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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

ガラケーを使い続ける理由

私もガラケー党だが、理由は簡単で、携帯電話は電話としてしか使わないからだ。それに、持ち運びの際に、ズボンのポケットに入れやすい。それで十分であり、ネットを使うにはパソコンがあればいい。何も外出先でネットに接続する理由はない。まあ、社会とつながっている人間ならスマホでないとできない作業もあるのだろうが、四六時中社会とつながっているのは私には不快でしかない。
ただし、使用料金がなぜかどんどん上がってきているので、近いうちに契約変更するつもりだ。ガラケーのほうがスマホより高いのは理不尽だが、携帯会社にとっては「使用台数が少ないから商売の旨味がない」ので、使用料金を上げているのだろう。実に下品である。

(以下引用)なぜかコピーが半分しかできないし、文字が勝手に拡大されているが、まあ特に面白い記事でもないので後半は読むまでもないだろう。



周囲の人に「ガラケー男」と呼ばれるようになったという中川淳一郎氏 © SHOGAKUKAN Inc. 提供 周囲の人に「ガラケー男」と呼ばれるようになったという中川淳一郎氏

 いわゆる「あおり運転殴打事件」で逮捕された宮崎文夫容疑者(43)の同乗者で、高速道路上の被害男性の車をガラケーで撮影し続けた喜本奈津子容疑者(51)は、メディアで「ガラケー女」と報道されている。

 ネットでも「ガラケー女」という書き込みは多数見受けられるが、それだけスマホ全盛の今、「なぜガラケーで撮影をする」「なんでスマホ使わないの?」という感想を持った人が多いのではないだろうか。「まさかのガラケー」と報道するメディアもあるほどだった。

 それだけ絶滅危惧種となっているガラケーだが、喜本容疑者のせいで「ガラケー男」と呼ばれるようになってしまった人もいる。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏はスマホを持っておらず、2013年型のシャープのガラケーを未だに使っているが、打ち合わせでこの事件の話題になると「そういえば中川さんも『ガラケー男』ですよね」と苦笑されるというのだ。

 宮崎容疑者の暴行の様子を止めようともせず、その直前にはサングラス・帽子で顔を隠し、ガラケーをかざして撮影をし続ける喜本容疑者に対しては「非常識」扱いだ。さらには宮崎容疑者も一見ガラケーに見える「ガラホ」を使っていたと指摘されており、「ガラケー使いはDQN(非常識な人)」といった声もネットでは書き込まれた。中川氏はこう嘆く。

「いやぁ~、最近、仕事で会う人会う人、あとは飲み会で会う人から笑われることが多くなりました! あのカップルのように非常識なDQNだったのか、なんて言われ方もされます。もちろん、皆ジョークで言っているものの、私のことをまったく知らない人が、私がガラケーをポケットから取り出す様子を見たら『近づいてはまずい』なんて思ってしまうかもしれません。

 初対面の仕事相手からしても、『えっ、もしかしてDQNなの?』なんて思うかもしれないので、最近はガラケーを会議中、外に出さないようにしています。もう何年も『なんでまだガラケー使ってるの?』なんて言われてきたものの、今回の騒動により、ガラケー使いの肩身が格段に下がったように思えます。とんだ風評被害ですよ……」(以下同)

 では、なぜ同氏はガラケーを使い続けるのか。そこには何らかのメリットがなくてはならないだろう。

「今の時代、書類等の添付されたメールを送ればすぐに返事が返ってくると思う人が多過ぎる。それは『返事ができる環境に常時いる』からに他なりません。緊急性の高すぎる仕事なんてそこまではない。だったら『ガラケーなんでメールは見られません』と言った方がラク。あと、スマホは中毒性が高いので、どうでもいい情報に常に接することになるし、余計な課金をしてしまう懸念もある。ガラケーだとそもそもネットに繋げるのも大変だし、今の時代、対応するサービスもどんどん少なくなっていっているので、業者からむしり取られる心配もない。特に不自由がないんです」

 こうした利点を同氏は主張するものの、こう考える人はもはやマイノリティではないだろうか。生活空間全般へのスマホ対応化が進む昨今、ガラケーは奇異なものとして捉えられているようだ。中川氏はこう続ける。

「今回の騒動でガラケーが注目されましたが、この風潮は、昨年10月、さいたまスーパーアリーナの沢田研二のコンサートがドタキャンされた時以来です。報道では、ガラケーで現場の看板を撮影する高齢女性が多く写っていましたが、この時もネット上には『ガラケー久々に見た』『ガラケーをまだ使ってる人がいたんだ』と驚かれていました。それだけガラケー使いは『奇怪な人』扱いなんでしょうね」





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断捨離は誰のためにするのか

私は、頭の中味が江戸時代か原始時代なので、「機能的に素晴らしいもの」とか「個人で作るのが無理な、現代文明の恩恵」は、どんな安物でも使用済みの品でもとても捨てる気にはなれない。
紙切れ一枚でも、それを捨てるのは「悪事を働いている」気持ちになる。お前が、ひとりで、その紙切れを作れるのか、という気持ちが心のどこかにあるわけだ。ペットボトルの空きボトルなど、江戸時代なら宝物扱いだろう。軽くて長持ちする水筒である。酒の空きビンなどのガラス瓶も同様に、平安時代なら宝物だ。実用品であるだけでなく美術品である。インクの切れたボールペンも、そのフォルムの美しさを見ると、捨てるのに罪の意識を抱いてしまう。
私が、自分が鈍感で良かったな、と思うのは、そうしたガラクタやゴミが身近にたくさんあっても気にならないことで、美的感性の鋭い人は、そういう雑然とした部屋や家に我慢ができないのだろう。それが「断捨離」になるわけだ。だが、それは「他人に見せること」を過度に意識した美意識なのではないか。誰も見ない部屋でも、そうした断捨離による整理整頓をするかどうか怪しい気がする。





断捨離をしようとしたが素晴らしい物しか置いてないので何も捨てられん…。




少量複数ボトルの目薬

下でツィートされている商品のコマーシャルをするわけではないし、使ったことも無いのだが、「小さいボトルがいっぱい入っている」というのはいいアイデアだと思う。
と言うのは、目薬の有効期限というのは想像以上に短く、半年も持たないのである。つまり、毎日のように目薬をさす必要のある人以外は、開封した目薬の9割以上は捨てることになる。
とすれば、下の商品のように「5ml×8本入り」というのは資源の無駄使いを避ける意味でもいいことだろう。
ただ、容器の形は下のようなのがベストかどうか、工夫の要もあるかもしれない。もっとつまみやすい形があるのではないか。ボトルの蓋の形もこれがベストかどうか。私の想像では、よくお弁当に入っている魚型の醤油入れに近い形がベストではないかと思う。蓋の大きさもあれくらいがいいだろう。一本の容量も5mlがベストか、それとも2mlくらいでほぼ使い切りがいいのか、要検討だろう。





エアコンとトレス台で目がパリパリになったので、思い切って外に出て、近所の薬局へ行ってきました
売っていました!!とても嬉しい二箱買いましたみんなに配ろう
小さいボトルがいっぱい入ってるので

子供は保守的

これは世間に周知させたい指摘だ。
当たり前の話であり、子供は世界についての知識そのものが極端に少ないのだから、知っている知識だけが絶対だと思うのが常である。「子供の自由な発想」というのは、その狭い知識を無理に現実に当てはめようとすることから生じるミスにすぎないのである。
極端な場合は、親や学校の教師が教えた誤った知識を絶対視して、正しい知識を延々と批判し排斥したまま大人になる子供もいる。



さんがリツイート
返信先: さん、さん

「自由な発想力」なんて持ってる子供はほとんどいない。子供ってびっくりするぐらい保守的ですよ(虹色に塗った恐竜なんて認めない。なぜなら図鑑では茶色だったから)





顔は人格を語る

長い記事なので前半のみ転載。犯人の顔写真の変遷が興味深い。特に大学在学中からは明らかに「犯罪者の顔」である。慶応や早稲田のレイプサークルにいるような顔だ。
人相判断の参考として「生活の技術」カテゴリーに入れておく。






2018年3月、東京・目黒区で5歳の船戸結愛ちゃんが死亡した虐待死事件。

搬送される結愛ちゃんを目撃した人は、「女の子がいた事自体知らなくて。運ばれた女の子を見たときに、顔色が完全に土色みたいになっていて…。あからさまに細すぎだろって、足とかちょっと細すぎっていうのが…」と、ひと目で感じた異常さを語っていた。

事件後、国会に児童虐待防止法の改正案が提出され、今年6月に参院本会議で全会一致で可決し、成立。親の体罰が禁止されるなど、この国のシステムを変える“きっかけ”となった衝撃的な事件だ。

© FNN.jpプライムオンライン

事件のことを報道で知った時、誰もが考えたに違いない。

「結愛ちゃんを救うチャンスがあったのではないか?」

「なぜ社会はあれほどの虐待に気づかなかったのか?」

その答えを出すために、加害者である父・船戸雄大被告(逮捕時33歳)の半生をたどった。

誰もが目もそむけたくなる程の虐待を行い、世間には「鬼畜」「悪魔」と呼ばれた船戸雄大という男は、一体どんな人物だったのか?

“社交性”が高く、皆の中心だった雄大

© FNN.jpプライムオンライン

「不思議な感覚でしたね。違う人を見てるような感覚です」

事件後、小学校の同級生はこう語った。

北海道札幌で育った雄大は、バスケに熱中する誰もが羨むヒーローだったという。

「プロになれるんじゃないかという感覚は小学生ながらでもありました。多分次元が違ったと思います。皆彼から教えてもらうとか、そういうレベルです。そこら辺の先生より、体育の先生より上手みたいな」

万能感に満ちた少年時代のみなぎる自信は、「日本人初のNBA選手になる」と卒業文集にも刻まれていた。

また、その同級生は「もう話題の中心というか、遊ぶ時の中心っていうか。明るくて楽しい友達っていう感じですかね」と、雄大には人を惹き付ける力があったと当時を振り返った。

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2003年4月、大学進学のため東京に出てきた雄大。

当時の親友は事件後、「あいつだったらそんな事せんやろうと思うところもあるので」と目頭を押さえた。

「バスケもうまかったです。試合とかでも結構怒られてましたけどね、『お前それちゃんとしろよ』みたいな。何かと色々やってくれましたね。体育館取ってくれたりとか、チームに連絡したりとか」

大学でもバスケサークルのリーダーで、世話焼きなまとめ役だったという。

雄大は卒業後も東京に残り、2007年4月、通信関係の大企業に勤めるようになる。

仕事もでき上司の評価の高い。世話好きな性格はここでも顔を出し、同期会ではいつも幹事を引き受けた。友人も、親しければ皆自宅に呼ぶ、雄大の“社交性”の高さ。

雄大の身近にいた人たちが、口をそろえて語るのは、いつも仲間の輪の中心にいる、私達からすると意外な素顔だった。

点々と生活の場を変えていく雄大

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そんな雄大は、1〜2週間に一度は通っていた行きつけの飲み屋で「仕事を辞めたい」と言い出すようになっていた。相談をしていたのは、雄大被告が兄のように慕っていた男性だ。

「『今の仕事が飽きちゃった』っていうのは聞いて。『辞めたい辞めたい』と言っていて、『もう通信関係の仕事はやりたくない、他の仕事がしたい』って。具体的に何かということは聞いてないけど」

飽きっぽい性格だったのだろうか。

雄大は勤め先に地元への異動を希望し、2014年5月には願いは受け入れられ、札幌に戻ることになった。

ところがーー

「最初は自分の会社に普通に勤めていたけど、すぐに辞めましてね。それで夜のすすきので、紹介じゃないと行けないような高級クラブのボーイをやるって言って。なんでいきなりそんなところで働くんやと思って。先は全く見えないんだろうなと思いましたけどね…」

当時そう思っていたという親友は、「アンダーグラウンドな感じの人たちに憧れていたというのはあるかもしれないですね」と、理解も示した。

自尊心が強い雄大は、ありきたりな人生を嫌ったのではないか、と。


しかしクラブでのボーイ生活もすぐに終わることとなった。

北海道行きからわずか1年後の2015年には香川県へ。

親友は「香川に行ったのは、友達が『ちょっとお店が困ってる』って言うんで、雄大は手の届かない範囲でも人を助けようとする心があるから、困ってる人を助けたいということで、香川まで行った」と、雄大なりの大義名分があったと言う。

キャバクラの人手が足りない。

そう請われ、高松の繁華街でボーイとして働き始めた雄大。

ここで3人は出会ってしまった。

出会ってしまった3人

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大学時代から11年を過ごした東京を離れ、故郷・札幌での転職、縁もゆかりもない香川にきた雄大。

香川に来てからも東京で兄のように慕う男性には連絡を取り続けていた。

「しばらくして香川から連絡があったんですよ。結構2カ月に1回くらい頻繁に連絡が来てたんですよ。電話とかLINEでも」

2016年には、その男性にこんなLINEを送っていた。

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「香川で今付き合っとる仔と籍を入れることが決まりました…(笑)」

「田舎で子供と3人暮らしです(笑)」

「とりあえず今は派遣なんで近場で就活しよります★ まぁ金はないですけど幸せは幸せです(* ̄▽ ̄*)」

「ついでにお腹に子供も出来まして…9月末には2児のパパになります」

「まぁとりあえず家族持ってしまったんで、大人しく働きます(ノД`)…」

(原文ママ)

勤務するキャバクラで働いていた、シングルマザーの船戸優里(事件当時25歳)被告と、3歳の娘・結愛ちゃんと出会い、LINEからは幸せそうな雰囲気が溢れている。

優里との関係が店にばれ、キャバクラを追われた後、3人の暮らしが始まっていた。

親友も、「雄大がバスケするって言って、こっちにいるバスケの連中と練習したこともあります。その時に2人(優里被告と結愛ちゃん)も付いてきて。試合の横を結愛ちゃんが走ったりして、ボールとか触って遊んでいましたね。奥さんはずっと体育館に座ってるみたいな、大人しい感じかな。でも雄大は優里さんのことを好きでしたよ絶対。あいつは好きになったら結構一途なんで」と、その頃の幸せな3人の姿を目の当たりにしていた。

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