである。助けが欲しければ、助けを求めて叫びなさい。これが「求めよ。さらば与えられん」ということである。