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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

英単語末尾の子音の発音

私は英語の発音の聞き取りが苦手なのだが、英語の歌を聞いていると、語尾が子音で終わる単語はその子音がほとんど消えると思っていいのではないか。
たとえば「at all」は「アット オール(atto oolu)」ではなく、単語末のtも lも消えて、「ア・アー」としか聞こえない。「ア・オー」かもしれない。allも「オール」という発音ではなさそうだ。少なくとも、語尾は「ル(lu)」ではない。「l」であるわけだ。
こういう、子音を(その後に母音をつけないで)単独で発音することが日本人には特に苦手である。だから、単語末に母音が無い場合は「末尾の子音が消える」感じで処理するのがいいのではないか。こういうことは、子供に英語を教える最初の段階で教えると有益だと思う。
私自身は聞いたことが無いが、「Hot dog」なども「ホットドッグ(Hotto doggu)」ではなく、「ホッドッ」になりそうな気がする。まあ、心の中でt音や g音を「言ったつもり」程度でいいのではないか。




「at all」に関しては、ナット・キング・コールの「Too young」の歌い終わりを聞いていてそう感じた。

上記の件とは別の話になるかもしれないが、「曖昧母音」についての記事を転載する。

(以下引用)

こんにちは  なみのリズムのアサコです。

英語の発音を習っても、イマイチ正体がつかめない存在。それが「曖昧母音」ではないでしょうか?

なんて言っているのか「あいまい」なだけに、よく聞こえないし、学校でも教えてもらった記憶がないし…。そんな風に思っている人は少なくないかもしれません。

でも、曖昧母音は、英語の中で一番多く出てくる母音なんです。だから、絶対マスターしておきたい発音です。

といっても、難しく考えることなかれ。

曖昧母音って実はすごくカンタンなんですよ!

リズムでとらえれば、その正体がバッチリわかっちゃうのです^^)

個々の部分だけで発音をとらえようとすると、本質を見失います。本質的なことがわからないと、迷ってしまうんですよね。。

そんな人のために、まず、曖昧母音とは何なのか、一般的な説明から行ってみましょう!

※あいまい母音以外の母音について、見分け方を知りたいという方はこちらの記事をどうぞ。

 

曖昧母音とは何か

曖昧母音とは、一言で言えば、英語の母音を弱く発音したものを指します。

発音記号で表すと”ə”。eをひっくり返したような記号です。

母音を弱く発音したものですから、私たちの耳には、「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」のどの音にも聞こえるような響きがあります。

もしくはどの音とも結びつかないような音に聞こえたり…

「イ」なのか「エ」なのか、どっちつかずの音に聞こえたり。

実際はいろんな音に聞こえるのに、発音記号ではひとつで表されているわけです。なので、まるで「ただひとつの発音」があるような気がしてしまいますよね。

でも、それは勘違いなんです!繰り返しますが、曖昧母音は母音を弱く読んだものですから、様々な音に聞こえるということを覚えておいてください。

次の音声は、曖昧母音の聞こえ方のひとつの例です。聞いてみてください。

曖昧母音の発音

音声プレーヤー

 

では、実際の発音の仕方についてです。口も舌も動かさず、のどの奥からつぶやくように発音します。弱い音ですから、口も舌も動かさないというところがポイントになります。

「ア」でも「ウ」でもなんでもいいですから、うめくような感じで発音練習をしてみてくださいね。

曖昧母音はどこに現れる?

「曖昧母音は、英語で一番多く使われる母音なんだ」ということを先ほどお話ししました。

そこで、疑問に感じることはありませんか?

曖昧母音って、一体どこに現れるのかなって。

もちろん、辞書で発音記号を調べたらいいのですが、それって面倒ですよね^^;

そこで次は、どこに曖昧母音が現れるのか、そのヒントをお伝えしていきます。
みなさんは、発音を習ったことがあるでしょうか?

もし習ったことがあるとすれば、真っ先に習うのが短母音の発音だと思うんです。

いわゆる「a,i,u,e,o」ですね。例えば、catの”a”(発音記号は”ӕ”)や、hotの”o”(発音記号は”ɑ”)などです。

前者は「エ」と「ア」の中間音、後者は「ア」に近い「オ」のような音で、口を大きく縦に開けて発音するということを習ったかもしれません。

大事なことなので、ぜひ覚えておいていただきたいのですが、

この短母音の発音は、基本的にアクセントがつく場所で使います

逆に言うと、アクセントのない母音には短母音の発音は用いません。代わりに使うのが、曖昧母音なんです。

わかります??

たとえば、family。

familyは最初の”a”にアクセントがありますよね。けれども、”i”にはアクセントがありません。

したがって、これを短母音の”i”としてはっきりと発音してはいけないわけです。代わりに、弱ーく、かるーく、発音します。つまり、曖昧母音として発音しなければならないのです。

 

ここまでを一言でまとめますと、

アクセントがある所以外の母音は、ほぼすべて曖昧母音に変化するということです。

pronounciation

それから、多くの人が知らないことだと思うんですが…

曖昧母音化するのは、単語の中の、アクセントのない母音だけではありません。

単語だけで読んだ場合にはアクセントがある場合でも、英文の中で読まれると曖昧母音化してしまう場合があります

例えば、”ask him.”

“him”はこの単語単体で読む場合には、”i”にアクセントがありますよね。

でも、”ask him”とフレーズになった場合、”him”は弱く読まれます。

したがって、himのiが曖昧母音化するのです。

himのiが弱く読まれる結果として、“ask him”の”him”は聞き取りづらくなります。カタカナであらわすと、「アスクム」というような発音になります。

実は、この変化が、多くの人が英語を聞き取れない原因になっているのです

先ほども述べたように、曖昧母音は、英語の中で一番多く使われる発音です。

ですから、曖昧母音を見分け、聞き取ることができなければ、リスニングは難しくなってしまいます。

実は、曖昧母音を攻略することが、リスニング攻略の大きな一助になるのです。

 

曖昧母音の見分け方~英語のリズムで曖昧母音をとらえよう!

ここまでで、単語レベルで曖昧母音を見分ける方法についてはお伝えしました。

けれども、フレーズの中でも曖昧母音が現れるとなっては、状況はより複雑に見えますよね。

 

フレーズであっても、簡単に曖昧母音を見分ける方法はないものでしょうか?

そうです、あるのです。

実はその最大のヒントに、英語のリズムがあります。

英語は強弱のリズムでできています。

英文の中には、強く読む部分と、弱く読む部分があることはみなさん知っていますよね。文レベルで言えば、重要な単語は強く読まれ、それほど重要でない単語は弱く読まれます。

例えば、Nice to meet you.

このフレーズでは、Niceとmeetが強く読まれます。一方、to とyouは弱く読まれますよね(もちろん、状況にもよりますが)。

この強弱のリズムのうち、弱のリズムのところで現れるのが曖昧母音なのです。

Nice to meet you.
ア  あ ア  あ   (ア…アクセント。あ…曖昧母音)

強のリズムはもちろん、アクセントのある部分です。

ということは、ものすごくおおざっぱに言えば、単語にしろ、フレーズ単位にしろ、アクセントがあるところ以外の母音は、全てあいまい母音になると考えてもらって構いません。

(もちろん、第2アクセントとかありますし、アクセントのない所でも多少強めに母音を発音したりしますから、100%ではないです。でも、それくらいの感覚で全く支障はありません)

リズムで発音をとらえれば、曖昧母音の変化もバッチリ解決しちゃうんです!

 

発音は、リズムによって変化する

ここで大切なこと。繰り返しますが、それは、発音はリズムによって変化するということです。

曖昧母音は、リズムによって変化した発音の産物なんです。

曖昧母音の見分け方、バッチリわかりましたか?

曖昧母音をマスターすれば、リスニング力も上がりますし、あなたの英語がすごくナチュラルになりますよ。

 

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難読地名

小谷野敦に「頭の悪い日本語」という文庫本があって、なかなか面白いのだが、最後は書くネタが無くなったのか、難読地名を題材にして1章にしている。
まあ、難読地名というのは多くの人に迷惑をかけているという点では「頭の悪い日本語」ではあるし「性格の悪い日本語」だろう。その土地自身が損をしていると思う。これは難読人名も同じだが人名は一度覚えられると印象に残るので、不利益だけでもない。「四月一日」で「わたぬき」「小鳥遊」で「たかなし」などというのは漫画やラノベでおなじみだろう。「百目鬼」で「どうめき」というのもお馴染みだ。
だが、難読地名だと、印象に残っても、それでその地を訪れるかというと、そうでもない。つまり、いろいろな人を混乱させ、伝達ミスを生むだけであり、まさしく「頭の悪い日本語」かもしれない。
上述の本から、難読地名の一部を掲載しておく。読み方の「答え」は少し後に載せる。

1:茨城県 
2:三田市(兵庫県)
3:喜連瓜破(大阪の駅名)
4:宍粟市(兵庫県)
5:三朝町(鳥取県)
6:英彦山
7:安心院町
8:酒々井町
9:八街市
10:川内(鹿児島県)


(解答)
1 いばらきけん(*「いばらぎ」に非ず)
2 さんだし(*「みたし」に非ず)
3 きれうりわり
4 しそうし
5 みささまち(*「みささちょう」でもいいか)
6 ひこさん(*「英」の字はどこへ消えた?)
7 あじむまち(*「あじむちょう」でもいいか?)
8 しすいまち(*「しすいちょう」でもいいか?)
9 やちまたし
10 せんだい

まあ、このうち3つか4つは知っているという人もいるかと思う。以前私が住んでいた京都にも難読地名は多かった。その反面、風流な地名も多かったが、去る者日々に疎しで、ほとんど覚えていない。沖縄だと「東風平(こちんだ)」とか「南風原(はえばる)」とか「北谷(ちゃたん)」とか「西表(いりおもて)」というのは、(「西表」はわりと有名だが)本土の人間は初見では読めないのではないか。西がいつでも「いり」と読まれるわけでもなく、「西武門」で「にしんじょう」と読まれる例もある。











トロツキズムとスターリニズム

一国社会主義は官僚支配国家になる、という指摘はある程度正しいと思うが世界全体が社会主義国家になる、というのは無理だろう。それに、プロレタリア支配の具体的内容が不明だ。プロレタリアが支配者になれば、それは官僚支配とまったく同じではないか。
現実政治という点ではスターリンが正しかったと思う。ただし、冷酷な政敵粛清という点で、社会主義や共産主義への恐怖感を世界に広げた罪が大きい。


トロツキズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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レフ・トロツキー

トロツキズムまたはトロツキー主義TrotskyismТроцкизм)は、レフ・トロツキーによって主張されたマルクス主義および共産主義革命理論のこと。トロツキズムを主張する者をトロツキストという。

当初の呼称はボリシェヴィキ・レーニン主義(Bolshevik-Leninism)[1][2]で、「トロツキスト」はヨシフ・スターリンらによる批判用語を自称に採用したものである。

トロツキストの国際組織には第四インターナショナルなどがある。

トロツキーの思想[編集]

トロツキズムの思想としての構成要素は、以下を主な柱としている。

  • プロレタリアート労働者階級前衛党の建設なくして、社会主義革命はあり得ない。また、革命党の掲げる「社会主義-革命」という最終目標と、労働者大衆の日々の要求の媒介となる「過渡的綱領-過渡的要求」による大衆の革命への組織化。(第一次世界大戦のさなかに「帝国主義戦争を内乱へ」を掲げ「平和などフィクションである」としたウラジーミル・レーニンに対して、トロツキーは「目標としての『内乱』は正しいが大衆を組織する直接のスローガンにはならないし、平和を求める大衆の要求を軽視してはならない」と批判する。論争の結果、レーニンがトロツキーの主張を受け入れ、ボリシェヴィキロシア革命時のスローガン「パン・土地・平和」が採用された。)
  • 永続革命論の立場から、ヨシフ・スターリン一国社会主義建設に反対し、世界革命による世界社会主義の達成を目指す。あるいは、世界革命の達成なくしてスターリンの提唱する「一国による社会主義建設」は不可能であり、それは必然的に官僚の特権とその既得権防衛のための専制体制へと堕落する。
  • 社会民主主義政党およびスターリン主義共産党をも含む、多様な政治傾向を含む労働者階級の統一戦線の結成による二重権力の形成から、最終的な労働者階級の権力奪取。プロレタリア民主主義に基づくソビエト(労働者評議会)権力による絶えざる社会革命と国際革命の有機的結合によって資本家の搾取を廃止する社会主義の建設。
  • 世界社会主義革命を目指す単一のインターナショナル組織の建設と、それを媒介にする労働者階級・被抑圧民族の国際連帯の形成。

また、それらの柱から導き出される政治理論として、社会ファシズム論(社会民主主義主要打撃論)批判、人民戦線批判、あるいはスターリンが支配したソビエト連邦を「革命の成果を簒奪したスターリニスト官僚が堕落させた労働者国家であり、官僚を追放する政治革命は必要だが、依然としてブルジョワジーによる生産手段の所有を廃した労働者国家であることから帝国主義の包囲・攻撃からは世界の労働者階級はソビエト連邦を防衛しなければならない」(「官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」論)とするテーゼ。同様に、非政権共産党についても(「反スターリン主義」派的な)「国家権力と同等な打倒の対象」とはみなさず、「誤った綱領・路線で指導されているとしても、労働者階級内部の革命をめざす一潮流」と認知し、批判しつつも必要な共闘は追求するという立場を取る。また、「社会主義への過渡期経済では市場をも利用し、資本主義・帝国主義との競争に耐えられる経済建設」の提唱などのトロツキーの思想・主張・実践の総体を「トロツキズム」という。

スターリンが指導していたコミンテルンに対抗して、トロツキーの呼びかけによって1938年に結成された国際革命組織第四インターナショナル系のトロツキスト自身は、自らを「第一インターナショナル以来の世界革命による社会主義建設の原則を擁護する古典的マルクス主義者」、「1917年のロシア革命の意義と原則を擁護し、コミンテルンの最初の四回の大会の決議を出発点とした新しい革命党を目指すボリシェヴィキ・レーニン主義者」とし、「スターリンによるマルクス主義の歪曲に最も抗したトロツキーの立場と思想を擁護するという意味で“トロツキスト”の称号を受け入れる」と自己定義する。

日本共産党を含めた第三インターナショナル(コミンテルン)の系譜からは、反革命の烙印が押されてきたが、1956年フルシチョフによるスターリン批判で、日本でもトロツキズムに拠る左翼活動家が現れる。

(国際トロツキスト運動の展開については第四インターナショナルの項参照)

レッテルとしての「トロツキスト」[編集]

長年、各国共産党は、自党の指導に従わない共産主義者を、トロツキーの思想の影響下にあるなしとは関係なく「トロツキスト」と呼んで非難していた。「トロツキスト」とは、共産党にとって最悪の裏切り者の代名詞であり、スターリンが1936年に開始した大粛清時の定義「ソ連邦の破壊を目論むトロツキーを頭目とする反革命分子で帝国主義の手先の群れ」「ファシスト第五列」をそのまま踏襲し、「左翼を装った挑発者」「スパイ反革命集団」を意味していた。すなわち、共産党とは別の立場にある共産主義思想・およびそれを信奉する者全般を指したレッテルとして「トロツキズム」「トロツキスト」と総称していた。

例としては、スペイン内戦時に独自の反ファシスト民兵を組織していたマルクス主義統一労働者党(POUM)に対するコミンテルンおよびスペイン共産党の「トロツキスト」という非難が挙げられる。POUMは指導者のアンドレウ・ニンがトロツキーの秘書を務めたことがあるが、トロツキーの指導する国際的な左翼反対派の運動(のちに第四インターナショナルを形成する)とは一線を画していた(トロツキーもPOUMを「中間主義」と批判していた)。にも拘らず、POUMは「トロツキスト」と規定され、のちに「ファシストの手先」とされ共和国政府およびスペインに潜入していたソ連秘密警察に組織ごと抹殺されることになる。

日本においては、日本共産党は、新左翼発生以前には共産党結成初期に共産党から分離した労農派をトロツキストと呼んでいた。1950年代後半に六全協に対する反発やハンガリー動乱の影響で新左翼が生まれると、彼らをトロツキストと罵倒した。60年安保闘争時の、決してトロツキーの思想の影響下にあったわけではなかった共産主義者同盟および全学連を「極左冒険主義のトロツキスト集団」と口をきわめて非難した。あるいは、「トロツキズムを乗り越えた新しい体系=反スタ、反純トロ」を標榜する革マル派中核派、果てはそもそもレーニン主義を否定している社青同解放派まで、一括りに「トロツキスト」と規定していた。

しかしスターリン批判以降、日本社会でも凶悪な独裁者というのがスターリンの評価として一般的になっていく中で日本共産党もスターリンについて「科学的社会主義を歪曲した」「大国主義」と批判的になっていき、1982年(昭和57年)には不破哲三が著作『スターリンと大国主義』を著してスターリン批判を行い、その中において「ロシア革命におけるトロツキーの役割」を一定認める見解を発表した。そのため以降日本共産党は新左翼党派を「トロツキスト」と呼称することを公式には取りやめるが、現在でも主に高齢・古参の党員を中心に新左翼諸党派を一括りに「トロツキスト」「トロ」などと軽蔑を込めて指す者もおり、若手党員や民青同盟員にも稀に「トロ」などと口にする者がいるという。[誰?]現在では共産党の新左翼に対する公式的な蔑視用語は「ニセ『左翼』暴力集団[要出典](口語で略するときは「ニセサヨク」)に取って代わられている。

なお、英語にも「トロット(Trot)」(複数形は「トロッツ (Trots)」)というトロツキストへの蔑称が存在する。

「ネオコンの出自はトロツキスト」論をめぐって[編集]

アメリカのトロツキスト・グループから、「ネオコン」と呼ばれる現在のアメリカの政治に影響力を及ぼしている新保守主義が生まれているという説がある[3]。この点をもって、トロツキズムとネオコンの根は同一であると説く論者も存在する[4]。これらはネオコンの創始者ともされるアーヴィング・クリストルイラク戦争を推進した亡命イラク人のカナン・マキヤ英語版らがトロツキストだった過去、どちらも世界に武力を用いてでも理想(世界革命、自由化民主化)を広めるという側面を根拠としている。しかし、ネオコンとトロツキズムとの「思想的連続性」という説についてはトロツキスト側から反論もなされている[5]

鼻眼鏡

20世紀初頭は欧米大衆小説の黄金時代だったと私は思っているが、そのころの小説を読むとよく出て来るのが「鼻眼鏡」である。これがなかなかイメージしにくい。鼻に載せる(掛ける)だけの眼鏡なら、すぐに滑り落ちるだろう、というのは、こちらが鼻の低いアジア顔だからだろうが、西洋人なら大丈夫だとも思えないわけだ。

(以下引用)

歴史[編集]

眼鏡が発明された当初には耳にかけるテンプルがなく、いわば鼻眼鏡は眼鏡の原型である。テンプルが発明されるのは眼鏡が発明されてから500年近くも経った1700年代のことだった。テンプルの発明された後も鼻眼鏡はすぐに消え去ったわけではなく、長く耳掛眼鏡と併存した。15世紀から17世紀の間に一般庶民に徐々に浸透し、1840年代に現代的な鼻眼鏡が登場した。

1880年から1900年にかけては鼻眼鏡が大流行した。テンプルが発明されて長い年月が経ったのちに鼻眼鏡が流行したことを、眼鏡業界誌の『20/20』は、自動車からタイヤが見栄えのために取り除かれたような奇妙な出来事だと評し、その理由を眼鏡の必要性を軽く見せたい気持ちと、自分の鼻に合わせて特注された金銀の細工をステータスシンボルとしたい気持ちの二点から説明した[6]

初期は金属製のリム(眼鏡の枠)だったが、次第に枠無し (Rimless) のもの、さらにセルロイド製のものが登場してきた。銀(スターリングシルバー)製のもの、鼈甲製のものも存在した。1879年にニューヨークの眼鏡商が発行したカタログでは、鉄製、鼈甲製、ゴム製、金メッキ、銀製、金製の順に鼻眼鏡が紹介され、金メッキ以降が際立って高く値付けられていた。鼈甲製は鉄製やゴム製と並んで安価であった[7]。鼻パッドは、初期はブリッジと一体化された金属製のもの、あるいはコルクを貼り付けたものだったが、後年にはセルロイドを添付したものや落下を防ぐために粘着性にしたのもの[8]が作られた。

20世紀初頭に検眼の発展により近視乱視を矯正する処方が増えると、レンズの安定しにくい鼻眼鏡の欠点が許容されがたくなり、レンズを安定させるべくスプリングなどの工夫もされたが、結局、かつて忌み嫌われたテンプルが再発見され、鼻眼鏡は一般的でなくなっていった[9]。21世紀初頭においても、鼻眼鏡は一般的でない。

実用性[編集]

鼻眼鏡の流行していた当時から、レンズを眼の前に固定する手段として鼻眼鏡は耳掛眼鏡ほど実用的でないことが知られていた[10][11]。鼻眼鏡の長所として当時言われていたことは、掛け外しの手軽さ、見た目が良く洒落ていること、外見を極力変えずに視力を矯正できることであった。短所として指摘されていたことは、長時間の装用が耳掛眼鏡ほど快適になりがたいこと、顔つきによっては掛けられないこと、そして光学上の問題点であった。19世紀末にはすでに近視遠視老視のみならず乱視斜位の矯正法も知られていたが、乱視や斜位の矯正では処方どおりの角度でレンズを眼前に固定することが求められるため、レンズが回転してしまいやすい鼻眼鏡はこれらの矯正に適さないことが指摘されていた[12][13]。レンズが回転しやすい短所は、C-ブリッジ型の、ブリッジ自体がバネを兼ねる構造によるものであり、それを解消するためにスプリング・ブリッジ型を始めとするブリッジとバネを分離した形式が作られたが、重く不恰好であることが嫌われてなかなか一般化しなかった。鼻の上の落ち着きやすいところに置いただけではレンズと眼との間隔が正しくなるとは限らないことも光学上の問題点として指摘され、当初レンズと同一平面上にあった鼻当てを後方に片寄せたオフセット・ガードも工夫された。

19世紀末の書籍では、プリズムが不要で乱視もないか軽い人が適切に調整されたオフセット・ガードつきのものを掛けるならばとの条件つきで、縁無しの鼻眼鏡がもっとも「現代的」で端麗な眼鏡として推薦されていた[14]。ガードによって引っ張ることで当時手術の難しかった蒙古ひだを「除去(remove)」することが可能だとする記述も見られる[15]。1921年に眼科医フランク・G・マーフィーも、耳掛け眼鏡をかけると鼻眼鏡より装用者が老けて見えるとし、その理由を耳掛け眼鏡のテンプルが目尻のしわに似るからだとした[16]

鎖や紐[編集]

落下に備えた安全策として、鼻眼鏡に鎖や紐を取り付けて掛ける人(参考写真)もおり、1879年にニューヨークの眼鏡商が発行したカタログには鼻眼鏡には標準でケースと絹紐が付属するとある[17]が、鎖などを付けずに掛ける人々(参考写真)も多かった。鎖などを付けても鼻眼鏡が鼻から外れること自体は防げないが、外れた後に地面まで落下して破損したり紛失したりすることを防ぐことができる。鎖などの他端を固定する手段として、1912年のアメリカン・オプティカル・カンパニーのカタログでは、耳かけ(ear loop)、服に留めるホック(hook)、ヘアピン(hair pin)の3通りを紹介し[18]、指定なき場合の鎖の長さを

  • ヘアピン用で229ミリ(9インチ)
  • ホック用で330ミリ(13インチ)
  • 短いヘアピン用で203ミリ(8インチ)
  • 耳かけ用で102ミリ(4インチ)

と記載している[19]

鎖も紐もヘアピンなどの金具と組み合わされ個装されて販売された他、金具なしの紐のみは個装のみならず、半ダースや1ダースの包装でも販売された。ヘアピンや耳掛け、ホックなどの金具にも様々な意匠のものが用意され、予め組み合わされた商品の他、好みの鎖の太さ・長さと金具を指定して注文することもできた[20]。鎖・紐を環状にしてネックレスのように首からかけている写真も多く見られる。ライト兄弟の妹、キャサリン・ライトの写真では、鎖をいったん耳にひっかけてから髪に留めている[21]。鎖などの他端を固定する手段として、上記の三種の他に、カタログの他のページで「オートマチック・アイグラス・ホルダー」と称する、巻き尺のように鎖を巻き取る仕組みのものも紹介され、装飾の多寡の異なる数種が用意されていた[22]

1921年に眼科医フランク・G・マーフィーは、顔をより美しく見せるために鼻眼鏡を吊る鎖や紐の長さを加減すべきだと主張した。鎖や紐によって顔に線を描くことでその線の方向に顔が長く見える錯覚が起こるとの理論から、丸顔の人が鼻眼鏡をかける場合、丸顔を目立たなくするために鎖やひもを長くたるませて顔に縦の線を描くべきだとした。馬面の人が鼻眼鏡をかける場合、鎖や紐を耳方向へたるみなく引っ張って顔に横の線を描くことが有効だと考えた[23]

鼻眼鏡の一般的でなくなった今日でも、似た例として補聴器人工内耳体外装置の落下防止策として被服や頭髪へ紐で留めることがある。特に耳にかけずにもっぱら体内のインプラントへの磁石の吸着力に頼って装着する型の人工内耳体外装置では、紐で被服や頭髪に留めることが取扱説明書で紹介され、装置にも予め紐を取り付ける穴または窪みが用意されている[24][25][26]

ハンドル[編集]

右のレンズ脇の金具は英語でハンドル handle と呼ばれた[27][28]。日本語ではつまみと呼ばれた[29]。もともとは眼鏡を持つための持ち手だったが、もっぱら上述の鎖や紐を取り付ける金具として使われるようになり、小型・簡素化され、ついには省略されることもあった。

1912年のアメリカン・オプティカル・カンパニーのカタログに掲載された鼻眼鏡は、型式によって様々なハンドルが取り付けられていたり、またはハンドルが省略されていたりしたが、注文により好みのハンドルを取り付けることもできた[30]。同カタログでは、当時の「良質」な鼻眼鏡のハンドルは最も簡素な1Hや、輪の根元にボール状の意匠を加えた5Hが一般的になってきており、装飾的なハンドルはその分減ってきたとしている。

好みのハンドルを注文できるように、ハンドル部品にも型番が割り振られていた。縁のある鼻眼鏡のためのハンドル部品は26種が掲載され、型番は数字+Hの形式であった。もっとも簡素な、紐を取り付ける輪に過ぎない1Hから始まって、18Hまで数字が大きくなるほど大きなものや意匠を凝らしたものになっていた。彫金を施したハンドルに対しては、例えば4Hに彫金を施したものに104Hというように別の型番が与えられ、金製の鼻眼鏡フレームでのみ注文可能であった。縁なしの鼻眼鏡のためにはハンドル部品が10種掲載され、型番はアルファベット+Hの形式であった。紐を取り付ける輪に過ぎないAHから始まってNHに至るまで、後になるほど大きなものや装飾性の高いものになっていた。

縁なしの鼻眼鏡ではハンドルは注文なきかぎり省略されたが、その場合、右レンズの脇に紐などを取り付けるための穴(hole for cord)[31]を空けることがあった。眼鏡レンズを縁なし眼鏡用に穴空け加工する際、穴の数はレンズ一組あたりの穴の個数で指定された。つまり、穴2つとは、2枚のレンズに穴をひとつずつ空けるという意味であった。穴の数の選択肢は、縁なしの耳掛け眼鏡用の四つ穴、縁なしの鼻眼鏡に紐などを取り付けない場合の二つ穴、そして縁なしの鼻眼鏡に紐を取り付けるための穴を加えた三つ穴の3通りであった[32][33]。当時の眼鏡処方箋の書式には、丸で囲むだけで指定できるようにあらかじめこの3つの選択肢が記されていた[34]

レンズ規格[編集]

レンズの型には規格があった。小数点以下には出典によって差異がある[35]が、1913年の書籍に掲載されたものを紹介すれば下表のとおりである[36]。縦横比3:4ほどの横長の楕円が一般的だったが、近業の多い者には真円に近づけ縦方向の視野を拡げた短楕円が勧められた。短楕円はまた、PDすなわち両の瞳の間隔の狭い者にも勧められた。当時の眼鏡はレンズの大きさを変えることでレンズ中心の間隔と瞳の間隔を合わせたため、横長の楕円形のまま狭いPDに合わせて小さなレンズにすると縦方向の視野が狭くなりすぎたからである。その他に、眉骨の飛び出た者のために短楕円の上辺を切り落とした木の葉型もあった[37]。楕円、短楕円、木の葉型より他の型を、当時の書籍は見た目が悪くグロテスクであるとして退けていた[38]

1913年当時のレンズ規格
呼び名縁あり用楕円縁なし用楕円短楕円
ジャンボ 46×38 46×38 44.5×39.5
0000 44.3×36 44×36 42.5×37.5
000 40.9×31.9 41×32 39.5×33.5
00 39.7×30.7 40×31 38.3×32.5
0 37.8×28.8 38.5×29.5 37×31
1 36.5×27.5 37×28 35.5×29.5
2 35×25.5 - -
3 34×25 - -
4 33×24 - -
A 39×25 - -
B 40×26 - -
C 37×21 - -

日本において[編集]

1928年、眼科医石津寛は、日本人には鼻根の低い者が多く、鼻眼鏡には鼻根の低い者に適合する鼻型が少ないため、合わないものを無理にかけて皮膚に不自然な皺をよらせ、容貌を崩してしまいがちで、日本人には鼻眼鏡の合う人が少ないようだとした[39]

1968年、大阪大学名誉教授の宇山安夫は、鼻眼鏡を眼鏡の種類として耳掛眼鏡に次いで大切だとしながらも、日本では鼻眼鏡を掛ける人はきわめて少ないと述べた[40]

日本の有名人では、吉田茂後藤新平佐藤春夫らが愛用していたことが有名である。今日の日本でもハード・ブリッジ型の鼻眼鏡を復刻させて製造・販売する眼鏡店があり、吉田茂を題材にしたテレビドラマの小道具としても採用された。多彩なバリエーションを揃えたフチなし眼鏡のシリーズの一環としてツルなし眼鏡との売り文句で販売している眼鏡店もある。

ウィルスの構造

ウィルスの構造をいつも忘れるので、メモしておく。
もしかしたら、ウィルスとは動物の細胞の一部、あるいは細胞の生成物でしかないのではないか、という疑いを私は持っている。つまり「常在菌」のようなものではないか。ウィルス由来とされている病気は、別の原因によるもので、ウィルスはその病気と体細胞の闘争の結果の産物、細胞の死骸にすぎないという仮説だ。

(以下引用)

ウイルス粒子の構造と各部の機能
  1. ウイルスの基本構造

    ウイルスは他の微生物とは大きく異なり,細胞壁,細胞膜,細胞質,核等の構造を持たない。(例 細菌の構造)

    ウイルスは遺伝子である核酸(DNAかRNA)を中心にして,その周囲を蛋白の殻(カプシッド capsid)で包んだ構造からできている(この構造をヌクレオカプシッドという)。

    ウイルスの種類によっては,ヌクレオカプシッドの外側にさらに脂質と糖タンパクからなる被膜(エンベロープ envelope)が存在する。

カプソメアー
(capsomere):
ウイルスを電顕で観察したときウイルス粒子表面に突出して見える構造的ユニット

  1. 各部の機能
    1. 核酸

      ウイルスはゲノムとしてDNAかRNAどちらか一方の核酸をもつ

      ウイルスの複製に必要な遺伝情報がゲノムにコードされている。

      タンパク質合成系のないウイルスがrRNAやtRNAをもつことやこれらのRNAをコードする遺伝子を持つことはない

      ウイルスによっては、細胞に感染し、自身のタンパク質を合成する前に、ゲノムの複製が必要となることがある。このようなウイルスでは、複製に関与する酵素をウイルス粒子にパッケージしている。

    2. カプシッド(capsid)

      カプシッド(タンパク質の殻)はゲノムを包み、各種酵素(核酸分解酵素)からゲノムを保護する。

    3. エンベロープ (envelope)

      ウイルス粒子の感受性細胞への付着に関与する

      エンベロープ 内のタンパク質はウイルス自体の産物であるが、脂質は宿主細胞由来であり、エンベロープの脂質は宿主細胞の膜等に類似する。

      エンベロープは脂質二重層からなる膜で、細胞内で作られたヌクレオカプシッドが細胞から出芽し、完全な子ウイルス粒子(感染性を有する完全なウイルス粒子をビリオンと呼ぶ)に成熟し、形成される。

      エンベロープの獲得部位は細胞膜、小胞体膜、ゴルジ体膜、核膜のいずれかで、ウイルスによりことなる。 一般にエンベロープをもつウイルスはアルコールや石鹸など脂質を溶解する消毒薬に対して感受性が高く、逆にエンベロープをもたないウイルスは不活化されにくい。

      経口感染するウイルスは腸管内で胆汁酸に溶解されないためにエンベロープを持たない。