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独楽帳

青天を行く白雲のごとき浮遊思考の落書き帳

ブイヨンとコンソメの違い

この前、野菜スープを作るのにブイヨンを使ったら、ひどく不味かったので、コンソメとどう違うのか、調べてみた。これまではコンソメを使ったことしかなく、失敗したことがないからだ。
要は、ブイヨンには雑味があり、コンソメは精選された味だと言うことで、ブイヨンをスープに使うには、向かない場合があるということのようだ。

ブイヨンとは?

「ブイヨン(bouillon)」とは、フランス語で「だし」のことを指します。和食にかつお昆布だしがあるように、フランス料理にも牛や鶏、野菜で作っただしがあり、さまざまな料理を作るうえで欠かせません。

ブイヨンの材料は牛骨や鶏ガラ、香味野菜、スパイス、ハーブなどです。これらを大きめに切って鍋に入れ、水を加えて弱火で3〜4時間じっくりと煮込み旨味を抽出します。深い旨味がありながらもクセの少ない味わいなので、コンソメやポトフ、ポタージュなどさまざまな料理のベースとして使われます。

コンソメとの違いは?

「コンソメ(consommé)」はフランス語で「完成された」という意味で、そのまま飲んでもおいしいスープとして親しまれています。こちらはブイヨンをベースに大量の牛赤身肉や香味野菜、卵白などを加えて2時間程煮込み、旨味をしっかりと抽出したものを漉して透き通ったスープに仕上げます。

旨味がギュッと凝縮された濃厚な風味は、まさに「完成されたスープ」と呼ばれる上品な味わいです。塩で味を調えていただくほか、冷やし固めたものをヴィシソワーズにのせるなど、ほかの料理と組み合わせて使うこともあります。

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「専門家」の高慢さと使用文字

字が書ける、読めるというのは、昔は上級国民の特権だったので、一般人が読み書きしやすい字を使うとか難字を制限するという思想はほぼなかったはずだ。漢字の中でも難読性、書きにくい難字が頻出するのも、軍隊や医学界であるのが、その「一般社会から隔絶した専門性」の強調であり、「俗世の奴ら」「下賤の連中」への軽蔑だろう。これは漢字だけに限らず、英語の医学専門用語(ラテン語由来が多いようだ)の難解さにも表れている。

ちなみに、洋の東西を問わず、昔は塩が貴重品で、サラリーの語源はソルト(塩)だとも言われている。つまり、袋の中に入れた塩とは、貴重品を持ち運びする(略奪する)意味だろう。


漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「鹵」という漢字
「鹵」という漢字

漢字の意味・成り立ち・読み方・画数等を調べてみました。
(「鹵」は常用漢字外です。「鹵」は部首です。)
成り立ち読み方画数・部首解説
意味

①「しおつち(塩分をんだ土地)」(例:鹵田)

②「塩(しお)。岩塩。天然の

岩塩とは、無色または白色の塩化ナトリウムからなる鉱物
 のいます。食塩の製造原料となります。

鉱物とは、地球の表面を形作る岩石のに存在する無生物で成分が
  一定の固定物質のいます。

③「やせ地(作物などのたない土地)」、「荒れ地

④「疎(おろそ)か」、「軽々しい

⑤「愚か

⑥「奪う」、「掠(かす)める」(例:鹵獲)

⑦「防ぐの道具」(例:鹵簿)

成り立ち

象形文字です。「んだ岩塩」の象形から、「しお」、「しおをんだ

西方の荒れ地
」を意味する「鹵」という漢字が成り立ちました。

媒質の存在しない「波」www

まあ、下の引用記事は「科学の嘘」だろう。波というのは媒質があって存在するのであり、媒質のない真空(本物の真空)の中で波が伝わるはずがない。光も波であるとするなら、下の解説は嘘になる。つまり、「エーテル」という、まだ人類が発見していない媒質が宇宙全体に広がっている、と見るのが正解のはずだ。これが、波と媒質の定義から来る必然的結論である。でなければ、「電磁波」や「光波」は波ではない、と定義を変えるべきである。

さらに妄想を言えば、私は、波というのは力を伝達するのではなく、力が伝達された後に起こる現象だと思っている。つまり、作用と反作用の連続だという考えだ。ただ、その「力」の種類によって、いろいろな波が起こるのだと思う。中には、「無時間」で宇宙の端から端まで到達する波もある可能性もある、と空想している。言い換えれば、A点からB点まで到達するのが波ではなく、A点とB点を「つなぐ物」が波で、そのAとBが、さらにC、D、E……と、どんどん連続して長大な波になる、という考えである。
たとえば、棒の両端で押し合う場合、A点で押した力がB点に到達するのに時間はかからない。「即時」という伝達形式もあるということだ。つまり、何かの運動には必ず時間がかかるというのは錯覚にすぎない、ということである。これが、ニュートン、アインシュタインを超える、第三の物理学革命思想である。なーんちゃって。

たとえば、絶対に曲がらない長大な棒があったとして、その両端が月と地球にあって、その一方を月で押した場合、地球でそのもう一方を持っている人間が、月でのその動きを感じるのに時間はかかるか? どのくらいの時間が? 材質の問題を度外視しての話である。ここに、「力波」とでもいうものがあって、それが棒を伝わって地球に到達するのに、時間がかかるとでもいうのだろうか。いや、「即時」で伝わるはずだ。


(以下引用)

電磁波の媒質は何ですか?
電磁波 真空中における電磁波や光波の媒質は、現在では空間そのものと考えられている。 古くはエーテルという架空の媒質が想定されていたが、アインシュタインの特殊相対性理論によって、想定の必要性は否定された(「存在しない事が完全に証明された」のではなく「存在していようがしていまいがどちらでも構わない事が判明した」の意)。

茗荷と「物忘れ」の由来





 さて、茗荷といえば、たくさん食べると物忘れをする、と昔から言われてきた。この俗説の由来は、ある非常に物覚えの悪いお坊さんが亡くなり、その墓から茗荷が生えてきたためだと言われるが、本当のところは、少々趣の違う話である。  

 茗荷の名前の元になったお坊さんは、周利槃特(しゅりはんどく)と言う。周利槃特は、天竺(インド)の北部に生を受け、兄の摩河槃特(まかはんどく)と共にお釈迦様に弟子入りした。兄は賢く、お釈迦様の教えをよく理解し、深く仏教に帰依したが、弟の周利槃特は物覚えが悪く、自分の名前すら覚えられなかった。そのため、托鉢に出かけても、お釈迦様の弟子として認められず、乞食坊主扱いをされ、お布施を貰う事が出来ない。お釈迦様はこれを憐れみ、「周利槃特」と書いたのぼりをこしらえて「明日からこれを背負って托鉢に行きなさい。もし名前をたずねられたら、これでございますと、のぼりを指差しなさい。」と言われた。次の日から托鉢の時にのぼりを背負っていくと、人々はお釈迦様の書かれたのぼりをありがたがり、たいそうなお布施をいただく事ができるようになったそうである。  

 さて、兄は、物覚えの悪い弟に、何とかお釈迦様の教えを覚えさせようと手を尽くしてやるが、弟の方は、朝に覚えていたものを昼には忘れてしまう。周利槃特は、自分のおろかさに涙を流して途方にくれた。それを見ていたお釈迦様は「自分が愚かであると気づいている人は、知恵のある人です。自分の愚かさを気づかないのが、本当の愚か者です。」と言われ、ほうきを周利槃特に渡して「ごみを払おう、あかを除こう」と唱えて掃除をしなさいと教えた。
 その日から周利槃特は、雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、毎日「ごみを払おう、ちりを除こう」と唱えながら掃除をし続けた。やがて「おろか者の周利槃特」と呼ぶ人はいなくなり、「ほうきの周利槃特」と呼ばれるようになった。そして何十年経ち、周利槃特は自分の心のごみやあかを全て除き、阿羅漢と呼ばれる聖者の位にまでなったのである。お釈迦様は、「悟りを開くということは決してたくさんのことを覚えることではない。わずかなことでも徹底すればよいのである。周利槃特は徹底して掃除をすることでついに悟りを開いたではないか。」と大衆の前でおっしゃった。  その後、周梨槃特が亡くなり、彼のお墓にあまり見たこともない草が生えてきた。彼が自分の名を背に荷(にな)ってずっと努力しつづけたことから、この草は「茗荷(みょうが)」と名づけられたということである。

なぜ戦国武将は「男色」したか

やや、猥褻扱いされそうな内容になりそうなので、あまり人の読まないこのブログに書いておく。
それは、戦国武将がなぜ男色をしたかという問題だ。
その理由が、男色とは「後背位」だからだ、という奇矯な説を最初に書いておく。
で、もっと普通の説を述べると、性交の身体的危険性を避けるため、つまり自分の生命を守る手段が男色だったということだ。

戦国時代に女性とは「生む機械」だったというのは常識だろう。学問も無いし、社会的常識もない。単に家事・労働をし、性交相手をし、子供を産むのが女性という存在の位置付けだったのである。当然、非常時の「戦力」にはならない。
ところが、その「産むこと」が、戦国武将にとっては二律背反的な難問の種になるのである。戦国武将にとって、子供がいることは、家の存続の絶対条件であり、その点では女性は貴重だが、子供の産めない女性には存在価値はない。ところが、子供を産んだら産んだで、新たな問題が出て来るのである。それは、生まれた子供が「家の相続者」となり、その母親も権力者になることだ。とすれば、現在の「夫」は妻にとっての潜在的な「敵」になるのである。妻への愛情が薄くなれば、新たな「女」がその愛情を占有し、さらにその女が子供を産めば、その子供が家督を継ぐ可能性が高い。そうなると、「夫を殺す」ことが、妻の選択肢に入るのも理の当然だろう。夫が死ねば、自分の子供が家督を継ぎ、自分はその母親として権力を得られるのである。
ということで、戦国武将にとっての「妻(愛人としての女性含む)という存在」は非常に厄介なものだったことは自明である。

しかも、性交の場というのは、男が完全に無防備になる場である。性交の際に男の陰嚢を握り潰す(引き千切る)だけで、男は悶絶し、その生殺与奪は簡単だろう。
そこで、稚児小姓という存在が浮上する。これは、家督相続と無関係だから、君主に害意を持つ可能性は少ない。主君によって取り立てられるのだから、むしろ主君に感謝の念を持ち、忠節であるだろう。
そして、性交の相手として、「後背位」であるから、性交の際の小姓の側からの暗殺が非常に困難になるのである。

以上が、簡便に述べた稚児小姓の存在意義である。

これは、柳田国男ですら言っていない、なかなかの説ではないだろうか。